06
「城主のエヴラール様は、この地方を広く治めるセヴラン公爵閣下の血縁でいらっしゃいますが、とかく気難しい方なので、くれぐれも言動には気をつけてください」
この城へ向かう途中の馬車のなかで、ユベールは重々しい口調でリンにそう告げた。
何を云うと感情を害すかとか、これとこれはしないでもらいたい、といった具体的な説明はまるでなかった。その言葉少ない注意がかえって、リンに緊張を強いた。
ユベールについて書斎に入ってゆきながら、リンは、緊張にこわばった顔で、胃のあたりを押さえた。
うつむいて、自分の足元を見つめて室内に進み入った彼女は、しゃちほこばった所作で、大仰にお辞儀した。
「滞在をご許可くださいまして、ありがとうございます。これからお世話になります」
しばらく、厭な沈黙が続いた。
リンの血の気の落ちたこめかみを、冷汗が伝って床にしたたり落ちる。
その音が聞こえてきそうに錯覚するほどの、静寂だった。
やがて。
「あまり長い間そんな姿勢をしていたら、めまいを覚えるでしょう。顔をあげたらいかがですか」
ロジェのものでもユベールのものでもない、若い男の声が呆れたようにそう云った。
その言葉に応じてのろのろと顔をあげたリンは、きょとんと両目をしばたたいた。
「あら。気難しいって聞いてたから、てっきり神父様と同じくらいのおじいちゃんかと思ってたのに。すごく若いわ」
驚いたあまり、思ったことがそのまま口から飛び出した。
はっと気がついて両手で口を押さえたけれど、既に遅し。
ロジェは愕然と目を見張り、ユベールは真っ蒼な顔で頭を抱えた。そうしてもう一人、若い男が驚いたようにあんぐりと、目と口を開いてリンを凝視していた。
今更ながらに自分の失敗を悟ったリンは慌てた。
「……ええと、その、……あの、私、ごめんなさい。本当に驚いちゃって。だって、白髪で白ひげの気難しく顔をしかめたおじいちゃんを想像してたら、こんな若くてきれいな方がいたから、意外すぎてつい、……」
しどろもどろに、云い訳にもならない内容をぐだぐだと並べ立てていると、ロジェが慌てたように、声をかぶせてリンを遮った。
「り、リン様はいささか浮世離れしたところがおありですが、けして悪気があるわけではありません!」
「そ、そうなんです!」
これ幸いと、リンも勢い込んで頷いた。
が、これだけでは言葉不足、説明不足になると気づいて、慌てて言葉を継ぐ。「ち、違うんです!私は自分が浮世離れしていると云いたいのではなくて、悪気がないと云うところに同意したかったわけでして、それというのも、緊張したり驚いたりすると、思ったことがそのまま口から出ちゃうんです!」
「き、気難しいと云うのは、言葉のあやでして、初めてご挨拶するときにはしっかり気を張ってしていただきたいと励ます意味を込めた台詞だったのです!」
ユベールも慌てたように早口で云い募る。
男――エヴラールは、慌てふためく三人を順々に眺めやり、……
ふふっと、笑いをこぼした。
「解った、解った。彼女――リン殿に悪気はなかったことは理解した。しかも、私のことを若くてきれいと褒めてくださったのだから、ここは恐らく、礼を云うべきなのでしょう」
どうもありがとう、とほほ笑む男を、リンはぼーっと眺めた。
一目見たときからきれいな男性だとは思っていたが、ほほ笑む顔はまた、格別だった。
(天使様……うんん、童話の王子様みたい)
ほっそりとして均整のとれた長身。柔らかそうな栗色の巻き毛はつやつやとしており、白く理知的な額をふわりとおおっている。
顔立ちはあまくやわらかで、ほほ笑む姿はそのまま理想の王子様像としてブロマイドが作れそうだ。
なかでも、長いまつ毛を持つ切れ長の双眸は、とても印象的だった。
言葉もなく見惚れるリンを不審に思ったのか、男は自分の頬を撫でて首をひねった。
「私の顔に、何かついていますか?」
リンは慌てて首を振った。
「いいえ。ただ、きれいだなぁって思って」
「そう、ありがとう」
容姿のことは云われ慣れているのか、苦笑して流す男に、リンは夢中で続けた。
「本当にきれいだと思います、その眸」
とたん、男たちがそろって身体をこわばらせたことに、リンは気付かなかった。「はちみつ色って云うんでしょうか。珍しい色彩ですよね。黄色でもなくて、褐色でもなくて。八月の午後に降り注ぐ暖かい光みたいな色合い。わたし、初めて見ました。とてもきれい。陽の光に透かしたら、金色に見えるんじゃないですか?素敵ですね」
「……ありがとう」
エヴラールは、さり気なく額のあたりに手のひらをかざして、リンの視線を遮った。「紹介がまだだったね。私は、エヴラール。エヴラール・ヴィトー。この城の主だ。この城にいる間は、好きに過ごしてもらって構わない。私はちょっと、席をはずすが、執事のベランジェをここに寄こすから、遣う部屋の手配やその他判らないことは彼に聞いてほしい」
「あ、……はい。解りました」
エヴラールの突然の退室に戸惑いを覚えながら、リンは曖昧に頷いた。
エヴラールが部屋を出て行ったとたん、ロジェとユベールのふたりが揃って長い息を吐いた。
「一時はどうなることかと思いました」
ユベールがそう嘆くと、ロジェも、
「無事に済んで良かった」
と胸をなでおろす。
二人の様子を見たリンは、不安になった。
「わたし、何かいけないことを云うかするかしたんですか?」
「エヴラール様は、眼の色のことを触れられるのがお嫌いなのです」
ユベールが沈痛な表情で答えた。
「そうなんですか?あんなにきれいな眸なのに」
「あれは、罪の証ですから」
「罪って、……あの人が何かしたのですか?」
悪いことをするような人には見えなかったけれど、とリンがエヴラールの面ざしを思い返しながら訊ねると、ユベールはいいえ、と首を振った。
「いいえ。あの方は、ことこの件に関しては全く、何の関与もしていらっしゃいません。しかし、神はあの方に重い十字架を背負わされた」
「むごいことだがな」
ロジェが低い口調で嘆く。
ユベールはこの言葉に頷きながら、宙に十字を切って短い祈りをささげた。