06
これから調べるんです、と力強く断言したものの、どこから、何を調べたらよいのやら、リンには全く見当がつかなかった。
しかも、断言した翌日には、カリーヌが城にやってきた。
リンがエヴラールと関わることを極端に嫌がる彼女を、ときにいなしてときに叱りながら、エヴラールと協力して呪いを晴らす道を探すのはとても難しく、調査は遅々として進まなかった。
そうして気がつくと、10日が過ぎていた。
「お早うございます、お嬢様!」
その日の朝も、いつものようにカリーヌは元気良くリンの部屋を訪れて、窓のカーテンを開けた。「今日はとても良いお天気ですよ。お召し物は何になさいますか?わたしは、白絹のドレスがよろしいかと思いますが。あれを召されたお嬢様は、清らかで気高くて、聖女の再来と見まごう程でいらっしゃいましたから」
カリーヌの大声で無理やり起こされたリンは、良く開いてくれない目をこすりながら、カリーヌが広げて見せる白いドレスにかぶりを振った。
「それじゃなくて、今日は空色のにするわ」
「……はい」
カリーヌは、リンの指示に不服そうな気色を見せたものの、特に何を云うでもなく、従順にリンの着替えを手伝った。
カリーヌとの付き合いも通算20日を超えることとなり、リンはようやく彼女の扱いを心得るようになっていた。
思い込みが強くて押しも強いカリーヌは、放っておくと自分の思う通りに他者を操ろうとする。それが厭なら、彼女以上に強く云うのが唯一の解決法なのだ。
自分の提案を退けられたカリーヌは、その瞬間こそ不服そうな態度を見せるものの、それ以上を表に出したり云ったりすることはしないので、リンもあまり気にせず、自分がしたいと思ったことは遠慮せずに云うことにしていた。
カリーヌの手を借りて空色のドレスを身にまとい、髪を簡単にまとめたリンは、朝食を摂るため食堂へと向かった。
「城主とは、あんまりお過ごしにならない方がよろしいかと思いますが」
案の定、カリーヌはぶつぶつ文句を云ったけれど、リンは意に介さなかった。いちいち気にしていたら、エヴラールと話すことさえできなくなってしまう。
食堂に入ると、いつもの通り、先に来ていたエヴラールが席について待っていた。
「お早う、リン」
「お早うございます、エヴラール」
にっこりとほほ笑みを交わし合って、リンはエヴラールの近くにしつらえられた席に座った。「今日は何をしますか?」
まずコーヒーに口をつけながら訊ねる。ジェンマは優秀なメイドらしく、コーヒーの美味しい淹れ方もすぐにマスターしてくれていた。
「今日は、少し気になることがありますので、一人で調べようと思います」
エヴラールもコーヒーを気に入ったらしい、カップを顔の高さまで持ち上げて香りを楽しみながら応えた。
「気になること、ですか?」
何ですか、と訊ねるリンに、エヴラールは、呪いに関することではないんです、と穏やかに応えた。
「ただ、この城の運営に関することで、少し、気になることがありまして」
「そうですか」
わたしにお手伝いできることはありますか、とリンが尋ねると、エヴラールは、そのお気持ちだけありがたくいただきます、とやわらかくほほ笑んだ。
かく云う次第で、朝食を済ませたリンは、エヴラールと別れてひとり、居間に入った。
リンとエヴラールをできる限り引き離しておきたいという願いが、期せずしてかなったカリーヌは、上機嫌だった。
「お嬢様、今日はいかがして過ごされますか?天気も良いですし、城の敷地を歩きませんか?」
うきうきと、弾む口調でそんな提案をする。
リンは、窓越しに外の景色をちろりと見やった後、小さくかぶりを振った。
「今日はいいわ。この本を読んでしまいたいし」
「ダメですよ。聖女様は自然がお好きで、しばしば外を探索されて自然と親しんでいらしたお方なんですから。御遣い様もそのように過ごされないといけません」
「わたしは、御遣いではないわ」
「はい、お嬢様。存じております」
聞きわけの悪い幼い子供を相手するような口吻でリンをいなしたカリーヌは、リンの膝から本を取り上げて脇にのけると、強引に椅子から立たせた。「さあ、行きましょう。城の周囲をめぐるつるバラが見事ですよ」
「……」
リンはため息を吐いた。
そんな彼女の態度を全く意に介さず、カリーヌはうきうきとドアを開いてリンを促す。
「さあ、行きましょう」
「……」
リンは渋々ながらも居間を出、
そしてはっと、顔をこわばらせた。
「カリーヌ」
「はい、お嬢様。何でしょう」
「今日は何日?」
「日付ですか?ええと、……」
カリーヌの返答を聞いたリンは、顔色を変えて、駆けだした。
「ああっ、お嬢様、どちらへ?」
カリーヌが驚いた声をあげるが、もちろん答える余裕はない。
「何で忘れていたんだろう」
青ざめた顔で、そんな後悔の言葉を呟く。「呪いのことをいろいろ調べなければいけなくて忙しくて、それにエヴラールが最近はとても穏やかで落ち着いていたから、すっかり忘れてた。けれど、あの人は前回のときだって、直前まで穏やかさを保っていたじゃない。何を考えているのか、何を感じているのか判らない以上、目を離しちゃいけないんだった。特に今日は!
絶対に絶対に絶対に、忘れちゃいけない日づけだったのに!」
念のために寄ってみた書斎は、案の定空だった。
階段を駆け上がって3階へ。
彼がどこの部屋を選んだのか、リンには全く判らなかったので、手当たり次第に扉を開けてなかを見て回る。
「エヴラール!」
普段使われていない階層は、しんと静まり返っていた。呼びかけにこたえる者もいない。
けれどリンは、彼の名を呼び、彼の姿を探し続けた。
「エヴラール、どこ!?どこにいるの!?」
身体をたたきつけるようにして、両開きの扉を開く。
使わない部屋らしく、家具調度に埃よけの白布がかけられている室内にうっそりと立つ人影を見つけたリンは、ほっと息を吐いた。
「エヴラール。探したわ……」
が、立っていたのは、エヴラールではなかった。「あなた、……イレネオ?」
どうしてここにいるの、と訊ねながら一歩進んだリンは、次の瞬間ぎくりと身体をこわばらせた。
イレネオの足元には、エヴラールが、側頭部から血を流して倒れていた。その手には、血に濡れた火かき棒が握り締められている。
「あなた、何を……」
あんまり意外な光景に際して、リンは咄嗟に動くことができなかった。
呆然と立ち尽くすリンに、イレネオはニヤッと、厭な笑いを浮かべて見せた。
「この城主は、ケチなんですよ」
「ケチ……?」
「そう。この城にはね、街から定期的に、物資が献上されてくるんです。食料はもちろんのこと、酒、布、香料、……それこそ城主一人じゃ使いきれないくらい大量にね。
使いきれない物は、倉庫に死蔵されるだけ。もったいないじゃないですか。
城主が使わない分を、少しオレがいただいた所で、誰が困るものでもなし、それどころか死蔵されていたものが市中に出回るんですから、街だって潤うでしょ。
だのにこいつ――」
云いながら、イレネオは靴先でエヴラールを軽く蹴る。
その衝撃に、エヴラールが微かにうめく。
エヴラールが死んではいなかったことをそれで知ったリンは、ひとまずその件に関しては胸をなでおろした。
うめき声が耳障りだったのか、イレネオは更に力を込めてエヴラールを蹴りつける。
「――こいつは、それをとがめるんです。横領だって。
オレを盗人だって責めやがって。
明日にでも城を出て行けってさ。
冗談じゃない。こんなことで城を追いだされたって知られたら、次に雇ってくれるところがあるはずが無い。
俺に野たれ死ねって云うのか?
そもそも、呪われた不吉な城主に仕えてやってるんだ、これくらい、云われないでもこいつの方からよこすべきだろう?」
リンは、唖然とした。
「なんて……勝手なの」
「うるさい!お前も、御遣いだとか何だとか云ってるが、奇跡の一つも起こせないまがい物のくせして、偉そうに云うな!
居候なら居候らしく、大人しく黙ってればいいのに。なんたってこんなところまで顔を出しやがるんだ!」
激昂したイレネオが火かき棒を振りあげてリンとの距離を詰める。
恐怖が勝ったのか、驚きのせいか、リンは動けない。ただ血の気の落ちた顔で、自分を襲おうとする男を睨みつけていた。
「……ん?」
イレネオの足が、不意に、何かに引っかかったような感じで不自然に止まった。
「……彼女、に……手を、だす、な……!」
真っ蒼な顔をしたエヴラールが、イレネオの片足にしがみつく格好で、彼を引き留めていた。
「うっせえ!」
激昂したイレネオは、真っ赤な顔で火かき棒を振りかぶる。「この死にぞこないの呪われ野郎が!」
「止めて!」
ようやく我に返ったリンは悲鳴をあげて、イレネオの、火かき棒を握る方の腕にしがみついた。
「放せ!」
イレネオは力任せに腕を振り回して、リンを振り飛ばそうとする。
リンのきゃしゃな体はたまらず、人形のように大きく振り回された。その足が埃よけの白布をかぶった調度品に当たる。その勢いで家具が倒れ、下に隠されていた酒瓶や上等なシーツが騒々しい音を立てて床に落ちた。
が、それでもリンはしがみついた腕を離さなかった。
「止めて、嫌!エヴラール、逃げて!」
「リンこそ逃げろ!」
3人が必死にもみ合っていると。
「お嬢様、こちらにいらっしゃるんですか?」
リンを探して追ってきたカリーヌが、ひょっこりと部屋の入り口に現れた。「お嬢様、何をそんなに大声で話していらっしゃる――」
つぶらな茶色い眸が、室内の惨状を見て、大きく見開かれる。
血に濡れた火かき棒を振りかぶるイレネオ。
彼の足にしがみつく、側頭部からだらだらと血を流すエヴラール。
半泣き顔で、必死に、イレネオの腕にしがみつくリン。
まさしく犯行の瞬間に立ち会ったカリーヌは、両手でぱっと自分の頬を押さえ、
「きゃああああああああ!!!」
壁さえ震えるような、おおきな悲鳴を上げた。
「何だ、今の声は?」
ほどなくして、悲鳴を聞きつけたベランジェやヨランダ達が駆け付けて、イレネオは取り押さえられた。




