コストパフォーマンスと妥協と取捨選択
約6年半ぶりくらいの更新ですね。お久しぶりです。お元気ですか?
さっき、最初から読み直してきましたが、基本的な主張や考え方は変わってないですね。
前までの主張はそのままに、書き手のコストパフォーマンスと妥協、読み手の取捨選択という考えが私の中で新しく発生したような気がするので、それを書いてみようかなという気になりました。
Twitterでちらほら呟いていて、“そういえば、エッセイ書いてたし、そこにまとめてみようか”と気が向いた結果の更新なのですが、読み返すことで初心に返れてとてもよかった……。副産物ですね。これからも、ちまちま追加していきたい所存。
今回のお題は“コストパフォーマンスと妥協と取捨選択”です。
なんのこっちゃですね。それをご説明する前にワンクッション。
今までにこのエッセイでお話してきた主張はそのままです。基本的に考え方は変わりません。ただし、時間は金なり、故に妥協と取捨選択が発生するということを覚えたのです。大人になるってこういうことなんですね……。嬉しくないです。決して。
6年半の歳月って怖い……。このエッセイの最終更新時はフリーターで、本業は本気でやりたいことをやってた夢追い人だったわけですが、今は正社員で生きるために仕事をしています。仕事っていうのはですね、利益を追い求めなきゃいけないんですよ……。かけられる時間と仕事量や求められている仕事の質を考慮しなければならないのです。もっと時間をかければもっと良質なものができるのがわかっていても、時間が足りない上に求められた質はクリアできているなら、内心納得がいっていなくても完成形として引き渡さなければならない。何も“コスト”は現金だけを指すものではないのです。時は金なり、です。は~、世知辛い! 大人になるって嫌ですね!
ずばり、小説の修正って時間かかるんですよ。誤字脱字修正はもちろん、執筆ルールに則して執筆ができていないのを訂正していくのなんて気が遠くなる作業です。あのね、執筆ルール適用していくのは本当に時間かかるんです……。これはやったことあるからわかる。
そんでもって、修正って楽しいですか? 私、正直、楽しくないと思うんですよ。もうひとつ考えてほしいのは、これ、お賃金発生していないんですよ……。タダで提供されたものに対して、修正をしていないと非難する……最低では? まあ、実際に修正していないことにクレーム入れる人がいるのかはわかりませんが。大体の書き手さんはなんらかの対応はなさると思うので。
以前のエッセイでお話した通り、欠点のご指摘ってありがたいものです。しかし、修正を強要するのはいけないことなのではと思うのです。だって、お賃金も発生しない楽しくもない作業ですよ? 気が向けばやる、でいいのでは。アマチュア小説家なら、読み手って書き手から趣味のお裾分けをもらっているにすぎないので、書き手さんが楽しいとこだけやってもよいのではと思うのですよ。
しかし、ご指摘がいらないのならそれを表明することが誠意では? とは思います。称賛の感想はほしいから感想欄は解放しておきたい。でも、指摘はいらない。いいと思います。ただ、その作品、ひいては、今後の作品がよりよいものになったらって(書き手の将来を期待してというより、ストーリーは面白いから、これが直ったらもっと面白い作品が読めるかもしれないという意味で)期待して、わざわざ指摘するっていう人からしたら無駄でしかないので……。だって、読書ってすごい時間を吸い取られるんですよ。この指摘って、読み手さんにとって今後の楽しい読書時間への投資だと思うので。無駄な投資をさせないのも思いやりかなと。
こう……ストレートな書き方すると思ったよりキツくなってしまいますね?
別に、愚痴でもなければ悪口でもなく、この手の趣味って棲み分けというものが必要なのでは、と思うのです。あと、楽しくないことを無理に続けた結果、趣味を手放してしまうのももったいないですし。
さて、なんでそんなことを言い出したのか。
書籍化小説です。
書籍化されました!(されます!)って作品、全部が全部執筆ルールに則った文字列じゃないんですよ。あらすじを見る限り面白そう、書籍化もしたらしい、読むか。からの、ショッキングピンクの!?や派手な赤い!!が気になって気が散って物語に入り込めない! がんばって読んでも満足感薄い上に、途中離脱するパターンだ! からの3ページでそっとじ。結構、あるあるなんですよね。でも、書籍化するくらい面白いんだろうな……ということは、少なくとも一部の層では支持されているわけなんですよね。
さて、話は変わりますが、書籍化したご本を買うメリットってなんだと思いますか?
今は個人で本作ってコミケに出したりとかも可能じゃないかなと思うのですが、あえて、出版社を通す意味。本屋に並んでるのが見たいから? 売れなかった時に手元に在庫を残さなくて済むから? じゃあ、買い手側は? “本はやっぱり紙でしょ”派だから? ファンだからコレクションやお布施感覚での購入?
非常に申し訳ないのですが、書籍化したご本って買ったことがないというか、本屋さんでラノベの棚に行くことがなかったので、ここからは推測になってしまうのですが……出版社を通すってことは、プロに校正してもらえるってことでは?
これ書きながら、“はー、なんで、私はラノベ(紙)を手に取ったことがないんだろう!”ってもやもやしています……。
少し話が飛びます。このエッセイにいただいたコメントにも“執筆ルールは完全な正義ではない”旨をいただいております。“知識が増えたね、やったね、ろなちゃん!”って感じだったのですが(文章の歴史のお話をしていただいていて面白いので、ご興味のある方はぜひ)ちょっと待って。私も執筆ルールについて“本当の意味で正しいかどうかはさておき、少なくとも学校で“こうするべき”と教えられるくらいには“世間一般ではこれが普通”という認識であるもの”というすっげー曖昧でぼやっとした定義を主張してるんですよね。
今、冷静に見てみれば、この両者の主張、お互いの話の前提が違う気がしますね。このままだと一向に平行線のままです。私の場合、読む本のほとんどが平成の世以降に出た新しい本なので、“平成の世以降に出た新しい本”に適用されている執筆ルールというのが私が執筆ルールのお話をする時の前提です。
さらに、もう少し掘り下げます。私、実はすごい雑食で、特に中学生の時は見境なく活字を摂取していました。小説はもちろん、育児書、新書……。なのに、携帯小説は読めないものがあるんです。これ、もしや、執筆ルール適用の有無が関係してるのでは?
ということで、我が家の本を確認してきました。だいぶ、紙の本は手放してしまったので母数が少ない上に、時間がかかるのでパラ見にとどめたのですが、小説11冊、新書1冊、(出版社は8社、作者は12人)全てに執筆ルールが適用されていました。もっと言うなら、あらすじにアラビア数字を使っている場合があるものの、本文は全て漢数字。……と――は1度に2個のみ使用(会話での沈黙を表す場合は「…………」と4個使うのでこれのみ例外)
しかも、小説のうち1冊は小学3年生の頃から繰り返し読み直してる“鏡の国のアリス”……いや、別にどんなお話でもいいんですけど。とにかく、小学生向けのこれにまで執筆ルールがちゃんと適用してありました。
もしかして……もしかして、本(昔に発行されたものを除く)に昔から慣れ親しんでいる人ほど、無意識化で執筆ルールが適用された文章に慣れ親しんでいるのでは?
携帯小説を読み始めてから“活字に関しては雑食の私がいただけない文章がある……なぜ……”“執筆ルールの適用の有無で、なんでこんなに小説世界への没頭加減に差が出るんだ?”という12年間ぼんやり抱いていた謎の答え、もしかして、これですか!? なーるほどね!? 気付くのに12年もかかったの? 遅くないですか? 今、タイピングしながらドーパミンどばどばしてる気がする……。
ようは、今有名な執筆ルールって、(誰が決めたのかは知らんけど)現代で本を出すにあたって“こういうルールのもと文章を作成した方が読みやすいとされているので、これでいきましょう”って商業の本の世界で設定されているルールであり、おそらく、現代のご本を読んでいる(特に、読みに読みまくっている)人たちが1番慣れ親しんでいるはずの文章の書き方なのでは……? 正しい、正しくない、の世界でなく。
いや、出版社に持ち込んだら“執筆ルールが適用された文章に直してください(もしくは、こちらで直します)”と言われるんでしょうか。8社全てで適用ですもんね……。よく考えたら、商業の本って“この作者さんは沈黙に中黒を使うんだな”とか“この出版社の小説は三点リーダー奇数個なんだな”とかそういう特徴に気付いた記憶もないし、やっぱり意図的に統一してますよね……? だったら、ある意味では“正しくない”と言ってしまってよいかもしれません。
大したことではないけど、真理に気付いてしまったような気持ちになってる……。あ、私は編集者じゃないどころか、出版に関わったことは人生で1度もないので、これが正しいのかはわからないです。
えー……すごく話がズレてしまいましたね。
執筆ルールはなんぞやの話はちょこっと置いておきましょうか。でも、超すっきりした。いや、この話はおしまい。
話を戻しましょう。
この考えが正しいかどうかは私も本屋さんに行ってラノベを手に取って確認してきますが、もし、本当に執筆ルール丸無視の小説も書籍化の際には直されるのだとしたら? ……書籍化にかかるお金は、単純に製本や管理みたいな流通関連のことだけじゃなくて、校正――誤字脱字や執筆ルール、文章がおかしくないかのチェックと修正もだ、と言えそうですね。
そう、本来であれば、文章のチェックと修正はお金がかかるんですよ! はー、結局、金の話か! 大人ってほんとヤダ! 私だって20代後半、立派なアラサー……大人ですからね! ……なんで大人ってお金に換算したがるんでしょうね、嫌ですね……。
そう考えると、チェック不要です、の意思表示って誠意だと思うし、修正を強制しないって当然では……と思わざるをえない……。結局、お金か……。あ、あくまでも私個人の意見です。あしからず。
はい、今回、執筆ルールを無視した作品や誤字脱字、文章間違いのある作品の擁護みたいな感じになっちゃったので、一応、執筆ルールを適用するメリットもお話しておきましょうか。なぜなら、私が推奨するのはこっちなのです……。
おそらく、(今回、これを執筆している途中で気付いたわけですが)現代の商業の本(という表現で正しいのだろうか)に慣れ親しんでいる人から見れば、執筆ルールが適用された文章は頭に入ってきやすいと予測できます。ということは、執筆ルールが適用されていない小説より読むことにストレスがないはずなので、特に“最初は説明とかばかりで面白くないと感じるかもしれないけど、中盤以降めちゃくちゃ面白くなる”作品なんかは適用しておいた方がいいと思います。“1ページ目は開いてくれるけど最後まで読んでもらえない作品”とも言えるでしょうか。文章を読みやすくすれば、途中離脱も防げると思うので。表紙を開いてもらえません、となると別問題――いや、あらすじの時点でショッキングピンクな!?とか派手な赤い!!とかが見えた時点で私は開かないですね……。
あえて、“普段は全く小説を読まないけど、携帯小説は読む人”をターゲットにしているのならどうすればいいのかわかんないです。私は該当しないので……。そもそも、“紙の本は全く読まないけど携帯小説は読む人”の割合ってどんなもんなんでしょうね……?
少なくとも私は、どれだけ執筆ルールから外れているかで、開いた小説を途中離脱するか否かが決まってしまうこともあるので、他にもそういう方もいるでしょう。たぶん。きっと。となると、文章を修正することは読者層を広げることにも繋がると言えそうです。しかし、修正には手間と時間がかかる。修正(もしくは妥協)するかしないかはコストパフォーマンスを考えて決めていいんじゃないかなと思うと同時に、修正の入らない小説を読む読まないも読み手次第なので、強要はできない代わりに取捨選択をしましょうというお話……をしていたつもりだったんですけど、ちゃんと書けているでしょうか。……12年越しの気付きにテンション上がってちゃんと書けているか自信がないです。
今、ドーパミンどばどばしてるのでちゃんと書きたいこと全部書けたか怪しいですが、ひとまず、今回はここまでにしましょう!
いやー、新しい発見って楽しいですね!
今度、本屋さんに行ったら、色んな種類の本を片っ端からパラ見して執筆ルール適用の有無を確かめてまわりたい……。特に、ラノベ。
テンションが上がりすぎて、今夜、寝れるか怪しいですね。お腹すきました。




