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豆腐屋の社長さん  作者: ふとん
2/13

おからの社長さん

 所詮は金持ちの道楽。

 

 社長さんが豆腐屋さんで働くことにしたという話を耳にした父は口悪く述べた。

 三日もすれば飽きてしまうだろう、と私も正直なところ思っていた。


 しかし彼は私たちの予想を裏切って豆腐屋に通い続けたのだった。


 朝は三時に店へ来て豆腐作りを手伝い、七時には会社へ向かう。お昼に食堂へやってきて、夕方もう一度会社から飛び出してきて豆腐屋で豆腐を売る。閉店の夕方六時まで手伝って再び会社へと向かうのだそうだ。

 やはり社長さんなので出張も会議も外せないからどうしても無理だという日はあるらしいが、それ以外は毎日のようにやってきた。



「本当によくやるよ」


 奥さんの退院がようやく決まったご主人に、夕飯用の木綿豆腐を切り分けてもらいながら私は社長さんの様子を聞かされていた。

 いや、少しは気になっていたから、通い続けていることに驚いている。


「オレだって最初は無理だと思ったさ。でもやるって言ったことは守る男だよあれは」


 頑固で昔堅気で、我が食堂の頑固親父と同じぐらい恐いと評判の豆腐屋のご主人が深い皺を刻んで笑っているではないか。


 どうしたことだろう。

 あの社長さんがこの豆腐屋さんに出入りできたことにも驚いていたのに、気に入られてしまうとは。

 まさか豆腐屋のレシピ狙いのスパイ行為なのか。

 明らかにドラマの見過ぎな疑いをもってご主人に尋ねてみると、


「花ちゃんところの食堂に来てるだろ? 顔見知りだよ」


 花という気に入らない名前を呼ばれたことと社長の人脈の広げ方に私は思わず眉をひそめた。何て顔の広い人なんだ。それから花って何て適当な名前なんだと常々思う。


「帰り際に花ちゃんに必ずプロポーズしていくだろ? 常連の間じゃ有名人さ」


――私が一因だったらしい。

 

 なんてことだと頭を抱えそうになっていると、ガラガラと豆腐屋の奥で戸の音がする。


「お、来たようだぜ」


 誰が、とは聞かずとも分かる。私は急いでお金を払って木綿豆腐を手に入れようとしたが、ご主人はなかなか商品を渡してくれない。

 長々と話なんかするんじゃなかった。

 無職になってから時間の感覚がすっかりお昼二時に仕事が終わる食堂時間になっていて、夕方なんて仕事終わりなんかじゃなくただの夕食の時間になっている。

 

「――こんにちは。今日もよろしくお願いいたします」


 長身から繰り出される良い声が店に響いて、あっと顔を上げたのもよくなかった。


「いらっしゃいませ。こちらでお会いするのはは初めてですね」


 少し髪のセットを崩してよくいる豆腐屋さんのようにゴムエプロンをワイシャツの上から身につけている社長さんが、私を見つけてにこりと微笑む。


「……そうですね。お昼以来です」


 無視というのは腐ってもお客商売として失格なので、挨拶だけ返しておくがそれにしたって愛想のない私に社長は「ご来店ありがとうございます、というのも妙な気分ですね」と笑っただけだった。

 それから私に木綿豆腐を渡してくれ、自分の持っていたケーキ箱をご主人に開けて見せ始める。


「どうでしょう。自分で作ってみたのですが」


「どうでしょうってもな。オレもこんなもんは普段食べねぇし。あ、そうだ」


……どうしてお二人で私を見るのでしょうか。


「ちょうどいいや。花ちゃんコレ食ってみてくれねぇか。女の子だろ」


「女の子という年でもないんですが」


「スイーツなら女性の方がお好きでしょうし」


 私の言葉を半ばかき消すように差し出されたケーキ箱には、


「……ドーナツ?」


 茶色のリングが六個ほど礼儀正しく並んでいた。


「おからケーキというものがあるでしょう? こちらの豆腐屋さんのおからはとても美味しいので、お子さんでも食べやすそうなドーナツにしてみたのです」


 確かにこの豆腐屋さんのおからは美味しい。美味しいけれどドンとパックで毎日売られているおからはあんまり人気がない。

 それが、ちょうど手の平に乗りそうなリングになっている。


 食べて良いものか伺ってみると、社長とご主人が「いいよ」と頷くので一つ手にとってみる。

 手にしたドーナツは硬くもなく柔らか過ぎでもない。

 

「い、いただきます…」


 立ち食いがみっともないと恥じ入る家柄でもなし、えいっと口に放り込んだ。


 歯に一瞬当たる外皮は少しだけ歯ごたえがある。

 けれど噛めば柔らかく、生地は口の中でほろほろと溶けて消えた。

 あっという間に消えていくドーナツの甘味だけが口いっぱいに広がって、おからのせいかふんわりと軽い。

 幸せに味があるならきっとこんな味だろう。

 もう一口、と食べているうちに、ドーナツはすっかり私の胃に収まっていた。


 名残惜しく欠片のついた指をちょっと舐めていると、ふと目のあった社長さんが少し顔を赤らめていた。……何故だ?


「……どうだ? 旨いか?」


 私の様子を眺めていたご主人が訝るような顔で言うので私は自然と頷いていた。


「美味しかったです。揚げるコツを覚えたらもっと美味しくなるだろうし、美味しく出来るようになったら一度お客さんに出してみてもいいんじゃないでしょうか。自分でも食べてみてくださいよ。あんまり甘くないですから」


「そ、そうか」


 一つ食べてみるかな、とご主人が手を伸ばすのを見ながら、社長に「ごちそうさま」と言ってみる。


「ご自分で作ったんですか?」


 少し気まずそうな顔だった社長さんは今度は照れたように笑ってくれた。


「お恥ずかしながら。こちらのおからはとても美味しいので、何か出来ないかと思って」


 お陰で少し寝不足です、と笑うその人がまるで子供のようで、私も少し笑ってしまった。



――数日後、入院中の奥さんにも食べてもらったらしく豆腐屋の隅に久しぶりの新商品が並ぶことになった。

 おからドーナツは、商品自体は珍しくもないが商店街では素朴な味が美味しいとちょっとした話題になって、今日も完売だったと残念そうに母が肩を落とす日が続いた。


 ドーナツもそうだが、夕方に運が良ければイケメン店員に相手をしてもらえるという噂も流れて静かだった豆腐屋さんは少しだけ賑やかだ。


「ドーナツは売り切れだったけど、今日は社長さんいらっしゃったのよ」


 いつもなら私に買い物を押し付ける母が少しだけ化粧をして出かけて、絹ごし豆腐を持って帰ってきた。

 いつになく上機嫌な母を見て今日はレトルトの麻婆豆腐でも文句を言われないなと細く笑んだ私に、母が少し気味悪く笑って私に紙袋を差し出してくる。


「どうしたの、病院行こうか?」


「失礼な娘ねぇ。それよりホラ」


 無理矢理持たされた紙袋はほんのり温かい。


「社長さんが娘さんにって。お父さんには内緒にしておくから」


 多大な誤解を生んでそうだったので、母が見ているそばで紙袋を開けてみると、


「ドーナツじゃない!」


 今や幻となっていたドーナツが五つも入っていた。

 喜び勇んでお茶にしようと台所へ向かっていった母を見送って、私はドーナツの隣でささやかに隠れていた油紙を見つけて開いてみる。油紙で包んであったのは、


“ あなたのお陰でドーナツが出来ました。

 ありがとうございます。

 よろしければご家族とご賞味ください。

 また、お昼に伺います。 ”


 黒川玲一、と結んである小さな手紙を私は慌てて自分のカーディガンのポケットに押し込んだ。カーディガンにポケットがついていて良かった。


 このふんわり甘い手紙をどうしたら良いのか、カーディガンに押し付けてしまえるから。





 謀ったように帰ってきた弟妹と両親で、おすそ分けのドーナツを手紙の通り家族全員で味わった翌日。

 それはやってきた。


「神埼」


 最近ではめっきり呼ばれなくなった名字を呼んだその人はかつての同僚で、


「――何か、御用ですか」


 私が会社をクビになるまで恋人であったはずの人だった。




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