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なんどでも  作者: killy
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16/55

02

 ロッコに呼ばれて厨房に現れたユベールを見るなり、リンはぱっと立ちあがった。


「ユベール神父様!わたしお願いがあるんです!」


 息せき切って駆け寄るリンの細い肩に手を置いて、ユベールは穏やかに彼女を押しとどめた。


「落ち着いてください、お嬢さん。そこにいるロッコに聞きましたが、泉で溺れかけたのだそうですね。とりあえず、濡れた身体はこちらのタオルで拭いてください。それと、身体を温めましょう。ワインのお湯割りを作りますね」


「ワインはいりません。それよりわたし、神父様にお願いがあるんです」


 リンの思いつめた様子を見てとったユベールは、解りました聞きましょう、と頷いた。

 二人でテーブルを挟んで向かい合い、座ると、ユベールは改めてリンに訊ねた。


「お願いとは、何でしょう」


「ミサを、挙げていただきたいんです」


「ミサ?」


「はい。城主様のために、ぜひお願いします」


「それは構いませんが。城主とは、ロメール城のエヴラール様でよろしいですか?」


「はい」


「失礼ですが、お嬢さんはエヴラール様とどのようなご関係でいらっしゃるのでしょう?」


「え?」


 リンは驚いた。

 のち、わけのわからないまま、混乱した頭の中を整理するように、半ば独り言のように呟いて云う。「え?え、……だってわたし、神父様と代官のロジェ様の紹介であちらにお世話になっていたんですが……」


 これを聞いたユベールも驚いた。


「私とロジェ様が、あなたをエヴラール様に紹介した?いつの話ですか?」


「もう二十日近く前になります」


「それは、ありえません」


「は?」


「あなたをエヴラール様に紹介した覚えはありません」


 リンは、目を見開いてぽかんと、絶句した。


「でもわたし、確かに……」


「あなたにお会いしたのは、今日が初めてですよ、お嬢さん」


 何か勘違いをされていらっしゃるのではありませんか、と諭すように云うユベールを、リンは信じられないものを見る目で見た。


 呆然と放心するリンに気遣わしげな眼をやったユベールは、彼女から目を離さないまま、それまで部屋の一隅で二人のやり取りを眺めていたロッコを手招きで呼び寄せた。


「先ほどお前が云ったことは、本当ですか?」


「あっしが云ったことって?」


「このお嬢さんが、聖女の泉から湧いて出てきた、という話です」


「それは、本当でさあ」


 問われたロッコは、大きな目をぎょろりと見開いて何度も頷いた。「あっしだって信じられねぇでさぁ。でも、あっしはしっかと、この目で見たんでさ!」


「直前まで水の中には何もなかったのに、ですか」


「そうでさぁ。水汲む時にしっかり見てやしたからね。何もなかったのは見て確認してやした」


「それでは彼女は……」


「聖女様が遣わされたんでさあ」


 ユベールが確信が持てずにためらっていたことを、ロッコはあっさり口にした。「それを証拠に、あの方は、あっしが云う前に、あっしの名前を云いあてやしたぜ」


「そう云えば……」


 ユベールは、先刻彼女が自分の名前を口にしたことを思い出した。「てっきりロッコ、お前が私の名前を教えたのかと思っていたのですが。あれは、聖女の御遣い様が持つ奇跡の力だったのでしょうか」


「そうでさあ!そうに決まってまさあ!」


 ロッコは力強くうなずいた。


「ならば、私が彼女をエヴラール様に紹介する、というのはこれから起こるべきことなのでしょうか……?」


 小さな声で、自分に確認するように呟いたユベールは、やがて決然とした顔をロッコに向け直した。


「ロッコ。街へ行って、代官をお呼びして来てください」


「へい、判りやした。すぐに行ってきやす!」


 勢い込んで駆けだしたロッコの背に、ユベールは続けて声をかけた。


「それと、代官の奥方に、彼女が着られるような着替えをお借りして来て下さい。あなたも知っているでしょうけれど、この教会には、女性の着られる物がありませんから」


 ロッコは足を止めて振り返った。その目が、炉の前で依然濡れた服をまとって生ぜんとうなだれている彼女に注がれる。


「判りやした」


「頼みましたよ」


「へい!」


 ロッコが勢いよく駆けだして行ってから、ユベールは、しまった、と顔をしかめた。


「御遣い様のことを、代官以外の方にはむやみに話すなと、口止めすることを忘れていました」


 あまり云いふらさないでいてくれると良いのですが、とユベールは、天井に顔を向けて嘆いた。



 ユベールとロッコの二人が小声で話している脇で、少し落ち着きを取り戻したリンは、自分が今置かれている状況の分析を試みていた。


(ここって……教会の厨房よね。最初に連れてこられた)


 首を巡らせて窓の外を見ると、白っぽい朝日に洗われた青空と、風にそよぐ若葉が見えた。


 リンは眉をひそめた。


(さっきまで、夕刻だった……わよね?)


 いつ夜が明けたのか。ざっと計算しても、最低でも10時間、記憶との間に時差がある。


 リンは、改めて自分を見下ろした。


「プラダの新作ワンピース。今回の旅行の記念にしようって、ミラノの本店で奮発して買った……」


 服を見ているうちにそんな情報が口から滑り出た。

 半ば以上無意識下で呟いたリンは、そして眉を寄せた。


「これ、城に行ってからは着てなかったはずなのに」


 プラダの新作ワンピースは、セヴラン公国の人たちの好みではなかったようで、滞在中はずっと、彼らが支度して貸してくれていたドレスを、リンは身に着けていた。


 手には、あの城の敷地内には植えられていなかったカーネーションの花束。


 そうして、今に至るまでのロッコとユベールの不可解な反応。


 それらを勘案したリンは、一つの推論に達した。


「でも、……まさか、そんな……常識で考えたらありえない……!」


 期待しすぎることに半ば怯えながら、リンはおずおずと、ユベールに確かめた。


「あの、ユベール神父様、」


 今日は何日ですか、というリンの問いに、ロッコを見送ったユベールは、間伐おかずに答えた。


「12日です。当教会が御名をいただいております聖女アーディラ様の聖日です」


 ユベールは、リンにそう答えた後、自分に云い聞かせるように小声で呟いて胸に十字を切った。「この日にこの方が現れたのは、やはり思し召しなのでしょうか……?」


 リンは、そんなユベールの呟きは聞かないまま、呆然と放心した。


「戻った……?」


 わけもわからないままこの地を訪れた最初のあの日に、自分は戻ってこれたらしい。


 エヴラールは死んでいない。

 生きている。


 助けることができるかも知れない――否、助けてみせる。


 祈るように両手を握りしめて、リンは心に誓った。

 

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