107.色は黒
子供に出来る事の少なさを、これほど嘆いた事はない。
どれだけ知識を蓄えても、年齢が足りないだけで誰も信用してはくれない。人生経験がイコールして年月だと思っている者の多さに、何度も辟易させられた。若いから、幼いから、苦労なんてした事がないだろうと。無垢で純粋な子供を夢見るのは勝手だが、年齢は生きた年月であって経験値ではないのに。
昔から、何一つ変わっていない体制。子供を神からの贈り物の様に尊ぶくせに、子供の言葉はどこまでも軽んじられる。
それが、後数年で大人になる子供であったら余計に。物を考える頭がある事を、認めたがらない。
「また、駄目だったか」
返された嘆願の紙を細切れになるまで破り捨てて、積み重なったそれで溢れかえった屑籠を見る。
これで何度目だったか。受け取るだけ受け取って、そのまま放置されているだろう物も含めると、両手両足の指ではとっくに足りなくなっている事だろう。突き返される度別の方法を模索はするが、結局子供の自分に出来るのはこの程度の事で。多少のコネや人脈は持っていたはずなのに、この一件に関しては誰一人としてユラン側になってくれる者はいなかった。
(次の用意をしなければ)
散らばった紙は見て見ぬふりをして、新しい嘆願の準備に取り掛かる。それが功を奏す事がないなんて、心の隅では分かっているけれど。
それでも今立ち止まったら、自分はあっという間に動けなくなってしまう。現実に押し潰されて、国の影に捨てられた家なき子と同じ、声も届かずに見捨てられる。それは自分だけでなく、牢獄に捕らわれた彼女も同じ。ユランの声がなくなれば、国はヴィオレットの判決をすぐにでも取り決めてしまう。マリンが毎日、ユランと同じ様に叫び続けている事なんて歯牙にも掛けず、元メイドの言葉なんて地面を這いずる蟻と同様とでもいう様に。
無数の紙と塵が散らばる部屋の中、窓からの明かりだけで机に向かうユランの背は、取り付かれた狂信者のそれだ。以前は部屋を掃除しに来ていた使用人も、両親ですら、この部屋には近付かなくなった。何を言っても、時に怒鳴る勢いで諭しても、ユランが耳を貸す事はなくて、血走った目で紙に向かうユランに、誰もが不気味な恐怖しか感じなくなっていたから。
一人、暗く汚い部屋で、ただヴィオレットを想い筆を走らせる。
彼女は今、ここよりもずっとずっと暗く穢れた場所にいるのだと思うと、怒りで脳を煮られている気になった。あの人に似合うのは、清廉な空気の中で飲む甘い紅茶とお菓子、肌触りが良くシンプルなドレス、柔らかな光の元で風の心地よさに微笑む時間。
太陽も届かない鉄格子の中、生きるに必要最低限の栄養を与えられ、自由もなく拘束される──
「ッ……!」
鉤爪となった手が、インクに濡れた紙を抉る。破れはしなかったが、皺だらけのそれはもう使い物にならないだろう。
想像の不快感だけで、耐えられなかった。吐きそうになる口元を、乾く前の文字から移ったインクで黒く染まった手で覆う。
(気持ち悪い気持ち悪い──きもち、わるい)
彼女をそんな所に押し込んだ奴らが、世界が、気持ち悪い。それを罪を償うなんて言葉で正当化したつもりになっている女も、それを優しさだと思っている周りも、死体に群がる蛆よりもずっとずっと気持ちが悪い。
何より、そんな場所から彼女を出してあげられない自分が、気持ち悪くて仕方がない。
噛み締めた唇から流れた血は、黒く澱んだ色をしていた。




