1話 一目惚れと愛の告白
本作品はヤンキーな魔女の続編っぽい内容となります。
単発で読んでも問題ありません。
ぐつぐつ煮えたぎる紫色の液体をかき混ぜている少女は、隣の部屋で土下座をしている男と師匠の会話を聞きながら沸き出る泡をぼーっと見つめていた。
「お願いします!
魔女様の薬が無ければ息子が死んでしまいます!」
「そんなはした金で売るような薬はないよ」
帰りな、としゃがれた声で無慈悲に言う老婆。
すっぽりと身体を覆う黒いローブ、フードの下から覗く長い鉤鼻。その出で立ちは魔女そのものだ。
男は諦めることなく、床に頭を擦りつけて頼み込んだ。
「私の持っている財産なら全て差し上げます!!ですから―――――」
ほう、と老婆は目を光らせる。
「ならばお前の臓器で手を打ってやろうか」
「ぞ・・・臓器・・・」
目を見開きながら震える男は、声をひっくり返しながら呟く。
息子の命と自分の臓器を頭の中で天秤にかけているのだろうと、少女は無感情に思いながら火にかけていた鍋を覗く。
良い頃合いだ。
満足気にこくりと頷き、瓶に詰めてある目玉を鍋の中に放り込んだ。途端にムワッと緑色の煙が沸き起こり、少女の居る部屋の方に視線を寄こした老婆が呆れたように首を横に振る。
「ネネ、目玉を入れるでないと何度言ったらわかるんだ」
ネネと呼ばれた少女は無表情のまま空になった瓶に視線を落とした。
ふわふわのウェーブがかかった水色の長い髪、琥珀を薄めたような黄土色のトロンとした瞳。肌の白さも相まって、全体的に色素の薄い彼女の名前はネネ。若く駆け出しの魔女である。
師匠の元に弟子入りしてから早8年経つが、ネネの特殊な性格の所為か、彼女の魔女としての実力には非常に偏りがあった。
「・・・だって目玉好きなんだもの」
―――――間違った方向に。
一連の会話を聞いて混乱した男は真っ青になりながら手を合わせる。
「お、お、お助けください!どうか神のご慈悲を!」
「神頼みするくらいならさっさと臓器を渡すんだね」
「しかし・・・・!」
「イヤならとっとと帰んな」
おら、と足で蹴りながら男を家の外に追い出した老婆。
紫からだんだん緑に変ってきた液体の様子を見て、ネネはクフッと分かるか分からないかくらいの小さな笑みを漏らした。
ドローシャ王国のスラム街、そこにネネと師匠は2人で暮らしていた。
魔女としてかなりの稼ぎがあるにも関わらず、ネネの師匠はあえて小さくボロい小屋に好んで住みついている。
ネネも最初は治安が悪く不潔なスラム街を嫌ったが、住み慣れればどうってことはなかった。何より国に干渉されないこの地を、今では出るのが惜しいと思っているくらいだ。
とは言っても、あくまでここはスラム街。
弱肉強食の世界で勝負に負ける弱い人々に未来はない。
道端に立つのは胸元を大きく開いたドレスを着た娼婦。少し路地裏に入れば転がっている死体。痩せ細って物乞いしている子どもたちも多い。
四季を知らせる緑は少なく、道端を歩く人々の目は濁り切っている。
そういう場所なのだ、ここは。
ネネは籠いっぱいの野菜を持ち、今日の夕飯はビーフシチューにしようと足取り軽く帰路についていた。
しかし道の向こう側からこちらへやって来る男の姿に、彼女はパタと足を止める。
赤銅色の綺麗な髪に血を連想させる深い赤の瞳。
彼を見た瞬間ネネは手に持った籠を落としてしまったが、彼女の瞳は男に釘付けになったまま。
ころころと足元を転がる野菜には一気に人が集って盗まれてしまった。
けれどもそんなことはどうでもよかった。
今のネネの世界には自分と赤銅色の髪の男しかいないのだから。
しかしジロジロと見られていた男は、不機嫌に眉をしかめてネネを片手で突き飛ばす。
「見てんじゃねえよ」
尻もちをついた痛みよりも突き飛ばされた方がショッキングだった。――――いい意味で。
彼の取り巻きの一人の男がネネを見て焦り出す。
「あ!頭、コイツ・・・いやこの方は魔女のネネ様ですよ!
暴力ふるっちゃまずいですって!」
「知るか」
手下の助言を一蹴した彼はネネに目もくれず去って行った。
ネネは走って自宅へ帰り、乱暴にドアを開けて部屋の中に飛び込む。
珍しく機敏に動くネネを不審に思った老婆は問うた。
「どうしたんだい、ネネ。
何かあったのかい」
「う・・・運命の出会い・・・なんて・・・」
ネネは空っぽの鍋に目玉やトカゲを適当にぶち込みながら、鼻歌を歌わんばかりのご機嫌っぷりで呟くように言う。
「血・・・もらえないかな。
骨でも・・・爪でもいい。
本当は目玉がいいんだけど・・・あんな瞳にずっと見つめられたら私・・・・」
ぐりぐりと鍋を高速で掻き混ぜながらキャッと頬を染めるネネとは対照的に老婆は悲鳴を上げた。
「鍋!それ以上は爆発するーーーっ!!」
その日、魔女の家の天井が吹き飛んだ。
赤銅色の髪の男、ルーカス・ブラッドは廃墟の中で数人の手下と共に潜伏していた。
左腕に走る生々しい傷は彼が堅気の人間ではない証拠。
「頭!ロドス組がやられた!
移動した方が・・・!」
廃墟に駆け込んできた手下は焦ったように言うが、ルークは大きなイスに座ったまま静かに否定する。
「今焦って動けば奴らに居場所がばれる、落ち着け」
「でも・・・」
まだ何か言い足りないのか、今度は別の手下が言いにくそうに口を開いた。
「どうした?」
「それが・・・客人が・・・」
困惑した表情で手下がゆっくりと顔を向けた方には、場にそぐわない水色のふわふわした髪の女の子。
彼女は男だらけのこの場で物怖じすることなく、無表情のまま歩みを進める。
ルークにはその子見覚えがあった。
先日道ですれ違ったときに突き飛ばした魔女だ。
「ふん、仕返しにでもしにきたのか?上等じゃねえか」
「・・・違います」
女の子は人形のようにどこか作りものめいた雰囲気を持っている。肌の色は白を通り越して透明に近いのでは、と思うほど。
ルークは彼女が自分を訪ねてきた理由を探ろうと、目を細めて観察したが全く感情が読み取れない。それほどに無表情で温度のない女の子だった。
「何しに来た」
「私はネネ、です・・・」
自分のボスを守るべく手下たちは、水色の髪の女の子、もといネネを武器を持って囲んだ。
しかし彼らの顔は一様にして険しい。それは彼女が“魔女”であることを知っているから。
「もう一度問う、何しに来た」
「あなたに会いに来ました。ルーカス・ブラッドさん」
「要件は」
「会いたかったから会いに来た・・・それだけですよ」
ネネが一瞬だけ笑ったかもしれない。しかし表情の変化は注視していないと分からないほど僅かなものであった。
ルークは射殺すような鋭い視線を向けて殺気立つ。手下たちも手に汗をかきながらも剣や槍を握りしめる。
「俺に何の用だ」
「あなたに・・・お願いがあります」
ネネは服の中から短剣を取り出し、切っ先をルークに向けた。
宣戦布告、そう受け取ったルークは常人なら泣いて逃げ出すほどの殺気でネネを睨んだが、やはり彼女の表情に変化はない。
武器を取り出したというのに全く動かない手下たちに怒るルーク。
「おい、なにやってんだ、殺せ」
「いやいやいや!!ダメですって!!」
「魔女を傷つけたら死罪ですよ、死罪!!」
それくらいの常識はルークだって知っている。
ったく、と役に立たない手下に毒づき、再びネネに視線を戻した。
「そんなに俺を殺したいなら魔術で殺せばいいじゃないか」
「殺すなんて・・・そんな・・・私の身にあまる光栄です・・・。
私はただ、あなたに私の子供を産んで欲しいだけで・・・」
手下は一斉にずっこけた。
「あ、間違えました。
あなたの子供を産みたいだけで・・・」
「間違えすぎだろ!」
誰かのヤジともとれる突っ込みが飛ぶ。
ネネは無表情のままポッと顔を赤らめた。表情に変化はないのに照れているのが分かり、ルークは頬の筋肉をヒクヒクと引きつらせる。
「冗談に付き合うつもりはない。出て行け」
「冗談だなんて・・・本気です」
「おい、誰かこいつを摘まみ出せ!」
ルークの命令に顔を見合わせる手下たち。
魔女は世界でもここドローシャにしか存在しない貴重な存在。さらには神の子とも言われ、傷つけるだけで国庫に手を出すのと等しい犯罪として扱われる。つまり死罪なのだ。
本来ならスラム街に居ていいような人ではない。
とうとう手下の一人が根を上げた。
「無理っすよお~。魔女って魔術使うんでしょう?」
「どうするよ、蛙に姿を変えられたら」
「お、おそろしい・・・」
「情けない」
大の大人の男がたった一人の小娘も摘まみ出せないとは。
ルークは苛立ちながら血のような赤い瞳でネネを睨んだ。
「お前と関わるつもりはない」
「ネネです」
「お前と関わるつもりはない」
ネネの言葉を無視して同じ言葉を繰り返す。そこには微塵も迷いはなかった。
ルークにとってネネは鬱陶しい存在、ただそれだけ。
「結婚してください」
「お断りだ」
「遠慮せずに・・・・」
「嫌だと言っている」
「じゃあ恋人になってください」
「剣を突き出しながら言う台詞か!」
とうとう痺れを切らしたルークは立ち上がって叫んだ。
彼の言う通り台詞と行動が噛みあっていない。
ルークと手下たちは頭を抱えてどうしたものかと困惑する。
「そもそもなんで俺なんだ」
「あなたが好きだからです」
「だったらもっとマシなやり方を考えろ!」
「じゃあやり方を変えたら恋人になってくれますか?」
ネネは少し考えた後、再び服の中から何かを取り出した。
ルークたちは嫌な予感しかしない。
ネネがはい、と差し出したのは赤い液体がいっぱいに入った小瓶だ。
「私が作ったマムシとタランチュラの血入り、特製トカゲ酒です。
主に・・・夜系のお薬です」
「いるかっ!!!」
反射的にルークはそれを叩き落とした。
「頭あ、俺怖いっす・・・」
「俺も・・・」
泣く子も黙る不良の男が泣きそうな顔をしている。
割れた小瓶から漏れた赤い液体は、じゅわじゅわと煙を立てながら床に広がり水溜まりを作っていた。
「他を当たれ、俺には無理だ」
真面目に心の底から言い切ったルーク。無論本音である。
「嫌です・・・・、あなたじゃないと嫌。」
ネネも本気だ。再び剣の切先をルークに向けた。
「俺のどこがいいのか知らないが無理だ」
「・・・恋人になってくれるまで離れませんから。
お風呂に入るのもトイレに行くのも付いて行きますから・・・」
もはや告白を通り越して脅迫である。剣を取り出した時点でそうではあったが。
何を言っても絶対に引かないだろうと悟ったルークはドスンッとイスに腰を下して明後日の方を向いた。
どうやったらネネを諦めさせることができるのであろうか・・・と。