99.正しさに無意味を
ただ一つ、願うとするならば。
ただ一つ、叶うとするならば。
× × × ×
侮っていた事は認めよう。ただのお姫様で、守られてきた甘ちゃんだと。華奢な体の印象通り、簡単にへし折れる心根だと。嘲っていた事も、弁解する気はない。
それでも、彼女が選んだ人だからと、少しだけ、警戒はしていたのだ。悪い意味で鋭いヴィオレットは、同じく悪い意味で鈍感でもあるから。
彼女が気付かない悪意にさらされている可能性を考えて、調べ始めたら疑念ばかりが強まって。
あの『王子様』の関係者。それも、公にはなっていないレベルでの婚約者。ユランですら、その特殊な立場をフル活用してようやく辿り着いた情報だ。ヴィオレットが知っているはずはないだろう。
知ったら、ヴィオレットはどうするのだろうか。悲しむのか恨むのか、はたまたゆっくりと心を沈めてしまうのか。どれにしたって、美しい顔が翳る所なんて見たくはない。
だから、警告も含めてロゼットの前に姿を見せたのだ。秘密の漏洩はユランがそれを口にするまで気付かれないとしても、何かしらの収集には勘付かれるだろう事も折り込んで。
それがまさか、これほどまでに神経に触れる相手であったとは。
(支配欲)
誰かを、自分の意のままに操りたいと思う欲求──確かに自分はその傾向が強い方だと、場も忘れて納得してしまった。
色々な物が手足に絡まって身動きが取りづらいからか、頭を押さえ付けられる日々が長かったからか、支配される事への拒否反応が強すぎる自覚はあった。誰にでも優しく穏やかな面だけを見せているのは、その方が人の心に入り込み易いから。願いを叶えて貰い易いから。コントロールがし易いから。
相手を、ユラン中心で行動させ易いから。
(なるほど……身に覚えしか無いな)
無自覚に根付いていた性格を、今日初めて話したレベルの相手に看破されるとは思わなかったが、それに対して怒りを覚える事はない。的外れな見立てであったら不愉快にもなっただろうが、ユランは自覚をしていなかっただけでその通りの人間だ。
支配される事を嫌い、支配し、コントロールする事を望む。傲慢で不遜な性根だ。ユランの中身は、目を背けたくなる様な蟲毒の壺。塵芥にも劣る歪みに人が何を思うか興味は無いが想像は出来る。
ロゼットは『ユラン・クグルス』の毒を見たのだろう。優しく抱き締められる夢を見せながら、首に手を添える男の狡猾さを。多くの人間が薬と信じて疑わない甘く柔らかなそれが、酷い中毒の末に思考を乗っ取る物だと。
否定は出来ない、する気も無い。ロゼットが感じたそれは紛れもなくユランの本質で、そこに間違いはないのだから。
「間違ってはいませんが……惜しいですね」
ユランは、支配したがる側である。それは正解であるけれど……同時に、誰よりも支配されている人間だ。心の全て、明け渡したい人がいる。その為に、手に入れたい物がある。己の行動は全てその日の為の備えでしか無い。
傷付ける者を許さず、報復を躊躇わず、ユランが築いた城塞に護られて貰う為に。
「俺が願うのは、ヴィオレット様の幸せだけですよ」
「……彼女の為、とでも言うおつもり?」
ロゼットの目付きが鋭さを増して、ユランを非難しているのは明らかだ。勝手な行動に、勝手な理由を付けて正当化する。最後の責任を押し付けて、良い結果だけを受け取ろうとする。
そんな傲慢に踏ん反り返るユランでも想像したのだろう。
(思った以上に分かりやすい……いや、)
思っていたよりもずっと、似ていたと言うべきか。
もっと夢に夢を重ねた、博愛の存在だと思っていた。ユランとは真反対、対極にいて、絶対に理解し合えない存在なのだと。優しさと甘さ、それを善としている様なお姫様を想像していたのに。一皮剥けば、それはそれは自分によく似た女がこちらを睨みつけている。
嬉しい誤算ではある。ヴィオレットのそばにいる人物が、彼女を傷付ける要因を持っていない事は喜ばしい。ユランへの憤りも、それが誰の為であるかを理解出来た後では微笑ましいだけだ。
だからこの嫌悪感は、彼女に対しての物ではない。
「とんでもない……彼女の為ではなく、俺の為です」
そもそもユランは、極端な程に自我と欲が強い。誰かの為に動ける様な人間ではないのだ。ヴィオレットの幸せを願うのは、それで自分が満たされるから。境界線が曖昧な心は既にユランの中だけでは収まらなくなっている。ヴィオレットに寄り添い、自分と彼女の幸せを一緒くたにして。
他人から言わせれば、可笑しい事は自覚している。専門家に見せたら何かしらの病名を付けられる価値観である事も。それで良いと思っている事も含めて、治療を勧められるだろう。
可笑しいのは、間違っているのはユランで。見守って、手を差し伸べて、導く方がずっと健全。気付かれぬ様に、気付かれる前に、勝手に道を整えてから自分で選んだと錯覚させるやり方は非道と言われても文句は言えない。
正しいのはロゼットだ。そんな事、言われなくても分かっているけれど。
──その正しさは、彼女を幸せにしてはくれなかった。