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一 終わりの始まりを願う声

一、終わりの始まり願う声




 一面の白を染めた赤い色。

 それは白い衣の裾から這い上がり、じわりじわりと、そこで佇むものを染めていく。

「…………」

 立ち込める霧は赤く。血霧の匂いは鉄の匂い。

 雪の下にある大地と同じ色の波打つ長い髪にも、雪のような肌にも、その匂いは縋る様に纏わり付く。

 赤い赤い、世界。

 その赤を全て集めたような色をした瞳が、自分以外で動くものを見つけた。

 足元の雪はもう白くない。裸足の爪先も衣の裾も鉄の匂いと赤黒いもので染まっていて、無数に転がる命の抜け殻を避けながら、それはまだ命の僅かに残っているものへと近寄り。

「願いは、あるの?」

 問いかけた。最期の願いをせめて聞こうと。

 まだ幼いとも言えるその子供は、自分を覗き込み額や頭を撫でるそれを見た。否、泣きそうな顔で睨み付けた。

「こんな世界、いらない」

 頬を伝うのはこびりついた赤で濁った雫。その声は悲痛すら通り越した哀切の音。

「こわして。世界を、こわして……」

 ごぽりと、音がした。命の尽きる音だった。

 絶息の後に残ったのは、最期の願い。

 もう命の消えた骸は何も言わない。

「それが、願いなら」

 雪が溶けるよりも密やかに、最期の願いを聞き届けたそれは呟く。

「私はそれを、叶えよう」




 それはまるで大樹が梢で木陰をつくるかのように、遥か下に広がる蒼い海に巨影を落していた。

 空に半ば浮かぶような形で、大陸「ハーベルクラスト」は存在している。

 半ばというのは、まるで海との関係を絶つまいとするように大陸の裏側、その中心から細い柱のようなもので海と繋がっていたからだ。支えているのではないだろう。何故ならそれは大陸を支えると言うには無理のある、本当に細い柱だったから。

 もしそれが支えているとしたら、きっととっくの昔に大陸は落ちて其処に今日まで様々な種族が生活することなど、出来なかったはずだ。

 浮遊大陸「ハーベルクラスト」

 そこに住むのは多種多様な種族たち。背に翼のあるものや、鋭い爪と牙を持つもの。あるいは自在に姿かたちを変え夜を好んで生きるもの、またその反対。

 雪のように白い肌のもの、黒檀のように黒い肌を持つもの。そのどちらとも言えず、どちらでもあるような黄色の肌や褐色の肌をしたもの。全身に羽毛や毛を生やしたものなど、本当に様々な種族がそこにはいた。

 それぞれが独自の文化を持って、独自の言語を使い、大陸の上で生きている。

 だが、それが互いを厭うようになったのは、一体いつからだったのか……。

「まいったわね」

 額に手を当てて、遥か上にある自分が落ちてきた場所を見上げ呟いた。

 あの穴からここに落ちたのだ。さてどうやって上ろうか。

 漆黒の長衣。趣味で色々とレースやらフリルやらを付け足してはいたが、それは神殿に所属する神官の装束。それと対比するような真っ白な肌。少し釣り目がちの顔だが、綺麗と呼んでも何も差し支えはないだろう。高みを見上げるアーモンド形の瞳は青みがかった灰色で、ゆるく肩に掛かったふわふわの髪は白に近い金色。

 衣装についた埃を払い、どうやら歩いて出口を探すしかないと思ったのか、辺りの様子を見ながら歩き出す。

 今いる場所はどうやら埋もれた遺跡のようだ。周囲には支えの柱があり、一歩踏み出すごとに硬質な音が石で出来たタイルの床を鳴らす。

 しゃらんと細い腕につけた細工の細かい銀の腕輪が鳴る。

「うーん。あと一回って処かしら?」

(落ちたときにとっさに使っちゃったから……。まぁ、それで怪我しないで済んだわけだけど)

 この世界には様々な種族が居る。沢山の考え方や風習がある。となれば、折が悪いそりが合わないというものだっているわけで。

(有翼人種の縄張りがここまで広がってたなんて誤算だったわ)

 うっかり人間に好意的でない種族の縄張りに迷い込んでしまった所、たちまち見つかって追われるはめになった。後はもう推して知るべし。

 銀の腕輪を見つめ、慎重に行きましょうと呟く。幸いなことに、落ちた穴以外からも風が吹いている。これはどこかに出口があるはずだ。

「さほど、広くもないようだしね」

 何とかなるでしょ。とりあえず風の流れてくる方向へと足を進め、衣の内側に手を入れて先のほうにガラス玉のようなものが付いた細く短い紐を出す。ガラス玉が光の届かないところまで来れば自然と明かりを灯す。

 周囲を照らすその光に浮かび上がったのは、先の見えない長い回廊の入り口。

「うっわ。何か出そう」

 アタシこういうの苦手なのよねぇ……と言いながら、どうやら風はこの先から吹いているようだと確認すれば、ごくりとつばを飲んで回廊へと進む。

 ひんやりとした風が頬を撫でていく。どこまで続くのか。永遠のような長さの回廊を一歩進むごとに、言い知れない不安が心に忍び寄ってくる。

 そのうちに風の音も聞こえなくなるのではないかと思えば、背筋に震えが走った。

 明かりがなければいくら訓練を受けているとはいえ気が狂っていたかもしれない。

「帰ったらリュー兄にパンプルト焼いてもらって、ぶどう酒とつまみにローダスを……それから…」

 思いつく限りの帰ったらやりたいこと、楽しいことを呟き、心を支える。

 歩みを進め照らし出されたその先に、一つの朽ち掛けた扉が姿をあらわした。

 両開きになるのだろう扉。朽ち掛けてしまっているが、緻密な細工を施してありそれはこの先はむやみに立ち入ってよいものではなかったのだろうと言うことを表していた。

「古代の城でもあるのかしらね。落ちたところは神殿みたいだけど、回廊で城と繋がっていたとしても変ではないし。……やばいわね。わくわくしてきたわ」

 先ほどまでの不安はどこへ行ったのか、好奇心に瞳を輝かせて扉を見つめる。

 罠のようなものがないのを確認して、押してみた。

 けれど、少しも動いた様子はなく。ならばと朽ちて落ちてしまっている取っ手は無視して扉の彫りに手を掛けて引いてみる。

「駄目……か」

「何が駄目なの?」

 突如として後ろから聞こえた声に、声も出せずに身を竦ませ、ついで振り返った。

 灯に映し出される、古ぼけた色のフード付外套を着込んでいるひょろっと背の高い人物。

「や。初めまして。君も迷子?」

 ひらりんと黄色系の色をした手を振るその姿は若い。十八歳程度だろうか。

 フードから零れた髪の色は薄い緑青色。灯の光を弾いて不思議に光っている。

「あんた、誰」

「うん? わたしはビオル。放浪の歌い手さぁ。よろしくね。ところで偶然の同志よ。君の名は?」

 少し芝居がかった仕草と声で答えた人物はそう言って首を傾げた。

「……リラ」

「リラ! ほうほう、それは良いお名前。ところでリラさんや、何でいきなりそんな臨戦態勢に?」

 名乗ると同時にビオルの喉元に剣の切っ先が添えられる。

「妖しい奴が声かけてきたら、普通こうでしょ?」

「妖しい? それはもしかしかなくても、この非力なしがいない歌謡のわたくしめの事でしょうか」

「動くな不審者。斬るよ」

「怖い怖い。近頃の神官様は物騒ですね。……斬るならそこの扉にしてくださいよ」

 怖いと言いつつ、全然怖がっていないようなビオルが扉を指差す。視線はビオルから動かさず、ただ剣は下げる。

「あ、やっと話聞いてくれる気になりました? よかった。大陸を創りたもうた大いなる精霊よ、感謝します」

 わざとらしい仕草での簡単な祈りを終えると、ビオルはリラを見た。

「いや、真面目な話、わたしも出口を探していたんですよ。そしたら離れたところで物音がしたなーって。来て見たらリラさんが灯持ってこっちに行ったでしょう? 良かった出られるかもって思ったんですよ。ああ、ちなみにしがいない歌謡のわたしはとっても非力なので、武器を向けないで下さいね。抵抗できませんから」

「…………」

 ぺらぺらとよくもまぁ、そんなに口が回るものだと呆れた視線を向けつつ、リラはビオルへの警戒をさらに少し強めた。

 変人は確定しているし、それに加えて何やら得体の知れない感じがする。

「あのー、そこまで警戒されるとわたくし本気でちょっと悲しいのですが」

 リラの様子に、ビオルは困ったように頬をかく。

「……あんた、灯りとか持ってないよな?」

「え? ああ、まぁ、そうですね」

「どうやって後をつけてきた? あの暗闇の中を」

 しかも独りで。あの気が狂いそうな道のりを。

 リラの言葉にビオルは「あちゃー…」とか呟いて明後日の方向を見やる。リラの剣が再度音を立てて構え直されたのを見て、慌てて首と手を振った。

「いや、だからちょっと待って。武器向けないでくださいよリラさんや」

「少しでもそれ以上動いたら斬るよ」

「うー…。わかった。わかりました。動きませんよ。だからお願いですからやめてくださいその殺気とか」

 わたしのナイーブで繊細な心には刺激が強すぎます! とかほざいて何やら乙女のように胸を押さえたのを見て、リラは一瞬本気で斬ってやろうかと。

「動かないって言いながら動いたでしょう、今」

「ああ! 本当だ。え、斬られるんですか? わたくし! そんな!」

「……本当にアタシに何もしないなら、保留にしておくけど」

「しません、しません。誓って絶対に」

 妖しい。とてつもなく胡散臭い雰囲気だったが、ここでこれ以上かまっているのも大変精神衛生上よろしくない。

 リラはひとまず斬るかどうかを保留にして、構えを解いた。もっとも何かあればすぐに斬れる様には準備していたが。

 そんなことをしているうちに、ビオルはスタスタと扉に近づき、なにやら興奮した面持ちで扉の表面を眺めて感嘆の溜息を漏らしている。

「素晴らしい……! これは……ここまで完全な文型は……」

「ちょっと?」

「ふーむ。……なるほど…………」

「……斬るよ?」

「は? うわっ! いきなり何をするんですか……!」

 ちゃきっと手にした剣を後ろからその首筋辺りに外套の上から添えてみた。それに驚き振り返ったビオルは、恐ろしいという表情でリラを見ている。

「何やってんの?」

 そんなものはお構い無しに、リラは剣を突きつけたまま半眼で問いただす。

「いや、だから剣を突きつけるやめて欲しいんですが……。この扉、すごいんですよ! むしろ素晴らしい!?」

「意味がさっぱりわからない。ついでにさっきアタシに壊せとか言ってなかったか?」

「ああ、さっきのは取り消しで。壊すのやめて下さい。駄目です。こんな貴重なものを」

 言ってほくほくと再び扉に夢中になるビオル。それに少しばかり興味が出て、リラも剣を首筋から退かしてそこを見てみた。

「ベイミット語……?」

「似てますが、違いますよ。これはベイミット以前の古い言語で、文字の形は非常によく似ていますが、文型の成し方、意味の成り立ちが全然違って……ほら、ここなんか普通のベイミット語で話すと意味が通らない」

 ね?と嬉しげにリラに首をかしげたビオルは、それからひとしきり扉を調べ、腕を組んで目を閉じた。何か考えているようで、その先ほどまでとは打って変わった真剣な雰囲気に、リラはますます変なヤツだと思ったのだが、それと同時にいつの間にかそれ以外の警戒心は消えていることに気づいて驚く。

(まぁ、少なくとも本当に武器は無いみたいだし。というか、これはあれね。研究馬鹿だっけ? そんな類)

 こういうのは考えるだけ無駄。それは絶対に疲れる以外になにもないし。

 白金の髪を肩から払い、ビオルの思考が終わるのを待つ。ほどなく閉じていた瞳が開く。

「リラさんや、ちょっとお願いできるかな?」

「何を」

「扉と扉の境目があるだろう?そこを斬ってみてくれるかな?」

 ここね、と指差した箇所を見て、リラは無言で剣を構えた。どうせここが開かないのならまた違う道を彷徨わなければならない。

「扉の方は傷つけないでね。あと、一回で確実にお願いします。それ以上は扉が壊れるかもしれない」

 ビオルの注文にわかったと一言返し、斬るべき箇所へと全神経を集中させる。

 扉向こうから吹く風が頬を撫でた刹那。

 キィン。高音のかすかな音が響き、リラの剣は振り下ろされた状態のまま静止した。

 二人が無言で扉を見詰め、ビオルが静かに扉に手を当てて、押す。

「あ」

「開きました、ね」

 古びた音をさせて、永い時を経た扉は開く。その向こうに見えたのは、青白い静寂の世界。

「嘘。こんなことって……」

 そこは確かに光差す外と繋がる場所だった。だが、それ以上にありえない光景と言う印象が強すぎたのだ。

「水晶? そして、これは……レクスト湖? 湖の下にあるの?」

 光の差し込んでいる頭上。そこには水面が広がっていた。

 否、これは湖底と呼ぶのが正しいのかもしれない。

 水の揺らぎ、光に透かされその中を泳ぐ生き物の陰が床に影絵を作る。

 水が落ちてこないのは、天井が水晶のような透明なものだからだ。

 先ほどの遺跡とは異なり、大理石かと思う滑らかな床。すでに色褪せてはいるが、元はとても深く綺麗な紅だったのだろう幅広の絨毯が通路に敷かれていた。

 等間隔で立ち並ぶ天井を支えている白い柱。水面の光で青白く浮かぶ模様。使われなくなって久しい蜀台が点在している。

 静謐な雰囲気に二人はしばし呆然とそれらを見ていた。その場に足を踏み入れれば、静寂の中にその音が長く響く。

 風が、二人の頬を撫でていった。

「止まっても仕方ない。……出口は近いはず」

 ビオルよりも一歩先に出て、リラは一刻も早く外へでようと足を速める。

(ここは何か変だ……)

 美しいけれど、どこか薄ら寒いものを感じるような。

 とにかく、心がざわめく。早く外へ。ここから離れるのならば、先ほどの遺跡でもかまわない。

 そう思ってしまえるほどに、リラの心に冷たいものを流し込んでくるこの場所に居たくない。

 風が少し強くなった。匂いもさらに新鮮なようだ。

「リラさんや、待ってよ」

 先を歩くリラを追って、慌てたようにビオルが後に続く。

 湖底の間を抜け、出口らしきものの前に来たリラは唖然とした。

「滝……?」

 それは間違いなく滝。出口らしき場所は滝の裏に出来ているらしい。

 白滝の向こうに光が見える。

「すっごいねぇ、なんて言うか色々ありすぎてなんと言えば良いのか」

「そこじゃない。どうすれば……ここ以外の出口を探さないと」

「へ? 何で」

 きょとんと首を傾げるビオルに、リラは額を押さえつつ苛立たしげに言った。

「考えなくてもわかるでしょ。滝なの。外に出れるわけないじゃない」

 くだらないことを聞くな! くるりと踵を返そうとしたリラの腕を、ビオルがはしっと掴み、引き寄せる。

「ちょっと?」

「それなら心配ご無用。わたくしめにお任せを!」

 何を言いだすのかと口を開く前に、ビオルがリラの腕を掴んだまま滝へと突進した。

「ちょ! う、わああああああああああああああああああああああ! 何考えてんのよこの馬鹿ああああああああああああああああぁ!」

 万感籠もった悲鳴は滝の音に飲まれ姿と共にそこから消える。







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