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ピンク・サニー

作者: 片岡 武路

 一生の内に見るであろうピンク色の全てが、この瞬間に集まっている。そんなバカみたいな考えをしてしまうくらい、俺の網膜には今、どぎついピンク色が熱した飴のように絡みついていた。

 今までの人生で最悪の目覚めだ。

 心のなかで苛つきながら、火傷寸前の寝ぼけ眼をこすって枕元でうるさく鳴る目覚ましを叩く。かちゃりとスイッチが押され、やかましい音は消える。それは良い。だけどどうもその音がいつもと違うような気がする。

 妙な違和感だ、非常に気にはなる。けれどそれ以上のびっくり仰天が、さっきから目の前に。


「……趣味悪」


 そう、ピンクだ。目に飛び込んでくるピンク、ピンク、ピンク。タンスも鏡台も、机もクッションもカーペットも壁紙も、挙句の果てにはいま俺が座ってるベッドさえもピンク。

 家具の影には濃いピンクで、窓の近くには朝日に照らされた明るいピンク。


「なんだこりゃ、お姫様の部屋か?」


 全くもってわけがわからない。俺はこんな悪趣味で少女趣味な部屋に住んでいた覚えはないし、そんな趣向を持った友人にだって覚えはない。だから正直いって、気味が悪い。どう考えたって長居したくないに決まってる。

 じゃあどうするか? それも決まってる、早速行動開始だ。

 掛け布団の上に群がるこれまたピンクのクマちゃん達を蹴っ飛ばして、よろめきながらピンクのドアへ。だけどピンクのドアノブに手をかければ、ちょっとばかし気になることが。


「あーあー、あー」


 歌うように何度か声を出してみる。何故だか俺の声も、可愛らしいピンク。

 いやいやいや、それはありえないだろ。このクソみたいな……いやちょっと趣味の悪い部屋に汚染でもされたのか?

 嫌な汗をかきながら、視線をちらりと鏡台へ。そうしたらまた、ピンク。いや、鏡台がじゃなくて俺の身体、正確には俺のパジャマが。


「いやいや、誰だよこれ」


 ピンク色の声で呟いてピンク色の鏡台に近寄れば、大きな青い瞳を更に丸く広げた女の子がいた。

 サラサラ金髪ヘアーが肩まで伸びていて、こっちが頬を膨らませたり、いーをしたりすると彼女もまた同じ顔をしてくる。身体は程よくスリムでスタイルが良い。胸のほうはまだまだこれからといった感じだが、そこは今後に期待大だ。

 でもまあとにかく、すごい可愛い。それが感想。だけど鏡の中にいるということはつまり、俺。そう、この俺なのだ。


「うっわ、最悪! 何だよこれ!」


 大声を上げて、逆再生みたいに背中からベッドにダイブ。クマちゃん達は見事に下敷き。すると耳は良いほうの俺、何かが落ちる音に気付く。本当はそんなこと気にしてる場合でもないけれど、とりあえず注意をそっちへ。

 物音がしたのはベッドと壁の隙間、つまりピンクとピンクの間。そこに手を突っ込めばやっぱり、何かが落ちていた。


「写真? あれ、これ俺じゃん。いや、俺じゃないけど」


 キャッチしたのは写真立て。中の写真には今の俺、つまりはとびきり可愛い金髪の女の子がお姫様の格好で写っている。その周りにいるのはこれまた派手な格好をした人達で、王様に兵士、そして魔法使いの服を着て笑顔を振りまいている。一体なんの集まりだ?

 ま、今の状況ではどうでもいい。俺は写真立てを棚の上、マニキュアかなんかの小瓶の間に戻して、腕を組んだ。

 これから一体どうするか。朝起きたら別の人間になっていて、性別まで変わってるときた。正直ちょっと面白いけど、あんまり笑ってられる状況でもない。そんな風に頭を捻っていると、部屋の外から何やら大きな音が。


「ちょっと! うるさいわよ、サニー!」


 うるさい声と一緒にドアがぶっ壊れそうなくらいの勢いで開く。するとそこには一人の女の人が立っていた。四十代、いや四十代後半くらい、見るからに口うるさそうなその人は、今の俺と同じ色の金髪を揺らしながらこっちを怒った顔で見つめてくる。

 いや、誰だよこの人。


「あなたは……誰ですか?」

「……なんなのサニー? 今度はなんのお遊び?」


 俺が素直にそう聞くと、女の人はつかつかとこっちに近付いてきて、随分と大げさな身振りで首を振る。あんたは舞台俳優か。


「なにを思いついたのか知らないけど、今日はトレッドと約束があるんでしょ? 早く着替えなさい」


 サニーにトレッド、たぶん誰かの名前なんだろうけど、俺にはどちらも聞き覚えがない。部分一致検索でも引っかからないときた。だから部屋を出て行こうとする女の人に声を掛ける。


「あのサニーとトレッドって、誰のことですか?」


 そしたら彼女の背中がぴくりと震えて、立ち止まる。いや、俺いま何か不味いこと聞いたのか? 何だか雰囲気的にそんな感じだ。

 やっぱり。すごい勢いで振り返った顔はまさに、鬼の形相。


「サニー! あたしは今からあんたの弟を保育園に連れていかなきゃいけないの! わかる? おふざけは止めて頂戴!」


 これまた大袈裟に床を踏み鳴らしながら、女の人は部屋を出ていく。

 何なんだあのヒステリックなおばさんは。俺が呆気にとられて誰もいなくなった部屋ををぼーっと眺めていると、一階に降りて行ったはずの彼女が、またひょっこりと顔を出した。


「いい? 早く着替えるのよ?」


 くどくどと念を押すその顔に、俺は更に声を掛ける。


「でも……着替えがどこにあるのかとか、わからなくて」


 そう、全くもってわからん。そんな言葉を聞いて、女の人の表情が凍りつく。

 次の瞬間、俺はその人に飛びかかられて、瞬く間に身ぐるみを剥がされてしまった。抵抗する間もなく可愛らしいワンピースを着させられて、恐ろしいまでのスピード感で背中を押され一階へと降ろされる。しかしそこでも安息の時は無く、無理矢理に顔を洗われ歯を磨かれ、そのままの勢いで外に放り出されてしまう。

 よろけて尻餅をついたコンクリートの歩道。眩しい太陽が、俺をスポットライトのように照らした。


「いい、サニー? あんたももう十四歳、十四歳よ、わかる?」


 女の人が扉を抑えながら言う。俺は無意識に、こくりと顎を引く。へー、そうなんだといった感じで。


「わかったならもうそういうのはやめなさい」


 そういうのって何だよと首をかしげていたら、女の人は家に戻って行ってしまった。随分と勝手なお人だなー、全く。

 閉められてしまったドアをまた、ぼーっと見つめる。すると今度は、後ろから何かがこすれるような高い音が。


「そんなところでなにやってるの? サニー」


 振り返るとそこには、緑色のピカピカなマウンテンバイク。そしてそれに跨る少年がいた。歳は十四歳くらい、茶色の短髪、長身イケメン。白いシャツにベージュのパンツを履いて、黒の肩掛けカバン。凄い。シンプルなファッションでも随分と決まっている。

 だけど誰だ、この人は。それはわからん。しかしふと、別のことをひらめく。


「サニーって俺のことですか?」


 さっきの女の人もこの少年も、俺を見てその名前を口にする。もしかしてと掛けた言葉に、少年はため息を返した。


「約束の時間に遅れたと思ったら、またあれかい?」


 いや、約束とか知らないし。あれってのも何なのかわからん。


「あれって何ですか?」

「やれやれ、まったく」


 少年はバイクを停めて俺を紳士的に助け起こすと、近くにあった青いベンチに座らせた。そして自分もまた隣に座る。


「君はサニーって名前じゃないわけ?」

「え、いやまあそう、あ、俺はサニーじゃない。うん、サニーじゃない」

「……じゃあ君の名前は?」

「え、えーっと、何だったかなー」

「まったく、やるならしっかりやってくれよ」


 何をやるんだよ。こっちは大変なことが起こって混乱しているんだ。

 俺は見つめてくる少年の目から視線を逸らして、俯く。考えを巡らせるのだ。こんな可愛らしい体になったところで俺は俺、自分の名前を思い出せないはずはない。しばらく唸っていると天啓のように頭に浮かぶ名前が。

 大きく息を吸ってから、素っ頓狂な声を出す。


「あ、そうだ思い出した。ジョニー、そうジョニーが俺の名前だよ」

「へー、そう。男の子なんだ。じゃあよろしくジョニー。僕はトレッド」

「はは、うんそう、男。よろしく」


 俺はトレッドと握手をかわした。すると彼は何だかいやらしい笑みでこちらを見てくる。


「それにしてもジョニー、君は随分と内股に座るんだね。まるで女の子みたいだ」


 スカートから覗く俺の太ももを見て、トレッドはにやりと笑った。

 その瞬間、顔がかーっと熱くなって、無意識に裾を抑える。えっと、その何だこの感じは。俺は男なんだから別にこれくらいはなんともないはず。そ、そうこれは身体が女の子になった副作用だ。そうに違いない。

 空の太陽が妙に熱く感じて、額に一筋の汗が流れる。何だか心なしか心臓の鼓動も早くなってきた気がする。


「まあどうでもいいか。そうだ、そんなことよりジョニー。僕と友達になってくれないかな?」


 唐突に変わった話題に横を向けば、こちらをじっと見つめてくるトレッドの顔が目に入った。そしたらなぜか、俺の顔は自然に下を向くのだ。き、きっとこれも副作用だろう。


「え、あ、まあ良いよ。友達くらい、ははは」

「そうか、ありがとう。じゃあ友情の印だ」


 トレッドは腰を浮かせて座る位置を詰めてくる。それはパーソナルスペースなどお構いなしの至近距離で、お互いの足と足が触れ合うくらい。更には仕上げと言わんばかりにこちらの肩に手を回してくる。

 いやいやいや、おかしいだろ。男同士でこんな密着する友情の印なんて聞いたことがない。

 じんわりと伝わってくる彼の体温に侵されてぼーっとしそうな頭。副作用に負けぬよう、無理矢理に回転させる。しかし、抵抗虚しく心に動揺は広がっていく。そうしたら、それを見透かしたように彼は笑うのだ。

 もはや完全に手玉に取られているというべきかも。だが男の意地としてこんなことで舐められる訳にはいかない。


「あのさ、こういうのは――」

「それでジョニー、サニーにはいつ来れば会えるんだい?」

「ひっ!」


 意を決して口を開けば耳元で囁かれる言葉。ぞくりと身体中が震えて、頭の中は更に熱くなる。

 くそ、女の子の身体め! どこまで俺の心を弄べば気が済むのか。

 歯を食いしばって身体を離そうとするけれど、トレッドの手が俺の肩をがっちりとホールドしていて無理。仕方なく反対を向けば、吐息も交わりそうな距離に彼がいて、もう八方ふさがり。


「こうすれば会えるかな?」


 あたふたと考えていればふいに、トレッドが目を閉じた。そして俺の顎をくいっと持ち上げて引き寄せる。

 いやちょっと、やばいやばい! これはもしやキ、キスという奴なんじゃないか! 俺は男だと言っているのに、何だこの少年は!

 どんどんと近付いてくるトレッドの顔。こちらの動揺とは裏腹に随分と涼し気で、それがこう近付いて来るたびにこっちの頭は……。早く脱出しなくちゃ、このままだとあたし。いや、でも。

 痛いほどに目を閉じる。急に静かになる世界。柔らかな感触はやってこない。


「はい、失格。ジョニーはどこに行ったんだい? サニー」

「……え?」


 聞こえた声に目を開ければ、トレッドは急に立ち上がった。そして意地悪い笑みを浮かべてこっちを見下ろしてくる。

 失格? 一体全体この少年は何の話を――いや、もう無駄か。


「ジョニーは見ず知らずの男の子のキスを受け入れるような役じゃないだろ? ちゃんと台本読んだのかい?」


 俺、いやあたしはベンチに座ったまま、上目遣いでトレッドを見つめ返す。


「だって、あんなことされたら演技どころじゃないでしょ! もう!」

「はいはい。ま、プライベートから入り込むのは良いけど、周りの迷惑も考えるべきだよ」

「あたしが何か迷惑かけた?」


 もう演技はやめやめ。いつものあたしに戻ってトレッドに聞いてみると、彼は小さく笑いながら言葉を返してくれる。それも恥ずかし気もなく、恥ずかしい言葉を。


「そりゃ迷惑だよ。僕はサニーに会いたかったんだから」


 頭の中でぼんっと音が鳴ったような気がした。鏡はないけど絶対、今のあたしは顔が真っ赤だと思う。


「じゃ、行こうかサニー」


 やっぱり、冷静。トレッドは涼し気な顔をして手を伸ばしてくる。あたしはこんなにドキドキしてるのに、なんだか不公平だ。

 でもそんなに悪い気分じゃない。だから手を取って立ち上がって、仕返しに背伸びで耳打ちする。


「あ、えっとその……さっきの続きは?」

「後でね」


 練習は控えめにしよう。広がる青い空を見つめながら、あたしはそう考えていた。

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