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第五十二回

英雄百傑

第五十二回『潜入作戦 天運至言 気運、敵陣にて蒙恥の舞いを踊る』


地平に吸い込まれるように日が落ちていく。

だんだんと訪れる薄暗い闇の帳は今日という日の終わりを伝えていた。

荒野の風は止み、大地は人を映す影も無く、星も月も浮かばない闇の中で

ミレムはスワト、ポウロと供に十人という少ない手勢をひき連れ

キュウジュウの陣屋に一番近い東の中央の荒野を走っていた。


しかし、敵陣に向かうのにも関わらずミレム達は身を守る甲冑も剣も槍も持たず、みすぼらしい百姓のような身なりをし、同じく丸腰で百姓に化けた兵士数人は、工作隊が自陣火計のために持っていた、油の入った壷や甕を積んだ小さな荷車を引いていた。


「うーい。スワト遅いぞぉ!何をもたもたしておるぅ…もっと早く走れぇ、早くしないとキレイ将軍の軍が動けんではないかぁ!」


「ミレム様!そのように暴れられては落ちてしまいますぞ!それに…その…余り文句は言いたくないでござるが…何故それがしが背にミレム様を乗せて敵の下へ走らねばならぬのでございますか!」


「うーん?なぁんだとぉ?ヒーック!ウェェェイッ…そりゃ俺が酒を飲んで酔って足がおぼつかないからに決まっておるだろうが…主君が馬に乗ることも出来ないなら!家臣のお主が足となるのは仕方ないことであろうぅいーッ!それになぁスワト、これも策の内よぉ、成功したら褒めてやるから今は耐えて前へ進むのじゃぁ」


「そ、それはそうでござるが…むむむ」


大きなスワトの背に負ぶさってミレムが酒気の抜けきらない声で強く言い放つ。

丸腰の豪傑は言う通りに敵陣に走りながらも、キュウジュウの陣屋から、もしかしたらまた先ほどの強靭な無数の矢が撃たれるかもしれないと思うと、ブルルッと背筋が冷える思いがした。しかも酒に酔うと途端に性格が変わるこの主君が、自分から先陣を買って出たということを考えると、なおさら背筋は冷やりと冷たい物を感じざるをえなかった。


「ミレム様。このポウロ、疑っているわけではございませぬが、この苦肉の妙案。余りにも博打が過ぎるのでは?自信が無いとはいいませぬが、これでは敵に首を取られに行くようなもの…」


「ハッハァンッ?ポウロ。お主、いつも自分の考えた策ばかりが通っているので、我が妙策に思わず嫉妬したかぁのぉ?この気運の男ミレムが考えた策、成功するにきまっておろうぉ!お前も知っているはずじゃ、天はいつも我が味方だということぉなぁ!ウーイ!」


「はははっ…。そうでありましたな…。目を瞑って思い起こせば、我が家に来られてから戦い続けた今まで、我らが運というものに見放された事はありませんでした。ミレム様は気運の人。必ずや策は成功し、生きて帰ることが出来ましょうぞ」


ポウロは目の前で酒気に煽られて火照った赤みを顔に見せ、屈託無く笑うミレムという男の精神の図太さに感心しながら、今まで、この男が起こした奇跡のような快進撃を思い出して、その気運の高さを確信した。


ガラガラと音のする荷車を引きながら、ミレム達はその歩みを進めていった。


英明山 麓 キュウジュウの守陣


一方その頃キュウジュウの陣は、敵の夜襲に備えて辺りの警戒を行っていた。

薪を並べて火をくべた燈台や、燃料の入った燈籠が陣のあらゆる場所に設置され、陣は暗い夜空を浮かべる名瀞平野にあって一際輝いていた。

流石は四天王の中でも鉄壁のキュウジュウと言うべきところか、夜襲への備えは万全であった。矢を放つ木工の兵器『十梗』は四方に配置され、その矢の補充も万全。厳重警戒の命令を受けた兵士達は決められた四人一組で行動し、その手や足は緊張に震わせ、目は光り、耳はすまされ、互いに時間を置いては異常の無いことを確認しあっていた。


そんな厳重警戒の中にあって、陣へと進むミレム達が見つからないはずは無い。


「トウロウ将軍!陣の前に明かりと人影が!」


「なにっ、官軍隊か!」


「…いえ…見るところ数は十人程度、どの者も剣も甲冑も着ておりませぬ。それに遠くから聞こえるガラガラという音は荷車…。おそらくこの周辺の百姓かと…」


「ふうむ。しかし戦場に百姓とはおかしな話だ。よしお主ら、その怪しい百姓を捕らえてまいれ!」


こうしてミレム達はキュウジュウの部下トウロウの兵によって、あっさり捕らえられると、厳重警戒を続けるキュウジュウの陣中へと連れて行かれた。


「どの者も百姓の身なりをしているが、そなたら目的はなんだ」


目の前で跪き、百姓の身なりをするミレム達にトウロウは尋ねた。

スッとポウロが前に出ると、その質問に答えた。


「はい、私らは関州の楽花郡へ出稼ぎに来ていたしがない油売りの商隊でございます。ですが恐ろしい軍隊に稼いだ財産を没収され、残った商売道具を持って仕方なく東の親戚を頼ろうと山越えをしようと思いましたが、兵隊に囲まれて身動きできず困り果て、こうなれば覚悟を決めて将軍に直々お許しを得ようと思いまして…」


「ほほう、それは難儀な事であるな。しかし今は合戦の最中。この合戦が終わるまで山越えは諦めよ」


「お、お侍様!そんな殺生な!私達の路銀はもう底をつき、明日食べる物も無い有様。このまま道中を行けば野垂れ死にしてしまいます!なにとぞ!なにとぞ将軍にかけあって下され!なにとぞ!なにとぞお願い致しまする!」


「そう言われてものう…」


「お侍様ァ!我ら油売りは百姓が作る油の菜種が不作で苦しい時も、道中を賊に襲われて命を落としても、歯を食いしばってなけなしの油を捻出し、命懸けでお侍様方へ燃料を運んでおりまする。このように煌々と陣を光らせられるのも、我ら油売りの血の一滴から全てが始まっているのをお忘れではございますまい!」


「むむむ…」


「将軍!お願いでございます!お慈悲を…お慈悲を…!」


何度もトウロウの袖を掴み、瞳に涙を浮かべ、土の茶色に少し汚れた衣服で、必死に頼み込む演技をするポウロに、トウロウは苦い顔を浮かべ困り果てた。

トウロウは今でこそ四天王軍の将軍の一人だが、元は関州の百姓の出。

凶作、不作にあえぎながら農作物を作る民百姓や、物を売って生計を立てる商人達の辛さを身にしみて良くわかる男であった。


「わかった。わかった。私も作物を作り運び、汗を流す日々を忘れることはない。民百姓に生かされる将軍の一人として、お主らの事、悪いようにはせぬ。主将キュウジュウ様に話をつけるので、しばしここで待たれよ」


考えたトウロウは、ついに湧き上がる故郷への郷愁と良心の呵責に耐え切れず、上司であるキュウジュウの幕舎に駆け込むと、事の次第をつらつらと伝えた。


「キュウジュウ様。平民の民百姓とは申せ、我らを支えてくれる者達です。せめて一夜限りの兵糧と兵士達の寝所を貸してやってはもらえませぬか」


「フフッ、トウロウ。君らしいと言えば君らしい願いだが、今は戦の最中で、僕は冷徹な四天王キュウジュウだ。そうすれば聡明な君の事、僕の口からでる答えはわかっているだろう?」


「ははっ、しかしそれを組しても百姓の悲壮な訴えは忍びなく思い…」


「ふうん。君がそこまで言うなら、その百姓達には僕が会って話をしよう。もしかしたら敵の間者かもしれないしね。君は引き続き警戒を頼むよ」


「ははっ…慈悲深きキュウジュウ様にお願いを聞いていただき、このトウロウ恐悦至極にございまする」


そう言うとトウロウは深々とお辞儀をし、言われた通りに守備兵の統率へとキュウジュウの幕舎を後にした。キュウジュウは去るトウロウの背中を見送りながら、目を瞑り、口元を緩ませ不適に「フフッ」と笑い幕舎を悠々と出て行った。


キュウジュウはヒソヒソと護衛の兵士数人に耳打ちすると、その兵達を引き連れ、百姓のなりをしたミレム達の前へと現れた。


「高家四天王キュウジュウと申します。フフッ、百姓の皆さん。トウロウ将軍から話は聞きました。遠路お疲れでしょうが、軍というものは軍律というものがあります。信用のならないものを僕の陣屋にいれて軍律を破るような事をしては、僕が軍法にかけられてしまいます。そこで、どうでしょう皆さん。僕と賭けをしませんか?」


「賭け…でございますか?」


キュウジュウの不気味な物腰の低さと笑顔の耐えない表情と口調に、言いがたい面妖さを感じながら、不思議そうに顔を傾げるポウロ。


「そうです。賭けです。簡単な質問をさせていただくので、それに答えられれば今日一日幕舎の一つを貸し出し我が陣へ泊まり、人数分の食料を与えましょう」


「おお…それはありがたい…一宿だけならず食料まで…その賭け是が非でも乗らせてくだされ!お願いします!」


ニッコリと爽やかな笑顔を絶やさないキュウジュウは、ポウロの返答を聞いて、さらに穏やかな表情を浮かべ、その笑い皺を顔全体に生やした。

そしてキュウジュウは、手をスッと前へ伸ばすとピンと人差し指をポウロに向けて、緩く優しい穏やかな口調でこう質問した。


「では質問しますよ。官軍のあなた達が、百姓に成りすましてまで我が陣に何をしにきたのですか?」


「えっ!?」


キュウジュウがそう言うと、護衛する屈強な兵がバッと驚く不意をつくようにポウロ達を取り囲み、鋭い槍を構えて跪いたポウロ達の首や胸に皮一枚の距離を開けて刃をあてがった!


「…フフッ、愚かですねえ。わざわざ合戦場を通り抜けて山に向かい、今さら出歩く命知らずの百姓がいるはずがないんですよ…。この四天王キュウジュウの慧眼を甘く見ましたね。それっ!その官軍兵達の首をはねるのです!」


「…ッッッ!」


キュウジュウの部下が焦るポウロ達の首を跳ねようとした瞬間!


「各々方ァ!待たれいッッ!!!!」


抵抗しようとしたスワトより早く、酒気が未だ覚めやらぬミレムが刃の柄を払って叫び、その余りにも度胸に満ち溢れた響く大きな声に、兵達は慄いた。ミレムはそれを無視するかのように、つかつかとおぼつかない足で歩き、キュウジュウの前へ出て行く。


「キュウジュウ将軍!なぜ我ら罪も無い百姓に濡れ衣を着せ、その命を無碍にとられようとなさるのでしょうか!百姓の首は軽く、間違って殺しても構わぬということですか!そのような事、納得できませぬ!たとえ、ここで我らが斬られても、この大陸数億の百姓達が黙っていませぬぞ!」


その恫喝とも思える言葉に反するようにキュウジュウは冷静に言い返した。


「フフッ、そんな脅しや挑発に僕が乗るとでも?四天王を甘く見てもらっては困るよ。もし本当に油売りの百姓なら、なぜ暗い夜道を明かりもつけずに進んでいたのかな?」


怖気ず、顔を赤くしてミレムが答えた。


「油は我らの大事な商売道具。命より大事な商売道具を自分のために使うなど商人の名折れ!そのぐらいの事は商人ならずとも、そこらの子どもでも知っておりまする!何故と聞かれるまでもございません!」


「フフッ、じゃあなぜ山道をわざわざ進もうとするんだい?合戦場を横切る勇気があるなら、南側から遠回りして平地伝いに行けば目的地に着くはずじゃない?」


「商人はいつも安全な道を選びます。南の平地を越えていくには大小の様々な河川があり、そこには河を根城にする賊も多く、命ばかりか、もし賊に商品が奪われでもしたら私どもは信頼を失ってしまいます。物を売る商人として信頼の喪失は死を意味します。売る品物があり、安全な道があるのなら、例え山道でも進むのが道理にございましょう!」


「フン…」


キュウジュウは思わず次に言う言葉に詰まった。

前に立つミレムのその畳み掛けるような熱弁と度胸も凄かったが、何よりも語る瞳が真っ直ぐで、どこにも曇りが無かったことにキュウジュウは余裕を忘れ「本当に百姓なのでは?」と一抹の不安を覚えた。


しかし時を置き、キュウジュウは冷静に妙案を考えた。

そして閃いた、信帝国に仕える官軍の兵士ならば誰もが断るであろうその罰を。

荒野の大地に勇壮に立つミレムに対して、今度はニヤリと下卑た笑い顔でキュウジュウは言った。


「フッ、わかったよ…。たしかに君の言う商売の心意気は一理ある。そこまで言うなら仕方ないね…僕も四天王の一人だ。君たちの事を信じよう。でも、タダで泊まらすわけにはいかないよ。官軍でない証拠として、ここで『蒙恥の舞い』でも見せてくれるかな?官軍じゃない百姓ならそのくらいできるよね?フフフッ」


「なっ!!」


キュウジュウの下卑た笑いと言葉に思わずスワトが声をあげる。

信帝国の法に死と同等といわれる法律が一つある。

それは『蒙恥(モウチ)の舞い』と言われ、救いようの無い重罪を犯したり、帝国に大きな過失を与えたり、救いようの無い無様な失態を犯しても、見ず知らずの公衆の面前で裸になれば命だけは許されるというものであった。

しかしこれをやって死を逃れたとしても、その将軍は後世まで人間では無い者、つまりは世に隠れる人非人として扱われ、他人に蔑まれても文句は言えず、平民未満の扱いを一生受ける生き地獄を味わう恐ろしい刑法であった。


「いけません!それをやっては!」


スワトの声が空しく響いたが、キュウジュウは部下に命じてスワトの口を塞がせると、優しくミレムに「どうだ?」ともう一度問いた。下卑た笑いを浮かべるキュウジュウに対して、ミレムは堂々とこう言った。


「濡れ衣を晴らし、今日一日、我が命助かるならやりましょう!さあ!さあ!ごらん下され!我が見事な舞を!その目で髄とご覧下され!」


「な…なんとぉっ!?」


キュウジュウは表情を一変させ、ぶれの無いミレムの言葉に驚いた。

ミレムは迷いの無い眼で羽織と肌着を脱ぎ始め、秋の夜空に自らの裸体をさらけ出し、見事に兵士達の目の前で隠すことなく赤く火照る体でスッと手足を伸ばし、舞を踊った。


「も、も、もういい!このぉ!恥じらいも無く四天王キュウジュウの前で汚らわしいものを見せおって!この恥知らずの人非人の商人め!早く服を着て荷車と部下を連れて兵の陣屋に行け!」


「ははっ。それでは、ありがとうござる…」


流石にこれには、キュウジュウも驚きを隠せなかった。

見守る敵味方の兵士達も驚く中で、まるで汚いものでも触ったかのように、ニ、三度と手を払って顔を横に向けると、キュウジュウは急いで立ち上がり、逃げるようにして自分の幕舎に駆け込んだ。


「ふふふ…うまくいったのう。ヒック!」


こうして、ミレム達はまんまと敵陣に進入することが出来たのである。

しかし、スワトやポウロを始め、ミレムを守る兵士達でさえ、この男が酒を飲んだ時の行動力と決断力、そして羞恥心の無さには、ただただ唖然とするばかりであった。

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