14話 旅立ち
ガタゴトと揺れる馬車の中、ネネはぼーっと小窓から景色を眺めていた。スラムにはない山や綺麗な川の水、活気のある商店街にどこも壊れていない民家。雰囲気はもちろん、空気から全く違う。
城下町に入るとさらに活気と笑顔に溢れ、この国が世界で最も豊かであると実感できるような場所だった。
「着きましたよ」
ふと視線を上に向ければ大きな城。いつの間にか到着していたらしい。ネネはお金を渡すと大きな荷物を持って馬車を降りた。
冷たい秋風が水色の髪を靡かせる。
「お待ちしておりました、ネネ様」
いきなりネネの周りを取り囲んだのは、かっちりとした分厚い布地の制服を纏った兵士たちだった。紫色の制服を見るに、おそらく王妃軍だろうと推測できる。
「・・・・どこへ行けば?」
「明日謁見の間で陛下と王妃様にお会いしていただきます。
それまでは用意した部屋で待機してください」
案内します、と一番偉そうな兵士に先導されネネは歩き始めた。ところが、後ろからボソボソとした話し声がネネの耳まで届く。
「あれが荒廃の魔女の弟子らしい」
「噂のルーカス・ブラッドの恋人って魔女か。
思ってたのとだいぶ雰囲気違うな、まだ成人してないみたいだ」
「だが顔は確かに可愛いな。俺タイプ」
「色気が足りねえよ。胸もあんまりないみたいだしな、はははっ」
本人たちはネネにわざと聞こえるように話しているのか、一言一句漏らさずばっちりと聞き取れている。気まずい空気が漂い、先導している兵士はゴホンッとわざとらしい咳を漏らした。
しかし噂している彼らは平気で話を続ける。
「でも困るよなぁ、陛下も。
まさか魔女が敵に通じるとは、なあ」
「処分するわけにもいかねえさ、一応は神の子なんだから」
「おいおいおい、そこらへんにしとかないとお前らが処分されるぞ」
止めに入ったのはネネでも先導の兵士でもなく、新たに現れた人物だった。場にそぐわない庶民的な服を着た、茶髪青目の綺麗な顔立ちをした男性である。
噂をしていた男たちは彼に気付くと、蛙が潰れたような声を上げて頭を垂れた。容姿や身のこなしから相当身分が高い人物だと思われるが、彼はネネを見てニコリと笑うと気さくに話しかけてくる。
「悪いな、不快な思いをさせてしまって。本当はそんなに悪い奴らじゃないんだ」
「・・・べつに」
無感情に返すネネに、男性は目を丸くしてから顔を綻ばせて満面の笑みを作る。
「おうおう、噂通りの魔女さんだな!
俺はランス。適当に呼んでくれ」
「じゃあ・・・・ランラン」
ブフォッと勢いよく噴き出したのは先導の兵士である。彼はわなわなと口を震わせながら慌てて口を挟む。
「ネネ様!そそそのお方の身分は仮にも殿下でございます!
そのような呼び方は・・・!」
「ランラン・・・・別にいいけど・・・・ランラン・・・」
どうやらランスと名乗った男は王子殿下だったらしい。ランスは俯いたままブツブツとネネのつけた愛称を繰り返す。
それにしても彼の恰好はとてもドローシャの王子とは思えぬほど高級のこの字もなかった。田舎にいても普通に庶民で通りそうなナリだ。変わり者の放蕩王子と言われるのも納得だと、ネネはランスの顔をまじまじと眺める。
「ランラン・・・うーん、可愛いけど女みたいだな・・・」
「・・・・そう?」
「よし、じゃあ俺はランランで!
お前の名前は・・・ネネだっけ?」
コクリと無表情のまま頷くネネ。全く感情を見せないネネを不思議に思ったのか、ランスは小首をかしげながら顔を近づけた。
「いや、現物を見るとまた違うもんだな。すげー、違和感。生きものじゃないみたいだ」
先ほど兵士たちの悪口を注意した彼だが、自分の発言も大概失礼である。しかしそれが周りの素直な感想だった。
実際に目の前にしてみると、いくら噂を聞いていても違和感を感じる。
まるで人形のようだ、と。
「ああ、明日父さんたちに会うんだろ?
すげー仏頂面でちょっと雰囲気怖いけど。心配しなくても大丈夫、俺も一緒に居るから」
大船に乗ったつもりでいろよ!と胸を叩く頼もしいランス。
なんだかいちいち元気な人だなあ、そういえばお腹すいた、とネネは失礼なことに全く別のことを考えていた。
「魔女の収集かけたがネネが最後だぞ!もう皆帰っちまった、残念だったなあ」
「ここ・・・・ご飯おいしいのかな・・・」
「王城は広いからな、迷子になるなよ!ちなみに俺は今でも迷う!」
「・・・・・だんご・・・・たべたい」
テンションの高いランスとは対照的にぼーっとしているネネの噛み合わない会話、それを戦々恐々と見守っている兵士たち。
先導の兵士はその奇妙な空間に耐えられずランスに一礼すると、ネネの首の根っこを掴んで無理やりその場を辞したのだった。
砂を巻き上げる強い風が吹く中、ルークとジェルダはスラムを出た。外から見るスラムは外界から完全に遮断されるが如く、高い壁で囲われている。
中に居たころはスラムがとても広く感じたが、外から見てみれば所詮国の一角に過ぎないことがよくわかる。
「名残惜しいのですか?」
スラムを見つめるルークに、ジェルダは窺うように質問する。ルークはいいや、と否定した。
「そうじゃねえよ」
自分でも驚くほどに、幼少期から育ったスラムだが愛着はない。名残惜しいのはスラムではなく、何も知らせず置いてきたネネだった。
今も独りで自分の帰りを待っているのだろうか、と。
「・・・行くぞ」
スラムに背を向けて歩き出すルークにジェルダが続く。
彼らが今から向かう場所は、生まれ故郷であるベルガラ王国。ドローシャの西側に位置する、かつては王権がとても強力な国だった。今は敗戦国としてドローシャの支配下となり、すべての王族は粛清されたとしている。―――――ルークを除いては。
ベルガラへ行き、そしてルークはドローシャに挑むことになる。ベルガラの権威を取り戻すために、王国を復活させるために。
「血筋をなにより重んじるベルガラでは、頂点に立つ者は必ずベルガラ王家の血を持つ者でなければなりません。
でなければ、民はついてきませんので」
「めんどくせえ国だな」
ジェルダは眉をしかめて息を詰める。
「・・・そうおっしゃらず。
ベルガラはドローシャに次ぐ歴史を持っております。その王家の血筋は創立から一度も耐えておらず、世界最古の王朝とも言われております。
国の誇りなのですよ、ベルガラ王家は」
「やっぱりめんどうだ。・・・・・勝算はあんのかよ」
国を取り戻すためにはドローシャという世界で最も強力な国を退けなければならない。民の力を借りてもドローシャとベルガラでは大人と子供、普通に考えれば勝機があるとは思えなかった。
ところが、ジェルダには勝てる自信があった。彼は声を低くして深く頷く。
「貴方にお渡しした本、それはベルガラ王家に古くから伝わる古文書です。詳しくは存じ上げませんが、どうやら“人ならざる者と契約を結ぶことができる”のだとか・・・。
それを利用すればドローシャの軍をはるかに凌ぐ力を手に入れることも不可能ではない、と」
「なら戦争が起こった時点で使えばよかったじゃねえか」
ジェルダの言葉が本当なら、古文書を使えば戦争に簡単に勝つことができたはずだ。しかしベルガラは戦争に負け、こうしてルークの手元にある。
「わかりません・・・。
しかしベルガラの陛下はかなり変わった方だったそうで、オーティスとの戦争にあまり乗り気ではなかったようなのです。
その古文書を使えるのはベルガラ王家の血を持つ者のみ。戦争を推し進めた臣下に扱うことはできなかったのでしょう」
「どうやって使うんだ?」
ルークは疑い深い眼差しで古びた本を眺める。見たこともない文字はおそらく解読することも難しいだろう。契約を結ぶにしても契約の内容すらわからない。そもそも契約する相手が何なのかすらわからないのだ。
ジェルダは淡々と答えた。
「私がそれを預かった方からは《相応しき場所にて》と言っていました」
つまり、特定の場所でしか使えないということだろうか。どちらにしてもわかっていないことの方が断然多く、しばらくはヒントを頼りに探すしかなさそうだった。
ルークは気が乗らず、舌打ちをして本を乱暴に仕舞い込む。
「こんなボロに振り回されるなんざゴメンだ」
「ルーク様、そうおっしゃらず・・・」
「ったく、めんどくせえ」
ルークは一度だけスラムを振り返り、再び背を向けて歩き始めた。