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なんどでも  作者: killy
さいしょ
12/55

12

 エヴラールと朝食を共にする約束をしたことがよほど嬉しかったのか、翌朝のリンは、彼女も驚くくらい早い時刻に目が覚めた。


 借りているドレスの類は、リン一人では着ることができないため、寝巻のままで厨房へ向かうと、そこには朝食の支度用に、かまどに火を入れていたジェンマがいた。


「お早う。早いね」


 リンが声をかけると、ジェンマは驚いて振り返り、寝間着姿のままにこにこ笑うリンを見て、二たび驚いた。


「お嬢様!そんな無防備なお姿でお部屋を出ないでください!」


 切れ長の眸を吊り上げて起こるジェンマに、リンは首をすくめて謝った。


「ごめんなさい、まだみんな起きてないと思って、お水を飲もうと思ったの」


 ジェンマもはっとした様子で慌てて頭を下げた。


「こちらこそ、声を荒げて出過ぎたことを申しました。どうぞお赦しください」


 リンは、気にしていないよ、と首を振った。


「それより、ジェンマはいつもこんな早い時間から起きているの?」


「はい。私は朝が強いので、早朝の仕事を任されています。代わりに夜は早めに休ませて頂いております」


 水甕から汲んだ水を注いだカップをリンに手渡しながら、ジェンマが答えた。


「そうなんだ。毎朝何時くらいに起きているの?」


「大抵は、日の出の2時間ほど前です。起きて身支度を整えたらお水を汲んで、台所と食堂、玄関のお掃除をしながらお湯を沸かして、朝食の下ごしらえをいたします」


「そうなんだ。忙しいんだね」


「それほどでもありません。慣れてしまえばどうってことないです」


 ジェンマはけなげにほほ笑んで、かまどの前に再度しゃがみ込んで仕事を再開させた。

 リンは、渡された水を飲みながら、見ることはなしにそんな彼女を眺めた。その目が、ジェンマの襟元に何気なく注がれて、あら、と軽く見張られる。


「ジェンマ、虫に刺されてるわね。かゆくない?」


「そうですか?別に何も感じませんが……」


「ええ。左の首の付け根のあたり。襟ぐりの境目から、ちらりと見えるの」


 ジェンマが、はっとしたように首元を押さえた。


「そ、そうですか。もしかしたら、昨ば――じゃなくて、今朝水汲みに出た時に刺されたのかもしれません。特に痛みもかゆみも感じませんから、悪い虫ではないのでしょう。ご心配ありがとうございます」


「そう?」


「それより、お嬢様はこれからいかがされますか?朝食まであと2時間ほど、時間がかかりますが。休み直されますか?それとも、お召し替えをされますか?」


「そうね、……」


 話題を変えられたことに気づかないまま、リンはこの質問を受けて少し考えた。「早く着替えてもすることないし、……あ、でもジェンマのお手伝いをしようかしら?」


「そんなことをしていただきましたら、私がヨランダ様に叱られます」


「……じゃあ、部屋で静かにしているわ」


「はい。では今まで通りの時刻に、お部屋にあがります」


「うん。お願いね」


 空になったカップをジェンマに返したリンは、自分の寝室へ戻ろうと踵を返した。

 その背後で、ジェンマが小さく、不服そうに呟いた。


「……オったら。見えるところにはつけるなって、あんなに云ったのに」


 が、リンはこれには気づかないまま、厨房を出た。



 すっかり目が冴えてしまったリンは、寝室には戻らず、昼間過ごす居間に向かった。

 が、することが無いのはここも同じなので、すぐに退屈することになる。

 しばらく無為に室内をうろうろうろついたリンは、ふと思いついた。


「そう云えば。こんな時間なら、城主様も書斎にはいらっしゃらないんじゃないかしら?」


 仕事の邪魔になってはいけないと思って、今まで遠慮していたけれど、今ならそんな気遣いも必要ないはずだ。そう判断したリンは、エヴラールの書斎へ向かった。



 図書室も兼ねている城の書斎は、壁という壁に、天井から床までの高さの書棚が巡らされており、なかには書籍が整然と並べられていた。


 リンは、厚い布のカーテンを開けて、窓から射し込む明け方の明かりを頼りに、ずらっと並ぶ本の題名を読んでいった。


「すごい取り揃え。ラテン語にイタリア語にフランス語。……神学、法学、哲学、博物学、……って、わたしが読めそうなのが無い。こんなの、ページ開いて1分で眠る自信があるわ」


 それでも、棚の端から端へ、丹念に探してゆくと、リンの興味を引くような本も見つかった。


「『セヴラン公国モーリス地方の伝承』?」


 布張り装丁の簡素なつくりの本を開いてみると、どうやら地方の古老の昔語りを書きとめたものらしい。


「朝食のときに、これを借りたことをお断りすればいいわよね」


 そう一人で決めたリンは、大判の本を胸に抱いて居間に戻った。


 窓際の椅子に座ってページを開く。

 古老が話す言葉をそのまま書き取ったのだろう、文章は、ところどころこの地方独特の云い回しや単語が混じっていたものの、概して読みやすいものだった。

 聖女の伝説があるこの地方らしく、中身は信心深い信者のもとを訪れた奇跡譚だったり、不信心者が懲罰を受ける因果応報物語などが多かったけれど、ひとつだけ、神話のようなものが混じっていた。


「……『秤の女神様の最期』?」


 興味をひかれたリンは、ページの順を無視してまずその話に目を通し始めた。


……


 むかしむかし、この地方にひと柱の女神様がおらした。


 女神様は黄金製の秤を持っておらしゃって、それで人間の善悪を計っておらした。それが女神様のお役目であった。


 人間の見た目の好し悪しで判断を惑わされないようにと、女神は常に目を錦の布で塞いでおらして、また、特別に親しく交わる相手も作らないようにしておらした。


 女神様はいつも暗闇で一人。孤独でおらした。


 ある日、ある時。

 女神様に親しげに話しかけてくる者が現れた。


「いつもお一人ですね。お寂しくはありませんか?」


 親しげに話しかけてくる彼のことを、女神様は最初は素っ気なくあしらっておらした。


 が、彼はめげずに毎日毎日、雨の日も晴れの日も風の日も霜が降りた日も、女神様のもとへと通ってきた。


 ある時は、香りの良い花を。またある時は良い声で鳴く小鳥を。更に別のときにはあまい蜜の詰まった小瓶を。


 細々としたものをプレゼントしながら、男は毎日女神に話しかけ続けた。



 いつしか女神様は、男の訪れを待ちわびるようになっておらした。



 そんな日々が、どれほど続いたことだろう。


 ある日、男が連れてきたリスが女神様に戯れたはずみで、女神様の眸を覆っていた細布がほどけてしもうた。


 女神様は初めて男の姿を目にしなさった。



 男は若く、美しかった。



 女神様はますます男に惹かれていきなすった。


 やがて女神様は男に云われるまま、自らの神力の源である大切な黄金の秤さえ手渡されてしまった。


 それほど、女神様は男を盲信しておられたのだ。



 ――が。

 男は実は、女神様の力を奪うためにやってきたのだった。



 秤を手に入れた翌日から、男は女神様のもとを訪れなくなった。


 やがて女神様も、気づかざるを得なかった。



 自分は男に、騙されたのだと。



 絶望した女神様は、泉のほとりで、みずから胸に刃を突きたてて自害される。



 男の不実を恨みながら。



 男とその子孫が、永劫苦しむようにと、呪いながら。



……



 神話を読み終えたリンは、ため息をついて本を閉じた。


「あんまり後味の良くない話ね」


 そう嘆いたのと前後して、ジェンマが居間の扉を開けて現れた。


「お嬢様、こちらにいらしたんですね。お召し替えのお手伝いに参りました」


「あら、もうそんな時間?」


 窓から差し込む朝日の加減を確認したリンが驚いたように云った。「もしかして、探したりした?」


「いいえ。寝室にいらっしゃらなかったら、恐らくこちらだろうと予測しておりましたから」


 着替えもお持ちしました、とヨランダは有能らしく腕に抱えた衣類一式を見せて云った。



 ヨランダに手伝ってもらって着替えを終えたリンが食堂へ行くと、エヴラールは既に席について彼女を待っていた。


「ごめんなさい、遅くなりました」


 リンが謝ると、エヴラールは穏やかにほほ笑んで首を振った。


「いいえ、私も今しがた来たばかりですから」


「云い訳ではないですけれど、わたし、今朝はとても早起きしたんです。それで書斎から一冊本をお借りして――ごめんなさい、勝手にお借りしました――読んでいたら、いつの間にか時間が過ぎてしまっていたんです」


「構いませんよ。本であれ何であれ、この城にある物はお好きなように使ってください。

 何の本を読まれたのですか?」


「『セヴラン公国モーリス地方の伝承』です」


 オムレツを切るエヴラールの手が、ぴくっと慄えた。


「……なにか、印象に残った話はありましたか?」


 しばらく沈黙を続けた後、彼は何気ない様子でそう訊ねた。


「そうですね。さきほどまで、『秤の女神様の最期』を読んでいたのですが、」


 そうリンが話し始めた途端、エヴラールの肩がびくりと揺れ、フォークが皿をこすってがちゃりと耳障りな音をたてた。


「……すみません、ちょっと、……手が滑りました」


 リンはきょとんと、そんな彼を見つめた。が、エヴラールは何でも無いのだと云うように首を振って、話題を元に戻した。


「それで?『秤の女神様の最期』をお読みになられて、いかがでしたか?」


「うーん、……何と云いますか……、片手落ちなイメージでした」


「片手落ち?」


「はい。民話や神話はどうしてもそうなりがちなのですが、あのお話も、女神様の側から見聞きしたことしか記されていなかったですよね。何故、男は女神様を陥れることをしたのか、その後の彼はどうなったのか、全然書かれていなかったので、なんとも物足りない感じがしました」


「神話に理由が必要ですか?」


 きょとんとエヴラールが訊ねる。

 リンは考え込んだ。


「そうですね。事象の起源説明譚や現象の説明譚としての神話なら、話の登場人物がとる行動に、さしたる動機は必要ないと思います。彼らがこう動いた、と云うこと自体が、事象や現象を説明して理由づけするという目途に沿ったものですから。

 けれど、この秤の女神の神話に関しては、何らかの事象や現象を説明したものではないですよね。おそらくは、遠い過去にあった何らかの実際の事件が潤色されて脚色され、長い世代を経て語り継がれているうちに神話に昇格されたものだと思うんですが、……

 だとしたら、女神から黄金の秤をだまし取った青年のたどった末路と云うか、その後の話もあってしかるべきだと思うんです」


 考え考え、とつとつと話すリンを、エヴラールは驚きの表情で見た。


「あなたは、とても鋭い方だ」


「え?」


「ご推察の通り、この神話の後日譚と思われる話も、存在しています」


「本当ですか?どんなお話なんですか?」


「それは……」


 エヴラールは、話しかけた口を閉ざして、首を振った。「止めておきましょう。楽しい話ではありませんから」


「はあ、……」


 リンは戸惑ったものの、エヴラールの暗くこわばった表情を見るとそれ以上ねだることもできず、ただうなずいた。

『裁きの女神様の最期』の部分の朗読は、常田●士夫さんでお願いします。

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