20話 ベルガラ女王
ルークとジェルダは都心にある人通りのない錆びれた路地裏の民家に居た。
ドローシャから唯一命を奪うことをされなかった、戦争当時に為政者として王城に住んでいた者の家だ。彼は王に近しい身でありながら終始戦争に反対していたため、許しが下りたらしい。
そして城を離れここで一人慎ましやかに暮らしている。
「申し訳ありません、こんなものしかなくて」
気さくな雰囲気の彼はニコニコしながら2人に紅茶を出す。
「はじめまして、レミー・スクィリーンです。
いやあ、嬉しいですよ。今ではもう私を訪ねてくれる人なんていなくて」
ミルクと砂糖を置き、彼は向かい側に腰を降ろして首を傾げた。
「それで、貴方たちは一体何の用で?」
「はい、それが王家についてお聞きしたいことがありまして」
「王家?いまさら何故?」
古びた本と剣を取り出した途端にレミーは目を見張り、震える手を本に向かって伸ばした。
「これは・・・」
「ご存じなのですね!?」
ジェルダは期待を込めてレミーを見つめる。やっとここで手掛かりを得ることができるかもしれない。
しかし彼はすぐに手を引っ込め、警戒するような視線でジェルダとルークを交互に見た。
「何故これをお持ちなのですか?あなた方は一体・・・」
「私はジェルダ・インギス、シュリヴィッツ州の将軍を務めていた者です。
この御方はルーカス様、前シュリヴィッツ州総督マルクス殿の御子息に当たります」
「マルクス殿ということは・・・・王家の御方なのですね。
まさかまだ生き残っているとは。なるほどそれでこれを・・・」
政に携わっていただけあって頭の回転が速く物わかりが良い。話が早いとさっそくジェルダは話を進める。
「これを預かった方からは《相応しき場所にて》としか聞いていないんです。これからルーク様が王に君臨してドローシャと戦うにはその力が必要不可欠かと思いまして。
王族でなくとも陛下と近しい間柄だった貴方なら・・・・何かご存じありませんか?」
レミーは口をきゅっと結んで息を吐くと、古い本を見ながら話し始めた。
「私の知っている限り、それは歴代の王に代々受け継がれてきた契約書かと」
「契約書?」
「ベルガラ王家には遥か昔より言い伝えがございました。
“天より出づる神々の影の、悪魔1人地より現れ、ベルガラの王の善より助かりて、ここに両者の契約を結びたる”・・・・女王陛下は悪魔契約書と呼ばれておりましたが」
「悪魔?なんだそれは」
つまらなさそうに傍観していたルークが初めて口を開き、レミーは戸惑いながら説明する。
「私も詳しいことは存じません」
「どうやって使い、何が起こるんです?我々はそれが知りたいんです」
「それはベルガラ王家の血族のみ使える代物。
悪魔と契約することで人知を超えた力を借りることができるのです。・・・しかし」
だんだん表情が険しくなり口調が重くなってくる。
「決しておすすめすることはできません。女王陛下もよほどのことがない限り絶対に使ってはならないと言い聞かされていたようです」
「しかし、ドローシャに勝つにはこれしか方法がないんです。
具体的にはどうすれば・・・」
「代償として自らの魂を悪魔に差しださなければなりません」
「魂?」
「おそらく、死ぬということです」
ジェルダは息を飲んで黙り込んだ。
ドローシャに勝つための手段として縋った力、だがルークが死んでしまっては意味がない。ルークの死はベルガラ王家の血が絶えることを意味するのだから。
「そらみろ、ろくでもねえ」
「ルーク様!」
鼻で嗤うルークに窘めるように注意するジェルダ。しかしルークの口は止まらない。
「だから言ってるだろうが、得体の知れない力に頼るなと。
欲しいもんは自分の力で手に入れる。それができねえなら最初から大口叩くんじゃねえ」
「男前でいらっしゃいますね、ルーク様は」
「うるせえ、もともと俺は興味ねえ。ただ自分の生まれた国を見たかっただけだ」
「ルーク様!なんてことを仰るんです!」
憤慨して立ち上がるジェルダを歯牙にもかけず、ルークは携帯用の酒瓶を取り出しコルクを抜いて煽った。
「・・・ベルガラの王座に上がることが、住み慣れたスラムやあいつを捨ててまで手に入れる価値があるなら話は別だが、今んとこ魅力は感じねえな」
「なっ・・・!!」
ジェルダは声も出せず固まった。王座よりもスラムとネネの方が価値があるなんてあり得ない。
絶句する姿を見てこのままでは血圧が上がって倒れてしまいそうだと、レミーはやんわりとルークのフォローをする。
「差し出がましいようですがジェルダ殿、もしベルガラ王家の復興を何よりも優先されるのならば、ドローシャのもとへ行かれる方がよいかと」
「貴方まで何を言い出すのです!」
「敗戦後もベルガラはドローシャの監視下でちゃんと国として機能しております。きつい言い方になりますが、国自体は王家がなくとも成り立つのです。
ドローシャも鬼ではない、自ら申し出た者をいきなり極刑にすることはしないでしょう。念入りに交渉すれば不可能ではありませんよ。
その本を使うよりずっと可能性があるではありませんか」
「しかし・・・あの国に頭を下げるなど・・・」
ベルガラ人としてのプライドが許さない。
そもそもルークは絶対にそのような真似はしないだろう。彼は他者に謙ったり気を使うのが大嫌いだ。
「そんなに中心の国と戦いならてめえでやればいいだろ」
「ルーク様・・・そんな」
「結局お前はノルディ戦争の復讐がしたいだけだろうが」
ジェルダは唇を噛んで俯く。
レミーは眉を八の字にして苦笑を洩らした。
「マルクス殿は奥様がおられませんでしたから、このまま黙っていればルーク様の存在は隠し通せるかもしれません。
ベルガラ王家の人間としてではなく、好きに人生をお送りになってもよいと思いますよ、私は」
「貴方は王家を誇りに思っていなかったのですか?」
「思っておりましたよ、それはもちろん。しかし・・・」
彼は言い淀み、辛そうな表情で続ける。
「女王陛下は自分の身体に流れる血を厭んでおられました。王家に縛られることを望んでおられなかったのです。挙句には女王となり、臣下のいいように使われて亡くなられました。
あんな最期を迎えるくらいならば、きちんと選択肢を与えて差し上げられたならよかったのに・・・・・後悔しています」
「でもベルガラはどうなるのです」
「幸い民は以前とあまり変わらぬ生活をしております。そして彼らも十分熟知したと思いますよ。
中心の国に逆らうことは世界の理に逆らうことだと」
世界の理。世界の中心に住まう神と、神に選ばれた中心の国の王。そしてその国にだけ存在することが許される魔女たち。
「人間などちっぽけな生きものですよ。理に逆らうのは無理です」
ジェルダはまだ何か言いたそうにしていたが、言葉を飲み込んで大きなため息を吐いた。
「貴方の言いたいことはわかりました。
確かに人知を超えた力なくしてあの国と戦うのは不可能。しかしそれを得るには代償が大きく現実的ではない」
レミーはほほ笑んでぺこりと頭を下げる。
「王家の血筋を受け入れるもよし、忘れるもよし。ルーク様は自分の御心のままに生きて良いと思いますよ。
ネネ様もそれを望んでいると思います」
「ん?ネネ?」
聞きなれた名前にジェルダは耳をピクリとさせる。興味なさそうに明後日の方を向いていたルークも視線だけ彼に向けた。
「ああ、すみません。亡くなられた女王陛下の愛称です。幼い時から私が面倒をみていたもので、つい」
「初めて耳にしました」
「そうでしょうね、王家は絶対の秘密主義でしたから。
しかしあなた方は知っても許されるでしょう。先の女王陛下のお名前はネーネルフィと仰られます。
亡くなられた時は、まだたったの17歳の少女でございましたよ」




