家族で一番の問題児なのって、
ゲイルの店の中は落ち着いた雰囲気に包まれ、女性の普段着から夜会のドレス、男性用、ハンカチや手袋などの小物までが綺麗に並んでいた。
商品がならぶ入り口付近から奥へと進むと、鋏や布、糸などが乗った作業台に、人の体つきを模した等身大の人形など、そう詳しく無い者でも此処が服を作る場所なのだと分かる、そんな光景が広がっている。
「叔父さんが作ってるの?」
「俺はデザインあげて、型紙を作るのと、ボタンだのレースだのの飾りをつけるくらいの手伝いだ。後は営業に経営、仕入れ。こっちは職人に任せてる。今は休憩で出掛けてんだよ」
服などは全て、家で雇い入れている針子によって賄われていた貴族の子供であるゲイルが、まさか針子仕事をしてはいないだろうと思っての質問。
そして返ってきたのは、予想とは少し違うものの、納得は出来るものだった。
「昔っから興味はあったが、触れさせては貰えなかった領分だからな。手伝いで針は持たせて貰うが、まだまだダメ出しを受けちまう」
「まぁ、貴族の男が針仕事すいすい出来たら仰天どころじゃすまないって」
女ならば分かる。
セリンサも、簡単な修復などの技術は元々持っていたし、細やかな刺繍に関しては売り物にもなるだろう腕前だ。それらの腕を生活費を稼ぐ為に使ってくれていたのだ。
貴族の子女の極当たり前の嗜みということらしく、家庭教師だけでなく、乳母、継母にも教わったのだと懐かしそうに笑いながら、エリナに教えていた。
だが、それは本当に女だけのもの。男なら、口にしたり、実際にやってみたり、興味を持っていると思われただけで、なんたることだと叱られることになる。
針子などが教えたと分かれば、その針子達は問答無用に馘となり、屋敷を追い出されるはめになっただろう。
「で、何しに来たんだ?お前の服なら、暫くの分って兄貴に頼まれてたのはもう、家の方に送っておいたぞ?今回は一緒に、アルトの分もな」
「僕のまで?」
「その目立つ顔で、しっかりと宣伝しろよ」
その為に原価ギリギリまで値引きしてやったんだからな。
「そんなに目立つかな?グレンならともかく」
あっ、僕の名前はアルスだから。
グレンの女性姿での名前は服を送りつけているくらいだから知っているだろう、と自分の今の名前だけをゲイルに教えておく。
黙っていれば、偽っていれば美少女でも通るグレンならばともかく、話題性ならば目立つかも知れないが、自分の顔はまだ普通だとアルスは思っている。自分よりも高い位置にあるグレンの顔を指さして、ゲイルに確認をとってみると、ゲイルはあっさりとそれを認め頷いている。
「目立つ、目立つ。グレンが俺の服を着た二年前から若い女向けの売り上げが笑えるくらいに上がったからな。お前にも、期待してる、からな?」
すでに若い男向け用を大量に用意してあるのだと、ゲイルはしっかりとアルスが効果を出す事に不安など無いと笑っている。
「…なんか、本当に拍子抜けした」
「そうだな。うん、皆して予想外過ぎる」
「は?何のことだ?」
劇場のおかげで貴族達からの注文も増え、ルシータのおかげで街娘達の評判、プレゼント用にと小物などの注文も良好。宣伝費も少なくて済むから、ウハウハだ。
余程機嫌が良いらしく、ニヤニヤと自画自賛を始めたゲイルの姿に、アルスは嘆息し肩の力を抜き、グレンもそれに同意を表した。
二人の言葉の意味するところを聞き取れなかったらしく、ゲイルが怪訝に眉を顰める。
「ライナ叔母さんにあって、王都にヒルト叔父さんとゲイル叔父さんが居るっていうから、あれからどんな生活をしているんだろうって思ったんだよ」
「ライナ叔母さんは生き生きと嫌がらせ交じりに、女優業楽しんでるし。ヒルト叔父さんはパンを作って、しかもそれがめっちゃくちゃ美味しかったし。ゲイル叔父さんも何だか上手くやってるみたいだし」
まだ会ってはいないが、祖父と祖母など船で海の上、しかも旅を楽しんでいるという。
地位も財産も、何もかもを剥奪されて落ちぶれた貴族の姿として、絶対にこんな行く末を想像出来ていた人はいないだろう。
少なくとも、昔から数多くある、特に女性などが好き好んで読んでいる物語では、そういった立場の貴族は皆一様に苦しんで苦しんで、不幸の一途を辿っているイメージがある。
「そりゃ、あんだけ金と地位にモノを言わせて、最高級の教育を与えられてるんだ。貴族を辞めさせられたってな、知識は十分にあるんだから、潰しが効くってもんだろ。持ってる知識から役に立てそうなもんを行動に移して、それを応用していきゃいいだけだ。勿論、運も居るし、元手も居るが。それについては代々の当主達がいざって時の為に、あっちやこっちに隠しておいてくれたからな」
何が一番苦労したか、とゲイルは苦笑を浮かべた。
「親父にお袋に、ライナ、ヒルトまで、王都に近い位置に隠してあった財産の奪い合いだ。親父は隠した本人だからな、一番持っていきやがったし。ライナもごっそりだ。あいつらは謙虚さってもんがねぇ」
それを言うのなら、とアルスもグレンもついつい呆れ顔になった。
「うちの親父も貰う権利はあった筈だろ」
「母さんだって」
「は?何言ってんだ。南の方に隠して置いたのは全部、ハンス兄貴が回収したって言ってたぞ?西の方も、半分くらいは持ってかれたってライナが怒ってたな。」
屋敷のある王都や、領地のある国の西側の様々な場所に分散しておいた財産の方が大きな額になるのは仕方無いことではある。だが、いざという時の為にと、それ以外の国の各地へと隠しておいたものも代々の当主の所業ということもあり、それなりの纏まった額になる。
ゲイルたちが王都、西と争っている間に、南に向かったハンスはあっさりとそれらを回収していたらしい。
そんな金を持っていたとは、この七年のハンスの様子を思い返しても、思い至らない。
何に使いやがった、あの親父!?
と息子は次に顔を合わせたのなら、泣くまで追求すると意気込む。
「北にあった一部は、姉貴が人を雇って回収させたってよ」
「母さん?」
「北に用事があった知り合いの傭兵に頼んで回収させてきたって、兄貴が言ってた。その傭兵が持ち逃げするとか、考えているんだろうけど、信用して、信用に答えて貰えるのが姉貴らしいっていうか、何というか」
母さん、何に使ったんだろう?
と息子は思ったが、母の苦労を思えば幸せの為に使ってくれていたらいいな、と思うに留まった。
「って事は、一番損をしたのはベルク叔父さんって事か」
アルスの頭に過ぎったのは、七年前のあの事件が起こる以前から、遠方のシグルト王国へと留学しており、報せを受けて以降は帰っても来なかった、母達の一番上の兄。本来ならば、西大公家の跡継ぎとして持て囃されていた筈の、ベルク・クルーダの事だ。
どちらかというとセリンサと似ていた、常に笑顔を浮かべた優男で、散歩が趣味かなと言うようなおっとりとした人だったと、幼いながらに"大丈夫か、この人”と思った記憶がある。
あれで西大公としては、何時でも後を引き継げる程には優秀で。その柔らかな物腰で家同士は敵対していても本人達は親しい交友関係にあるという、貴族の子弟がたくさん居たのだと、アルスは聞いた。
シグルト王国は、この国からすると西の、三国は国を跨がないと辿り付けない遠方にある内陸の小さな国だ。
国の中に、小さいが海よりも濃い塩水で満たされている湖があり、魚一匹も住めないそこには一つだけ植物が青々と茂っているのだという。食べても美味しく、薬とすれば最高、というそれを海に面した西大公領で上手く使えないか、と彼の人は数人の侍従を引き連れて、留学していったのだ。
国内に居なければ、隠し財産争奪戦には参戦出来なかっただろう。
かわいそうだな、なんて言葉がアルスの脳裏に走った。
「なんだ、ベルク兄貴にも会いに行くのか?」
「無理だよ」
「確かに気になるけど。どんだけ掛かると思ってんのさ」
陸路で三月。
西の港から海を通り、シグルトに一番近い国の港で降りて陸路、という方法を取っても一月は掛かるだろう。
そんな場所に、学園に通う生徒である二人が行ってくる時間は無い。もっといえば、旅費も無い。
「チッ。なんだ、つまんねぇ」
「つまんないって」
ガラが悪くなったな、なんて思う甥二人。
「あの野郎の所に行くんなら、俺の代わりに一発殴ってきて貰おうと思ったのによ」
「なんで?」
「意味がわかんない」
理由も分からないし、いい年しての兄弟喧嘩なら巻き込まないで欲しかった。
「これ、見てみろ」
俺が怒る理由が分かる、とゲイルが部屋の奥にあった棚から取り出してきたのは、くしゃくしゃに皺の入った、一枚の紙だった。
『こっちで好きな人が出来ました。っていうか、子供が出来たので帰りません』
ベルクの署名が最後にしっかりと記されている。
この言葉以外にも、詫びの言葉や、そもそもの理由であった植物は凄く有用なものであった事、シグルト王国と西大公領を取り持って利益出すから、という色々な言葉が並んでいるが、一番上に刻まれているその一文に目が引き付けられて、他に目が向こうとはしないし、頭にも入ってこない。
「……間がすっ飛んでない?」
ようなく言えた感想はお粗末なものだった。
恋人、からの、子供。
結婚は?と思うのはアルスがまだまだ子供だからなのだろうか。
「あれの一月前くらいに届いた手紙だ。大きな騒ぎにはしてなかったからな。他家にいた姉貴やハンス兄貴は知らなかっただろうよ。俺は、ライナがやらかしてくれて、心底良かったと思うね」
「なんで?」
「これって、まだ見ぬ従弟か従妹が居るってこと?」
どうして、ベルク叔父が帰らないと手紙を送って着たことが、ゲイルが殴りたいと思っていること、家が無くなってよかったと思うことに繋がるのか。
「これのせいで!この、俺が跡継ぎにされそうになってたんだよ!」
あの時は本当に、目の前が真っ暗になったのだと、ゲイルはげっそりと顔を歪ませて口にした。
連れ戻すにも遠過ぎる上、ベルクが子供を作ってしまった相手が悪かった。
シグルト王国の王族、しかも女系、女王を頂く彼の国の王位継承権を持つ女性だったのだと、手紙を持ち帰った侍従の一人が報告したらしく。
小さな国とはいえ、彼の国から各国に輸出される薬などは欠くことの出来ないものだった。
騒動への発展は有り得ない。
西大公家として、跡継ぎであった長男は婿に出したことにして、他の息子を立てることに決定した。
幸い、西大公家は子沢山。特に、男子には恵まれた。
だが、すでに次男は他家へと婿入りし、これを戻すのは色々と面倒くさい上に、ジュール家を増長させる可能性が高かった。ならば、三男ヒルト、四男ゲイルから。
ヒルトは少し頼りない。まだ、しっかりしているゲイルに…。
とようやく水面下で話が進んでいた頃に、あの出来事が起こったのだ。
「でも、それって、カークス家、親父の母親の実家が黙ってなかったんじゃ?」
上のベルク、ハンス、セリンサの母親は前妻、西大公家と古くから親密な関係にあるカークス侯爵家から嫁いできた人だった。
下のヒルト、ゲイル、ライナの母親は前妻亡き後に嫁いできた、元は貧乏男爵家の娘。
すでに跡継ぎたる長男と、その予備となる次男が居たからこそ、許された身分さのある結婚だった。
前妻の子ではなく、今現在の妻の子を跡継ぎとするなど、祖父母として影響を与えられるようになるかもと考えるカークス侯爵家や、男爵家を下に見ている貴族達が許す訳がない。
「?なんだ、知らねぇのか?お袋は後妻になる際に、カークスの親戚筋の養女になってんだよ。だから、そっちからの口出しはほぼ無かったってよ」
えっ、何それ、知らない。
アルスだけでなく、グレンまでも、声を揃えて驚いた。
ゲイルはそんな二人に、自分の知る話を説明した。
セリンサを産んですぐに寝込んだ前妻は自分の死期を悟った。
子供が大人になる姿を見ることも出来ずに自分は死ぬのかと嘆いた前妻だったが、すぐに執事や侍女達にあれやこれやと指示を出し、そして自分の実家から当主である父親を呼び出して、ある頼みを託した。
そして、夫である西大公や、結婚前から彼の愛人であった女を呼び出した時には、必要な全ての手続きを終えていたのだ。
"黙認していた愛人、男爵家の娘に実家であるカークスに連なる身分を用意しましたので、その方を後妻としてお迎え下さいな"
唖然とする二人を前に、死期もまじかとは思えない動きで、前妻は全てを終えていったのだった。
"これまでは私の立場を考えて、子供は作らずに居てくれたようですが。これからは二人の間に子供を作ろうが、どうしようが、私の死んだ後なんですから、好きになさって?でも、私の子供達に危害を加えるようなことだけは許さない。そんな事したら、祟ってやる"
柔らかな笑顔を浮かべたまま、声だけが低くなったその言葉に、夫達は身を竦む恐怖を覚えたのだと、後に息子に語って聞かせたのだと言う。
この遺言だけは絶対に忘れないようにしようと、誓ったのだと。
遺言はもう一つあり。実家である男爵家とは完全に縁を切り、正真正銘のカークス家の娘として、西大公の妻になること。これを守れば、カークス家が完全に後見として立つというものだったらしい。
後妻となったエリザベスはそれを誓いの通りに守った。
カークス家の娘として恥ずかしくない教養を学び直し、後に生まれた子供にもカークスの親となった夫婦を祖父母として教え、慕わせ、前妻の三人の子供達にも実子と何も変わらない愛情と厳しさを与えたのだ、
カークス家も約束を守り、エリザベスの子供が西大公となろうと、しっかりと支えていくと誓った。
「なら、何にも問題はねぇってことだろ?なれば良かったじゃん」
グレンは軽く言う。
西大公なんて、なろうと思ってもなれない高位の地位が、上手い具合に転がってきたのだ。
何を迷う必要があるのか。
平民としての生活をしっかりと覚え、楽しんでしまっている身となってしまった現在のグレーやアルスには、なりたいなんて考えは浮かばないが。まだ貴族の世界しか知らなかった筈のゲイルが断る意味が分からない。
「あのなぁ!」
ゲイルの口から飛び出たのは、怒声だった。
それだけで、本当に嫌だったのだと、改めて知らしめる。
「西大公になんて、西大公家なんて大貴族の当主なんかになっちまったら!」
だが、やはり嫌がる理由は見えない。
グレンとアルスの二人は、頭を軽く傾げながら、ゲイルの言葉の続きを待った。
「結婚しなくちゃなんなくなるだろ、女と!」
あぁ、有り得ない。絶対にお断りだ。
ゲイルは勢いよく怒声として吐き出した自分の言葉に鳥肌を立て、気持ち悪いと両腕を自分の手で擦り始めた。
「「………へっ?」」
暫くの沈黙の後、ようやくその言葉の意味を読み取れそうになった二人が、変な声を出して驚いてしまったのも、仕方無いことだった。