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10-3

「【精神支配】!」


 狙いを定めたエインは、指を弾いた。弾丸のように放たれた魔法が、一直線にベイルの胸元を貫かんとする。


「なッ……!」


 ベイルは反射的に身をひねった。魔力はその袖をかすめ、そのまま背後の傍聴席に座っていた黒衣の男の額へと突き刺さった。


「……ッ……!」


「あっ外しちゃった! でも一発までなら誤射かもしれない!」


 男は呻き声を漏らしたのち、糸の切れた操り人形のように沈黙した。虚ろな目を見開き、焦点の定まらない視線を前方へ投げる。


「というかあんたは誰だよ!? さっきまでそこにいなかっただろ!」


 反射的なエインの問いに、男は無表情のまま、感情の欠けた声で応じた。


「私はルーカス。表向きは王宮情報局に所属しているが、実際には国王直下の諜報部隊である。現在は、裁判および対象者エインの動向の監視中である」


 まるで録音テープを再生しているかのように、ルーカスは一言一句違たがえず機械的に続けた。


 エインは絶句し、半歩後ずさる。


「はあ!? お前、俺のストーカーかよ……気色悪っ! 何が目的だ!?」


 法廷の空気が一気にざわめいた。傍聴席の何人かが身を引き、警備兵も動きを止めて注視する。だが、ルーカスは周囲の反応を一切意に介さず、淡々と口を開いた。


「上官であるルディ・ファーンより、証人の襲撃が失敗したため裁判所に直行せよとの命令を受けた。任務内容は、裁判の進行に関与する不安要素の排除、および判決の誘導。──証言の阻止についても命じられているが、こちらは間に合わなかった」


 空気がわずかに揺れた。法廷で交わされるはずの議論や証言は、もはや建前にすぎない。結果ありきの命令。真実よりも都合を優先する国家の姿勢が、露骨にあらわになった。


「加えて、先ほどベイル殿下が王族をやめようとしていた場合……私の裁量で強制的な阻止に踏み切る予定だった」


 その場の空気が凍りつく。数秒前まで喧騒に包まれていた法廷に、急激な静寂が落ちた。


 エインは呆けたように口を開け、それからじろりとルーカスを睨み、目を細めて吐き捨てる。


「……はぁ? なんで国が王子を襲おうとしてんだよ……そこまでして俺を捕まえときたいの?」


「詳細は私にも知らされていない。ただ、命令には──〝ベイル殿下よりもエインを優先せよ〟と指示されていた」


 ルーカスの無機質な声が、妙に静かに響いた。その言葉に、ベイルの瞳からわずかに光が失われる。


 空気を読めないまま、エインがふてぶてしく命じた。


「状況がよくわからんけど、とにかくお前、悪い奴なんだよな? さっさと自首して、知ってること洗いざらい吐いてこい!」


「了解した」


 ルーカスはその場で踵を返し、脱兎のごとく法廷を駆け抜けていった。警備兵が止める間もなく、扉がバタンと閉まる音だけが、妙に虚しく響いた。


 その静けさの中で、ベイルは、自分の中に渦巻いていた何かが、音もなく崩れていくのを感じていた。信じていたもの。与えられていた立場。守るべきと思っていた誇り。それらが、今や重しにしかならないと、ようやく認めざるを得なくなっていた。


 だが、決断には至らなかった。まだ、迷いは残っていた。


 彼の胸の奥にあったのは、怒りでも、悲しみでもなく──ただ、明瞭な違和感だった。見捨てられ、利用され、裏切られ、それでもなお国に従うのが〝王族〟というものなのか? その答えは、まだ曖昧だった。


 そのとき、唐突に耳を疑うような声が響いた。


「ていうか魔力なくなっちゃったよ! ベイルに【精神支配】撃ち込んで無理やり王族やめてもらう予定だったのに、どうすりゃいいんだ!?」


 一瞬で凍る空気。ベイルの中で、何かが決定的に冷えた。


 エインの言葉が悪ふざけだとしても、その裏に透けて見えた〝力で支配しようとする意志〟が、ベイルの中の最後の迷いを凍てつかせた。冗談にもならない。あんな方法で、あんな相手に、王族である自分を終わらせられてたまるか。


 だったら、自分で終わらせる。誰の言葉でもなく、自分の決断で。


「つーかお前、決闘で負けたんだろ! 賭けの代償なんだから、さっさと王族やめてくれよ!」


 あいかわらず軽薄で無神経な言い方だ。だが、かえってそれが〝背中を押された〟ように感じられた。怒りも、呆れもある。けれどそれ以上に、もう他人に振り回されている自分に、終止符を打ちたかった。


「……いや、賭けを持ち出すまでもない」


 静かだが、迷いのない声だった。ベイルはエインをまっすぐに見据え、そのまま言い切る。


「――我、第一王子ベイル・ドラン・エルディスは、今をもって王位継承権を放棄する」


 その言葉は、法廷に落ちるまで、わずかな間を要した。

 その声は、法廷の空気を切り裂くように響き渡った。

 誰もが息を飲み、ただ静かに、その瞬間を見つめていた。


 その宣言は、王族としての誇りを捨てる覚悟の響きを帯びていた。

 法廷内の空気が、また一段と重くなる。


 ベイルのその言葉は、“王族殺害未遂”を不存在にする──唯一の歯車だった。


「はぁ、ようやくだよ」


 エインがあまりにも軽く反応すると、今度は裁判長に向き直った。


「というわけだから、さっさと開放して。あと、この首輪も外して」


 裁判長が顔を引きつらせた。

 一瞬、何かを言いかけたが、それ以上の言葉が出てこない。


 彼の視線が書類を泳ぎ、周囲のざわめきを遮るように、苛立たしげに木槌を打ち鳴らした。


 そして、明らかに渋々と、唇を噛みしめるようにして言葉を吐き出す。


「……被告人エイン氏を即時開放。拘留中に施された拘束具の、解除を命じます……」


 その言い回しには、明確な敗北と不服の色が滲んでいた。


 木槌が再び重く打ち下ろされると、法廷全体に拍手とどよめきが一斉に広がる。


 エインはその喧騒の中で、ようやく肩の力を抜き、大きく息を吐いた。

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