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5-x 新緑の季節

 今日の座学も、やはり荒れる兆しを見せていた。


「お前に問う、エイン! 〝精神魔法の倫理的限界〟について答えてみろッ!」


「いやぁ……倫理って言われても、人それぞれでしょ?」


 ──また始まった。


 当のエインは、席に座ったまま気のない返事を返していた。ノートは一応開かれているが、中身はほとんど白紙だ。議論に加わる気は最初からなく、教師に当てられたこと自体を、どこか面倒そうに受け流している。


 一方、教壇の前で声を張り上げているのが、ハーゲン教授だった。机に突き立てられた拳、吊り上がった眉、隠そうともしない怒気。理論と規律を何より重んじる彼にとって、エインの態度は癇に障る以外の何物でもない。


 この二人の応酬は、すでにこの教室では定着していた。授業が始まれば、いずれこうなる。生徒たちは、半ば諦めたようにその成り行きを眺めている。


「そうやって屁理屈を捏ねおって! 貴様のような者に、〝魔導〟を語る資格などないわッ!」


「じゃあ〝魔理〟って呼びます? 魔法の理論で〝魔理〟。ちょっとかわいくないですか?」


「黙れえええええ!!」


 拳で教壇を叩きつけ、ハーゲンは顔を真っ赤にして怒鳴った。エインに理屈を求めてはいけない。そう理解はしていても、彼の堪忍袋はとうに限界だった。


「出ていけ! エインッ!!」


 またしても、いつもの追放宣言が飛ぶ。


 教室がざわめく中、エインは何も言わずに立ち上がり、手早く荷物をまとめて出口へ向かった。


 扉に手をかけたところで、いったん足を止める。


 ──誰もが思った。


(また、やる気だ……)


「それじゃ、いつものいっときますか。【魔路切断】!」


 低く通る声で詠唱が響き、教室が一斉に静まり返る。


 ──バサッ。


 という音は、鳴らなかった。


 数秒の沈黙。


 扉の前で動きを止めたまま、エインがゆっくりと振り返る。視線の先──ハーゲンの頭頂部には、何の変化もない。


「……あれ?」


 零れた声には、はっきりとした動揺が混じっていた。


「ふはははははっ!!」


 響き渡る、勝ち誇ったような笑い声。


「ようやくワシの時代が来たッ!!」


 教壇に仁王立ちしたハーゲンが、腕を広げて咆哮する。


「貴様の姑息な術など──既に対策済みよ、エイン!」


 その瞬間、エインの目がわずかに揺れた。動きを止め、無言のまま自分の手のひらを見つめている。


「……まさか、【固着】か……? いや、それも改良した【魔路切断】なら突破できるはず……それが通じないなんて、あり得ない……っ!」


 掠れた呟き。焦点の定まらない視線と、止まらない指先の震え。確信が、音もなく崩れていく。


 その様子を見て、ハーゲンは得意げに額をぴしゃりと叩いた。


「これはな、校長殿と共に改良した【強固固着】! 魔道具と装着者の魔力を擬似融合させ、通常の干渉魔法では決して剥がれぬ最強の固定術よ!!」


「な、なんだと……?」


 エインの顔から、いつもの皮肉めいた余裕が消えた。代わりに浮かんだのは、隠しきれない狼狽だった。


「そうだ!! ワシはこの日のために、特訓を積んできたのだ! 努力の勝利だッ!」


 誇らしげに笑うその姿は、厳格な教授というより、一仕事終えた職人に近い。


「ぐっ……ぐぬぬぬぬ……っ!」


 エインは悔しげに唇を噛み、拳を強く握りしめた。


「悔しいか!? 当然だとも! これが年の功ってやつだ! ぬははははっ!」


 張りつめた空気が、一瞬だけ教室を支配する。


「……クソッ、覚えてろよ!!」


 吐き捨てるように叫び、エインは勢いよく扉を開けて廊下へと消えた。


「ふはははは! 大人を舐めるでないわっ!」


 ハーゲンは腕を組み、勝ち誇ったように胸を張る。生徒たちは互いに顔を見合わせた。


「……え、教授……テンション高くない……?」

「初めて見た、あんな笑顔……」

「なんか逆に怖いんだけど……」


 動揺の余韻が残る中、座学は再開されたが──その日、誰一人としてハーゲンの講義内容を覚えてはいなかった。



 そして翌日──座学の教室には、再び何かが起こりそうな空気が満ちていた。ハーゲンはいつも通り教壇に立っていたが、昨日の勝利の余韻をまだ引きずっているのか、表情にはどこか誇らしさが滲んでいる。


「……よし、では授業を始め──」


 そのときだった。


「ふん……今日の俺は一味違うからな……【代替再生】」


 教室の後方で、エインが誰に聞かせるでもなく、低く呟いた。


 魔法が放たれた次の瞬間──


 シュルシュルシュル……!


 静かに、そして確実に、ハーゲンの頭頂部から〝何か〟が伸び始めた。それは蔓植物のように、ゆっくりと、だが止まることなく伸びていく。


「……ん? な、なにか頭が……?」


 違和感に気づいたハーゲンが、そっと頭に触れた。その指先に、肩へと垂れ落ちた感触が伝わった瞬間──


「な、なんだこれはァァァァア!!」


 絶叫が教室に響き渡る。


 生徒たちの視線が一斉に集まった先にあったのは、肩を越え、背中のあたりまで伸びた長髪をたなびかせるハーゲンの姿だった。色はいつもの焦げ茶。カツラの毛だ。だが量が異常に多く、しかも緩やかなウェーブまでついている。完全に──ロン毛である。


「よし、完成。……今日一日、その似合わないロン毛で過ごしてろ。以上、俺の勝ち!」


 エインが腕を組み、勝利宣言を放った。教室に、遅れてざわめきが広がる。


 だが、ハーゲンは怒らなかった。むしろ何かに気づいたように眉間に皺を寄せ──すぐさま目を輝かせる。


「……待て……これ……この魔法……」


 ロン毛の毛先をつまみ、食い入るように見つめる。


「この毛の伸び方、魔道具の一般的な自動再生機構とは違う……。これは、明らかに毛髪が〝成長〟しておる……!」


「え、あの、教授……?」


 生徒の一人が不安そうに呼びかけるが、耳に入っていない。ハーゲンは興奮のまま、教壇を飛び降りた。


「エインッ!! その魔法、詳細を教えろ! カツラだけではない……ワシの頭髪も! 本物の髪もこれで復活できる可能性があるッ!!」


「え、いや、そこまで考えて開発してないですけど……ていうか近い! 怖い!」


 迫るハーゲンに、エインは思わず身を引いた。


「というかこっちに来るな! 近寄るなっ! おっさんがロン毛揺らしながら迫ってくるのマジできついって!」


 言うが早いか、エインは椅子を倒しながら教室を飛び出していった。


「待たんかッ!!」


 叫び声を上げ、ハーゲンが後を追う。そのまま廊下へ飛び出したところで、思いがけずすれ違ったのは──レオナルド校長だった。


「……おや、ハーゲン君? 今さっきエイン君とすれ違ったのじゃが、今は授業中……というか、その髪──」


「校長ッ! 聞いてくだされ! この毛は、ただのカツラではありません! エインの魔法が毛髪を活性化させて──!」


 ハーゲンはまくし立てるように言いながら、ロン毛の一房をつまみ上げ、校長の目の前に突き出した。校長は目を細め、しばし凝視する。


「これは……〝成長〟しておる……!」


「で、ございましょう!?」


 興奮するハーゲンに、校長はフッと笑った。


「──よし、ワシも追うぞ」


「へっ?」


「その魔法、もし再現可能なら……ワシにも、いや、魔法学界全体に新たな道が開けるやもしれん。行くぞ、ハーゲン君!」


「お供しますぞ、校長ッ!!」


 しばらくして、階下の廊下からは遠ざかる足音と、叫び声が微かに響いてきた。


「は!? なんで校長まで追いかけてくるの!? てか魔法使うの反則だろ!? やめろって! 誰か助けてぇぇ!!」


 二人の教師が、廊下を全力で駆けていく。

 ──かつて失ったはずの、希望と未来を求めて。


    ◆


 一方そのころ。授業の主役がいなくなった教室には、妙な静けさが漂っていた。


「……校長も行った……?」

「うん……一緒に追いかけてった……」

「どうすればいいの……これ……」

「……もう、授業終わったってことでよくない?」


「「「賛成」」」


 教室の窓の外では、一本の若木の枝が緩やかに揺れていた。先端には、新しく芽吹いた一枚の葉。


 ──季節は春。


 枝にも、頭皮にも、いつか芽吹きの時は訪れる。

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