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21歳の高校生

作者: 蒼江 葉
掲載日:2026/04/19

「ちょっと、やめてよ!」


 女性の声が聞こえたのは、自分のクラスへ向かう途中の階段でのことだった。その

声は、人気のないせいもあってとてもよく聴こえた。

 すごく怒っていて、だけどすごく綺麗な声だった。

 だから気になって、つい寄り道してしまった。

 そっと階段を上っていると、上の方から急いで駆け下りてくる金髪の女性がいた。薄暗くてよく見えないが、この学校の制服を着ていることはわかった。


「えっ、ちょ、どいてどいて!」


 慌てた女子が叫ぶ。

 驚く間もなかった。

 二人の身体がぶつかると、俺の視界は一気に上へ傾き、途絶えた。



     ×          ×          ×



 暗闇の中で、意識だけがうっすらと浮かんだ。

 これに似た感覚を何度か経験したことがある。どうやら俺は、眠っているようだ。

 目蓋が重くて目が開けられない。どういうわけかわからないが、金縛りでないことは確かだった。

 ええい!

 力を振り絞り、なんとか目を開ける。

 知らない天井がそこにあった。

 ここは、どこだ?

 ベッドに寝かされていることはわかる。

 ゆっくりと顔だけ動かす。

 そこは、床や壁が白で、掃除も行き届いている部屋だった。

 腕には、繋がれた状態のチューブ、ということは。

 考えていると、誰かが部屋に入ってきた。


「……え?」


 看護婦さんと目が合った。

 彼女は持っていた書類をその場に落とし、魚みたいにパクパクと口を動かしている。

 やっぱり、ここって病院だな。


 目が覚めて、医者から聞かされた話を整理することにした。

 俺は高校の入学式の日に階段で転んで頭を打ち、そこから6年間も眠っていた。

 今は2026年4月18日で、俺は21歳!

 もう立派な大人!


「て、んなわけないだろ!」


 一人で勝手にツッコむ。悪ふざけにしてはひどすぎる。


「無理もない」


 医者が髭を撫でながら言った。


「だから、君のお父さんとお母さんに来ていただいた」


 今、何と言った?

 俺が反応するより先に、医者が指をパチンと鳴らした。

 すると、病室の扉が横にスライドした。


「わ、航? 本当に、目覚めたのか?」


 聞き覚えのある声が震えていた。

 恐るおそる近づいてくる二人の顔を見ると、思わず声が出た。


「親父? お袋?」


 少しやつれたようにも見えるが、その顔は覚えている。この二人は紛れもなく、俺の両親。 


「おお、航……」


「そんな……」


 思わず口元を手で覆った。

 俺は今、はっきりと、今が2026年なのだと思い知らされた。


「親父……頭が……髪が……」


 2020年には確かに存在していたはずの父の髪が、明らかに消失していた。あの時は見えていなかったはずの頭皮が、今ははっきりと見える。


「気づいてしまったか……」


「気づきたくなかったよ」


「そう嘆くな、お前もじき、こうなる」


「そんな……」


 目が覚めただけのはずなのに、衝撃の連続で動揺せずにはいられない。

 これから先、俺はいったいどうなるんだ?


     〇          〇          〇


 結局、その日は病院に泊まり、翌日には退院することができた。

 家に帰る途中に学校に寄って、校長先生と話をした。

 今の俺は休学扱いで、本来なら今年度で在学年限の6年を迎えて除籍の扱いになる、はずだった。


「でも、こうして目が覚めて元気みたいだから、俵山くんさえよければ復学してもらってもいいですよ。ただし、留年したら即退学ね」


 校長先生はさらっと言った。

 両親は嬉しそうに泣いて喜んだ。

 俺は、何も言えなかった。

 家に帰ると、両親はごちそうを用意してくれた。


「岬は?」


 妹の姿がないので聞いた。


「合宿で、今日は泊まり込みらしいの。明日の夕方にはいつも通り帰ってくる予定だから、明日は家族全員が揃うわよ~」


 母は嬉しそうだった。


「航……お前も、飲むか?」


 父がビール瓶を差し出してきた。


「……それはまた今度もらうよ」


 懐かしく感じる母の手料理を食べ終えると、風呂を済ませて部屋に戻り、さっさとベッドへ潜り込んだ。病室とは違う見慣れた部屋で、落ち着ける場所のはずなのに、いつまでたっても眠れない。

 理由は明白だった。明日から始まるという学校生活のせいだ。

 正直、まともに学校生活を送れるとは思えない。

 十代の学生たちの中に21歳の男が入って行くなんて、どう考えても異質だ。

 当然、肩身の狭い思いをするだろうし、下手をすれば相手にも余計な気を遣わせてしまうかもしれない。


「よし、辞めよう」


 両親には悪いが、やはり高校を中退しよう。

 それが一番平和なんだ。

 高校中退の理由を考えていると喉が渇いた。

 一度ベッドから出て、台所を目指す。

 一階に降りると、リビングに明かりが点いていた。

 こんな時間に、誰が起きてるんだ。


「ひっぐ……ひっぐ……」


 そっと近づくと、嗚咽混じりの母の声が聞こえた。


「よかった……ほんとによかった……もう目覚めないんじゃないかと思ってたから」


 そこには、両目を赤く腫らし、鼻を啜るのを必死に堪えようとする母がいた。

 そんな母を、父は静かに抱き寄せていた。


「ごめん……ごめんなさい。本当は、こんなはずじゃなかったのに。あの子が無事にこの家に帰ってきて、私の作ったごはんを食べてくれてるのを見てたら、嬉しくて、我慢できなくて……」


「いいんだよ」


「あなたにも、ごめんね。私がわがまま言ったせいで、ずっと働き詰めになって、辛かったはずなのに」


「わがままだなんて思ったことはないよ。君だけじゃない。僕も、航には生きていてほしかった。もちろん、岬も同じ気持ちのはずさ。だから、仕事の疲れなんて、なんてことはなかったよ。今、一番困惑してるのは航だ。それなのに、僕たちが暗い表情をしてたら、あの子はさらに不安になってしまうかもしれない。僕たちは、あの子が何事もなく、元の生活に戻れるよう、いつもと同じ状態で迎えてあげよう」


「……うん」


 俺は、足音を殺して来た道を戻った。

 ベッドに入ると、今まで考えていたことはすっかり忘れていた。

 ただ、一つだけ、はっきりしたことがある。


「学校行こ」


 不思議なことに、すんなり眠ることができた。


     〇          〇          〇


 「俵山航です」


 クラスメイトたちの前で自己紹介した。

 物珍しいものを見るような視線が俺に注がれている。


「はい、ありがとうございます!」


 パンっと手を叩いた教師が俺の隣までやって来た。


「紹介してもらった通り、俵山航くんです! 今まで訳あって休学扱いでしたが、今日から皆さんと一緒に勉強する事になります。みんな、仲良くしてくださいね!」


 教師が元気そうに言った。黒髪ロングで清楚さを感じさせる外見の教師は、予想に反して活発さを感じさせた。


「雪ちゃん先生いつもより元気ー!」


 クラスの女子が言った。


「もしかして狙ってるんじゃあねぇかぁー?」


「な!」


 男子のおふざけの言葉に、教師の肩がビクッと動いた。


「雪ちゃん先生まだっぽいもんねー」


「まじかよ! 雪ちゃん、俺を狙ってたんじゃねえのかよぉー」


 波に乗ろうとした生徒たちが悪乗りを始めた。

 その挑発的な言葉に、教師の腕がわなわなと震え始めた。


「こ、このクソガキ共ぉぉ……よくも……」


 恨みのこもった声が聞こえてきた。さすがに声量は控えたのか、聞こえたのは隣の俺だけのようだった。

 怒りを募らせていた様子の教師は、俺に気づいてハッと気を取り直す。


「あ、えっと……、私は城ケ崎雪……新任だけど、航くんが無事に学校生活を送れるよう、全力でサポートするから、これからよろしくね!」


 ごにょごにょと言い終えると、城ケ崎先生は逃げるように教室の隅へ移動する。みんなにからかわれたのが恥ずかしかったのか、先生の顔は、どこか赤みがかっていた。


     〇          〇         〇


「あー、疲れた」


 誰もいない屋上で静かに昼を過ごす、というのが入学前の密かな憧れだったが、実際の屋上は立ち入り禁止だったから、校舎の隅に見つけたベンチで青空ランチを味わうことにした。


「見つけた」


 箸が止まったのは、唐突な声のせいではない。いきなりやって来た女生徒が驚くほど美人だったからだ。城ケ崎先生が大人的な美人だとすれば、この女生徒は学生的な美人と表現するべきだろうか。


「えーっと……何か?」


 相手の狙いが読めないので、それしか言えなかった。

 女生徒はじっと俺を見ていたが、次第に口元を震えさせたかと思うと、いきなり俺に抱き着いてきた。


「会いたかったです! 兄さん!」


「兄さんって、え? え?」


「私です! 岬です!」


「岬!? 妹の岬なのか!?」


「そうです! 私です!」


「お、おっきくなったなぁ……」


 記憶の中の岬といえば、まだ小学生の姿のままで、歯も完全に生え変わっていない、時々鼻水を垂らしては啜るのを繰り返していた小さな女の子だった。それがまさかこんなに綺麗になっているとは、6年も経っているから当然と捉えるべきなのか。


「ふふ、惚れちゃいましたか?」


「いや、惚れはしないだろ、兄妹だぞ」


「むぅ……」


 頬を膨らませるのは実に岬らしいが、今の姿でされるとなんともギャップを感じる。


「というか、同じ学校だったんだな」


「兄さんと同じ高校に入るって決めてましたから! 私ももう立派な高校生ですよ」


「ん、ちょっと待てよ」


「どうしました?」


「岬、お前今、何年生なんだ?」


「三年生です」


「てことは、俺は岬の後輩になるってことか?」


「そういうことになりますね!」


「まじかよ……」


「でも、私と兄さんが兄妹であることに変わりありませんから!」


 そう言うと、岬が俺の腕に抱き着いてきた。何と言うか、昔よりもベタベタくっつくようになった気がする。


「あー!」


 いきなりの叫び声。この声は聞き覚えがある。


「ふ、二人とも、何やってるんですか!」


 城ケ崎先生が慌てた様子で駆け寄って来た。その手には、縦長のランチバッグが提げられている。


「げ、城ケ崎先生……」


 岬が顔をしかめた。せっかくの美人が台無しだ。


「こんな昼間から堂々と抱き着くなんて、いけません! 航くんから離れてください!」


 城ケ崎先生が岬の腕に触れようとすると、岬はキッと睨んでその手を振り払った。


「気安く触らないでください! それに、馴れ馴れしく兄さんの名前を言うのもやめてください!」


「しょ、しょうがないじゃないですか。お二人とも同じ苗字なんですから、わかりやすくするためにも名前で言うのが一番なんです。ですねよ、航くん?」


 ここで俺に振るんですか?


「どうでしょうねぇ、本当は兄さんの名前を言いたいだけなんじゃないですか?」


 恨めしそうに岬が言う。この妹、城ケ崎先生に容赦ないな。


「ぐ、うぐぐ……」


 城ケ崎先生が体をわなわなと震え始めた。また恨み節をこぼすのかと思ったがそうではなかった。代わりに、目元に少しだけ涙を浮かべていた。


「ちょ、ちょっと落ち着け二人とも。岬、先生に対して言いすぎだ」


「う、確かにちょっと熱くなってました。ごめんなさい」


 岬は城ケ崎先生に頭を下げた。素直に謝ってくれたのは幸いだった。


「それで、先生はどうしたんですか、何か用があったんじゃないですか?」


「それは……航くんはまだクラスに馴染めないんじゃないかと思って、一緒にお昼を食べようと……」


 なぜかもじもじする城ケ崎先生は、これ見よがしにランチバッグを前に出すと、俺の隣に腰かけた。

 どうやら本当に昼飯を食べに来たようだ。しかしこの状況、岬がいなかったら教師と生徒の二人きりの食事になるわけで、クラスで行き場のない生徒を見かねての同情による行為と思われそうで複雑だな。まあ、実際その通りなんだけど。


「ねえ、兄さん」


 ようやく静かな食事が始まったかと思うと、岬が言った。


「何だ?」


「今度の土曜、私とデートしてください」


「ぶっ」


 食べたものを詰まらせたのか、城ケ崎先生はむせ返っていた。


「あー、そうか。どっか行きたいところがあるんだな?」


「はい、なので一緒にデートに行きたいんです」


「何か欲しい物でもあるのか? 俺あんまり金持ってないんだけど」


「食事をしたりするのが目的なのでお金の心配はありません。デート、してくれますか?」


 なぜだろう、岬がさっきからやたらとデートを強調してくる気がする。


     〇          〇          〇


 週明け。

 今日は朝から、妙に城ケ崎先生の様子がおかしい。

 朝のホームルームで教室に入ってくるなり俺の方を見てくるし、全体への連絡の時にも俺の方をチラチラ見てきた。

 勘違いでなければ、朝の時間だけでも二十回は先生に見られていた気がする。

 とはいえ、何かを言ってくるわけでもない。

 声をかけらそうな時は何度かあったが、その度に先生はどこかへ行ってしまった。

 いったい、何だというのだろうか。


     〇          〇          〇


「うん、ちゃんとできてる! これなら次のテストは大丈夫そうね!」


 6月中旬。

 放課後の教室で、俺は城ケ崎先生による一対一の補修を受けていた。中間試験の結果が悪く、このままでは良くないということで行われたものだった。

 勉強の指導は私がやる、と名乗りを上げた岬だったが、大学受験の勉強があるということで辞退してもらうことになった。

 窓の外では、すでに日が暮れていた。

 夜まで学校に残るのは面倒ではあったが、進級できずに学校を辞めるというのも笑えないので、今までにないくらい勉強に没頭した。それこそ、通学中でも参考書を読み込むくらい。こんなに勉強したのは高校受験の時以来かもしれない。


「ありがとうございます。では、また」


「あ、ちょっと待って」


 帰る支度をしていると、城ケ崎先生に止められた。


「私ももう帰るから、よかったら一緒に帰らない?」


「……はい」


 予想以上に集中していたのか、部活で残っていた他の生徒はとっくに帰ったようだ。

 城ケ崎先生が戸締りを終えると、横に並んで帰路につく。


「それにしても、すっかり暑くなりましたね」


「ですね。クーラーがなかったら茹でだこになってたと思います」


 最近は寒暖差を感じるから上着を着てきたが、この分だとそろそろ夏服に移行してもいいかもしれない。


「高校生活はどうですか?」


 城ケ崎先生が聞いてきた。


「あれでも途中で投げ出すかなと思っていましたが、案外続けられるものですね」


「……クラスのみんなと歳が離れているのは、やっぱり辛いですか?」


「辛い、とは思いませんけど、自分とは違うんだなと思うことがありますね」


「……そうですか……」


 城ケ崎の先生が暗くなったような気がした。


「いや、ほら、みんなやけに賢いなぁと、俺はちょくちょくエロいことを考えたりしてますけど、全然そんな雰囲気を見せないので」


「エロ……そういえば、パソコンの時間にエッチなサイトを開こうとしてましたね」


「とっくに成人してるので許されるかなと思ったんですけど、ダメでした」


 こっそりやればバレないと思ったが、まさか検索履歴を見られるとは思わなかった。おかげで、次はもっと慎重にやるべきだと学んだ。


「年頃の男の子ですもんね……気になりますよね」


 城ケ崎先生の調子がどこかおかしい。

 そこら辺のベンチでの休憩を提案しようとした時、向こうから人影が近づいて来たことに気づいた。

 それは、コートに身を包んだ男だった。夏を思わせる日にわざわざフードを頭に被せていることから、普通ではないことは明らかだった。


「…………城ケ崎」


 男がぼそっと言った。


「…………あ、あなたは」


 城ケ崎先生が気づいたように言った。


「教師になったそうだなぁ……あの素行不良だったお前が……俺を辞めさせたお前が!」


 男が城ケ崎先生を睨む。その目は、岬が城ケ崎先生を睨んだ時のものとは全く違う。本気で相手を憎んでいる目だった。


「先生の知り合いですか?」


「ん……お前……」


 俺の顔を見て、男が何かに気づいた。


「その顔……お前……俵山か! 意識を取り戻したのか!?」


 意外なことに、男は俺を知っていた。だが、俺はこんな男を知らない。

 この男はいったい誰だ。


「だったらお前も殺してやる……お前のせいで俺は……」


 そう言うと、男は懐からナイフを取り出した。玩具なんかではない、本物のナイフだった。


「ちょっと、話し合いをしませんか?」


 時間稼ぎの呼びかけを試みるが、男はナイフを立てて突進してきた。その狙いは、城ケ崎先生だった。

 気づけば俺は、城ケ崎先生の前にいた。

 動けないでいる先生を守らないといけないと思うと、体が勝手に動いていた。

 ドスっ、と男がぶつかってきた。

 

「ぐ……ぐ……」


 胸に痛みが走り、膝から崩れてうずくまる。


「殺してやる……殺してやる……」


 男はぶつぶつと呟いている。

 もう、ダメか。


「おい、お前」


 男の背後から声がした。

 全員の注意がそこへ向かうと、男の身体が横に飛んだ。

 何が起こったのか、すぐに理解できなかった。


「お、親父……」


 男がいた場所には、腕を振りぬいた状態の父がいた。


「何でここに?」


「遅くまで勉強をがんばっている息子を迎えに行こうと思って来たが、まさか悪漢に襲われていたとはな」


「てか、何でそんな強いんだ」


「昔、ボクシング映画に影響を受けたことがあってな。父さんの雄姿については、後で母さんに伝えてくれ。それより、怪我は大丈夫か」


「そういえば、思ってたより話せてる……」


 意外に思って見てみると、刺された個所から微かに血が出ている程度の怪我だった。服の確認をすると、その訳がわかった。


「暗記カードをポケットに入れてたから、それが運よく間に入ったらしい」


「とにかく病院で診てもらって、あの男は警察に任せよう。いいな?」


「ああ」


「それと、隣の彼女は……」


 父が、城ケ崎先生に気づいた。

 青ざめた表情の先生は立ち上がると、深々と父に頭を下げた。


「……お久しぶりです、俵山さん」


 先生の言葉に、父も「どうも」と頭を下げた。

 二人は、知り合いなのか?


     〇          〇          〇


「6年前の、入学式の日のことを覚えていますか?」


 幸いにも、刺された傷は大したことないと診断された。

 処置が終わり、病院を出るとすぐ、城ケ崎先生は話を始めた。


「あの日、私は進学のことで学校に呼び出されました。そして、私に進学について説明をしていたのがあの男でした。でも、あの男は話の途中で私の身体を触ってきて、それが嫌で、私は逃げるために階段を駆け下りて、それで、あなたとぶつかりました。覚えていないかもしれませんが、あなたはあの時も、落ちそうになっていた自分じゃなくて、私のことを守ろうとしてくれました。でもそのせいで、あなたは頭をひどく打ち付けて、それっきり意識を戻さないようになって……私が教師になっても、そのままで……でも、ある日突然目を覚ましたと教えられて……嬉しくて……」


 城ケ崎先生は、涙をこぼしながら告白する。

 その姿は、いつか見た母の姿を想起させた。


「本当は、もっと早く打ち明けるべきでした。でも……あの時助けてもらったのが私だと知って、嫌われたどうしようって……そう思うと、なかなか言い出せなくて……」


「じゃあ、岬がやけに先生を敵視してたのは」


「お兄さんが意識を失った原因の私を、嫌わない理由はないですよね……」


「そういうことですか」


「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」


「いや、先生が謝ることないでしょ」


「え?」


「今の話を聞いて先生が悪いと言う人はいないでしょ。どう考えてもあの男が悪いですよ」


「でも、私が走って階段を下りてたからあなたが怪我を」


「その原因はあの男で、その、先生を助けようとしたのは俺でしょ? なら、先生のせいじゃないですよ」


「そう、でしょうか……」


「そうです」


「その、怒らないんですか? 今まで黙っていたことについて」


「怒るよりも、先生が俺の先輩で、金髪ギャルだったってほうが驚きです」


「それはっ、お洒落するのが好きだったので…………み、見たいですか?」


「何をですか?」


「私の、制服姿……」


 城ケ崎先生は赤面したまま、恥ずかしそうに俯いた。


「……ノーコメントでお願いします」


「……それで、航くんは、私のことをどう思いますか?」


「どう、とは?」


「その、異性として、どうでしょうか? やはり、岬さんの事が、す、好きなのでしょうか?」


 この人は、いったい何を言っているんだ。


「いやいや、岬は妹ですから。それに、俺は生徒で、先生は教師ですよね?」


「愛に立場は関係ありませんよ」


「その通りです!」


 突然、背後から岬の声。


「うわ、びっくりした!」


 振り返ると、息を乱した岬がいた。


「どうした、妹よ」


「兄さんが怪我したと聞いて走って来ました。そんなことより!」


 岬はぴっと親指を立てた。


「城ケ崎先生の意見に同意するのは癪ですが、私もその通りだと思っています。愛に立場なんて関係ありません!」


「そういうことです、航くん!」


 ずずずいっと顔を近づける二人。

 この二人、倫理観が逸脱しているとしか思えない。


「「失った青春を取り戻しましょう!」」


「いや、普通にさせてくれ……」


 胸の怪我よりも、明日からの学校生活の方が心配になった。 

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