第7話 桃幻の楽園
――花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
――よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。
――すべて、月、花をばさのみ目にて見るものかは。
春は家を立ち去らでも、月の夜は閨の内ながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。
よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。
「私は...。
"初め"も幸せではなかったし、"終わり"もきっと、幸せではないわ。
そう、たとえ"盛り"ではなくても、幸せを見つけられる...。
私には...。 分からないわ...。」
「どうして...。
私だけがこんなに不幸なの...?」
そこは、静かだった。
ただ聞こえてくるのは、辺り一面に広がる花々が、風に吹かれて互いに擦れ合う音だけだ。
遠方から眺めると、まさに一面桃色の世界であった。
桃の花びらは吹雪のように舞い、太陽の光は白雪のように煌めき、初雪のような初々しさを残した新芽が萌えるなか、深雪のように積もった花々は、この季節とは思えないほど生き生きとしていた。
叢雲のように沸き立つ桃色の淡い光が辺りを包み込み、空の上にうっすらと浮かんでいた。
磯波のように風が押し寄せては散るかと思えば、それは綾のような美しい波を描き、敷波のように次から次へと押し寄せて消えゆく。
桃の花畑の果てから、一人の少女が歩いてきた。
少女が足を地面に踏み入れるたびに、花々が彩光に照らされながふわっと舞い、シャリ、シャリという音がだんだんと近づいてくる。
その少女の髪は黒であったが、赤や白のものが混じっているほか、小さな角が生えているのも見受けられた。
昼下がりの朧な陽光に照らされるなか、桃色の光に曙色の光が舞い込む幻想的な風景をバックに、少女はこう言った。
「そのために、この桃幻郷があるんですよ」
声をかけられて、桃色の淡い衣服をまとった少女は、思わずはっと振り返った。
まるで、何か漣立つことが二人の間に起きたかのように。
辺りの色彩は反転し、潮染めような鮮やかな青紫色の闇が、二人を包み込んでいく。
暁の地平線に、高度を保って燦々と輝く太陽があるのを見たと同時に、桃色の少女が口を開いた。
「......そうね。 私は...。
そのために、あなたについてきたんだもの...」
少女の声が、桃色の空間一面に響き、そして放たれた。
「最後までやり遂げましょう。
誰もが幸せで、不幸に苦しむことのない世界を作るために...」
この時桃色の少女が、角のある少女の不敵な笑みに気付いていたら、この後の幻想郷の運命も大きく変わっていたかもしれない。
しかし、時はすでに遅し。
「そうね...」
桃色の少女は、こくりと頷いた。
ただしそれは、はっきりとした頷き方ではなく、どこか憂い、もしくは憐れみを含んだ返答であった。
「私は一体、どうすれば...」
すると突然、雷鳴の如く大きな轟音が、地底の底から鳴り響いてきた。
「...うわっ!」
刹那、電光石火の勢いで揺れが突き抜けてきて、二人の少女は立っていられなくなった。
揺れは十数秒ほど続き、やがて静まった。
「今のは...?」
◇◆◇
その時、それぞれの場所に散らばっていた少女たちも、この揺れを感じていた。
神社を出発して、幻想郷上空を飛行していた霊夢と萃香。
地底から抜け出し、道中の妖怪の山で道草を食っていた魔理沙と勇儀。
博麗の巫女に話を聞くため、神社へと向かっていた妖夢と早苗。
そして、霧の湖へと降り立った咲夜。
何かが、起こっていた。