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なんどでも  作者: killy
さいしょ
8/55

08

 自由に使ってくつろいで欲しいと案内された居間で、リンは窓際の椅子に座って、ぼんやりと外を眺めていた。


 リンは今、東館と呼ばれる部分の一階の一角にいる。ベランジェは、城主は東館で暮らし、使用人たちは西館の一部を使って寝起きしているのだと、案内の際にリンに説明し、客人であるリンも今後は東館で生活してもらうと告げた。


 ベランジェは、リンをこの部屋に案内すると、仕事があると云ってどこかへ去っていってしまった。室内に他に人はいない。おかげで気を遣うことはないが、いかんせんすることが何も無いため、一人で放っておかれた彼女は見るからに手持無沙汰な様子だ。


 部屋に通された後しばらくは、壁に掛っているタピストリーを眺めたり、いかにも手が込んでいて高価そうな部屋の調度を見たて回ったり、はてはこわごわ触れたりしたけれど、すぐに飽きた様子だ。


 かといって、勝手に部屋を出て城の中を歩き回る度胸も、リンには無いようだ。

 それで結局、窓際に腰かけて外を眺めることにしたのだろう。


 城は堅牢な石造りだが、その外壁をぐるりと、まるで童話の城のように、蔦バラがめぐっている。丁度今は花の時季で、赤や黄、白と色とりどりのバラの花々が咲き乱れており、濃密な甘い香りが室内まで漂ってくる。リンは、窓枠に頬杖を突いて、その甘やかな香りを胸一杯に吸い込み、楽しんだ。


 城の敷地は四方の角に高い円形の塔を持つ壁で区切られており、リンのいるところからは、壁の外は見えない。


 城壁と城の間には何本かの果樹が植わっており、プラムやリンゴが小さな実をつけ始め、オレンジが金色の実を揺らしている。

 果樹園の奥には畑らしき空間もあって、目を凝らすとそこで忙しそうに働いている人影が見えた。


 果樹園を挟んで畑と反対側には、離れだろうか、小ぶりで瀟洒な建物が建っている。


 あそこにも、誰か住んでいるんだろうか――と、興味をひかれた様子のリンが、窓から身を乗り出して眺めていると。

 彼女の背後で扉が開き、五十代始めくらいの見た目をした、やや太り肉な女性と、二十代後半らしいすらっとした長身の女性の二人が連れ立って、部屋に入ってきた。


 若い女性は、年嵩の女性から二歩ほど下がった位置に続き、その手には、糸や布、刺繍道具らしい枠などが入った籠を抱えている。


 二人とも、揃いの型と色をした毛織の衣装を身にまとっており、年配の女性の方は、食料品庫の鍵を鎖で束ねて腰に提げている。女性の足取りは静かだが、肉づきの良い腰に回された鍵と鎖が、歩くごとにしゃらしゃらとひそやかな音を立てる。それに気がついたリンが、ふと首をひねって背後を見た。


 リンの目が、自分が気づかぬ間に部屋に入って来ていた二人をみとめて軽く見開かれる。


「あなた方は、どなたですか?」


 戸惑うリンを落ち着かせるように、年配の女性はにっこりと、肉づきの良い顔にあたたかな微笑を浮かべて会釈した。


「初めてお目にかかります、お嬢様。私は、ヨランダと申します。こちらの城で家政婦をしております。この子はジェンマ。私の下で働いております。しばらくは、お嬢様の身の回りのお世話もさせていただきます。どうぞ、何なりとお申し付けくださいませ」


 云うと、二人で揃って膝を深深と曲げてお辞儀する。


 リンも、急いで立ち上がって頭を下げた。


「リンです。いろいろとお手数掛けると思いますが、よろしくお願いします」


「まあまあ。ご丁寧に恐れ入ります。ですが私どもに頭を下げる必要はございませんよ。お嬢様はただ、思うままに私どもをお使い下さったら良いのです」


「そんなことできません。だってわたしはただの居候ですし」


 リンが恐縮して云うことを、ヨランダはさらっと無視した。


「取りあえず、あるだけの刺繍糸と布地を持って参りました。とにかく急げとのお申し付けでしたので、城にありましたものを集めました。足りないかとは存じますが、3日のうちには街から新たな物が届くそうですので、それまでご辛抱下さい」


 ヨランダは陽気に話しながら、ジェンマから籠を受け取って、近くのテーブルの上に中身を広げて行く。

 素っ気ない木地のテーブルの天板の上に、色彩鮮やかな布や糸の山がたちまち出来上がった。


「絹地はクリームのこちらと白のこちら。どちらも小さいですが、服や帽子のアクセントになるような小物は作れるかと存じます。麻布の方はシーツに仕立てようと思っておりましたものがございましたので、どうぞご随意にお使いください。

 絹糸はこちらの小さな籠にまとめて入れております。麻布はこちらです。

 鋏や定規はこちらにございますし、針は極細から各種取り揃えてございます。

 図案を下書きするためのペンはこちらです。

 お嬢様はどのような意匠とステッチがお得意ですか?」


「ど……どうなんでしょう?」


 リンは口元をひきつらせた。「よく解らないです」


 ヨランダはきょとんとした。


「もしかして、お嬢様は刺繍よりもレース編みの方をお好みでいらっしゃいましたか?でしたらただちに街に遣いをやって、それも揃えるように申します。

 レース編みに使うのは、ボビンですか?それとも、編み針ですか?

 糸の太さはどれほどの物がよろしいでしょうか?」


 リンが何か云えば、ただちに手配を始めかねないヨランダの勢いを目にしたリンは、慌ててかぶりを振った。


「いえいえいえ、そんなお気遣いはいりません。ここに揃えてもらった物で十分です」


「さようですか?」


 ヨランダは、リンの真意を計るように首をかしげる。

 リンは、ヨランダにしまいこまれてしまわないよう、急いで刺繍道具を自分の側に引き寄せた。


「はい。ありがとうございます。用意していただいたこちらの布と糸は、ご好意に甘えて好きに使わせていただきます。……刺繍なら、ちょっとはできると思いますから。……たぶん」


 むしろ、レース編みの方ができる気がしないと、リンは、二人には聞こえないよう、口の中で小さく呟いた。


 中世ヨーロッパの貴族のお姫様ができる(社会認知的に)ことって、刺繍とレース編みと読書と……あと何なのでしょう?

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