事故です。ですが一大事です。
わたくし、橋田妃織、ただ今人生最大のピンチです。
「おい、早くやれよ」
健全なるピッチピチの15歳の女子高校生に、キスを催促する黒端先輩。端から見ると……いや、見なくても変な人だろう。
私はふたたび近づいてきたルネ君から半歩下がる。
「ちょ、待ってルネ君! まさか本当に、」
「するよ。目ぇ瞑って」
うっとりするような端正な顔で、ルネ君がドアップで目に映る。本気だ。
ちらっと助けを求めるように黒端先輩を見ると無視をされ、四条先輩を見ると顔を赤くして俯いた。
……四条先輩の乙女な反応は置いておいて、黒端先輩ひどい。涙目で黒端先輩を睨むと、ルネ君の右手が私の頬に触れた。
「…………ふりをする。誰が本当にするか」
不機嫌そうに発せられた声にほっとする。そうだよね、いくらなんでも本当にやるわけないよね。
徐々に近づいてくるルネ君の顔にびびることなく余裕で目を閉じると、向こうから声がしてきた。
「あっれー? こんな所で何しているんですかー? ……って、やだキスシーン!? もう、暑いなあ!」
びっくりして目を開けると、生徒会のメンバー、瑠華さんが私達を見て驚いている。すると。
どんっ。
瑠華さんが、ルネ君の背中を押した。蒼くなる顔、すうっと消えていく体温。
……ん? これってまさか、いわゆる……。
「…………っ、」
気が付くと、私の唇にルネ君の薄い唇がなぜか重なっていた。
「………………」
しばらく硬直した状態で、私とルネ君は思考停止していた。……まったく意味が分からない。事故チュー何て乙女ゲームとか、少女漫画とかだけの世界のものだと思っていたが、どうやら違うらしい。……世界ってなんて理不尽なんだ……。
私の前に思考が戻ったルネ君が、私から体を引いた。口元を腕で隠し、今までしたことを忘れようと壁に頭を打ち付けた。
「……どうした、ルネ?」
明らかに頭が狂ったとしか考えられない行動をしたルネ君に、黒端先輩が心配そうに声をかける。警戒しながらも私が近づくと、何かをぶつぶつ呟いている。
「……ありえねェ……何で俺があいつと、あんな……」
額にかすかな赤色が付いている彼は、相当参っているらしい。私の方をきっと睨み、ずかずかと水道の方に向かっていった。
「……あ、私も行く」
唇を洗いたかったのもあるが、勢いよくキスをしてしまったため、切れてしまって口の中が血の味だ。ものすごく不愉快。
たたた、とルネ君の後を追いかけて言った私たちを、生徒会の人たちは、
「……あいつら、付き合って間もないデリケートな関係なのか……?」
「だとしたら、玲雄はあの二人にヒビ入れちゃった?」
「うわー、先輩最悪さいてー」
「はぁ? 河合がルネの背中押したからだろ?」
「な、私の所為なんですか?」
「そうだろ、絶対」
こんな口論が繰り広げられてるのを知らずに、私は早歩きのルネ君に駆け足で追いついた。くそう、背が高いからか分からないけど、無駄に長いんだから、足っ!
「ねえルネ君!」
「ウザい。消えろ」
「何でさ。私だって水道使いたいもん。あと、事故とはいえ、ご免ね、そのー……」
言いにくそうに視線を泳がせていると、ふ、とルネ君の影か重なった。
「? ルネく――」
きょとんとしていると、手がのばされて、私の唇に触れ――、
ごしごしごし。
乱暴にこすられた。ただでさえ切れていて痛いのに、こするなんてなんだ、私への嫌がらせか。反論をしようと抵抗すると、ふ、と彼の目が沈んだ。
「その、謝るのは俺の方だろ。俺は別にいいんだけど、女子とか、そういうの気にするだろ?」
意外と優しい言葉にびっくりする。絶対「お前、初めてだろ?」とかドヤ顔で言われると思った。
「…………兎に角、これは事故だ。俺達はキスなんてしていない。誰がなんて言おうとしていない。断じてしていない」
言い聞かせるように唱えるルネ君。……ちょっと気になっただけなんだけど、
「そういえば、『俺は別にいいんだけど』って、初めてじゃないってこと?」
その途端、強引に口を塞がれた。むぐっ!? という悲鳴に近い声が喉の奥の方から出る。
「だったらなんだ、悪いか」
背中にさっきをまとい、「これ以上探索したら殺すぞオーラ」を絶賛放出中で答える。……怖い、普段のルネ君より数十倍怖い……。
「探索なんかしないよ」
口を塞がれた手から脱出して、反論する。すると、怪訝そうな顔をして首をかしげた。
「何のことだ」
キスの事をなかったことにするのは今からもう発動しているらしい。眉間にしわを寄せ、不思議そうな表情で聞き返してくる。
……え、彼って中学時代、絶対演劇部だったでしょ。
「……まあいいけどさ、私もそんなことで囃し立てられたくないし。……あ、でも生徒会の三人ってどうするの? ばっちり見ちゃったけど」
「……脅す」
完璧に悪役モードが発生された。目つきはいつもより鋭く、そして仲間……だと思う……の私もブルりと震え上がるほど。
そんな殺し屋オーラを背負っているルネ君は、その目つきのまま、さきほどまで私たちがいた体育館裏に足を向けた。
「…………怖いし、行きたくないなぁ……」
それでも私だって関係することなので、仕方なく足を進めた。