2話 まずは形式から
ネネは宣言通りルークの傍を離れなかった。
立ち上がり歩きだしたルークは、後ろからついて来るネネに足を止めて恨めしそうに見遣る。
「本当にトイレまでついて来る気か」
「あ、大丈夫です、慣れてますから・・・」
「何にだ!」
このままでは本当について来そうだ。中まで。
ルークは唇を噛んで苦々しげな声を出す。
「本気でついて来るならここで斬り殺す」
「恋人になってくれるんですか」
「聞こえなかったのか、斬り殺すと言ってるんだ」
殺すという言葉さえもネネには愛の言葉にしか聞こえない。
ルークを例えるなら獰猛な肉食獣だろう。
彼の纏う気配は他人を決して寄せ付けない。そして一度牙を向けばその恐ろしさを思い知る前に命を落とす。
鍛え上げられた肉体も、鋭い瞳も、全ては獲物を狩るためのもの。
彼の醸し出す色気を讃えながらネネは呑気にそんなことを考えているうちに、ルークはさっさとどこかへ消えて行ってしまった。
ぽつんと残されたネネの後姿がどこか寂しげで、2人のやり取りを見守っていた手下たちがついつい慰めの言葉をかける。
「あ、あの、魔女さん、頭は気が短いから・・・」
「そうそう、あまり気にするものじゃないぞ」
あはあはと必死に笑顔を作る手下一同。
しかしネネの表情をよく見れば頬が赤く染まっていた。殺すと言われて喜んでいたらしい、何故か。
言葉を失って遠い目をする手下たちに、ネネは振り返って無表情のまま問う。
「ルーク様に女がいるの?」
「いや、いないとは思うけど・・・」
「おいバカ!何正直に話してるんだよ!」
ここで恋人がいると知れば諦めてくれるかもしれないのに、と。
しかしネネはフリフリと小さく首を横に振る。
「・・・いいのよ。
その方が・・・手の打ちようがあるし・・・」
どんなだ、と一同は心の中で突っ込んだ。
「何をしている・・・その女は?」
新しい人物が廃墟に現れ、一斉に彼を見た後に軽く頭を下げる。
彼らの行動からそれなりの地位の人物だと分かるが、ネネは直観的にルークと同じくただ者ならぬ気配を感じていた。
黒い髪に細くつり気味の目、鷹のような深い黒茶の瞳がギロリとネネの姿を捕える。
「お前は・・・荒廃の魔女の弟子だな」
「・・・・あなたは」
「名乗る義務などない。
お前には関係のない場所だ、ただちにここを去れ」
「嫌・・・」
何があっても離れないと、無表情ながらに決意が満ち溢れていた。
彼は険しい顔をしてネネを睨みつける。
「魔女ともあろう者が何に執着している」
「ルーク様」
「ルーク様?
彼に何の用が?」
「・・・・好きだから」
黒髪の男は少しだけ眉間のしわを緩めた。
しかし次の瞬間には先ほどよりさらに険しい顔をして、ネネの白く細い手首を掴んだ。
「・・・余計ダメだ」
そのまま腰に腕を回してネネは俵担ぎされたまま外に追い出される。
地面に下してもらえず無言で彼は歩き続け、着いた先はネネの家だった。
「もう2度と関わるな」
「・・・・」
ネネは何も言わずに見つめるのは去って行く男の後ろ姿。彼女は諦めたのか、踵を返して自分の家の扉を開けた。
ガラスの瓶に薬を詰めている師匠がネネの帰りを迎える。
「おや、追い返されたのかい」
「・・・・・・」
ネネは返事をせず扉を閉め、部屋の端っこにちょこんと座った。
表情も行動も人間らしくないネネは、まさに人形さながら。しかしそんな彼女にも心はあるのだ。好きな人に拒絶されて嬉しいないわけがない。
老婆はククッと喉を鳴らして笑う。
「お前が取り乱すなど珍しいではないか、なあネネ」
「そう・・・かな」
「そうであろう?」
「師匠・・・自分がどうすればいいかわからないときって、どうすればいいの・・・?」
老婆は手を止めて床をぼんやりと見ているネネの方を向いた。
「どうもこうも、相手が悪すぎるだろう。
本来なら魔女は王に嫁ぐ身だというのに・・・」
身分もお金もない男に懸想するなど、と老婆は呆れたように言って続ける。
「ネネ、忘れてはいけないよ。スラムの勢力に手を出してはならん。
我々はあくまでも国に謀反を企む連中を監視する役目を賜った、監視者。
内情に首を突っ込んではいかんのだ」
「無理」
「もうちょっと考えようか!」
即答したネネにクワッと口を大きく開く老婆。
しかしネネに全く反省している様子はなく、ますます心配は積もっていく。
老婆はゴホンッと咳をして、仕切り直しだと優しく語った。
「ネネ、わたしはもう老い先短い。
おそらくあと10年生きられればいい方だ」
神の恩恵を受けるドローシャでは寿命が1万年。25歳で見た目は止まり、寿命を迎える何十年か前に老いが始まる。
師匠も老いが始まった時点で寿命を迎えるだろうことは一目瞭然だった。
街では同じ若さの人間で溢れかえっており、ネネのような若い子や老婆は珍しい。
老婆は瓶の蓋を締め、今までの自分の人生を振り返って感慨深げに言う。
「約1万年、長い人生だ。そのほとんどをスラムの監視者として生きてきた。
わたしの死後は弟子であるお前が次代の監視者となるのだぞ」
「嫌だ」
「もう少し考えようか!
・・・まったくこの子は、マイペース過ぎて敵わないよ」
またもや即答したネネ。
老婆は手に負えないと頭を抱えてかぶりを振った。
ドローシャは神の恩恵を受けており、総じて非常に豊かな国である。神が王を選び国を治めているが、このスラムだけは例外であった。
元々スラム街とは治安が悪く貧困層の多い地を指すが、ドローシャのスラム街は自ら民が築きあげた無法地帯と言っていいだろう。歴史を遡れば、ドラック中毒者・違法入国者・その他の事情を抱えた者たちが集まり、国の干渉を受けぬように街の周りに高い壁を設けた。
兵士がいないこの地は何もかも自由である代わりに、自分の身を守ってもらえる組織は存在しない。そういう約束のもとでスラム街は継続されてきた。
ここでは勢力がいくつかのグループを形成し、抗争がひっきりなしに起こっている。
その勢力は大きく分けて3つ。
ひとつは大男ノロゾイの率いるグループ。
もうひとつはロドス率いるグループ。
そしてルークの率いるグループである。
要するに、ルークは自由の地ドローシャのスラムで猿山のボス的位置にいる人物なのだった。
「いいか、これからはノロゾイ組の縄張りであるB地区を捕りにいく」
黒髪に釣り目の男、ジェルダは数百の手下の前で高らかに言い放つ。
ルークはジェルダの隣に座り込み、静かに聞き入る手下の様子を伺っていた。
「ノロゾイは鼻が利く、油断するな。
各自武器の用意を、C地区の裏通りからB地区に流れ込む。
決戦は明後日の夜明けと同時にだ」
いいな、とジェルダの問いに拳を上げて叫ぶ手下たち。
同じく無言で拳を突き上げる―――――ネネ。
「なんでお前がここにいるんだ!」
ちょこん、とさりげなくルークの横に座っているネネに、ジェルダは細めの目を見開いて大声を出した。
彼女は悪びれる様子もなく、無表情ながらご満悦の様子でルークの肩に頭を寄せる。すぐにルークが横に移動したため、身体のバランスを崩したネネは倒れこんでしまったが・・・。
「誰かコレを摘まみ出せ」
ルークは低い声で唸るように言った。
ジェルダがすぐにネネの首の根っこを掴み持ち上げる。
黒茶の瞳と琥珀の瞳がお互いの顔を映し、互いに睨み合う。
「関わるなと言ったはずだ」
「・・・嫌」
「諦めろ」
「・・・嫌」
「今は大切な時期なんだ。お前の戯れに付き合っている暇はない。
抗争に巻き込まれて死にたいのか?」
「・・・・・」
とうとう顔を反らして無視したネネ。
ジェルダの額には見事な青筋が浮かび、ルークは機嫌が悪いらしく舌打ちをした。
「ジェルダ、ソレにもう構うな、計画に支障が出る」
「しかし・・・」
ドカッ!!と重たい音を立て、ジェルダの身体は一瞬で吹っ飛んだ。
―――――ルークが蹴り飛ばしたからだ。
ネネの頭上を通って地面に叩きつけられたジェルダはごろごろと転がり、蹴りを受けた腹を抱えて蹲る。
息を飲む手下たち。
「誰が俺に口応えしていいと言った」
視線だけで人を殺せそうなほど獰猛なルークは例え仲間であろうと自分に逆らう者には容赦がない。
従わぬ者は去れ。それがルーク組のルールであり全てであった。
ジェルダはゴホゴホと苦しそうに咳込んでいる。
恐れをなして震える手下とは対照的に、キラキラと瞳を輝かせてルークを見つめるネネ。彼の動きも言葉も彼女にとっては全てがカッコイイらしい。
「おい」
ルークに声をかけられたネネはふと我に返ってルークを見つめ直す。
「俺の周りをうろつくのはやめろ、目障りだ。
お前みたいなガキに興味はない」
ネネはガキだと言われ反射的に自分の胸に手を当てた。
「揉むな」
「・・・じゃあ、魔術で大きくしましょうか?」
「そういう問題じゃねえ」
ルークは再び舌打ちをして、ネネを片手だけで担ぎ上げる。彼女のふわっとした服が一瞬だけ風に靡き、ルークは手下たちの方を見遣った。
「後は任せる。
明後日までに小競り合いを起こすなよ」
そしてネネは逞しいルークの肩に担がれたまま、大勢に見送られてその場を後にした。
ルークが連れて来たのは小さな小屋の2階だった。
乱暴にベットの上に投げ飛ばし、ネネの細く白い首を片手で締め上げる。
「魔女だから誰からも手を出されないとでも思ったか?」
嘲笑うかのような笑みを浮かべたルークは、さらに手に力を込めてネネの首を締めた。
もちろん手加減はしている。もし本気で力を込めていたら、今頃ネネの首の骨が折れているだろうから。
すぐに解放されたものの、首を押さえて苦しそうに咳をするネネ。
「本気で殺されたくなければさっさと去れ。
魔女がスラムの争いに首を突っ込むな」
「邪魔しませんから・・・・恋人になるだけでいいの」
「そうか、じゃあ何されても文句は言うなよ」
驚くほど冷たい声で言い放ったルークは、ネネの胸元のボタンを乱暴に開けた。
当然彼女の白い柔肌が現れるかと思いきや、何故か大口を開けて「シャーーー!」と威嚇している“ヘビ”が。
ルークの視線とヘビの視線が交わり、服のボタンを
「・・・・・・・・・」
――――――閉める。
「なんでヘビがいるんだ!」
「・・・バートリちゃんです」
「服の中にペットを仕舞うな!!」
ルークは我に返って口を閉ざした。
こんな若い女に本気で怒るのは馬鹿らしい、と思い直したようだ。
彼は舌打ちをして不満を残しながらも諦めたように言う。
「もう好きにしろ」
「恋人でも・・・いいんですか?」
「好きにしろ」
ネネの口端が一ミリほど僅かに上へ向いた。
いそいそと服をボタンを外し始め、間違いなくこれから事を致そうとしている彼女にルークが大声でストップをかける。
「それはもういい!!」
「・・・いいんですか?」
上目遣いで少し残念そうに言うネネ。ルークの額に青筋が浮かんだ。
「余計なことはするな」
「えー・・・・」
「えー、じゃない」
こんなガキ抱けるかと心の中で吐き捨てるルークに、ネネは無表情のまま頬を膨らませる。ちょっと怖い。
「とにかく、もうすぐ大切な抗争がある。
邪魔だけはするな」
「・・・わかった」
言った傍からルークの膝にいそいそと頭を乗せたネネ。
もちろんゲンコツが飛んできて、大きなタンコブが頭に出来た。
「邪魔するなと言ったばかりだろうが・・・」
「・・・痛い」
「当たり前だ、痛くした」
恋人という肩書きで何かが変化するわけではない。ネネが押しつけた一方的な想いに、ルークの想いは一致しないのだから。
突然優しくしろと言われても、ルークの性格上不可能なことはネネもよく理解していた。
「・・・じゃあ、手を繋ぐだけでいいから・・・」
「うるさい」
彼が興味を示すのは自分の欲望のみ。恋人らしいことをしたいという女の子の純粋な思いなど知ったことではない。
手を繋ぐことすら拒否され下を向いたネネは泣いているように見えるだろうが、水色の髪の間から覗く彼女の口角は僅かに上がっていた。