誇り(前篇)
リクエスト番外編
ベルガラは華美を嫌うお国柄だ。ドレスのレースは控えめに、化粧は薄く、食事は質素に。
そんな生活はルークやネネがスラムで暮らしていたころとそう大して変りはなかった。どこへ行っても頭を下げる人々も同く変わらない。
一番大きく変わったのはルークに“仕事”というものができたことだろうか。おかげでネネが一人の時間は多く、暇を持て余している。
ネネの名目上の立場は一応王妃ということになっているが、彼女に仕事というものは与えられていなかった。
「あの人が・・・?」
「一昨日のことだ」
深夜のベットの中。ネネは情事後のぼーっとした頭でルークの話を反芻する。
それは彼女にとっても少し意外であった。――――まさかあのジェルダが反乱因子に加わるとは。
ベルガラは敗戦後しばらくドローシャによる直接統治が続いた。しかし元敵国をよく思わず反発する政治家が出てくるのは当然。しばらくの間彼らはドローシャによって一時的な閑職に追いやられ、表向きは穏やかな政治が続いている。
しかし彼らがずっと黙って大人しくしているわけではない。ルークらは当然それを見越し、王位を得ると同時に彼らを元の地位に戻していた。その彼らが今になって徐々に反発を強め、大きな悩み事のひとつとなっている。
そこへジェルダが彼らの内の過激派ともよべる一派に加わったのだ。それは事実上の宣戦布告、ルークの敵であると宣言したようなもの。
「あんなに心酔してたのに・・・」
「あれは俺に心酔してたわけじゃない。俺の“血”に惚れ込んでいたにすぎない」
ベルガラ王家の血、それはジェルダをはじめとする多くの国民にとっての誇りであり自信だった。だからこそドローシャの干渉を許容する、ルークの寛容的な方針が許せなかったのだろう。
ネネは小さくため息を吐き、ルークの逞しい二の腕に頬を寄せる。それは筋肉質で暖かく、安らぎを与えるもの。
「私がなんとかしましょうか」
「いや、いい」
少し不満げに眉を寄せる。ルークはネネが政治に関わるのを嫌う。仕事をさせてもらえないだけではない、政治家たちともできるだけ顔を合わせないよう言われているほどの徹底ぶりだ。
もっと彼の役に立ちたいが、ルークの言いつけを破るわけにはいかない。もどかしい。
「好き・・・です」
利用されたい。それこそ魂をすり減らすほどに、命を削るほどに。それがルークのためになるならば、ネネにとってそれ以上の幸福はない。
「役に立ちたいならそうさせてもらおうか」
鋭く眼光が光り、ネネを捕食する。馬乗りになった大きな身体は、ネネの華奢な身体をすっぽりと覆い隠した。鎖骨から胸のふくらみにかけてを彼の手が滑るように撫でて、小さく震えながら愛しい男を見上げるネネ。
「どうすれば、いいですか」
「ただ啼いていればいい」
噛みつくようにキスされたネネは、今更ながらに恥ずかしさから全身をほんのり赤く染めつつも、断るという選択肢は無くルークの背に手を回した。
「ほんっと落ち着いたよな、お前」
そう言いながら足を組んでお茶を飲んでいるのはドローシャの王妃。魔女でもある彼女は監査という名目でよくベルガラに出入りしている。
「・・・そう?」
ネネは空になったヴィラのティーカップに紅茶を注ぎ、お菓子を補充して向かい側に座った。
「表情筋、普通に動いてるみたいで安心したよ」
感情のままに眉は動き、機嫌が良いのか悪いのかはすぐに分かる。人形のように恐ろしいほどの無表情だったネネはもういない。
「“えへへ”はできるけれど“あはは”はまだ無理」
「なんだその例えは。わかりやすいんだかわかりにくいんだか・・・」
そして誰もが鳥肌になる恐ろしいコレクションも部屋には見当たらない。まあ、どこか別の部屋にあるのかもしれないけれど。
少なくとも人前で恐ろしい真似はしなくなったらしい。それはヴィラにとっても非常に喜ばしいことだ。
「ペットとかも自重しているようだし」
「それは・・・ルーク様の評判に関わるから・・・」
好きな人のためなら趣味を諦めることができる。
なんて一途なんだ、とヴィラは感動すら覚えた。
「それで、魔術の方の調子はどうだ」
ネネはその質問にただ首を横に振るだけで答える。もともと魔女と呼ばれていたネネだが、彼女に魔力と言われるほどの力は備わっていない。できるとしても、ほんの一部。
「ほんと、役立たず・・・」
小さくつぶやかれた言葉はヴィラの耳にも届いた。ヴィラは急に心配そうな表情になって、ティーカップをソーサーに戻す。
「役立たずじゃないだろ。お前がいるから、ルークが頑張れるんじゃん」
「でもなんか・・・、もっと大きな力になりたい。もっと関わりたいの」
昔こそいろんな珍騒動を起こしていたネネだったが、本来は穏やかながら情熱的な性格だ。一途で肝が据わっており迷いがなく、素直で芯のある強さを持っている。そんなところにルークも惹かれたのだろう。
「恋する乙女、だな」
「わかってくれる?」
「わかるよ、もちろん。愛している人の全てになりたいって、当たり前の感情だろ」
「でもルーク様はわかってくれない」
「あー・・・、まああいつは基本的に自分本位っぽいからなあ」
俺についてこい。俺の言う通りにすればいい。まさにそんな感じの人。
ネネはルークに不満があるわけではない。むしろそんなところがかっこいいと思っているくらいだ。
けれどもやっぱり、と最近は思ってしまう。
「満たされすぎて欲が出てきたのかな・・・」
「かもな」
「じゃあ私は果報者、ね」
控えめだが嬉しそうにほほ笑んだネネはとても綺麗だ。ヴィラは少し眉を上げ、満足して笑ったのだった。
「王妃様のご署名を」
そう言って宰相のヒルデンが寄越してきた書類に、ルークは苦そうな顔で苦言した。
「なんであいつを巻き込むんだ。関係ねえだろ」
頑丈で立派なイスに負けない大きな身体。足を組んでだらしなく座っている彼は、他の者にはない野生的な独特のオーラを放っている。
ヒルデンは一瞬怯みながら負けじと言い返した。
「王妃という職業はそういうものです」
「気が進まねえな」
「・・・以前、利用できるものは利用するとおっしゃっていたではありませんか」
その発言でドローシャの介入を渋る政治家たちを黙らせてきたのだ。しかし今ルークがやっているのは真逆のこと。ネネをできるだけ政治から遠ざけ、関わらせないようにしているのだから。
ルークはふんと鼻を鳴らし、書類を乱暴にデスクの上へ放る。
「わかんねえのか、あいつは一応魔女と言われ育ってきたんだ。それこそ中心の国の意志そのものだろ。
関われば関わるほど、裏切り者だと後ろ指さされるのはネネだ」
「しかし・・・・、彼女はネーネルフィ女王陛下にそっくりですし・・・」
「今俺を非難したい奴には関係ねえ」
付け入る隙を見せてはならない。反論する余地は残さない。ここで無理にネネの女王としての仕事を推し進めたとして、最終的に危うい立場に立たされるのはネネ自身だろう。だからこそルークはネネの政治参加に再三反対していたのだった。
ヒルデンもそれ以上は言い返すことができず黙り込む。過激派も活発になりつつある危うい時期だ。彼らを刺激するのは好ましくない。
「それに、あれは政治には向かない」
「・・・確かにそうでございますね」
人付き合いが得意とは言えないネネ。スラム街で育ったからか、世の中の常識にはとことん疎い。交渉事もおそらく苦手。
「問題はない。何かあったら対処する」
一遍の迷いもなく言い切ったルークに、これ以上の意見は不要とヒルデンは頭を下げて部屋から出ていった。