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101.さよなら初恋


 インクの匂い、ペン先の引っ掻く音、積み重なった紙の影。静寂と言うよりは、空気が停止した様な空間で。無心に同じ様な作業を繰り返す。時折聞こえる声は独り言にも満たない唸りで、会話なんてない。ただ二人で、表情も確認できない様な距離でそれぞれの仕事をする。


 かつては想い、想われていた者。

 そして今は──今のヴィオレットとクローディアの関係は、一体何なのだろうか。



× × × ×



 時は放課後。いつもと同じ様に帰宅時間を伸ばそうと校内に残っていたヴィオレットを、たまたまクローディアが見付けた事により今の状況が完成した。

 クローディアは会長として書斎机の席に着き、ヴィオレットは本来応接に使うはずのソファとテーブルを使って書類整理に没頭する。本来いるはずのミラニアは別の仕事で席を外し、その他メンバーはまだ決まっていない。最早彼ら二人で回す事にも慣れつつあるそうだが、時間と仕事量と人数が比例しない状況は慣れでどうにかなる物でもない。

 そこで何度目かのお手伝いに誘われたヴィオレットが、特に問題ないと了承した結果、何とか今日の分の仕事が片付く算段が立ったらしく。さっきから眉間にシワを寄せたまま紙束と睨めっこをしているクローディアの顔には、疲労の色が色濃く刻まれていた。


「クローディア様、少し休憩致しましょう」


「疲れたか? 誰か呼んで……」


「私ではなく、クローディア様が、です」


 少しだけヴィオレットの方を見て、ベルに手を伸ばしたクローディアの言葉を遮って立ち上がる。この場で休憩が必要なのはただの手伝いの自分ではなく膨大な仕事量に潰されそうなクローディアの方だ。

 彼の性格上、仕事が終わる前の休憩なんてと考えていそうだが、疲れた状態では物事を正しく判断する事さえも難関である。すり減らして向き合うよりも一度別の物を見て目を逸した方が良い事もある。


「今のままでは、後で見直す時間が取られて非効率ですよ。一度落ち着いて、なんなら仮眠を取られた方が宜しいかと」


 扉の外に待機している給仕に、温かい飲み物と片手で摘める甘い物を頼んで、言われた事を理解するのにも時間の掛かっているらしいクローディアへと振り返った。目をまあるく見開いて、ヴィオレットの行動と発言に驚いた様子で。

 咄嗟の事に対応出来ず、無防備になった時の表情はユランによく似ている様に思えた。


(……ユランに、か)


 本当は、ユランがクローディアに似ている訳で、きっと誰も気付いていない様な些細過ぎる共通点。

 きっと前までの自分なら、クローディアに誰かを見出す事なんてなかった。反対に、ユランの中にある破片のクローディアを探して、重ねて、想いを募らせていた事だろう。誰かに誰かを重ねて面影を探す行為が如何に愚かで無意味なのか、誰よりも知っているくせに。


 どこにいても探してしまう。誰といても、思い出してしまう。だって焼き付いているのだから、根付いて離れないのだから。自分の中に当たり前に存在する恋心がいつも温かく発熱して、目が、耳が、鼻が、五感の全てがいつだってその人を待ち望んでいる。


 クローディアを想っていた頃、ヴィオレットの心は焼け爛れて今にも崩れ落ちてしまいそうだった。強すぎる野望と強欲を恋心だと思い込んで、燃え盛っているのにまだ足りないと油を注ぐ。この身を焼き尽くすまで、誰かを、燃やし尽くした先に、幸せな恋の結末があるのだと信じて。


「……少し、休む」


 運ばれてくるティータイムセットに、観念したらしいクローディアは重い腰を上げた。さっきまでヴィオレットが座っていた向かい側のソファに沈んで、少し気不味そうに視線をそらす。いつも堂々として、王子である事に責任も誇りも持っているのに、意外と子供の様な人だ。


「…………」


 温かいカップに口を付けてから、ゆっくりと息を吐く。きっと本人が自覚しているよりも疲れていたはずだ、肩の力が抜ければ多少はマシになるだろう。先程よりは柔らかくなった眉間に、ヴィオレットも安心して喉を潤した。


 こうして彼と穏やかなティータイムを過ごせるなんて、以前は夢にしか見た事がなかった。喉から手が出るほど望んでいたはずなのに、実際に迎える日にはこんなにも見える景色が様変わりしているなんて。彼との恋に執着していたヴィオレットでは、決して見られなかった。周りを見ずに暴走して、色んな可能性を踏み潰して。

 変わったのは、ヴィオレット。目の前の人は以前と変わらずに心の持ち方も、色々な欲を捨てて、一年という期間の中で影になれる様に願って。この変化は、自らが齎した結果なのだろうけれど。


 だとするならば、あの日のヴィオレットにだって、こんな日を迎えられる可能性があったはずだ。


 今になって、顧みられる。必死になって目を逸して来た事、思い出したくない時間が、ようやく受け入れられる気がした。ユランへの想いを自覚し時、一緒に気が付いた見えなかった人達の事。


「クローディア様」


「ん……?」


「今まで、沢山のご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」


 カップを置いてから、ゆっくりと頭を下げる。今までの所業を思えば、もっと早くに誠心誠意謝罪すべきだったのに、今日という日までヴィオレットは己の罪にきちんと向き合う事が出来なかった。

 自分だけが悪いとは、きっと今でも思っていない。アレしか方法を知らなかった己を、被害者の様に感じていた事だって、否定出来ない。今もきっと自分の事を可哀想だと思っているし、それでも変わらない環境に諦めを覚えただけの事で。あの家に生まれた時点で、自分はかつての罪を真っ当に反省したりはしないだろう。心の片隅には『お前達のせいだ』と消えない残り火が燻り続ける。


 でも、クローディアは、彼に対しての行動は、ヴィオレットの罪だと思う。


 あの日々に、想われたクローディアに、落ち度はなかった。受け入れられない想いを拒否するのは当然で、ヴィオレットの行動は陰湿な悪あがきでしかない。ヴィオレットが傷付いていたとして、辛い背景と環境にあったとして、それを無関係の第三者にぶつけるのはどんな言い訳を貼り付けても八つ当たりという迷惑行為。


 目を逸して、諦めたふりをして、自分の醜い部分を再認識したくなかった。罪人になっても尚、自分は悪くないなんて言う様な人間だと、思い知りたくなかった。ヴィオレットをあの牢へと誘ったのは全て周りのせいだと、結果罪を犯しただけだと──そんな風に感じて正しく反省も出来ない自分を、誰にも、自分でも、知りたくなかった。

 何も言わなくたって、誰に咎められる事は無い。あの日々を知っているのはヴィオレットだけで、クローディアは本当のヴィオレットの罪を覚えていないのだから。


 それでも言いたかったのは、ただの自己満足。クローディアの為ではなく、ただ自分の為だけの謝罪。きちんと終わらせなければと、向き合わなければいけない。そうでないと自分は、あの牢の中に取り残されたまま進めない。

 独りで生きて死ねる世界では、もう生きられない。諦めて、流されて、ただ終わるのを待つだけでは、満足出来ない。手を取りたい人が、一緒に居たい人が、報われなくてもいいから、ただ、想って生きる事を許されたい人がいるから。


 誰も幸せにならない道を進んだ初恋に、幕を降ろそうと決めた。

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