19話 蝕む熱
ネネはキングサイズのベットの上で、うつ伏せになりながら地図を眺めていた。正確には、地図の中のベルガラ王国を。
そっと細く白い指で何度も何度も同じ場所をなぞる。今頃この辺りでルークが旅をしているかと思うと離し難かった。
月明りの異様に明るい夜。
木枯らしの音以外は何も聞こえない。額に張り付いた水色の髪は汗でうっすらと湿りを帯びている。
そしてパチンという乾いた音とともに部屋に明かりが灯った。続くのはアルフレットの呆れたような声。
「また電気もつけないで。夕食持ってきましたよ」
ガラガラとワゴンを押す音と共に肉やチーズの焼けたいい香りが広がる。いつもならすぐにとびつくネネだったが、今回は気だるそうに少し身体を起こしただけで再びベットに沈んでしまった。
異変に気付いたアルフレットは駆け寄り、髪を掻きあげてネネの額に手を当てる。
少し熱い。
「微熱がありますね。
寒くなってきましたし、風邪でしょう。一応医者を・・・」
立ち上がろうとしたアルフレットは何かに引っ張られて動きを止めると、ネネの手がシャツの裾を掴んでいた。
「・・・・いらない」
「もしかして医者嫌いですかあ?ネネさんってば意外に子供っぽいっすね」
うんうんと満足気に頷くアルフレットに蛇が口を開けて威嚇する。ところが彼は余裕の笑みを崩さなかった。
「もうペット攻撃は効きませんよ、慣れましたから!」
「・・・・放っておいて」
「でも風邪はひき始めが肝心ですから医者に――――」
「うるさい」
「う・・・うるさ・・・」
「いいの・・・自分で決めたことだから」
ネネから発する辛辣な言葉に動揺するアルフレット。ネネは彼とは逆の方向に身体を向けて、枕に顔を埋めた。
アルフレットは肩をすくめて苦笑いする。
「わかりました。その変わりちゃんと身体を休めてくださいよ。
何か食べやすいものを作らせましょうか?」
ネネはぶんぶんと首を横に振る。
「じゃあ温かくして今日は寝てください。本当に辛かったら人を呼んでくださいよ」
じゃあ、と静かに扉を閉め電気を消して出ていくアルフレット。
急に暗くなった部屋でネネは大きく息を吸い込んで吐いた。
『風邪ではないでしょうに』
「・・・・」
他者から見れば独りごとを呟いているように見えるだろうが、実際に声を発しているのはネネではなく蛇の方だった。甲高い声は女性特有のもので、薄暗い中ではどことなく不気味に聞こえる。
ネネは枕に爪を立て、ぎゅっと抱き込んできつく目を閉じた。身体が燃えるように熱い。
『・・・それが貴女の望みなら』
「・・・・・うん」
翌朝、一番にやって来たのはアルフレットではなくヴィラだった。
ひょっこりと顔を出してベットの中にいるネネを覗き込む。
「風邪だって?大丈夫か?」
ネネからの返答はない。しかし、苦しそうな呼吸音はしっかりと聞こえた。
無理やり布団を剥がすと、ネネの額に触れて顔をしかめるヴィラ。
「そ・・・こまで熱くはないけど、微熱・・・かな」
しかしヴィラの感じる温度よりもネネはずっと辛そうだった。浅く早く動く胸、額に光る汗、症状は高熱のものだ。
「ったく、なんで早く言わねえんだ。
風邪だとも限らないし、すぐに医者に見せて薬を飲めば―――」
ネネはぶんぶんと首を横に振る。
「医者が駄目なんて子供みたいだな。じゃああたしの魔術で治そうか?」
再びぶんぶんと首を横に振る。困ったヴィラは腰に手を当てて難しい顔をした。
「自然治癒って言ってもねぇ、これ以上に熱が上がるかもしれない。
もっと身体が辛くなってもいいのか?」
「いいから・・・出てって・・・」
ヴィラは入口にいるアルフレットに目くばせすると、首を横に振る。
病気は本人に治療の意思がなければどうしようもできない。一瞬気絶させて無理やり医者に見せようかとも思ったが、悪化しそうだったのでやめることにした。
「じゃあせめて食事だけでもちゃんととるんだ、いいな?」
返答はなかったがそれを了承と捉え、その時は静かに部屋を出ていくことに。
ところがその後ネネの体調は一向に良くならず、周りは焦り始める。寝ているときにこっそり医者に診せたが、原因はわからなかった。バレないように薬を食事に混ぜても効く気配がない。
さらにはヴィラの魔術でさえ、ネネの微熱に効果がなかった。
―――――おかしい
皆は次第にそう思いはじめていた。それと同時に焦りも高まっていく。
「病気じゃないんだろ?」
「医者はそう言っている、一応また診せてはいるが・・・」
執務室でひとつのテーブルを囲み、ヴィラたちは深刻な顔で話し込んでいた。
レオナードが国内で最も有名な医者を手配したものの、それでも病名すらわからない。
「そもそも魔術の効果がない時点で病気ではないでしょう」
ルードリーフの意見にヴィラが頭を抱える。
「それなんだよなあ・・・。病気でもなく、魔術でもなく・・・じゃあなんなんだ?」
「わからないから困ってる。本人も治す気がないから尚更だ」
「ありゃ困るよなあ」
そう、ネネ自身は熱を出してからずっと治療を拒んでいた。もしかして、とルードリーフが閃いて話に割って入る。
「彼女には原因が分かっているのでは?」
「どういうことだ」
「初め微熱を出したときから、彼女は医者に見せるのを拒んでいました。その後重症化してもずっと嫌がっています。しかも何も話したがらず、独りになりたがる。
もしかしたら、ネネ様には高熱の原因が分かっているのかもしれません。そしてそれは他人には干渉されたくないと思っているのかも・・・。
だから本人に直接訊けば何かわかるかもしれません」
「知っているとして・・・話さないだろう、あれは」
レオナードは眉間にしわを寄せて反論する。ヴィラも腕を組みながら首を縦に振った。
「あの子は自分のこと何にも話してくれないしな。訊いても絶対言わないと思う」
うーん、と静まり返ったその時。パタパタと慌ただしい足音と共にアルフレットが滑りこんで来た。
急いで来たのか肩で息をし、心なしか顔色が悪い。
「レオナード、魔女さん」
「医者はなんて言ってたんだ?」
「このままだと一カ月も持たないって・・・」
「え?」
「だんだん食べ物も受け付けなくなってきているらしくて、解熱剤も効かないしずっと高熱が続いて体力も奪われてて・・・・。
もうそんなに長くないって言ってました」
急に重たい空気が部屋に降りる。
ヴィラは親指の爪を噛んだ。
「・・・ったく!どうすりゃいいんだ」
「手の施しようがない以上、ネネ様自身に賭けるしかありません。なんとかして治す気になってくださるといいんですが」
レオナードは片眉を上げてルードリーフの方を向く。
「様は本人に生きたいと思わせればいいのか?」
「じゃあ簡単じゃないか!」
ヴィラがぽん!と手を叩く。そしてずいっと身を乗り出し、人差し指を立てて言い切った。
「ルーカス・ブラッドに会わせればいいんじゃん?」
ガクッと項垂れるルードリーフとアルフレット。
「それが出来てれば最初から苦労しませんってば」
「相手は居場所も分からない人間なんですよ?しかもわが国と対立する立場にある人間なんです」
「だーかーらー、探すしかないだろ。
いくら敵国の人間だからって恋人が危篤だって分かったら来てくれるかもしれないじゃん。
ってか無理やり捕まえてでも会わせるから!」
「ヴィラ・・・」
レオナードが名を呼んで制止を促すが彼女の口は止まらない。
「そうすればネネだって少しは元気出すだろうし、助からないにしても最期くらい会わせてあげようよ。
好きな人に会えて嬉しくない奴なんでいないだろ?」
「しかし、我が国の立場というものが・・・」
「知らん!!」
ええええ!!と驚き叫ぶルードリーフとアルフレットの2人。
ヴィラは王妃としてベルガラ王家のルーカス・ブラッドを探したいのではなく、ネネという1人の少女の恋人としての彼を探したかった。
どうしようもなかったとはいえ、彼らを引き離してしまった責任の一端は自分たちにもある。
敵だの味方だの言っている間にもネネの身体は徐々に弱ってきているのだ。迷っている暇はない。
「もしもこのことが他国に知られたら我々は非難されます!」
「言わせとけ!」
「そんなあ」
「どうせ処遇に迷ってたんだ。本人の目の前で話し合えばいいじゃないか」
「ヴィラ」
話が止まらないヴィラを牽制するのはレオナードだ。
2人はいつも為政者として心を鬼にしてきた。時には人を殺めても恨まれても、この国のためにと。
しかし今ヴィラが言っていることは真逆のことだ。
「ベルガラはドローシャに歯向かった。その事実は変わらない」
「そうだけど・・・・」
「何の交渉も無しにその男を受け入れれば外交的に多大な譲歩を許したことになる。
それでは他国に示しがつかないだろう」
「だけど背に腹は代えられないだろ。あたしがいいって言ってんだからいいんだ!
国とあたしと、どっちが大切なんだよ!」
ヴィラはテーブルに両手をついてレオナードに顔を近づけた。
「わかった、いいだろう」
「「返事早!!」」
コロッと意見を変えた自分の主に目を丸くする2人。さすがに一国の主であるレオナードもヴィラのお願いには1から10まで頷いてしまうらしい。
焦ったルードリーフはあわあわと口を震わせる。
「し、しかし・・・それでは・・・」
「大丈夫だ、ネネの恋人なんだから話が分かるやつに決まってる」
「それはどうかと思いますよ魔女さん、なんせあのネネさんだし」
「さっさと探して、さっさと会わせて、さっさと和解する!これに賭けるしかねえ!」
アルフレットの言葉を無視したヴィラ。
ネネとルークを引き合わせることに決めた以上、彼女のシナリオ通りに進むことを祈るしかなかった。