六話 奥様の決意
屋敷のダイニングで朝食を摂っていると、給仕をしてくれたセバスがふと尋ねてきた。
「アリア様、今朝はもう離れの方に行かれたのですか?」
「えっ? い、いえ、まだですけど」
アリアは咄嗟に嘘を吐いた。
昨夜思い付いた魔法を試したくてうずうずし、早起きして海に向かってぶちかましてきたばかりだ。それを正直に言えないのには、とある訳があった。
誤魔化すようにして、ベーコンエッグを口へ放り込む。半熟卵とベーコンの塩気がベストマッチだ。ゆっくり咀嚼していると、セバスがあからさまに胸を撫で下ろした。
「それなら良いのですが……」
彼はわずかに眉を寄せた後、そっとアリアに耳打ちする。
「実は、今朝もまた現れたようなのです。例の高火力魔法ぶっ放し不審者が」
「ぐぶっ……!」
咽せそうになりながらも、ベーコンエッグをなんとか飲み込んだ。
「大丈夫ですか、アリア様」
「へ、平気です」
慌ててお茶で喉を潤してから、アリアは小首をかしげてみせる。
「その不審者って……最近よく聞く、早朝なんかに海に向かって魔法をバカスカ撃ってる謎の人ですか?」
「ええ。今朝は《インフェルノ・フレイム》らしき魔法を使ったとか」
セバスは深刻な顔でうなずく。
「《インフェルノ・フレイム》といえば、魔法使いの中でもわずか数パーセントしか扱うことのできない最強魔法のひとつです。炎魔法に適性のある者でも、習得するだけで十年はかかるとか」
「ええ……私は一日でマスターできましたよ。理論構築も甘いし、そんな大した魔法じゃないと思うんですけど」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ別に! お茶のおかわりをください!」
「かしこまりました」
アリアは元気よくティーカップを差し出して、誤魔化すことに成功した。
紅茶を注いで、セバスは顔をしかめて続ける。
「ともかく、例の不審者はここ半月ほど毎日のように出現しています。他にも多種多様な魔法を使い、警備兵にも尻尾を掴ませない手練れだとか。離れに行くときはどうか私めにひと声掛けてからにしてくださいませ」
「はあい……」
アリアはぎこちない笑顔を浮かべてうなずいた。
その不審者はたぶん私です、とは口が裂けても言えなかった。
(おかしいわね……ちょっと魔法の練習をしているだけなのに、不審者呼ばわりされるだなんて)
一ヶ月前、ロベルトから勧められて魔法の勉強を始めた。
そうして最初に渡された初心者用の教本を読み切って、アリアは気付いてしまった。
『あら? 魔法って意外と簡単なのね』
火を熾すのにマッチを擦るのと同じように、魔法を使うには決められた手順が必要になる。呪言や所作、魔方陣などを組み合わせて魔法式と呼ばれる法則を構築し、そこに魔力を流し込むのだ。
アリアにはその手順の意味が、最初からなんとなく理解できていた。
どれとどれを組み合わせれば炎が生まれるのか、水が生まれるのか、はたまたまったく別の奇跡が起こせるのか。
魔道書を読み込み、魔法の練習を重ねるごとにその直感は磨かれていき、倉庫の魔道書を半分以上読破した今となっては、既存魔法に手を加えて手順を簡略化したり、威力を調整したりといった小細工も簡単にできるようになっていた。
ただし、アリアはそのことを誰にも打ち明けていなかった。
海に向かって魔法の練習をしていたところ、いつの間にか不審者の噂が立ってしまったからだ。第一騎士団を束ねる騎士団長の妻が不審者。そんな事実は隠さねばならない。
(それに、魔法嫌いの叔父様にバレたら厄介だもんねえ……)
アリアはほうっとため息をこぼす。
叔父に知られれば確実に大目玉を食らうことだろう。
どうも仕事が忙しいらしく、結婚式以来一度も顔を合わせていないが、ちょくちょく来る手紙には『懐妊はまだか』と身も蓋もないことばかりが書かれている。
体調を気遣うことも、新しい環境に慣れたかなどの配慮も一切ない。逆に清々しいくらいだった。なのでこちらも忘れたふりをして返信をすっとぼけている。
それに、誰にも打ち明けられないのにはもうひとつ理由があった。
アリアはセバスのことをそっと見上げ、小さな声で問う。
「ところで……ロベルト様は今日もまたお帰りにならないのでしょうか」
「そうですな。依然として例のドラゴンに手をこまねいているようです」
セバスはやれやれと肩をすくめてみせる。
王都近くの山に、とあるドラゴンが棲み着いたという。
そのドラゴンは非常に凶暴で、ときおり街道に現れては馬車を襲い、食べ物などを盗んでいく。被害は甚大で、怪我人も多く出ているらしい。
「ドラゴンが出没するのは、王都と他の街を結ぶ主要な街道です。おかげで物資の流通にも影響が出ているとか」
「港を使うのはダメなんですか?」
「キャパシティという問題がございまして。船を泊める場所も、積み荷を下ろす人員も足りませぬ」
「うう……色々大変なんですね」
そういうわけで街道は通行止め。
第一騎士団がドラゴンの対処を主導することとなり、広く冒険者にも協力を要請して討伐作戦を準備中……というのが、一ヶ月ほど前に聞かされた情報だった。
アリアは胸元からそっと写真を取り出す。結婚式のときに撮ったもので、ふたりとも表情が硬い。それでもアリアにとっては彼との繋がりを確認できる大事な写真だった。
鼻の奥がつんとして、目尻を拭う。
「でもまさか、ロベルト様が一ヶ月もお帰りにならないなんて思いませんでした……」
「残念ながら稀によくあることです。ドラゴン以外の事件も山積みでございましょうし」
魔法のことを打ち明けるならロベルトが一番先だと決めていた。
それなのに倉庫の鍵を渡してくれたあの日から、彼は一度も帰宅していなかった。
毎日のように手紙のやり取りは重ねているが、ひと目たりとも会えていない。
これでは同衾どころの話ではなく、夫婦生活の危機だった。
(ロベルト様に会いたいなあ……)
ずーんと落ち込むアリアに、セバスはおずおずと続ける。
「どうも棲み着いたドラゴンというのが少々厄介らしく……先日、着替えを持って行った際には『長丁場になるだろう』とおっしゃっていました」
「いいなあ、セバスさんは。ロベルト様にお会いできて」
「申し訳ございません。危険ゆえ、アリア様をお連れすることは固く禁じられておりますので」
「……そうですよね。すみません、ワガママを言ってしまって」
「アリア様……」
かぶりを振ると、セバスは傷ましげに眉を寄せる。
会いたい。言葉を交わしたい。唇を重ねたい。
たったそれだけの願いすら叶わないのだ。ようやく幸せを掴んだと思ったのに、これではあんまりだろう。
(……いいえ。ロベルト様は世のため人のため働いていらっしゃるのだもの。それを応援せずして、騎士団長の妻が勤まるものですか)
信じて待つことも愛のうちだ。
アリアはそう心を持ち直し、心配そうなセバスに笑顔を向ける。
「大丈夫ですよ、分かっています。私はここでロベルト様の帰りを…………」
「アリア様?」
その言葉は半ばで途切れ、アリアは笑顔のままで停止した。
セバスが不思議そうに小首をかしげるが、気に掛ける余裕はなかった。
大いなる天啓がピコーンと下ったからだ。
(そうだわ、私には魔法があるじゃないの! こっそりロベルト様のお顔を見に行けばいいんだわ!)
それに気付いた瞬間、目の前がぱっと明るく晴れた。
信じて待つのも愛のうち。
だがしかし、行動するのも愛のうちだ。
……たぶん!




