14
キリスト教では、自殺は罪に数えられる。
神に与えられた命の火を自分勝手な都合で消した自殺者の葬儀は、教会では行ってもらえない。
無論、聖なる教会の土地に埋葬する許可も下りない。
エヴラールの埋葬は、彼の突然の死から二日後に、ひっそりと執り行われた。
親族や友人の立ち会いは無かった。
城で働いていたベランジェ、ヨランダ、ジェンマ、イレニオ、ニーコ、そしてリンのみが参加する、静かで寂しい埋葬式だった。
エヴラールが落下する瞬間を目撃してしまったカリーヌは、あの時のことを思い出すから嫌だと云って、これには来なかった。
城の敷地の西北の一角にニーコが穴を掘ってそこに棺を納め、埋めたところに、やはりニーコが取り急ぎ作った木製の十字の墓標を立てた。
教会には赦されない死だったけれど、それでも墓標を十字に作ったのは、リンがそう願ったからだった。
(エヴラールの魂が、長く責められることのありませんように。やがては赦されて、天の国の門をくぐることができますように)
新しく立てられた墓標の前にひざまずいて、リンは心の底から祈った。
リンが祈っている間に、他の人たちは次々にそそくさと短い祈りをささげ終え、逃げるように背を向けて去って行った。
ただひとり、時間も忘れて祈りをささげていたリンは、やがて周囲に夕闇が降りて来て、風が冷たさを増して来たのを機に、顔をあげてふっと息を吐いた。
その目が何気なく周囲にめぐらされる。
とたん、リンの眉間にいぶかしげな皺が寄った。
「これ、墓標……?」
古くてほとんど朽ちていたけれど、木の棒らしきものや苔むした石の板、一部を削って何事か刻んでいるらしい石などが、周囲に散らばっていた。
その数12。今日新しく立てられたエヴラールのものも加えると、13。
「ここは、……このお城に住んでいた人たちの代々の墓地なのかしら?」
それにしては、管理が粗雑だ。まるきり打ち捨てられているように見える。
リンは首をひねった。
が、この場でひとりで考えたところで、答えが分かるはずもない。
リンは不思議に思いながらもその場を離れ、城に戻った。
居間に入ると、カリーヌが嬉しそうな顔で出迎えてくれた。
「お戻りになられて良かったです。あんまり遅かったので、何かあったのかと心配しておりました」
蜂蜜を加えてお湯で割ったオレンジジュースのカップを手渡しながら、カリーヌはうきうきと話す。「呪われた眸の持ち主も消えてくれたことですし、これで一安心ですね」
「『呪われた眸の持ち主』……?」
リンは、カップを受け取る手を止めて、まじまじとカリーヌを見つめた。「あなた、そう云えば、エヴラール様が命を落とされた日も、似たようなことを云ってたわね。一体何の話なの?」
「あら。ご存じありませんでしたか?」
聖女の御遣い様なのに、とカリーヌは驚きながらも、上機嫌で話してくれた。
「昔、昔のお話です。この地方の大多数の人たちが、まだ古代の野蛮な原始宗教を信仰していた時代に、キリストの教えを篤く信仰する聖女アーディラ様が、この地に住んでおいででした。
聖女様は、当時この地方を治める領主の家系にお生まれのお姫様だったそうですが、これに驕らず、神の教えに従って、質素かつ敬虔に暮らしていらしたそうです。
が、聖女様を良く思わないある男が、聖女様を手酷くだまして財産を奪い取り、聖女様を城から追い出してしまったそうです。
それでも聖女様は恨んだりせず、今聖女の教会が建っているあの泉のほとりに粗末な小屋をかけて信仰の生活を送っていたそうです。
やがて聖女様の尊いお人柄に惹かれて、大勢の人たちがそのもとを訪れるようになりました。
それを快く思わない男は、とうとう聖女様を殺害してしまいました。
聖女様の身体から流れ出た血は泉に流れ込み、真っ赤に染めあげました。
信仰に篤い聖女様のこの悲劇的な最期を、神はたいへんに憤り、男は悲劇的な死を迎えました。
また、聖女様の血が流れ込んだ泉は呪われて、毒の液が湧きだす死の泉となりました。
そうまでされても、神の怒りは収まりませんでした。
領主の座は、男の死後、彼の息子が継いだのですが、以後この血筋のものには不定期に、聖女を殺した男と同じ色の目を持つものが生まれるようになりました。
あの城主がもっていた、薄気味悪い薄黄色い目です。
あの色の目をした者は、これまでも、常に必ず、悲劇的な死を遂げていたそうです。
それも当然ですよね。あの色の目は神の怒りを買った、罪人の印なんですから――」
得々と語るカリーヌの話を、リンは呆然と聞いていたが、彼女がそこまで云った瞬間、違うっ、と鋭く遮った。
驚いて口をつぐんだカリーヌを、リンは涙の浮いた目でキッと睨みつける。
「違う。神の呪いなんてあるはずが無い。たとえあったとしても、本人ではない、単に同じ目の色をしているからってだけの理由で、何もしていない人に祟るだなんて不合理だわ。
そんな不確かな思い込みで、あなたは城主様を忌んでいたの!?」
カリーヌは、怯えたように首をすくめて慄えながらも主張した。
「で、でも、神の呪いは確かにあって、いつもあの目の色の人たちは悲惨な死に方していたって。周囲の人たちもその呪いに巻き込まれて大変な眼にあったこともあったって、街の教会の神父様が教えてくれました。だからあの色の目をしたひとは不吉なんです。近づいちゃいけないんです」
「教会の神父様って、ユベール神父様のこと?」
「いいえ。モーリスの街の中央教会の神父様です。ユベール神父様の教会は、信徒を持たないんです。聖女アーディラ教会は、聖女アーディラ様のお赦しを求めるためだけに建てられたものですから」
「神に仕える神父様が、名指しで呪われているとか、云って良いものかしら」
「それが真実なら、広く知らせてもらわないと困ります。さっきも云いましたが、呪いに巻き込まれて、おおぜいの人が迷惑したそうですから」
「大勢の人が迷惑を被ったって、具体的に何があったの?」
「それは聞いていません。神父様ならご存知なんじゃないですか?」
「そう。……」
呪いとは、具体的に何だったのだろうかと、考え込んだリンに、カリーヌは明るい声で云った。
「みんな云ってたんですよ。あの城主にもそろそろ呪いが降りかかりそうなこの時期に、聖女の御遣い様が遣わされたのは、神様と聖女様の思し召しだって。
これはきっと、あたしたち平民に迷惑をかけずにあの城主に死んでもらうために、神様と聖女様が遣わして下さったんだって」
「わたし……」
リンは呆然と目を見開いた。
その顔が、血の気を落として真っ白になる。「わたしが、……城主様を死なせるために遣わされた……?」
「そうなんですよね?だから、城主は死んでくれたんですよね?しかも周りに全く迷惑をかけないで。本当にありがたいです。……」
カリーヌはなおも浮かされたようにきゃらきゃらと甲高い声でまくし立てたけれど、リンはそれを聞かず、ふらふらと近くの椅子に座りこんで頭を抱えた。
「カリーヌ、」
頭を抱えたまま、低い声で名前を呼ぶ。
少女は、なんですか、と弾む口調で応じた。
リンはそんな彼女の方は見ないまま、
「一人にして頂戴。今夜はもう、何もしてくれなくて良いわ」
「でも……お食事の支度とか、入浴のお手伝いとか、寝る支度とかありますよね」
「もういいの。一人にして!」
リンが普段出さない強い口調で云うと、カリーヌは怯えた表情を浮かべて押し黙り、そそくさと部屋を出て行った。
一人になったリンは、ふぅーっと、肩を震わせて湿った息を吐いた。
「わたしの……せい……?」
色を亡くした唇が動いて、かすれた声が紡がれる。「わたし……聖女の御遣いなんてものじゃないけれど、でも城主様もそう思っていらして、それで……だから……っ」
自分の存在が、あの優しいエヴラールを悩ませていたのだろうか。自ら死を選ぶくらいに、追い詰めてしまったのか。
リンは、気付けなかった自分を責めた。
何も知らないで、能天気に近づいて笑いかけ、話しかけて。
でもその実、エヴラールが何を考えて何に悩んでいたのか、知ろうともしなかった。
いつもいつも、話すのは自分のことばかりで、彼のことを知ろうとしなかった。
「わたし……バカだ……っ!」
もし時間が戻るなら。
リンは願った。
やり直せるなら初めて会ったときからやり直したい――と。
そして。
カリーヌの言動は、すみません。色々と。
狭い生活環境で、限られた人間関係にさらされて、偏った情報のみに接して生きていると、ままあることだと思ってください。