第5話 幻想の夏 ―妖山の神社― <後編>
「......つっ......。
......んっ......」
「......。
知らない天井だ...」
「...あっ、妖夢さん。
気が付きましたか?」
「早苗...さん...?」
妖夢が意識を取り戻したとき、彼女は守矢神社の奥の部屋で、布団に寝かせられていた。
ふと顔を横に傾けてみると、そこには水の入った木桶と、額にのせられている手拭いの替えが、水に浸された状態で置かれていた。
「あの...。 私...、
一体......?」
そう言って、彼女が起き上がろうとした時、
「あっ、起き上がらなくていいですよ。
今は安静にして、しっかり休んでくさださいね」
横から、早苗とは別の人物の声が聞こえてきた。
その声の主は、八意永琳。迷いの竹林の永遠亭で、薬師として診療所を営んでいる、もと月の民の者である。
妖夢は言われたように、ゆっくりと布団の中に身体を滑り込ませ、深く息を吐いた。
「なぜ..。 ここに永琳さんが...?」
妖夢の質問に、二人が答えた。
「ちょうど、診療でこのあたりを巡回する予定がありましてね。
たまたま、この神社を訪れていたのです」
「その時私が、森の奥で倒れていた妖夢さんを発見して、八意先生に見てもらうことにしたんです」
「そうだったんですか...。」
話を終えると、永琳は冷水を湯呑みに注いで、妖夢に手渡した。
「はい、どうぞ。
軽い脱水症状ですから心配はありませんが、水分はしっかり摂ってくださいね」
「あっ、はい...。
ありがとうございます」
そう言って、妖夢ゆっくりと起き上がり、手渡された湯呑みの冷水を飲み干した。
「私...。 ここに来るまでのこと、よく覚えていないんです...。
確か、はじめは鬼ヶ岳を越えようと思って、山道をずっと歩き続けていたんですけれど...。
途中で、道に迷って...。
たぶん、間違えて森に入り込んでしまったと思うんです。
それで...。
それからが...。 よく思い出せなくて...」
「なるほどね...」
鬼ヶ岳は、妖怪の山に寄り添うようにそびえる山である。
そのため、鬼ヶ岳を越えてからの道を見誤ってしまうと、妖怪の山へ迷いこんでしまうことが多いのだ。
無論、森に入ってしばらくすると、山の斜面に沿った登り坂になるので、多くの者は「間違ったルートだ」と気付くことができるが、そこは妖怪の山である。
迷路のように入り組んだ山道を通って、麓まで引き返そうなどということは、至難の業である。
「それから...。 とにかく目立つ建物を探そうと思ったんです。
森の中で、全然道も分からないままだったので...。
そこで、やっとの思いで守矢神社を見つけたんです。
でも、この暑さで意識が朦朧としていて...。
目の前に早苗さんが現れたときには、もう...」
「そうだったんですか...」
早苗がそう言うと、ふと、永琳が白衣の袖を少したくし上げて、腕時計で時間を確認した。
「あら、いけない。 もうこんな時間...。
...ごめんなさい、もう次の診療に行かなければいけないので、そろそろおいとましますね。
もし何かあったら、遠慮せずに連絡してくださいね」
「はい...。 ありがとうございました」
「暑い中、ご苦労様です」
そう言って、永琳は部屋を後にした。
「...早苗さん」
「はい? 何でしょうか」
「何か...。 外から甘い香りが漂ってきているような気がするんだけど...」
そう言われて、早苗は体を縁側のほうに向けた。
「......。 確かに...。
何でしょう、これ?」
「さあ...?
よく分からないけれど、何かの花のような...」
彼女たちが視線を向けている先には、あの例の山が腰を据えていた。
「鬼ヶ岳...?」
「ま、まさか...。
だって、あそこは禿山でしょう?
植物なんかひとつも生えていませんよ。
神社の周りに生えている植物か何かですよ、きっと」
「それはそうだけれど...。
...私、鬼ヶ岳に登ったとき、何かおかしいと思ったの。
あそこだけ極端に暑いし、かと思っていれば涼しい風が吹いてきたりするし...。
...そういえば、あの山って、頂上には登れないの?」
「はい、恐らく...。
岩壁で遮られているうえに、神奈子様曰く、何か強い力が働いているようですから...」
「強い力...。
これは絶対、何かおかしいわ...
そう言って、妖夢はおもむろに立ち上がった。
「あっ、えっ、妖夢さん!?」
「こんな時は、博麗の巫女に相談するのが一番ね!
行きましょう、早苗さん」
「えっ、ちょっ、待ってくださいよ~~~!」
◆◇◆
冥界。
白玉楼の当主が、一人屋敷の縁側に座って、おもむろにこう呟いた。
「晩ご飯...。 まだかしら...」
祀られる風の人間
東風谷 早苗
Kochiya Sanae
種族:人間
能力:奇跡を起こす程度の能力
守矢神社で、風祝を務める少女。
神社の祭神である八坂神奈子や、洩矢諏訪子とともに暮らしている。
生真面目で純粋だが、それゆえ人の言動に左右されやすく、上の二柱に妖怪退治を勧められてからは、すっかりそれが病みつきになっている。
彼女自身、この暑さには特に異変を感じ取っていなかったのだが、妖夢のとばっちりによって、その渦中に巻き込まれることになる。
果たして彼女は、幻想郷の危機で奇跡を起こすことができるのだろうか?