困った社長さん
「……申し訳ありませんでした」
「声が小さい」
間髪いれずにそう断じると、小顔を真横に向けて「チッ」と舌打ちするので、容赦なく「もう一度」と私は命じた。
決してその小さくお綺麗な顔が羨ましいとかそういうことで言わせているのではない。
私が睨みをきかせていると、彼女は渋々といった様子だったが頭を五十度以上に下げて「申し訳ございませんでした!」と半ば叫ぶように謝罪を繰り返した。
「も、もういいですから…」
たじろいでいるのは店主とその他の人々だったが、彼女はふらふらと大林の背中の影に隠れて私を睨みつけてくる。
その様子がおかしくて鼻で笑う。
「なぁに? 他人さまの頭にあばずれ呼ばわりしながらパフェぶちこんでくれたくせに、その態度は」
――私は決して悪役を楽しんでいるわけではない。
喫茶店で大立ち回りを披露した私たちだったが、喫茶店の店主の方がとても良い方で野次馬写メの餌食にならないうちにバックヤードに我々を引きこんでくれたのだ。
幸いにしてその時の店内には常連さんばかりだったから、と言って私に洗面所とタオルまで貸してくださり、様子を聞きつけた奥さまがクレンジングまで貸してくださった。神様が住んでいらっしゃるのだろうかこの喫茶店。
もちろん床にぶちまけたパフェ代も込みでお支払いはしたが、後日改めてお礼に伺うべきだろう。
そんなことをしているそばで、大林とその連れの女は一刻も早く店から去ろうとしていたようだが、彼らは社長がうまく捕まえてくれていた。
そうして大林共々、店主さまさま方に平謝りしたわけだが「第一の迷惑を被ったのは他のお客さまだから」と謝罪は訊きいれてはくださらなかった。当然だ。
しかし私と大林が謝罪を繰り返しているそばで、あろうことか第一原因の女はそっぽを向いて「私悪くないのに」と愚痴をこぼしていたのだ。
「ええ、ええ、そうですね。あなたは可愛いですよ。好きな男のために食べ物粗末にしてまで乗り込んでいったんですからね。でしたら、後始末まできちんとしたらいかがでしょうか。脳みそはアイスクリームで出来てるんですか? もしかして溶けてなくなっているんですか」
「……花さん、花さん。本音が出てしまっていますよ」
苦笑するものの庇う気はなさそうな社長さんが親切にも教えてくれた。おっといけねぇ。下町育ちですので。
「すみません、いけませんわね。社会的に抹殺してやるぞ小娘の間違いでした」
おほほ、と愛想笑いをしたが、すでに彼女の耳には入っていたようで愕然とした顔で私を凝視していた。
――そうして冒頭へ戻るという訳である。
「……お前、うちの部署で何て呼ばれてたのか今更思いだした」
すでに泣き出している自分の女を慰めながら、大林は私を胡乱に見遣る。
「あら何かしら。渾名はお局さま?」
「毒舌女王」
失礼な会社だ。辞めて良かった。
「な、なんでこんな酷い人と付き合ってたの。ユキオ」
嘘泣きをしていたはずなのにすでに本泣きが混じった女が鼻声で割って入るので笑ってやる。
「あなた頭おかしいの? 営業妨害と傷害罪で訴えることもできるんだけど」
突然飛び込んできた不穏な言葉に女の涙も止まったようだ。
だからゆっくりと分かりやすいように言葉を選んだ。
「裁判所、行く?」
転がるように逃げて帰って行った大林と女を見送って、私は喫茶店の店主さまに改めて謝罪してひとまず帰ることにした。許してはいただけないだろうが、後日また伺おう。
「――花さんはお人好しですね」
何故か一緒に帰路についた社長さまがそんなことを言い出すので、私は思わず笑ってしまった。
「聞いてなかったんですか。私は毒舌女王ですよ」
「僕としては、傷害と暴行で警察を呼んでも良かったんですよ」
警察にも知り合いは居ますから、とスーツの懐から彼はスマホを取り出しながら言う。
「示談交渉をするなら、僕が弁護士を用意しました。――あなたの言ったように、社会的に抹殺することもできますよ」
寒い季節でもないのに、ざわりと冷えた空気が私を包んだ。
見上げれば優しい笑みを湛えた社長さん。
「……どうしてあなたが怒っているんですか?」
微笑みの中に笑わない瞳のまま、彼はゆっくりと目を閉じる。
もしかしてそのスーツ、怒りだしたいほど高いスーツだったのだろうか。
弁償はするつもりだったが、はたしてこのスーツはクリーニングできるのだろうか。パフェ付きの私がしがみついたスーツの胸元には今もパフェの残滓がある。
スーツの胸元を睨んでいると、社長の苦笑が降ってくる。
「……僕はあなたの役に立ちたいだけです」
仕事に行っていたのであろうスーツのまま喫茶店に飛び込んできたその人に、それ以上のことを望むのは強欲な気がした。
社長がいなければ私に出来なかったことはたくさんある。
「私一人じゃ、文句も言えませんでしたよ」
私一人だけ店に居たなら、大林たちはまんまと逃げてしまっていただろうし、言い訳だって通じていなかったかもしれない。私が一方的な悪者にならずに済んだのは、
「庇って、味方になってくれる人がいなくちゃ、毒舌だって役に立たないんです」
ふと、隣の社長を見上げると彼は顔の下半分を手で覆っていた。
少しだけ見える耳の先は、真っ赤だ。
そんな顔をされるとこっちだって赤面ものだ。
パフェは被っていないが、ノーメークで肩からしたはところどころチョコレートシロップで汚れている。近所にサンダルだけで出てきたような気の抜けた格好の隣には胸元を汚したスーツのイケメンである。
ちがはぐにもほどがある。
「な、なんで今顔をそんな顔するんですか」
ほとんど叫ぶように言うと「すみません」と社長は笑う。
ははは、と子供のように声を上げて笑う彼は珍しくて、私は笑っていいのか怒っていいのか分からなくなってしまう。
「――あなたは本当にお人好しですね」
釈然としないで社長を見遣ると彼は穏やかな微笑みを浮かべた。
「先ほどだって、訴えることも警察に通報することも、僕に全部任せてしまうことも出来たのに、自分で支払いをして、謝罪をして、文句も言って。余分なお金をかけずに全部一人でやってしまった」
「それは…」
「僕にだって出来たことです。……あなたが望まなくてももっと手酷い仕返しもしましたよ」
喫茶店を出たばかりの頃の表情の読めない笑みを浮かべた社長が、私を覗きこんでくる。
「――僕に、訊きたいことがたくさんあるのではありませんか?」
たくさん尋ねたいことがあり過ぎて、不安になって取り乱してしまった。
だが今の社長に尋ねると、墓穴を掘ってしまう気がした。
それに、
「……こうして顔を見せてくれたからいいんです」
それが全部の答えになるような気もするのだ。
「またウチの食堂に来てくださいね」
そう言って笑ってみたと言うのに、また社長は顔の下を手で覆っている。
どうしたのかと怪訝な顔をしてみれば、社長は心底困った顔で微笑んだ。
「あなたが可愛いので、どうしたらいいのか分からなくなるだけです」