第3話 幻想の夏 ―幽幻の郷―
冥界。
閻魔の裁きを受けた幽霊たちが、輪廻を経て転生を待つ世界である。
ここも幻想郷の地上世界の一部ではあるが、普通の人間や妖怪が往来することは、ほとんどない。
顕界の酷暑をよそに、地底よろしく暗く、ひんやりした空気が漂っている。
その冥界の中でも、一際目立つ大きな屋敷が、この白玉楼である。
幽かな雰囲気をまとった屋敷の庭園には、大きな桜の老木が根を下ろしている。西行妖である。
この桜の木は、春になっても花をつけないのだが、その理由を当主は知らない。
そのかわり、夏には緑葉を盛んに茂らせる。
冥界にあるものは、すべて幽霊で構成されているという。
そのため、枝から舞い散る緑葉のひとひらは、地面に触れるともとの葉の幽霊に戻り、淡い光を放って霧散していく。
この幻想的な現象に見とれていたのが、この屋敷の当主で亡霊である、西行寺幽々子である。
「もう、夏なのね…」
生存していた期間も含め、非常に長い時間を過ごしてきた彼女にとって、幻想郷の四季のサイクルは何ら特別なものではなかった。
それでも彼女は、そのサイクルの中に風情を見出し、心を寄せてきたのだった。
「にしても…」
彼女は、食べかけの焼き菓子を赤い漆器の皿にそっと置き、少しぬるくなった茶を軽く口に含んで、言った。
「妖夢、大丈夫かしら…?」
「あっっづぅぅぅいぃぃぃぃ~…」
顕界。
果てしない道を、一人歩いている少女がいた。
魂魄妖夢。半人半霊で、白玉楼の専属庭師である。
「幽々子様ぁ~。 こんなに暑いだなんて知らなかったですよぉ~!
何で教えてくれなかったんですか~!? もう~~~!!!」
彼女は幽々子に頼まれて、人間の里へ買い出しに行っている最中だった。
彼女自身、普段も近辺へと買い物へ行くことはよくあった。
しかし、冥界から離れている人間の里へと行こうとすると、かなりの距離を歩く必要がある。
それをショートカットするための一番の近道は、妖怪の山か、もしくは鬼ヶ岳を貫いている山道である。
しかし、顕界を歩きなれていない彼女が、一人で妖怪の山へと足を踏み入れるのは大変危険であったし、樹海にでも迷い込めば一貫の終わりである。
仕方なく、彼女は禿山の鬼ヶ岳を通ることにした。
「でも…。 ここって、鬼がいるのよね…?」
冥界。
幽々子は焼き菓子を食べ終え、自室へと引き返してくつろいでいた。
無論、従者が今頃ひどい目に目に遭っているなどと、知るよしもないだろう。
◇◆◇
『前に紫さんが手土産で持ってきてくれたこの焼き菓子、美味しいのだけれど…。
人間の里の菓子屋でしか売ってないそうなの。 残念だわ…』
『…じゃあ、私が買ってきましょうか?』
『…えっ? いいの、妖夢?』
『私も久しぶりに顕界を出歩いてみたいので。
それに、人間の里までの距離なんて、遠いようで案外近いですよ』
『そう…? じゃあ、悪いけどお願いするわね』
『はいっ』
◇◆◇
「やっぱり心配だわ…」
顕界。
もちろん、妖夢が豪語していたように距離が短いわけでもなく、彼女は鬼ヶ岳をひたすら登りつづけていた。
「・・・」
あまりの暑さに、もはや彼女は閉口していた。
それもそのはず、先に萃香が仕入れていた情報の通り、鬼ヶ岳は原因不明の気温の変化が起こっているようで、時と場合によって気候が全く異なるのである。
この時は、運悪くひどい日照りであった。
おぼつかない足取りで禿山を進む中、彼女はふと足を止めた。
「あ、あれ…? なんか涼しい風が…」
彼女の頭上に、ひんやりとした空気が流れ込んできた。
風の吹いてくる方を見てみると、そこには岩石の砦のような壁が覆いかぶさっていた。
「ここに、こんなものあったかしら…?」
半人半霊の庭師
魂魄 妖夢
Konpaku Youmu
種族:人間と幽霊のハーフ
能力:剣術を扱う程度の能力
白玉楼の当主・西行寺幽々子に仕える、庭師兼彼女の剣術指南役。
半分人間、半分幽霊という「半人半霊」という種族で、楼観剣、白楼剣の二振りの剣を扱う。
物理的なものに限らず、人の悩みさえも斬ることができるという。
とばっちりで顕界の酷暑に遭遇した彼女。
彼女にとってはいい迷惑だが、今更主人を恨んでも仕方がないようである。
そして、この後に起こる異変にも、彼女はやはりとばっちりで巻き込まれることになるのだが。