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豆腐屋の社長さん  作者: ふとん
6/13

揚げ出し豆腐の社長さん

 迷惑な痴話喧嘩に巻き込まれたあと、私の周りは少しだけ変わった。


 まず挙げたいのは、あの迷惑をかけてしまった喫茶店と実家の食堂との関係だ。

 あれから私は何度か謝罪に向かい、少しずつだが店主夫婦に受け入れられるようになった。逃げ帰った大林たちは謝罪には一度も訪れていないらしい。

 宮本さんというそのご夫婦は今や私の両親と仲がいい。

 壮年に差し掛かろうというほどの年齢のそのご夫婦は、我が愛すべき古食堂を一度来てくださり、事情を聞いていた両親だったが成り行きが霞むほど息投合してしまったのである。

 今となっては私はかやの外で、夫婦揃って日帰り旅行に出かけたり飲みに出かけたりと忙しい。


 これはどうでもいいことなのだが、どういうわけだか大林が食堂に顔を出す。平日だったり休日だったり、思いだしたようにわざわざ食堂に食事に来るのだ。一応客なのでそれなりの扱いをしているが、父などは顔を見る度に塩を撒かんばかりの不機嫌さで彼を睨んでいる。

 注文するメニューもまちまちだが、とりあえず腹を満たしたいようなボリュームのあるカツや天ぷらの定食が多い。

 あまり満足に食べられていないのかもしれないな、と思うのはたまに彼の恋人であるはずの近藤が目を血走らせて食堂にやってくるからだ。大林は持ち前のフットワークの軽さを生かしてか彼女と鉢合わせするという派目に陥っていないのだが、般若もかくやという近藤に味噌サバ定食を出してやるのはそろそろ定番になってきている。  

 


「こんにちは」


 いらっしゃい、と声をかけると社長さんは今日も常連さんに交じって席に着いた。


 喫茶店に飛び込んできた次の日から彼は食堂へ帰ってきた。

 常連さんに肩を叩かれ喜ばれていたのはよく覚えている。

 

「ご注文は?」


「日替わり定食で」


 いつものように社長さんから注文を受けて、カウンターに居る父に注文を渡すと「おう」とだけ無愛想な返事が返ってくる。

 別にそれ以上の愛想なんて期待していないから、私は母と共に次の接客に向かう。


 今日の日替わりのメインは揚げ出し豆腐だ。

 メインが豆腐か、なんてがっかりしてはいけない。

 ふわふわに揚げた豆腐にとろとろのあんをかけた我が食堂の人気メニューだ。

 口に含めば甘いあんとしょうがが豆腐をくるんで幸せを運んでくる。

 小鉢いっぱいに盛られた揚げ出し豆腐から漂う優しい香りは、我が家にとっては愛情の香りだ。あの頑固者の父が母に最初に作った料理だというのだから聞いた時は驚いた。

 

 それでも、定年を過ぎたようなお年の常連さんが多いからこその日替わりメニューだから、働き盛りの社長さんには少し物足りないかもしれない。

 そう思って一品つけるか尋ねたけれど「いいえ、十分ですよ」と断られてしまった。余計なことをしたかと思ったけれど、社長さんは機嫌を損ねることもなく今日も私が運んだ定食を綺麗に召し上がって箸を置く。

 そろそろお会計かと目端をきかせていると「花さん」と珍しく先に名前を呼ばれた。


「お昼の忙しい時間が終わったら、お時間ありますか」


 そんなプロポーズ以外のお誘いは、初めてのことだった。



 

 昼の休憩もそこそこに私が社長と待ち合わせたのは、いつだったか大林に詰め寄られていた時、彼に助けてもらった公園だ。

 慌てて行ったというのに、すでに社長さんは待っていた。


「お待たせしてすみません」


「いいえ、とんでもない。お疲れなのに来ていただいてありがとうございます」


 社長の方が忙しい身だろうに、時間を作ってもらっているのは私の方だ。

 しかも、そういえば話があると言われただけで、内容までは訊いていない。


(……いったい何の話…?)


 結婚はいつも断っているし、スーツの弁償の話し合いだってすでに終わっている。……スーツにアイスクリームの染みを作ってしまった件に関しては弁償はさせてもらえなかったのだが。社長さんは物腰は優しいくせに頑固だ。

 

 座りましょうかとベンチにまでエスコートされたのはいいのだが、明らかに高そうなハンカチを敷くのは遠慮した。これを尻の下に敷けるほどお嬢様じゃない。

 ハンカチを返しつつベンチに腰掛けると社長さんはやや残念そうに出したハンカチを下げてくれた。


「――それで、本題なのですが」

 

 何が出てくるのだろうかと内心ドキドキしている私を後目に、社長さんは手にしていた鞄から簡易包装のかかったドーナツを取り出した。商品名のないそれは試作品か、それに準じる会社の製品だということは察することは出来たがそれだけだ。


「あの、これは…?」


「食べてみていただけませんか」


 準備よく携帯用のウェットティッシュまで差し出されたので、食べないわけにはいかなくなった。

 社長が何故か真剣に見守る中、私はドーナツを受け取り一口含む。


「……これは…」


 覚えのある味だった。

 チョコレートパフェを被って駄目になって捨ててしまったカーディガンを思い出す。

 後生大事に守った手紙は、今は自分の手帳の奥に仕舞いこんでいる。


「……良かった」


 私の様子を見て取ったのか、社長がそんな風に言って微笑んだ。


「あの、これは…」


「はい。豆腐屋さんで僕が作ったおからドーナツを製品化したものです」


 話は知っていたので、私はもう驚かなかった。ただ、工場で作られたと思しきパッケージに私の思い出も無機質にラッピングされているようで、少しだけ虚しくなる。


「僕は、花さんに謝らなければいけないと思って、今日これを持ってきました」


 一つ欠けた六個入りのパッケージを膝に乗せて、社長さんは自嘲するように息を吐いた。


「実はこのドーナツは、もう豆腐屋さんでは売っていないんです」


 そうなのだ。連日売り切れの人気商品だったドーナツは、もう豆腐屋さんでは売っていない。


「レシピ自体は奥さまに引き継いでいただいて、作っていただく予定だったのですが奥さまの体調を考えると調理場に長い時間立つというのはやはり過酷なので、ご主人と相談してドーナツは僕のレシピとして持ち帰ることになりました」


 社長は膝の上のドーナツに視線を落としたまま続ける。


「持ち帰ってしばらくして、どこからか僕の作ったドーナツを食べた部下が商品化したいと提案してきたんです。豆腐屋さんと同じようなおからから僕のレシピを使って」


 レシピを使うのは構わなかったんです、と社長は溜息のように溢してドーナツから顔を上げて遠くを見るように目を細める。


「けれど、当然ですが同じ味にはなりませんでした。プロジェクトのチーム内からは妥協案も出たようですが、同じ味が良いということで意見が出されました」


 一度動き出したプロジェクトには、すでにお金がかかっている。成功するにせよ失敗するにせよ、立ち消えになるような事態が出てこない限りは会社としては止められない。


「僕の一存で、プロジェクトを止めさせることは出来ました――でも出来なかった」

 

 このおからドーナツは小さな子供でも安心して食べられると人気商品になりつつある。 


「僕はまだまだ弱輩ですが経営者です。会社の利益になることを進められることはあっても止めることは出来ないと思っています」


 当然のことだ。会社に利益が出無ければ社員に給料が出ない。


「花さん、僕は…っ」


 意を決したようにこちらを振り返った社長が目を丸くする。

 

 ぱくぱく、と残ったドーナツを口に入れて、私は「もう一つください」と手を差し出した。

 会社がなんだ、豆腐屋がなんだ、利益がなんだ。

 全部食べてやろうではないか。


「……商品化してくれてありがとうございます。これで好きな時にこのドーナツが食べられます」


 あの日、試食を勧められたままのドーナツが毎日のように食べられるのだと思えばそれは素晴らしいことだ。

 あの日の温かい思い出のまま。


「……僕にも一つください」


 そう言って社長はパッケージから一つだけ手にとって、残りを私に寄越してくれる。

 欲張りな子供のようにパッケージを抱えた私を彼は横目で苦笑する。


「……僕は、商品化されて少し悔しいです」


 がむしゃらにドーナツを食べる私の隣で社長さんはドーナツを見つめたままだ。


「花さんとの大事な思い出を、他人に食べられてしまっているようで」


 ドーナツを見つめるまなざしがまるで苦い薬でも飲んでいるようで、私は母の言葉を思い出していた。

 食堂の看板メニューである揚げ出し豆腐にまつわる思い出を母に訊いた時のことだ。


「――うちは食堂なので、父の作った料理には家族の思い出が全部詰まっているんですが」


 喧嘩した日に出てきた料理も、お祝いの料理も全部食堂のメニューにある。

 頑固者の父が母にプロポーズした時にも傍らにあった揚げ出し豆腐も。


 母の思い出話を聞いた私は尋ねたのだ。

 そんなに大切なメニューをどうして食堂で出すのかと。


「母が言うには、幸せのおすそわけなんだそうです」


 幸せをお裾わけしたメニューは、必ず人に愛される。

 人に愛されたメニューは愛情を蓄えてもっと美味しくなる。


 時々、夢見がちな母の言うことにはついていけないこともあるのだが、揚げ出し豆腐を食べる度に美味しいと繰り返す母が幸せに見えるのだから仕方ない。


 私の話をじっと聞いていた社長はやがて手にしたドーナツを一口食べて、微笑んだ。


「……美味しいですね」


 美味しい、美味しいと食べるドーナツにどれほど幸せが詰まっただろうか。


 甘いドーナツを食べながら、私は隣人を横目で盗み見る。

 ドーナツを頬張る上等なスーツを着た社長さん。

 優しいけれど頑固者の社長さん。


(だけど、本当はどう思ってるの?)


 昼飯時のプロポーズはすでに恒例行事になっているが、彼の口から他の言葉を聞いたことがない。


(……確かめる勇気もないくせに)


 甘くて美味しいドーナツを、私は自嘲と一緒に食べた。




 


 あとで豆腐屋さんに教えてもらった話によると、社長さんはおからドーナツを作るために豆腐のレシピを教えてもらいに自ら来たらしい。

 同じおからを作るためだ。

 必ず成功させるから、と何度も頭を下げられて、頑固者の豆腐屋さんも頷いた。


 別に有名になりたいわけじゃない、と豆腐屋さんはパッケージに名前を入れることを嫌がったらしいけれど、ドーナツの包装には社長さんの社名とひっそりと豆腐屋さんの屋号が並んで入っている。


 コンビニでも買えるようになっておからドーナツがすっかり人気商品になった頃。


 私は再就職を決めた。





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