10-x 大逆転のあとしまつ
王都調査局・第三分室──
色褪せたカーペットに、枯れかけの観葉植物。誰も寄りつかないこの分室には、今日も地味な雑務だけが、静かに積み上がっていた。
「……あの、グレアムさん。今日の午後って、予定入ってましたっけ?」
ロイスが机越しに身を乗り出し、書類の山の隙間から顔を覗かせる。
「資料室の整理だ」
グレアムは当然のように答え、手元の紙に淡々と印をつけていく。
「また雑用っすか……!」
ロイスは椅子にもたれかかり、大きなため息をついた。
「〝調査局〟って名前が泣いてますよ。うちだけ〝倉庫整備課〟に改名したほうがいいんじゃないですかね……?」
「本部の〝調査〟ってのは、大抵が派閥争いの泥仕合だ。そいつに比べりゃ、書庫のホコリ掃除のほうが、よっぽど健全だろ」
「その健全さ、ちっとも嬉しくないんですけど……」
ロイスが天井を仰いだ、その時だった。
「報告ですっ!」
ドアが乱暴に開いた。報告官フィーネだ。
「うるせえ! ノックしろ!」
ロイスが即座に突っ込むが、彼女はまるで気にしていない。
「本部から仕事の依頼がきました!」
「……また雑用か」
グレアムがこめかみを押さえる。
「で、今度は何だ。迷子の子猫の捜索か?」
「取り調べです。でも、向こうじゃ手に負えないってことで、うちに回ってきました!」
「それくらい自分とこでやれっての……」
ロイスが露骨に顔をしかめる。
「なんでわざわざウチに?」
「さあ……詳しいことは聞かされてません。副長さんが〝とにかく頼む〟って、それだけで……」
フィーネは困ったように笑った。
「またそういう手合かよ……」
ロイスが眉をひそめてぼやく。
「しゃーねぇ、行くぞ」
グレアムの声は相変わらず淡々としている。
ロイスも渋々立ち上がりながら、ぶつぶつとこぼした。
「……どうしてこういう仕事ばっかり、うちに回ってくるんですかね……」
「倉庫整理よりはマシだろ」
グレアムが皮肉げに言い放ち、ロングコートを翻して歩き出した。
口だけが動き、音だけが出る。録音された音声を再生しているかのような、異様な無機質さだった。
グレアムとロイスは顔をしかめつつ、警戒しながら室内へ足を踏み入れる。ルーカスは置物のように、ぴくりとも動かない。
気づけば、当然のようにフィーネが後ろからついてきていた。
「私、調書つけますねっ!」
場にそぐわないほど明るい声を響かせ、彼女は部屋の隅にちょこんと腰を下ろした。
ロイスが小声で突っ込む。
「お前まで来るのかよ……」
「えっ、ダメでした? でも誰も止めなかったので」
ロイスがちらりとグレアムを見ると、彼は無言で手を振った。「勝手にしろ」の意らしい。
重たい椅子が軋む音が、狭い部屋に鈍く響く。グレアムが腰を下ろし、しばし無言のまま机に視線を落とした。
「……名前と職業を」
ルーカスは即座に反応する。
「ルーカス。現在は王宮情報局に勤務。こちらは表向きの話で、実際は国王直下の特別諜報部に転属され、諜報活動および監視任務に従事しています」
流れるような応答──だが、そこに抑揚は一切ない。訓練された人形のようだった。
「……おい、それって言っていい情報なのか?」
ロイスが目を丸くする。
「いえ。裏の身分を明かすのは、上官ルディ・ファーンより固く禁じられています」
「じゃあなんで自首して、それをわざわざ話しに来たんだよ……」
「そのように命令されましたので」
ロイスは言葉を失った。グレアムは煙草に火をつけ、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「……こりゃ、うちに回ってくるはずだ」
その横で、フィーネは好奇心全開のまま、ペンを走らせ続けていた。
数秒の沈黙が、取調室の空気をじわじわと圧迫する。ルーカスは依然として微動だにせず、まっすぐ正面だけを見据えている。瞳の奥に光はなく、表情筋も、まるで死んでいるかのようだった。
ロイスがそっとグレアムに身を寄せ、声を潜める。
「……やっぱり受けてますね、精神干渉。それもかなり深いやつ。治療の手配、入れますか?」
グレアムは書類から目を上げず、ぽつりと答えた。
「却下だ。〝命令〟を解除されたら困る」
「……いや、でもこの状態で質問するって……人としては、どうなんですかね」
「人としては、気の毒だな。だが、〝証言機〟としては、今が一番性能がいい」
ロイスが渋い顔をして、眉根を寄せる。
「……やっぱり、グレアムさんって人間味ないですよね」
「……長くこの仕事をやってりゃ、誰でもそうなる」
そのやり取りを聞いていたフィーネが、うっとりとした顔で頷いた。
「かっ、かっこいい! 私も人間味を捨てたいです!」
「お前には絶対無理」
ロイスの即答に、フィーネは不満げに口を尖らせる。
「人間味を捨てたきゃ、こいつを参考にしたらどうだ?」
グレアムは〝参考人〟へと目をやる。
「──で、お前は何を自首しに来た」
静かな声だったが、室内に妙に響いた。水面に落ちた一滴が、音もなく波紋を広げるようだった。
ルーカスは即座に応じる。
「私に与えられた命令は、〝知っていることをすべて話せ〟というものです」
「全部……?」
「はい。例外なく、すべてです」
「……そりゃまた、ざっくりしてんな」
ロイスがぼやく。だが、すぐに気を取り直したように姿勢を正した。
「まあいい。話してもらおうか」
グレアムがそう言ったのと、ルーカスの口が動き出したのは、ほとんど同時だった。
「私は王都第八区の病院で出生しました。産声の記録は午後三時十七分。体重は──」
「待て待て待て、そういうのはいい」
グレアムが手を上げて遮る。
「お前が犯した〝罪〟、あるいはお前が関与した〝不正〟──そういう類いの話をしろ」
「了解しました。……五歳の頃、街の通りで銅貨を拾いましたが、それを詰所に届けず、私的に使用しました」
「ちがう、そうじゃない」
ロイスが即座に頭を抱える。
グレアムは深く息を吸ってから、ゆっくりと言った。
「〝今の仕事〟を始めてからだ……」
「……では、諜報部隊配属後の最初の任務から報告します。十年ほど前、故セレス・フォンメリア王妃の馬車に細工を──」
──そこから先は、まるで長大な報告書の音読だった。
本人に感情の起伏は一切ない。だが、その内容はひたすらに重く、そして恐ろしく生々しい。
数分後──
「──以上が、私が関与した罪と不正になります」
ルーカスがそう締めくくった瞬間、取調室に妙な沈黙が流れた。
ペンを走らせていたフィーネの手すら止まり、三人とも、ほんの一瞬だけ動きを忘れる。
……しばしのち。
「──はいっ! できました!」
空気を読まない声が弾けた。
「すっごい調書が出来ましたよ! これはもう、昇進間違いなしですっ!」
フィーネは得意げに紙束を掲げる。何枚にもわたる記録用紙には、びっしりと細かな文字が並んでいた。
グレアムは無言でそれを受け取り──ぱらぱらと一瞥したのち、静かにコートの内ポケットへ押し込む。
「はい、没収」
「えっ!? ちょっと、なんでですかっ!」
「これはこれで使い道はあるが……そのまま出したら、俺らの首が飛ぶ。物理的にな」
フィーネはしょんぼりとうなだれる。
「そんなぁ……もったいない……」
「提出するか? お前の名前で。それなら二階級特進だ」
フィーネは一瞬固まり、顔を引きつらせながら答えた。
「い、いえ! やっぱりやめときます!」
部屋に軽く笑いが漏れ、やがて空気はふたたび落ち着きを取り戻す。
ロイスが椅子の背にもたれ直しながら、ルーカスへ視線を向けた。
「で、結局コイツはどうするんですか」
ルーカスは椅子に座ったまま、焦点の定まらない目で虚空を見つめている。
「……そりゃ〝出向〟で済んでるのが奇跡だな」
それを一瞥し、グレアムがぼそりと呟いた。
「精神干渉は残ってる。治療の手配を。……それと、取り調べ中の記憶は俺が〝消す〟」
その一言に、ロイスがぎょっとして眉をひそめる。
「……また精神魔法っすか」
「俺だってやりたくてやってるわけじゃない。人にやたら使うもんじゃないし、俺でも一発撃つだけで限界だ。……だが、時には必要なことだ」
グレアムは淡々と答える。だが、ロイスは納得いかない様子で言い返した。
「……考え方は理解できますけどね。でも、前にも無理やり自白させたりしたせいで、結局俺まで島流しですよ」
グレアムが鼻を鳴らす。
「ただのコソドロ捕まえるのに、火魔法であたり一面燃やした奴が、何を言ってる」
「ぐっ……!」
ロイスが言葉に詰まり、苦い顔をする。
「ふたりとも意外とやんちゃしてるんですねぇ~」
フィーネがにこにこと、武勇伝でも聞いたかのように楽しげに言った。
ロイスがジト目を向ける。
「お前もここに出向ってことは、何かやらかしたんだろ?」
「え~? そう言われても心当たりないですねぇ~。……あ、局長にお尻触られて、つい半殺しにしちゃったことかな? 半年前から、ちゃんとお見舞いには行ってるんですけどねぇ」
室内が一瞬、完全に静まり返る。
「……そりゃ〝出向〟で済んでるのが奇跡だな」




