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本日(5/02)は、「さいしょ」14話と「にどめ」01話の複数話投稿です。
前話の方も、よろしければご笑覧くださいませ。
こぽん、とやわらかな音が、耳のすぐ傍で聞こえた。
と同時に全身が温かく柔らかな感触に包まれる。
ゆっくりと目を開けると、にじんで歪む視野の向こうで、やわらかな光の帯がたゆたゆと揺れて、粗い網模様をつくっていた。
ああ、――と彼女は直感した。
ああ、わたしは今、水の中にいる。
理解したとたん、苦しくなった。
反射的に開けた口や鼻孔から空気が、がぽんと音をたてて洩れてゆく。気泡は、水中に差し込む光を反射してきらきらとかがやきながら、ゆっくりと上ってゆく。そんな様子を見守る暇も余裕もなく。
鼻の付け根が、殴られたように鋭く痛んだ。
本能的に空気を求めて蠕動する咽喉を、気管を、生温かい水が強引に通過してゆく。
普段意識もしていない肺臓が、急に存在を主張して、胸の中で暴れ始めた。
心臓がばくばくと厭な早鐘を打つ。
吐き気に似た焦燥感にかられて、彼女は慌てて手足を動かした。
上へ、上へ。
たゆたう光の帯の向こうを目指して。
水面をかき分けて顔を出したリンは、大きくむせんでせき込んだ。
幸い、水深はさほど深くもなく、すぐに固い底に足がつく。
濡れて張りつく髪や、滴り流れる水で目が開けられないため、リンはやみくもに手を伸ばす。幸いさして苦労することもなく、その指先は水際を探し当てた。
岸辺に手をついて身体を支えようとしたリンは、ふと、自分の右手が何かを握り締めていることに気がついた。が、それが何なのか、確認する余裕もないまま、ふらふらと土の上に倒れ伏す。その全身が、本能的に、これまで飲みこんだ水分を排出しようと、彼女の意思を外れたところで大きく波打った。
細身の身体のどこに入っていたのかと驚くくらい大量の水を吐きだしたリンは、がっくりと上半身を投げだして粗い息を吐いた。
スカートに包まれた下半身は依然水の中だが、引き上げる気力もない。
リンがそうして、ひたすら、呆然と呼吸を繰り返していると。
「あんた、誰だ!?そこで何をしてるんだ!?」
鋭く誰何する声が投げかけられた。
リンがのろのろと首だけ動かして見ると、薄汚れたシャツにズボン、垢じみた襟なしの上着という粗末ななりをした青年が、驚いたように、怯えた目で彼女を見下ろして突っ立っていた。
「あなた、……ロッコ……?」
リンが記憶を浚って思い出した名前を口にすると、青年は更に驚いた。
「なんで俺の名前を知ってんだぁ!?」
「だって、前に……」
前に会ったじゃない、と続けようとしたリンだったけれど、こみ上げてきた咳に遮られてかなわなかった。
全身を絞るようにして、げほげほと苦しそうに湿った咳を続けるリンを、ロッコはおろおろと見下ろした。
気の良い彼は、波打つリンの背筋を見つめて、そこをさすってあげたいというように、水差しを握った両手をおろおろと動かしている。
が、泉の水にぐっしょり濡れた彼女の背中にふれる勇気はないらしい。
「と、とにかく、ここにいたら身体が冷えるばかりだ。あんた立てるか?火のあるところへ行こう」
ロッコの勧めに、リンは小さくうなずいた。
立ち上がるために地面に手を突いたリンは、そのはずみで、自分が手に持っているものにふと目をやった。
「カーネーション?」
ほとんどが赤い花だが、なかに2輪だけ、白い花が混じってる。
一体どうしてこんなものを、自分は持っているのだろう。
リンは首をひねったが、考えても理由は全く思いだせなかった。