五話 おめでとう!気弱令嬢は魔法ゴリラに進化した!
現れたのは騎士の鎧に身を包んだ青年だった。
まばゆいほどの金髪と碧眼を併せ持つ、なかなかの美青年だ。だがしかし、どこか軽薄そうな印象を与える。
彼を見つめたまま、ふたりはぴしっと固まってしまう。
やがてロベルトが苦虫を噛み潰したような顔で、地獄の底から響くような声で問う。
「……オスカー。何あったのか」
「はっ。お休み中に大変申し訳ありませんが……」
オスカーと呼ばれた青年はぴしっと敬礼を取って続ける。
「件のドラゴンに動きがありました。それと怪盗シャノワールから新しい予告状が届き、新型麻薬《死の接吻》の取り引き現場が判明いたしました!」
「いくらなんでも重なりすぎだろう!?」
「仕方ないっすよ。奴さんたちはこっちの都合なんかお構いなしです」
オスカーはあっけらかんとかぶりを振るばかりだ。
アリアの肩に手を置いたまま、ロベルトはグギギギギ……とこの世の物とは思えないようなうめき声を漏らす。アリアには何のことだかさっぱりだが、どうやらのっぴきならない大事件が動き出しているらしい。それも複数。
「……おまえたちだけで片付けることは?」
「無理っすね。とっとと支度してください」
「はあ……」
最終的に、ロベルトは盛大なため息をこぼしてみせた。
アリアの肩からそっと手を外し、叱られた仔犬のような顔で頭を下げる。
「すまない、アリア。この埋め合わせは必ずする」
「お仕事ですもの。仕方ありませんよ」
アリアはふんわり微笑んで、精一杯の言葉をかけるだけだ。
「お気を付けて。どうか困っている人たちを助けてあげてください」
「っ……分かった。行ってくる!」
「すみません、奥様。団長、お借りします!」
こうしてロベルトは、申し訳なさそうな顔をするオスカーを伴って出立した。
ふたつの足音はあっという間に林の向こうに消えてしまう。
ひとり残されたアリアは、そっと天井を仰ぐしかない。
「はあ……今日もまた、あの広いベッドでひとり眠るのね」
アリアとロベルトは結婚式を経て、無事に夫婦となった。
しかし、いまだにただの一度も同衾したことがない。
用意してもらった夫婦の寝室はアリアひとりで使っている。
それもこれもロベルトの仕事が山積みなのがいけなかった。
ほとんど深夜になっての帰宅だし、たまに夕方帰ってきても、すぐに呼び出しを食らって仕事に戻っていくのだ。定時なんてものが守られた試しは一度もない。
これでは家でゆっくり夫婦水入らずなんて夢のまた夢だ。
ましてや新婚旅行すら目処が立たずにいる。
(子供を作れと、叔父様は言うけれど……)
貴族に嫁ぐ以上、女にとってそれは最低限の役目だ。
しかしそれを抜きにしても、アリアは彼と本当の意味で夫婦になりたかった。愛されているという確かな証しが欲しかった。もっと強い繋がりを築きたかった。
だが、アリアはゆっくりとかぶりを振る。
「ううん……ロベルト様は大変な責務を負っているんですもの。仕方ないわ」
独りよがりな考えを、アリアは頭の中から追い出した。
託されたばかりの鍵と魔法教本を抱きしめて、決意を新たにする。
「私は私で、できることをしましょう」
こうしてアリアは魔法の勉強を始めた。
朝から晩まで離れに通い詰め、魔道書を片っ端から読んでいった。
とはいえそれも独学だ。セバスは家庭教師を雇ってはどうかと提案してくれたが、自分ひとりでどこまでやれるか試してみたかった。分からないところが出来たら教師を招こうと決めて、あとはとりあえずがむしゃらに勉強を続けた。
実家にいたころの勉強といえば、良家に嫁ぐというぼんやりした目的のためだった。
しかし今回の魔法は違う。
大好きな人の役に立つという、この世で最も崇高な目的があった。
そのため、アリアは寝食を忘れて魔法の勉強にのめり込んでいった。
初めて小さな明かりが出せたときは飛び上がるほど嬉しかったし、次々と新しいことを知るのはとても刺激的だった。
そして……一ヶ月後。
アリアはたったひとりで、早朝の断崖絶壁に立っていた。
離れの裏手は大海原が広がっており、水平線の向こうを泳ぐ鯨たちの姿が見える。海鳥たちの鳴き声も響き、心に刻まれるような絶景だ。
しかしアリアはその景色をまったく見ていなかった。
地面に描いた複雑な魔方陣の上に立ち、目を閉じて意識を集中させている。
舌に乗せて刻むのは、魔法を構築する一要素――呪言。
「猛き炎よ。苛烈に、熾烈に、烈日とともに踊れ」
舞うように両手を動かし、呼吸のリズムを整える。
すると足下の魔方陣がまばゆい光を放ち始めた。
アリアはカッと目を見開き、右手を海に突き出して仕上げの呪文を口にする。
「《インフェルノ・フレイム》!」
ゴォオオオオオオオオオオオオ!
アリアの手から炎が噴き出し、火柱となって海面を深紅に染めた。
近くを飛んでいた海鳥たちが驚いて飛び立っていくなか、アリアは右手をそっと見下ろす。
「超上級火炎魔法……まずまずの威力ね」
その目は研ぎ澄まされていて、職人のそれに近かった。
アリアはあごに手を当ててぶつぶつと呟く。
「でもこれなら初級魔法を弄るだけで、もっと簡単に同じくらいの炎が出せるんじゃないかしら。使う呪言はこれで、魔方陣のかわりに魔法文字を足で刻めば……」
アリアはそのまま地面に膝を突き、ボロボロになったノートにペンを走らせる。魔法を勉強し始めて作ったノートだ。表紙には二百三十八番のナンバリングが書かれている。
こうして新たな魔法構築が完了した。
今度の呪文はとてもシンプル。魔方陣も舞も必要ない。
右足で素早く横線を一本引いて、アリアは右手を突き出す。
「炎よ、出でよ! 《フレア》!」
ブゴワオボオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
先ほどの二倍以上の火柱が放たれ、海鳥どころか、鯨たちまでもが尾びれを翻して逃げていった。散った火花は海全体に広がるほどで、上も下も夜空のようにキラキラとまばゆく光る。
アリアは満足してふふふとほくそ笑む。
「うん、こっちの方が断然使いやすいわね。どうしてこんな簡単な構築理論が、魔道書のどこにも書いていないのかしら。絶対誰か考えつくと思うんだけど」
うーんと考え込むアリアに、ツッコミの声はかからなかった。
魔法を学んで一ヶ月あまり。
アリアは無事に、気弱令嬢から魔法ゴリラに進化していた。




