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104.正義の味方


 久しぶり、という程時間は経っていない。それでも長い間離れていた様な気になるのは、それだけ焦がれていた時間があったという事なのだと思う。人の気配が薄くなった廊下の片隅で、当たり前みたいに言葉を交わる事が出来る。見かけるだけでは足りなくて、声が届くだけでもダメで。手を伸ばせば触れられて、お互いが視線の先にいる事の幸福感。

 この一角に、世界の全てが詰まっているみたいだ。


「まだ帰っていなかったのね」


「ヴィオちゃんがまだ残ってるみたいだったから」


「何か用事?」


「ううん、待ちたかっただけ」


 にこにこにこ、機嫌の良さそうに笑うと所は、いつもと何ら変わらない。きっと昔からそうだし、むしろ怒っている姿の方がずっと珍しいくらいで。今まで当たり前に受け入れていた事が、受け止める側の気持ち一つでこんなにも神聖に感じるものだろうか。恋をした者は皆、こんな気持ちになるのだろうか。

 仕草の一つ一つ、言葉の一つ一つ、どれもが特別で心臓の辺りを重くしていくのに、その重量が嬉しくなる。積もれば積もるだけ、大きくなっていく様で。誰にも負けない恋心が作り上げられていく様で。気持ちなんて目には見えない物を競っても意味はないはずなのに、彼を想う気持ちは誰にも負けないなんて思ったりして。


「でも、どこにいたの? 色んな所見て回ったけど、どこにもいなかったね」


「あぁ……生徒会室にいたから」


 生徒会の一言に、ユランの表情が僅かに揺れた。ほんの僅か、時間にして数秒、瞬きしたら忘れてしまいそうなくらいの動揺だったけれど、確かにその口元が引き攣った瞬間があった。

 誤魔化した方が良かったのかもしれないと、少しだけ後悔した。ユランにとって生徒会、その中にいる人はいつまでも特別で、ヴィオレットの様に割り切ってしまえる相手ではない。そんな相手に一方的に執着して暴走するヴィオレットを、どんな気持ちで見ていたのだろうか。沢山心配も掛けただろうし、もしかしたらヴィオレットと親しいというだけで嫌な思いをしたかもしれない。そんな事にも考えが及ばないくらい、盲目に傲慢だった。


「お仕事のお手伝いと……これまでのお詫びを、してきたの」


「え……?」


「これまでの私の言動について、きちんとした謝罪をしていなかったから」


 晴やかに語るヴィオレットとは裏腹に、さっきよりもずっと分かりやすく動揺したユランの瞳が泳ぐ。震える様な小ささで小刻みに揺れる金色が、彼の人と重なって……同時に、全く違うものにも思える。特別な人だからほんの僅かの欠片にでも反応してしまうけれど、重ねるたびに誰とも違う感情を自覚したりして。最後には、あぁ、やっぱり好きだなって思う。


「色々な事を、考えたの。自分の事、自分のした事、人の気持ち。今まで目を向けてこなかった事を見て、知ったわ。考えるのって凄く大変な事なのね……そんな事も、知らなかった」


 ここ最近、ヴィオレットの脳内はぐるぐるにかき混ぜられている様な状態だった。目を背けていた事に向き合うというのは、想像よりずっと簡単で、想像よりもずっとずっと疲れる。

 それでも、行きたい方向が定まっているだけで、歩みを止める気にはならなかった。なりたい自分、なんて大層な物ではないけれど、少しでもそばに居ていい理由が欲しくて、近付けない理由を削ぎたくて。美しい姿だけを見て欲しいと思うのは、恋する乙女の習性だ。


「あの、それでユランにも……この前は、ごめんなさい。嫌な態度を取ってしまって」


「ヴィオちゃんにされて嫌な事なんてないよ。心配にはなったけど」


 ユランはいつだって優しくて、綺麗な存在のままそこにいる。その隣にいる為に、それだけの欲求で己を顧みるなんて、本当の意味での反省と更生ではないのかもしれない。でも今更、ヴィオレットに正義を信じる気持ちなんて持ちようがないのだ。颯爽と現れて全てを救ってくれるヒーローなんていない。いつだって誰にだって、優先順位とか運とか、取捨の選択肢があって。誰の手も届かない場所で泣いている者には正しさなんて無意味だ。今が変わる、その結果があるなら、理由も理屈も何でもいい。


「私、沢山酷い行いをして……ユランが知っているよりも、ずっとずっと酷い事をしたの。人として、絶対に超えてはならない一線だって、踏み躙ってしまった。悪人と言われても否定なんて出来ない人間なの」


 誰も知らない、もうなくなってしまった過去の話。詳しくなんて絶対に言えないし、下手をすれば今後そんな行動に出るつもりなのかと疑われかねない。メアリージュンに対しての悪感情がないかと言われれば嘘になるけれど、殺したいほど憎んでいるかと言われれば否と断言出来る。近付きたくない、関わってほしくないだけで、排除したい訳ではないのだから。

 こんな遠回しで分かりづらい言葉を選んででも伝えたのは、知って欲しかったから。曝け出して、自分勝手に投げ渡して、後から失望されないように。予防線の様で、囲い込んでいるだけだと、分かっているけど。

 それでも一緒にいて欲しい──その続きを、言ってはいけないだろうか。


「……ヴィオちゃんは、少しだけ勘違いをしてるね」


 俯きがちになった視界に、窓枠から腰を上げたユランの足先が映る。何を言われるのかと身構えて硬くなった肩よりも上、髪で隠れた両耳を大きな手がふんわりと包み込む。驚いて上目に様子を窺うと、額がくっつきそうなほど近くにユランの溶ける様な笑顔があって。

 内緒話をする時の小さな音で、ヴィオレットにだけ鮮明に聞こえる優しい声が、耳から心臓へと染み渡る。


「何でも良いよ、悪でも、善でも、他の何かでも良いんだよ。何をしてても、どんな事があっても、関係ないよ」


 誰もが憧れる英雄になんて興味はなかった。弱い人を助けるヒーローにだって、なりたいと思わなかった。小さい頃、守りたいのは自分の命だけだった。他の誰かなんてどうでもいい、その気持ちは今も変わらない、けど。

 ただ一つ、変わった事。ヴィオレットを得て、ユランが初めてなりたいと思ったもの。


「俺は正義じゃなくて、ヴィオちゃんの味方なんだから」


 他の誰でもない、この人のだけの味方になりたいと、思った。

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