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105.神様


 この人だけの味方だ、何時如何なる時も、誰が敵になったとしても。

 何に、縋ったとしても。



× × × ×



 ヴィオレットと別れ、ユランが帰宅した頃には、空が暗さを増していた。基本的に毎日この時間なので、家族も特に気にする事もなく、出迎えも最小限の使用人だけだ。両親とはこの後の夕食で顔を合わせるだろう。

 ユランを引き取った両親は、どちらも優しくマイペースだ。懐が深く器がデカく、それぞれの価値観を大切にしているが故に他人への干渉も最低限。だからといって薄情とか無関心という訳ではなく、人との距離感や境界線をきちんと理解している人達だった。

 他人をまず悪意と無関心で認識するユランから見ても、公正な人格者だと思う。ユランが初めから彼らの子として生まれていたら、心から尊敬しその背を目標にしていた事だろう。決して覆りようのないたらればで、今さら彼らの様になる事は出来ないしなりたいとも思わない。公正さに憧れを抱ける日はもう遠い昔に過ぎ去ったのだから。


 部屋に入って真っ先に、鞄から取り出した懐中時計をガラスケースにしまった。懐中時計の蓋にあしらわれた菫の花がガラス越しに輝いて、これ以上ない程に美しい。厳重な守りと、懐中時計の美に釣り合うケースは探しても見つからなくて、ゼロから口を挟み続けて理想の物を作ってもらった。

 楽な姿に着替えて、制服はソファにまとめて掛けておいたら、ユランが部屋を出ている間に誰かが回収してくれるだろう。この部屋の物には極力触らず、衣服やゴミだけ片付けてくれる様にしている。昔から一人を好むユランに対して、周囲が順応してくれたおかげだ。王の妾の子なんて、仕えるべき相手となってもあまり関わりたいものではない。ユランが部屋にいる時、訪ねて来るとしたら両親だけだろう。


 窓際に置かれた椅子に座り、片足を上げる。その膝に顎を乗せて、視線の先には窓の枠に並んだ写真立て。でもその中の思い出に人影はなくて、色褪せた押し花だったり、手のひらサイズのメモだったり、切れてしまった組み紐だったり。

 ゆったりと持ち上げた指先が、冷たいフィルム越しに押し花をなぞる。写真で場面を切り取らなくても、劣化して鮮やかさを失った花が記憶の扉を開けてくれる。


 この花を一緒に見た時は、何て名前なのかも分からなくて可愛いねなんて言うだけだった。雑草と同じ扱いでも枯れる事無く群れを作ってるそれが勿忘草なのだと知ったのは、一緒に図書館で遊んでいる時。二人で一つの本を囲んで、読みたい本をメモして、読み終わったのから丸を付ける。物語よりも図鑑とか子供向けの歴史書を好んでいた中で、自然に切れたら願いが叶う紐のジンクスを知ったり。


 ヴィオレットの言った全ての言葉、表情、空も風も香りも全部全部覚えている。


(やっと、ここまで来た)


 ごつんと音を立てて、膝と額がぶつかる。写真すら残せずに、幸せの欠片を閉じ込めるしか出来なかった幼い自分。目の前で笑っているヴィオレットが、背を向けた途端苦しい現実に押し潰されてしまっているのだと、気付いてもいなかった頃。

 そばに居られるだけでいいと、欲の意味も知らず、ただ純粋に、想いさえあれば永遠が保証されると根拠なく信じていた。泥水の中を泳いでいたくせに、子供特有の甘さが楽観視をさせる。どんなものだって永続はなく、継続にはなんにだって力が必要なのだと、気付いた時には終わりへのカウントダウンが始まっていて、自分の価値のなさを思い知らされる。


 彼女の幸せの為なら何でも出来る、なんて、思っているだけでは意味なんてないのだと。

 

(ここまで、いや、ここからだ。まだ、下準備が済んだだけ)


 逸る気持ちを落ち着かせようと、何度も何度も額を打つ。調子に乗るには早く、油断して足元を掬われたらこれまでの全てが水泡に帰してしまう。

 一杯になった空気を吐いて、目を閉じると瞼裏でははにかんだヴィオレットがこちらに手を伸ばしていた。

 いつだって、差し伸べるのはヴィオレットの方。だからユランは立っていられるし、彼女の元へ歩こうと思える。自己解釈と強欲で行動しているユランは紛うことなきエゴイストだけれど、自己所有感に関しては影も形もないのだから。


 自分の頭から爪先、詰まった五臓六腑も流れる血液も、人生も魂も余す事なくヴィオレットの物。


 だからこそ、彼女には籠の鳥でいてもらわなければならない。安寧で編み上げた世界の中で、生涯、外敵の影を知らぬままに。行きたい所には、抱えて行くから。飛び立ちたいなら、広く大きな籠を作るから。何かあった時、この体が盾となれる場所にいてくれと、願うのだ。

 所有者を失ったら、たった一人の神様が、息絶えたら。


 そんなの耐えられない──耐えられ、なかった。


(大丈夫、出来る、やる。絶対に間違わない……今度は、絶対に)


 噛み締めた唇は仄かに血の味がする。爪を立てた掌が痛んで、皮膚がゆっくりと千切れるのが分かった。じんわり熱を持った気がしたけれど、痛みなんて感じない。どうでもいい、この程度。


 愛して止まない世界が、踏み潰されて壊れてしまった、あの日の絶望に比べれば。


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