人物設定
■楽花郡盛草村義勇軍
・ミレム 信暦182年〜
関州京東郡 世谷の平民の生まれ。親を早くに亡くし、親戚を頼ったが、生来の天邪鬼、悪戯好きが祟って、どの家からも嫌われ、裸一貫で人を騙して金をとったり、無銭飲食をしながら彷徨い歩く札付きの小悪党。
小手先の口八丁手八丁で人を騙すが、ついに街の牢にぶち込まれる。
しかしそこで出会った囚われの豪傑、スワトと出会い、逃げ出した盛草村でポウロに出会い、刺激されて義勇軍を設立した。黄州四谷郡の鏃門橋の戦いでは、ミケイの策とポウロの進言で、100人の決死隊を率いて城壁を登り、焼き討ちを仕掛け、運悪くも猛将ズビッグ隊とでくわしたが、酒に酔った勢いで、猛将ズビッグを後ろからなで斬りにし、平然とその場で眠りこけた。
その後も賊軍の征伐で活躍し、500人の兵を預かる将となり、妖元山の戦いでは、ポウロの進言により敵本陣を奪取し、敵兵に囲まれ危機に陥るも、功名に見せられたミレムは機知を働かせ、兵に火を焚かせ大軍に見せかけ、陣頭に立って戦い鼓舞し、本陣を守りきった。
その後、都で宰相パシオンと論戦を繰り広げ帝郡忠三位の位を得た。
器が小さく、矮小な人物と思われたが、スワトやポウロを口説かせたことや、場面場面で見せる、その豪放さと際立った才覚を見るに、計り知れない大器を感じさせる。
・スワト 信暦181年〜
関州京東郡 文興の生まれ。身の丈7尺(2m強)の大男。
真っ正直な性格で、深い部分で考え込むことを嫌い、全てにおいて無頓着なところがあり、よくポウロに嫌味を言われている。
10尺(3m)もの鉄製の大薙刀を軽々と振るう類まれなる屈強な力や、驚くべき身体能力を持ち、鉄の牢柵を破ったり、武装した番兵数十人を素手だけでのしたり、頂天教軍の猛将ズビッグの大斧を軽々と受け流し手玉にとり、ルブー率いる賊兵300を怒りの余りに一人で全滅させるほど強い、まさに希代の豪傑。
大熊のような風貌から粗暴と思われてしまう一面があるが、スワト自身は礼儀にも正しく、忠節と君臣の間柄を最も崇高なものだと思っている。
そのことから、妖元山の戦いで、窮地に陥ったキレイ軍を救おうと援軍使者として訪れ死をもって忠節を説くタクエンを助け、官軍として仲間意識の持てないジャデリンをその場で一喝している。
余りに個人武力に優れているためか、周りをあまり見ないところがあり、兵にあわせた行動をとるのが苦手で、集団と集団で戦うといったことは不得意。
かつては、英雄ガムダを支えた名高い武人スオウの家系だったが、ガムダが官職をとらなかったため、同じように官職をとらなかった。頑なにそれを貫いたため家は没落し、スワト自身も我牛山にひっそりと暮らしていた。
しかし、頂天教による天下の乱れを予見したスワトは、駆けること三日三晩、南郡に向かい太守に直訴したが受け入れられず、頭に血が昇ったスワトは思わず太守を殴ってしまい京東郡の牢に幽閉された。スワトはそこで、世を救ってくれる英雄が世に出てくることを願い、その時が来るまで牢で静かに待っていた。
・ポウロ 信暦179年〜
関州楽花郡盛草村の豪商の生まれ。
育ちの良さと社交性があったため、人から愛される事に長けたが、常に上を目指したがる性分で、功名心の強い男。
幼少の頃から政治書、法書を読み漁り、その聡明さを買われ、将来は国の律法家として目をかけられていたが、一生を一律法家として終わりたくないという、功名心の強さが災いして、官吏試験も受けずに村に残り、史書や法書を漁る毎日を送っていた。
そんな時、牢から逃げ出したミレム達と出会い、気運を見るにこれ幸いと一念発起して、財を投げ打って義勇軍を募り、官軍に仲間入りすると賊軍征伐にあたった。
大富豪の息子の割には肝が据わっており、進言や献策も周りを見ずに軽々と放ち、史書や政書に詳しいことから知性も高く、弁論にも優れ、妖元山の戦いの際には、ミケイの手紙で相手の心理を見抜いたり、文面を読んで奥を知ることなど、その知性の高さを披露した。初陣の恐怖に慄くミレムに蒸留酒を特効薬と称して飲ませ、鼓舞させる機転などは、ミレムが頼りにする知恵の懐刀である事の証拠である。
だが、功名心が強いため大局を見据えられず、褒賞のためには、主君であるミレムをも危険に晒してしまうことのような失敗も多い。
■『信』帝国軍
■南軍八騎督
・ジャデリン 信暦167年〜
大陸の南部。黄州官軍の将。南軍八騎督の一人にして総括者。獅子将軍。
獅子をモチーフとした兜と、黒い甲冑を身につける猛将で、戦に出れば勇猛果敢、自らの危険を顧みないことから「将軍は獅子体言の如く」と将兵達に一目置かれる存在。元々は皇帝に組する譜代の重臣ジャボウの息子だったが、元来の戦好きがたたってか、帝府で政治を行う官吏を蹴り、自ら治安の優れない南部地方へと迎い、その実力を発揮して度々賊征伐へ迎い、輝かしい功績を打ちたてると、7代皇帝ホウケンから『獅子将軍』の名で呼ばれる。後に帝国の南部地方で優秀な人材を自ら尋ね集め、南軍八騎督という将軍直轄の役職を作ると、ミケイなどの優秀な将軍を取り立てた。少々、粗暴で気性の荒い部分があるが、将兵達の進言を良く取り入れることから、その信任が厚いことを見受けられる。妖元山の戦いにおいては三方から押し寄せる伏兵に物怖じせず、陣形を立て直すと敵へ猛然と突撃し、単騎駆けを行い、賊将クピン、イエロを討ち取った。
・ミケイ 信暦182年〜
黄州官軍の将、南軍八騎督の一人、忠郡信三位。
元々は黄州の書庫を預かる文弱の徒であったが、南部の賊征伐の際に郡太守から推挙され、その素晴らしい兵の統率法や奥深い策知に優れる聡明さをジャデリンが買い、優秀な将の証、南軍八騎督とした。
平素から白い生地に黒い線の入った衣服を纏い、美しい白銀の甲冑に、一際細い華奢な体と剣を携え、美しい星をあしらった装飾が施された兜を被り、戦場において見事な兵法と策知を見せる、その容姿端麗さや、知友兼備の行いを見せる将軍であることから『併華将軍』の異名をもつ。
■関州京東郡
・キレイ 信暦180年〜
関州京東郡太守キレツの息子。赤い甲冑の天下の恐将、忠郡信一位。
幼き頃は生粋の悪戯者で、破天荒なことばかりしてきたため、郡一の愚者と呼ばれ、弟のキイや、父キレツを困らせたが、15の時、元服した際にキレツの臣として宮城へ参内するや否や、キレツの前で、逆臣の名前を高らかに叫び、声をあげ、その臣の前にいくと郡の金や武器を横領し、賊へ横流ししていたその臣の罪を読み上げ、自ら引っ立て、裁判にかけ、その一族を根絶やしにした。
キレツやキイが驚く間もなく、その時、郡内の村々を秘密裏に牛耳っていた地方の悪代官や、たちの悪い盗賊団や、他人を貶め讒言(嘘をついて相手を貶める)を繰り返すような奸臣を見つけては、残忍な公開処刑をしたり、釜にいれて煮殺したり、大穴をほって生き埋めにするなど、人々が見て恐ろしく思うほどの非道な行為をし、どのような身分であれ厳しく処罰した。
この処刑方法や、法の処罰が普通に比べて情け容赦なく厳しかったため、非道ぶりを見た帝国の人々から『天下の恐将』の名で呼ばれるようになる。
そんな噂からキレイが指揮訓練する兵達は、恐怖感と規律で纏め上げられ、戦うことを恐れない兵は、実数以上の勇猛さと士気を持ち、キレイ自身の兵法、兵を鼓舞させる巧みな心理を動かす行為と相まって、キレイの率いる兵は抜群の力を持っている。
しかし、兵法や戦略眼に長けるキレイだが、その余りの若さのためか自論に絶対の自信を持ち、決めれば曲がる事は無い非常の頑固さであるため、ときどきタクエンや家臣と激突し、そのたびにオウセイに諌められることもしばしば。
汰馬城七日合戦では、策を用いて見事に五倍の兵力差をはねかえし大勝利を物にしている。
・オウセイ 信暦180年〜
関州京東郡太守キレツの臣。
騎馬戦にあっては州随一の名も高く、8尺ほどの双尖刀(上下に太刀のある槍)を持って、生まれて今まで馬上での一騎打ちでは負けた事のない猛将である。
人に好かれる豪胆さと質実剛健を兼ね備えた生き方は、将兵関わらず人気があり
彼の部下や指揮する兵は、死をも恐れない義をもった兵が多く、妖元山の戦いでは守るオウセイと大将キレイのために、多くの部下達が絶体絶命の危機を前に突撃し斬り死にした。体格は恵まれては居ないが、威風堂々とした立派なヒゲを持ち風格はキレツ軍の中でも輝かしいものがある。君主キレツの元で頭角を現し、キレイと同郷で幼馴染だったことからキレイが最も信頼する将軍であり、キレイやタクエンの策知の元、黄州、阪州の頂天教攻略にも一役買った。
汰馬城七日合戦では、汰馬河南岸からの敵陣の攻め手になるも、ジケイの死守に押され雨のような矢を人の盾と槍で避けながら、弱気になる重装歩兵隊を鼓舞してジケイの陣を攻めた。
腕力だけではなく周知の礼節に尊び、機知も優れ、才能の余り突出しがちのキレイを良く諌め、臣と臣の和を守ることが大事だと考えて行動している。
キレイに心酔し、心から臣従する将軍の一人。
・タクエン 信暦177年〜
関州京東郡太守キレツの臣。参謀従事。
軍略、智謀、どれも際立った才略と策知を見せることから、キレツからも信任の厚いことから、キレイのお目付け役をおっている参謀格。元々は京東郡の名士の家の生まれだったが、自分の才能と、その志を遂げる君を求めてキレツ軍へ出仕した。
ミケイやキレイのように自分から先頭に立って戦をするのは得意ではないが、その戦略眼は実に的確で妖元山の戦い以降は、目付けのキレイでさえ一目おいている。しかし、タクエンは物事において慎重にあるべきと思い、大局を見据えた策を進言することから、しばしば速攻を望むキレイと衝突することも多い。
・ゲユマ 信暦175年〜
関州京東郡太守キレツの臣。関州一の弓取りの名を持つ猛将。
弓を張り、矢を操っては天下に右になるもの無しとまで言われた弓の名手で、汰馬河七日合戦では、襲い掛かるトウゲン騎馬隊を前に、陣で味方兵を潜ませ近づいたところで弓を乱射、続く汰馬城内から出陣したキレイ隊、ミレム隊と協力して進撃すると、思わぬところで被害をおった敵は大混乱をおこし、見事敵の勢いをそぎ押しなおす事に成功した。そして、敵味方入り乱れる乱戦の最中、小弓をもって突撃してくる敵の将トウゲンを見事一矢で討ち取り、キレイ軍の士気を盛り上げた。
・ドルア 信暦182年〜
関州京東郡太守キレツの臣。
キレツ官軍に仕官すると、メキメキと手腕を発揮し、腕力、兵の統率、どれをとっても将としてまかりなると判断されたが、元々の身分が平民ということもあり、名声も官職も無かったことから、長く兵糧を管理する役目を負わされていた。
そのことに文句を言わず、粛々と真面目に勤め上げたことから、後にキレイ官軍の兵糧総督に抜擢され、その才を見抜いたタクエンの策知によって、500人の兵を見事に統率してみせた。
・エスディ 信暦156年〜
関州京東郡太守キレツの臣。京東郡食料総督。
25年間に及び、キレツの右腕として活躍、癇癪持ちのキレツのよい諌め役で、キレツから絶大な信頼を得ており、老いてもなお一郡の食料総督の地位に任じられている。戦よりも数字や算術に強く、一を聞くだけで三の答えを用意するほど聡明であったという。
・キイ 信暦181年〜
関州京東郡太守キレツの息子。キレイの弟。
温和で、優しい性格の持ち主で、タクエンやその他の郡臣にも好かれている将で、苛烈な兄キレイより戦の面で才は劣っているが、持って生まれた人徳の才能をもっており、人々からは比べて同じ親の子とは思えないと言われるほどである。
兄キレイの行動に、いつも頭を悩ませている一人だが、キレイのことは誰よりも良く知っており、また一番理解をしている一人である。
・クエセル 信暦176年〜
キレイに傭兵として雇われた汰馬河水域と森林地帯に住む野盗賊の長。
身の丈6尺(約180cm)、その類まれなる筋骨隆々の肉体を持ち、殺した獣の皮を中身を全部くりぬいて兜や甲冑にし、血なまぐさい匂いをふりまきながら、勇猛果敢な自慢の野賊団と、その腕力を頼みにして人々から金をせしめ、斧を片手に地域を荒らしまくったが、ジケイを捕らえた功により、キレイから野賊集団ごと重用されるようになる。
■その他官軍の将達
・チョウデン 信暦168年〜
・メルビ 信暦163年〜
・ヒゴウ 信暦177年〜
■頂天教軍
・アカシラ 信暦156年〜202年
頂天教の教祖。阪州の賊頭であったが時期をみて挙兵。
巧みな兵術と、不平不満を抱く官軍の将の調略(抱き込み)によって
官軍に対して大規模な反乱、頂天教の乱を起こした。
長く戦乱に加わってなかった官軍兵を次々に飲み込んでいき
北、西、南の郡で同時多発的に蜂起させ抵抗を進めていった。
賊であるにもかかわらず、心理学や天地文科学に精通しており、
避雷針を使った落雷戦法や、山に道を作り不意をつく奇襲戦法や、
黒い甲冑を揃えて敵の心理を煽る心理戦法を行い、それを妖術のように見せた。
202年、妖元山の戦いで捕らえられ、帝都信京で処刑される。
・レツド 信暦171年〜202年
頂天教軍の将。赤い甲冑をつけ、賊出身ながら統率に優れたことから
アカシラの部下の将を取りまとめ、妖元山の守備兵を総督する役目をおっていた。
キレイ官軍が妖元山を攻めた時は、ブラツクと共にアカシラの命によって
伏兵部隊を預かり、混乱するキレイ官軍を散々に痛めつけた。
しかし、救援に来たジャデリン官軍を抜け道を使い三方の伏兵で攻めたが
ジャデリンの獅子奮迅の働きにより、頂天教の将クピン、イエロを
討ち取られたのを見て退却。
その後、ブラツクと共にミレムが死守する妖元山本陣を囲ったが、
攻めあがってきたジャデリン本隊に後ろを攻められ捕らえられた。
・ブラツク 信暦168年〜202年
頂天教軍の将。
元農民で頂天教を崇拝し、よく付き従ってアカシラに尽くしたため
目をかけられ、その武の才を見込まれ武将となった。
黒い甲冑を身に付け、黒で統括された兵を操りアカシラの命で妖元山に入った
キレイ官軍を奇襲し、落雷戦法と心理作戦で一度は官軍を撃退するが、
その後、本陣攻めの最中に進軍してきたジャデリンに斬られる。
・ルブー 信暦182年〜202年
頂天教軍の将。長身細身、顔造りの美しい美男子。
賊出身で、いつも青い甲冑をつけてアカシラに従軍し戦果を挙げる。
妖元山の戦いでは、林道に隠れ、伏兵部隊として兵を預かるが
逃げる足軽隊を皆殺しにしたため、スワトの逆鱗にふれ
修羅と化したスワトにまたたくまに詰め寄られ、一合で斬られる。
・イエロ 信暦175年〜202年
頂天教軍の将。
平素から黄色に染めた甲冑をつけて、頂天教の反乱に参加する。
武に優れる将で、妖元山の戦いでは三方からの伏兵部隊の一翼を担って
ジャデリンの官軍を攻めたが、獅子奮迅のジャデリンの突撃により
クピンと組んで刀を交えるも、馬上の一撃であえなく突き殺された。
・クピン 信暦174年〜202年
頂天教軍の将。
滲んだ桃色の甲冑をつけて、頂天教の反乱に参加する。
イエロと共に武に優れた将だったが、ジャデリンの突撃を防げず
イエロと共にジャデリンと何合か打ち合うも適わず、ジャデリンの槍をうけて
馬上から突き落とされ絶命した。
・アガル 信暦162年〜202年
頂天教の将。
元々は大重郡の官軍城守りの武将だったが、信帝国に反旗を翻し
兵を続々と集めていた頂天教に城を明け渡した。
官軍が阪州に進軍した時には大重郡の候武城、清城、円城を守っていたが
キレイ官軍一万と戦い、その初戦の敗北の後、清城の頂天教の兵をまとめ
円城で篭城していたが、キレイの兵糧攻めにより兵の士気が下がり
キレイ官軍の城攻めの際、オウセイと一騎打ちをするもただの一合で斬られた。
・エウッジ 信暦172年〜
・ズビッグ 信暦173年〜




