04
「城主様、お早うございます!」
リンが元気良く挨拶しながら食堂へ駈け込むと、エヴラールはにっこりほほ笑んで応じた。
「お早うございます。今日もあなたは元気ですね」
「おかげ様で。城主様も、昨日よりも顔色がよろしいみたいで、良いですね」
「おかげ様で」
リンの口調を真似してエヴラールが応える。
二人は悪戯っぽい視線を交わし合い、……
同時にぷっと吹き出した。
「あなたがいらしてくださってから、私は毎日笑ってばかりです」
エヴラールがくすくす笑い交じりに云う。
リンも、笑いすぎて目じりに浮いてきた涙をぬぐいながら頷いた。
「わたしもです。毎日どころか、城主様のお陰で四六時中笑いっぱなしです」
リンがこの城に来てから、5日が過ぎていた。
食事の時間はもちろんのこと、エヴラールが昼間過ごす書斎にも、リンが何かと理由をつけて通った結果、二人の間にはかなり親しい空気が通うようになっていた。
「エヴラール」
「え?」
きょとんとするリンに、エヴラールは重ねて云った。
「エヴラール、と呼んでください。その方がいい」
優しくほほ笑むはちみつ色の眸に、リンは淡く頬を染めた。
「エヴ……エヴラール……?」
「はい?」
エヴラールは柔らかく応じる。
リンは赤い顔でぽそぽそと続けた。
「あの、エヴラール、わたしのことはリンって、呼んでください」
「え?」
驚くエヴラールを、リンは涙の浮いた眸で睨みつけた。
「何ですか?自分は名前で呼べって云っておいて、わたしのことは代名詞で呼び続けるおつもりですか?」
「そんなことは……ないです」
「だったら呼んでください」
「は、い。……ええと、その、……リン」
「はい、エヴラール」
リンはますます紅くなった頬を両手で押さえて、とうとう俯いた。「な、なんか、照れちゃいます」
「そ、そうですか……」
つられたように、エヴラールも頬を染める。
しばらく、不自然な沈黙が続いた。
やがて。
「た、食べましょうか?」
リンがぎこちない口調で提案した。「せっかくのお料理が冷めてしまいます」
ジェンマが主として作っている料理は、キャベツやタマネギ、たまごに塩漬け肉、稀に街から届けられる鮮魚等、限られた食材を使いまわししている感じがあるが、料理人の腕が良いのだろう、毎日食べても飽きの来ないものだった。
トマトやジャガイモがまったく出てこないことをいぶかったリンは一度、ジェンマにその理由を訊ねたことがあった。
が、ジェンマはその存在自体を知らないようで、「なんですか、それは?」ときょとんとしていた。
「お料理に手をつけないまま冷ましてしまったら、ジェンマが悲しむでしょう」
「そうですね」
エヴラールも、ややほっとした様子で頷いた。
その後は、フォークやスプーンと食器が触れ合う、微かな音だけが広い食堂に響いた。
城の住人たちは、エヴラールとの接点を必要最低限しか持とうとしない。そのため、食事、も全ての皿をテーブルに並べておいておく。
給仕の人間はつかない。
なので、今この時も、広い食堂にはリンとエヴラールの二人しかいない。
寂しいと云えばさびしいが、おかげで気の置けない会話もできるため、リンはけっこうこのスタイルが気に入っていた。
食事も粗方終わりに近づいたころ。
「そう云えば」
やや落ち着きを取り戻したエヴラールが云いだした。「今日は街から物資が届くそうですね」
「物資、ですか?」
「はい。あなた――リンがここで暮らしてゆくために使う物を、ようやくロジェたちが収集し終えたそうです。
ここはリンのように年の若い女性が暮らしてゆくための物資が全くありませんでしたから、今まで不便でしたでしょう?」
「そんなに不便はなかったです。……あ、でも、コーヒーが飲めるようになるのは嬉しいです」
「コーヒー?確か、アラビアの飲み物でしたね。僧侶たちが長時間祈祷する際に眠気を払う目途でしばしば飲まれているのだとか」
「そうです。そのコーヒーの生豆が、今日届くんです」
やっとコーヒーが飲める、とうきうきするリンを、エヴラールは不思議そうに眺めた。
「あなたは、ご自分では御遣いではないとおっしゃる。けれど、時折、先々のことが見えているのではと思えるような不思議な言動をされますね」
「そ、そうですか?」
リンはギクッとした。コーヒーを飲めるのが嬉しくて、ついつい浮かれて口を滑らせてしまったけれど、この時間を送るのが、実は二度目だなんて、云えるはずがない。よしんば云ったとしても信じてはもらえないだろう。
そのことをごまかすように、彼女は口早に言い添えた。「もしかしたら、ロジェさんから連絡を受けたヨランダさんたちが話していたのを聞いたのかもしれません」
「そうですか」
エヴラールはそれ以上は何も云わず、寂しそうにほほ笑んだ。
そんな彼に、リンは真面目な顔を向ける。
「エヴラール。わたしは、御遣いなんかじゃないですよ」
「そうですね」
「何度も云った通り、わたしは単なる迷子です。そうして、わたしがただの迷子であるのと同じくらいに、あなたもただの人間ですよ」
「私……そうですね」
ははっとエヴラールは短く乾いた笑いをこぼす。リンの言葉を微塵も信じていないと判る笑い方だった。
リンは、そんな彼の態度を否定するように、ゆっくりと首を振った。
「あなたは、呪われてなんかいない」
エヴラールの身体が大きく慄えた。
跳ねた腕が皿に触れて、がちゃがちゃと耳障りな音をたてた。
リンは、驚いて見開かれたエヴラールの目をまっすぐに見つめて繰り返した。
「あなたは、呪われてなんかいない。この世に呪いなんてものは存在しないんですから」
しばらく、エヴラールが大きくゆっくりと呼吸をする音だけが室内に響いた。
そうして。
エヴラールはつと目を伏せてかぶりを振った。
「あるんですよ」
寂しそうな笑いを口元に張り付けて、彼は云った。「神の呪いは、存在するんです」
「そんなことない。それはあなたの思い込みよ」
「どうしてそう云えるんですか?あなたは何を知っているんですか?」
「それは……」
リンは言葉に詰まった。「具体的なことは云えないけれど、呪いなんてそんなの非科学的な概念だもの」
「科学?」
エヴラールは深深と息を吐いた。「それこそ、ペテン師のお遊びじゃないですか」
「は?」
まさかそんな切り返しが来るとは思っていなかったリンがきょとんとする。
エヴラールは、そんな彼女の方は見ずに低い声を絞り出した。
「あなたは、呪いは存在しないとおっしゃる。ですが、私の前に12人の、同じ眸を持った男女が生れており、彼らはすべて、一人の例外もなく悲惨な死に方をしていることは事実です。
しかも彼らが死ぬのは、聖女が落命したときの年齢だと伝えられている、25歳前後に集中しています。最も長く生きたものでも、29歳。
これをあなたは偶然と片付けますか?
12回も偶然が重なったのだと、片付けますか?」
「それは……無いことはないと思います」
「そんな風に無理やり思いこまなくても、素直に考えればいいんです。
呪いは存在する。
神の怒りを受けて生れた私は、遠からず死ぬ。……私は今年で23歳になりますからね。
それでいいんです」
「そんなの……」
良くない、と弱弱しく抗弁するリンにはもはや耳を貸さず、エヴラールは強張った顔で立ち上がると、逃げるように足早に食堂を出ていった。