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六、祓魔の歌姫と狼の円舞4

 吸い込まれたレイピアの切っ先は、確かに肉を刺し貫いたと思った。

 けれど、貫いたものに当たって止まるはずの身体はそのまま転ぶように前へ進んだ。

「っ!」

 咄嗟に突き進み、反動を利用して踵を返して身構えたその先で、女性が佇んでいた。

 ふわりとした豊かな金髪と白い肌。長い睫に縁取られた瞳は夕陽を切り取ったような茜色。

 すらりとした肢体を包む臙脂色のカクテルドレスを着こなした二十過ぎの妙齢の女性だ。

「ねぇ、案内してくださいですの。貴女の主人の所へ。わたくしがお話をつけさせて頂きますわ」

 それは先ほどまで狙っていた獲物と同じ色彩、同じ口調。けれど声音には柔らかくしっとりとした艶と一種の気品が滲み出ている。

 夜の女王。脳裏にその名が過ぎる。

 その顔、名を知っている。この街の歴史書に記されたその姿と事件を知っている。

「残念ですわ。千年どころか、五百年も持ちませんのね」

「戻ってきたの。夜の女王」

「その呼び方は悪意があって、好きではありませんの。わたくしには、レルトという名前があるんですのよ」

 どこか困ったように微笑する目の前の女性は、三百年程前にこの街で事件を起こした『吸血鬼』だ。

「本当に、残念ですわ。やはり、改心などという淡い希望を抱いて見逃したのが間違いでしたのね」

 白い繊手が金糸の髪を肩から払う。夜の中で見惚れてしまいそうな程にその姿は魅惑的で。

 夜の女王。その名に相応しい。

「まだこのような事を続けているなんて」

 その茜の瞳が猟師の少女を見つめる。そこに、哀れむような色を見つけて、少女。シセリアの顔が赤く染まった。

(魔物に、哀れまれた!)

 今まで狩った獲物にそんな目を向けられた事などない。屈辱で頭に血が昇る。

 身体が勝手に走り出す。

 風切り音と共に横薙ぐけれど。

「もう。危ないですわ」

 カツンとヒールの音を響かせて、スリットの入った裾を捌き、レルトと名乗った金髪の吸血鬼は軽く避けていく。

 あまつさえ、

「女の子の手は、お菓子やお花、それから、大好きな人を抱きしめる為にあるんですのよ!」

 そんな事を言って。

(何よその吐きそうなくらい甘い考え!)

 シセリアのレイピアがレルトの心臓を目掛けて鋭く突き出される。

 それをレルトはまたもやふわりとダンスのステップを踏むように軽く後ろに身を引いてかわす。

「女の子は、我慢なんてしませんの! いつだって、誰より幸せに笑ってみせるものですわ!」

(笑う? その言葉こそ笑い種だわ!)

 風が切り裂かれる。ひりりと焼きつくような殺気が頬を掠めていく。

「だから、レルトはいつだって諦めませんの。女の子は、いつだって幸せになる権利があるのですわ!」

「馬鹿じゃないの」

 苛立ちそのままの切っ先はレルトの胸元を僅かに掠って、けれどそれ以上を届けるには至らない。

「馬鹿じゃないの。魔物の癖に!」

(魔物の癖に。女の子なんて、女の子のふりなんてして!)

 私は、そんな事を考えることも許されないのに。

 言葉にしたことも無い詞。口に出せないそれが、形だけで声無く紡がれた。

 刹那、レルトが茜色の瞳を大きく瞠る。

 レイピアの切っ先が、初めてレルト自身を掠めた。

 金糸の髪が、宙に幾筋か流れ。

「死になさい! 吸血鬼!」

 一度引いた腕を、狙い定めて心臓へと突き出す。

「レーティ!」

「レティ!」

 響いた声に思わず動きが鈍る。届きそうだった切っ先は思いがけない衝撃に弾かれ、本能的に飛び退ったそこへ繰り出されるのは大振りなダガーの鈍色一閃。

「ルゼ! 駄目ですの!」

 銀を溶かしたような銀髪に月の様な金瞳。険しく歪んでもその造作は美しい。闇のような黒を身に纏い、不似合いな無骨すぎるダガーを構えて青年がシセリアを睨みつけていた。

「レーティを、殺そうとした」

「俺たちのレティを殺ろうとした奴に遠慮なんかいらないだろ」

 まったく同じ色彩と顔立ちの青年がレルトを庇うように抱きしめている。

 それを見た瞬間、信じられないくらい頭に血が昇った。

「退け!」

「誰が」

 力では負ける。速度でも。本当ならば引きべきだ。

 けれど、

(引きたくない……!)

 この、こいつら相手には! その思いだけが胸を押しつぶしそうなくらい溢れ出た。

(私には、守ってくれる人なんて、いないのに! 魔物のくせに!)

 レルトを守って立ちはだかる二人の青年を睨みつける。

(私は!)

 視界が不安定に揺らぐ。その理由を認めたくなくて、きつく、きつく。睨みつけて歯を噛み締める。

 二人に守られたレルトが、シセリアを見ている。その茜色の瞳を、潰してやりたいと思った。

 構うものかと、思う。構うものか。どうなろうと、ただ、ほんの僅かなかすり傷でも。

 傷つけてやれるなら、こんな身、どうなったって構わない。

 今までこんな感情を抱いた事なんてなかった。絶対に殺してやるとか、絶対に傷つけてやるなんて、獲物相手に思った事なんて唯の一度も。

「ふ。ふふ……」

 我知らずに零れた笑い声に、青年たちが眼光鋭く見据えてくる。

 一つでもいい。隙を見て、走り寄れれば。

 と、考えていたそこへ。

「女の子の足は、楽しいダンスと、大切な人の下へ駆ける為にありますの」

「……! いい加減に」

「レーティ!」

 青年の一人が叫んだ。

 好機かと走り出そうとして、硬直する。

「女の子の特権は、涙だって綺麗な事ですのよ」

 ふわりと、花の香りがした。鳥籠の劇場に蔓延した病のような香水の臭いとは違う。

 首に回された腕、頭を抱く手。金糸の髪。

 朝靄の中で匂い立つ薔薇の花みたいに、清涼の中に懐かしい優しい香り。

「泣いてはいけないなんて、誰が言いましたの。貴女だって女の子ですのよ」

 嗚呼、今なら容易いのに。

「貴女だって、一人の女の子ですわ。幸せになるべき、女の子ですの」

 ぐつぐつと煮立った感情。今だって湧き上がるのに、どうしてだろう?

「……! ……、…………!」

「女の子は、みんな可愛いんですのよ。だから、守られてあげる義務があるのです」

「まも、いな」

「ずっと、頑張ってきましたのね。そうですわ。女の子は、本当は一人でも強いんですの。だけど、独りでは悲しくなってしまうだけ」

 ぎゅうっとぬいぐるみを抱くように、金髪の吸血鬼は抱く。

「疲れてしまいますわ。だって、女の子が本当に強くなる時は、大切な人を守る時なんですもの。その時がくるまでは、女の子は守られていれば良いんですの」

 今なら、心臓だって何だって刺し貫けるのに。手が動かない。

「守ってくださる方がいないなら、一緒に来ればいいですわ」

「レーティ!」

「レルトが、守ってあげますの。少なくとも、女の子にこんな事をさせる輩に、貴女は勿体無いですわ!」

 馬鹿みたい。何で、自分を殺そうとした相手にこんな事言ってるの。

 馬鹿みたい。何で、私はこの人をこんな近くに居るのに、殺せないの。

 何で。

 魔物なのに。

 何で。

「っ、ぁ……ぅ……っ!」

「いいこ、いいこ、ですの。よく今まで頑張りましたですわ。本当に、えらいですの」

 何で、こんなに暖かいの。

 シセリアの瞳から溢れて零れたものが服の袖を濡らしても、レルトはその背を頭を、撫で続ける。

 二人の青年は仕方なさそうに溜め息を吐いて、得物を仕舞う。

 わしわしと頭を掻きながら、一人がレルトに声を掛ける。

「ビオルさんには何て言う気だ?」

「ふふ。わかってませんわね、ルゼ。ビオ兄様はわかってくださいますわ!」

「呼んだぁ?」

「!」

 噂をすれば影が差す。レルトの背後に音も無く突如として現れた布の塊に、レルトは顔を輝かせ、そしてシセリアは……。

「レーティ! それ」

「おいおい、大丈夫かよ! ……あ、駄目だ。気絶してる」




 ずっと、魔物が憎かった。村の皆を奪った魔物が、心底大嫌いだった。

『いやあ! 助けて!』

 だけど、

『お母さん!』

 だけど、

『やめて! 私たちが何をしたって言うのっ?』

 主人からの命令で狩った獲物たちの目に、映る私の姿は……。

 ―――― あの日の魔物そっくりだった。

 気づいた瞬間、手から頭から。全身から血の気が引いた。

 けど、もう戻れない。

 手も、頬にも、全身に、返り血がこびりついている。

 憎しみと、気づいた罪悪感がせめぎ合う。

 魔物が奪った。でも、それは違う魔物でしょう?

 魔物は全て同じ。じゃあ、この親子も?

 魔物は存在自体が悪なの。たまたまこの街を訪れただけなのが罪?

『『『何もしてないのに』』』

 暗闇の中、血溜まりから手が伸びる。

 確かな罪があったもの、確たる罪もなかったもの。どちらも手を伸ばす。

 どろどろのヒトガタが目の前に現れる。血みどろのその顔は、姿は、紛れもない自分の姿だった。

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