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10-5 早々のフリーダム

 裁判が終わり、僕たちが学校へと戻る馬車の中は、奇妙な沈黙に包まれていた。

 窓の外を流れる景色だけが、やけにのどかだ。


 無罪。それは確かに喜ぶべき言葉だった。けれど、あの判決劇はあまりにも異様で、素直に飲み込めるものではなかった。


 誰もが言葉を探せずにいるその中で──口火を切ったのは、やはり彼だった。


「いやー、しかしよかったよな、ベイル。また王子様に戻れて」


 あまりにも軽く、悪意も配慮もない。エイン君のその一言に、向かいの席に座っていたベイルがぴくりと眉を動かした。


「……貴様、散々俺をコケにしておいて、何を言っている」


 鍋底にへばりつくような低い声。その一言だけで、怒りを煮詰めた沈黙が車内に広がった。


「え、だってお前が王族に戻りたいって言ったんじゃん。そもそも決闘で負けたんだから、俺の言うこと聞くのが筋だろ。ガタガタ言うなよ」


「なっ……!」


 ベイルは悔しそうに唇を噛み、視線を落とす。その肩に、張りつめた怒気がじわじわと滲み始めた──その時だった。

「──そういえば、ベイル君」

 凜とした声で、スザンナ教授が静かに口を挟んだ。


「決闘のとき、あなたの戦い方は普段とまるで違ったわ。なぜ土魔法だけに固執したのですか?」


「ん? それは……」

 ベイルは一瞬、思考を巻き戻すように目を細める。


「俺は、いつも通り得意の土魔法で……」


「そうじゃありません」

 スザンナ教授は、彼の言葉を冷静に遮った。


「エイン君が使った【反応防壁】。あれは、おそらく土や氷のような〝実体のある〟魔法に反応する仕組みだったのでしょう。あなたほどの生徒なら、途中でその傾向に気づいてもおかしくなかった、いえ、気づいていたはずです。なのに、なぜ火や風といった魔法に切り替えようとしなかったのですか?」


「……!」


 ベイルは、はっとしたように目を見開いた。その顔に浮かんだのは怒りではなく、自分自身の行動に対する純粋な困惑だった。


 スザンナ教授は、さらに言葉を重ねる。


「それに、あなたの動きも、魔法の使い方も、どこかおかしかった。いつもなら、もっと冷静に間合いや魔力の流れを見極めていたはずです。でも、あのときはやけに動きが荒く、魔法も粗雑でした。まるで、誰かに急かされていたように見えました」


 その指摘に、ベイルの表情から怒りの色がすっと引き、代わりに自分自身への疑念が浮かぶ。

「……そうだ。確かに、あの時の俺は……妙に焦っていた。魔力の制御も、間合いも──何一つ、見えていなかった。どうして、あんな無様な戦いを……?」

 声には、怒りよりも戸惑いが滲んでいた。


 そんな彼を、エイン君はちらりと横目で見て──あえて軽く口を開いた。


「一回ミスして負けたくらいで落ち込むなよ、首席様。誰だって調子悪い日はあるって」


 その瞬間、空気が変わった。ベイルの視線が、ぎらりとエイン君に向けられる。


「……それで言うなら、お前こそどうなんだ、首席様。なぜ初手で、そんな穴のある【反リアクティブシールド応防壁】を使った? 俺が最初から他の属性の魔法を使っていたら、その時点でお前の負けだったんだぞ。……まさか、俺の戦法を知っていたのか?」


 核心を突く問いだった。僕も思わずエイン君を見る。彼の戦略には、あまりにも危うい前提があったはずだ。


 しかし、エイン君は悪びれもせず、あっさりと答えた。


「ああ、それな。決闘申し込まれた後、知らない上級生がわざわざ教えに来てくれたんだよ。『ベイルは土魔法しか使わない。あいつはプライドが高いから、決闘でも絶対それで来る』ってな、それで対策したんだよ」


 エイン君は少し首を傾げる。


「……まあ、今思えば妙だったけどな。やけにお前のこと詳しかった。戦い方だけじゃなくて、性格まで断言してた。お前の知り合いじゃないのか?」


「……っ」

 ベイルの表情が、一瞬だけ強張った。


 何かを思い出すように目を伏せ──誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「……まさか、あいつが……」


 その呟きには、怒りとも困惑ともつかない、複雑な感情が滲んでいた。


 彼はそれ以上何も言わず、ただ窓の外へ視線を逸らした。


 その後しばらく沈黙が続いたところで、僕は聞きそびれていた疑問を口にした。


「ねえ。〝対策した〟ってことは、最初から決闘するつもりだったんじゃないの? おばちゃんのためって言ってたけど、本当は……セレナ王女のためだったりして」


「ち、ちげーし!」


 即座に返ってきた声は、やけに勢いがあった。


「ベイルがハンバーグ捨てたから決闘しただけだし! 【反リアクティブシールド応防壁】もその場で思いついただけだし!」


 一息でまくし立ててから、エイン君はぷいと顔を背ける。


 馬車の揺れに紛れて、小さく舌打ちした。


「〝その場〟にしては、随分高度な魔法だったわね」


 スザンナ教授が目を伏せたまま、乾いた声でそう言った。その口元には、意味深な笑みが浮かんでいた。


 そんなやり取りをしているうちに、馬車はゆっくりと速度を落とし、見慣れた学校の正門が見えてきた。


「……着いたか」


 誰が言うでもなく、四人の胸に安堵のため息が零れる。色々あった。本当に、色々ありすぎた。けれど──ようやく帰ってきたんだ。僕たちの日常に。


 馬車を降り、校舎へ向かって歩き出す。夕暮れの空気が、じんわりと肌に心地よい。他愛もない話をしながら掲示板の前を通りかかった、その時だった。


 一枚の新しい張り紙が、僕たちの足を止めた。


    ◆


  【通達】


 第一学年Aクラス生徒エインは、素行不良により本校の品位を著しく損なったため、本日をもって退学処分とする。

 また、監督責任者であるレオナルド・グリムフォードは、本件の責任を取り、教頭に降格処分とする。


 王立魔法学校校長 ギルバート・モーリス


    ◆


 時間が止まったようだった。誰も何も言えないまま、張り紙の前に立ち尽くす。

 静まり返った学校の夕暮れに、カラスの鳴き声だけが、やけに大きく響いていた。

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