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四話 魔法

 ロベルトが向かったのは屋敷の敷地内にある林だ。

 木々が鬱蒼(うっそう)と茂っており昼間でも薄暗く、足を踏み入れるのはこれが初めてだった。


 その林の奥まで一本の道が続いていた。


 それを辿っていくと、そこそこ大きな建造物が見えてくる。レンガ造りのしっかりした建物で二階建て。石作りの三角屋根はとても立派で、高い煙突が天に向かって伸びている。


 アリアは建物を前に目を丸くする。


「こんなところに離れがあったんですね」


「いや、ここは父上の物置だ」


「物置!?」


 ロベルトの父はヴェクター・シュトザインという。

 元騎士団長であり、息子に跡目を譲ってからは諸国漫遊の旅に出ている。結婚式でお目にかかったが、ガチガチに緊張するアリアのことを気さくに励ましてくれた人格者だ。


 それはともかくとして、アリアは建物をしげしげと見つめる。


「物置にしては普通に住めちゃいそうですけど……」


「それはそうだろう。父上はここに籠もるのが何より好きだったからな」


「物置なのに、ですか?」


 アリアが目を瞬かせると、ロベルトはニヤリといたずらっぽく笑って、古びた鍵を取り出してみせる。屋敷に一度戻ったのは、これを取りに行っていたかららしい。


「父上には変わった趣味があるんだ」


 鍵を差し込むと、錆び付いた音がしてドアが開く。


 中は林以上に薄暗く、埃っぽい空気で満ちていた。しかしロベルトがかかっていたカーテンを引くと陽光が差し込み、あっと驚く光景がアリアを出迎えてくれた。


「すごい……! 本がいっぱいです!」


「壮観だろう?」


 壁一面に本棚が並び、高い天井まで伸びている。

 そして、そのすべてにぎっしりと本が詰め込まれていた。


 それだけでは済まず、収まりきらなかった書物たちがあちこちでうずたかい山を形成し、足の踏み場もないほどだ。


 奥には煖炉があって、一脚の安楽椅子が置かれている。

 カップやスプーン類、毛布の類いがそのあたりにごちゃっとまとめられていて、あとは全部本、本、本……見渡す限りに本ばかりだ。


「父上の趣味は、魔法に関するものを集めること。一階にあるのは全部魔導書だ」


「ヴェクター様は魔法がお得意なんですか……?」


「いや、才能は人並み以下だ。とにかく蒐集するのが好きらしい」


 二階には魔法のかけられた特別な道具・魔導具が数多く収蔵されているらしい。

 そう説明して、ロベルトは手近な本棚の前に立つ。


「さてと、初心者向けは……ああ、これだな。ほら、アリア」


「えっ、えっ?」


 そのうちの一冊を差し出され、おもわず受け取ってしまう。


 まじまじと表紙を見つめてみる。

 杖を持った子供が描かれ、その上にはタイトルが書かれていた。いわく。


『よい子の魔法 ~その一~』


 子供向けの魔法教本である。

 きょとんとするアリアに、ロベルトは優しく語りかける。


「アリア。魔法を学んでみてはどうだろうか」


「魔法……ですか?」


「ああ。これまで魔法に触れたことは?」


「一度もありませんけど……」


 アリアは記憶を探る。

 実家の花嫁修業にそんな科目はなかった。


 明かりを灯したり、体を温めたりするような簡単な魔法は使用人が学ぶべきもので、貴族令嬢はもっと他に覚えることがある……ということを、叔父はよく言っていたものだ。


 そもそも叔父は魔法をひどく嫌っていた。


 使用人たちが自分の前で魔法を使うことをよしとしなかったし、アリアも魔法使いが出てくる絵本を読んでいただけで、こっぴどく叱られたものだ。


『魔法などおまえに必要ない! あの女のようになるつもりか!』


 わけの分からない怒号をもらい、幼いアリアは泣きじゃくることしかできなかった。

 そんなわけで、魔法からは縁遠い人生を送ってきた。


 ロベルトはいたずらっぽく笑う。


「さっきセバスが何人いるか、って話をしたのを覚えているか? 当然、彼はこの世にひとりしかいない。それなのに屋敷の仕事すべてを担えているのは……魔法のおかげだ」


 そう言って、彼は低い声で呪文を唱えはじめる。


 窓もドアも閉め切っているはずなのに、どこからともなく風が吹き込み、ロベルトの体にまとわりつく。アリアの目には、風にはほのかに黄色い色が付いているように映った。


「《ヘイスト》」


 風がぴたりと止み、かわりにロベルトの体がほのかな光を放ちはじめる。


「これはヘイストという魔法だ。効果は単純」


「きゃっ!」


 その瞬間、ロベルトの姿がかき消えて突風が巻き起こった。

 アリアが目を瞑った刹那ののち、気付けばまた目の前にロベルトが立っている。

 彼は手に一枚の皿を持っていた。載っているのはクッキーだ。


「少し小腹が空いたからな。厨房まで行って、取ってきた」


「今の一瞬でですか……?」


「そのとおり。これは高速移動を可能にする魔法だ。おひとつどうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 クッキーを分けてもらうと、ほんのり甘いジンジャーの香りが鼻腔をくすぐった。

 間違いなくセバスの手作りクッキーだ。本当に今の一瞬で移動したらしい。


(魔法ってすごいわ……!)


 こんなに近くで魔法を見るのは生まれて初めてだった。

 クッキーをもぐもぐしながら、アリアの胸は大いに高鳴る。


「では、セバスさんはこの魔法を使ってお仕事をされていたんですか?」


「そのとおり。セバスの《ヘイスト》は達人級だ。俺でも動きを捉えることができなくて……まあ、それはともかくとして」


 ロベルトは皿を置いて、両手を使ってアリアの手をぎゅっと握った。

 温かくて大きな手だ。剣を握るためか、皮膚が硬くてごつごつしている。

 アリアの細い指とはまるで別物で、力強さを感じさせる。

 そしてその力がアリアにも流れ込んでくるような、そんな気がした。


「魔法は使い方を誤れば危険な技術だ。だがしかし、会得すれば必ず役に立つ」


「で、でも、私なんて――」


「父上が騎士団長を務めていたころの話だ。当時、でたらめに強い魔女がいた」


「へ?」


 アリアが目を瞬かせるのにも構わず、ロベルトは語った。


 その魔女は、莫大な力を持っていた。

 ありとあらゆる魔法を使いこなし、悪人を追い詰め、弱き者たちを救った。

 おかげで当時、民衆から絶大な支持を得ていたらしい。


「彼女もあなたと同じ赤髪だった。どうも赤髪の人間には、魔法の才能があるらしいな」


「そうなんですか?」


「俗説だがな。とはいえ第二騎士団……魔法使い専門部隊で、現代最強と名高いカルラス団長殿はまぎれもなく赤髪だ」


「へえ……」


 アリアは自身の髪をひと房だけ摘まんで、しげしげと見つめてみる。

 嫌というほど見慣れた、酸化した葡萄酒のようなくすんだ赤。

 それに価値があるというのはにわかに信じがたい。

 だがしかし、ロベルトが嘘を吐くはずはなかった。



「あなたは自分が無力だと嘆く。なら、なんでもいいから力を付けるべきだ。魔法を使えるようになれば、きっとあなたの自信につながるはずだ」


「でも、魔法もダメだったら……」


「なあに。そのときはまた別の分野に挑戦すればいい。絵でもスポーツでも、なんでもいい。得意なものが見つかるまで、俺が何度でも付き合おう」


「ロベルト様……」


 鼻の奥がつんとして、アリアは言葉に詰まってしまう。

 魔法を学ぶということは、ハイザン卿の言いつけに背くことになる。


 しかしロベルトへの想いが、叔父に対する恐怖に打ち勝った。完膚なきまでにボコボコのギタギタにして、ゴミ箱にぽいっとダンクシュートするくらいには完全勝利だった。


 アリアは初心者教本を抱きしめて、ぱあっと花が咲いたように笑う。


「ありがとうございます。それじゃあ私、魔法を勉強してみます!」


「うむ、その意気だとも」


 ロベルトは目尻を下げて微笑んだ。

 そんな彼に見守られているだけで、アリアは何でもできるような気持ちになった。

 さっそく教本をぱらりとめくって、ワクワクと目次に目を通す。


「炎とか氷を出す魔法があるんですねえ」


「そのあたりは攻撃魔法にもなるぞ。危険だから、あまり覚えてほしくはないがな」


「では、この回復魔法を勉強することにします! 会得できたら、ロベルト様の疲れを癒やすことができますから」


「アリア……俺は果報者だなあ」


 ロベルトは口元を覆い、しみじみと噛みしめた。

 そのついでとばかりにこの屋敷の鍵をアリアに差し出してくる。


「それじゃ、この鍵はあなたに預けよう」


「え!? いけませんよ、ここはヴェクター様の物置なんですよね?」


「かまうものか。父上のコレクションは有名らしくてな。噂を聞きつけて、見せてくれと押し掛けてくる学者も多い。父上はそうした者に快くここを開放していたものだ」


「まあ……ヴェクター様は心がお広いんですね」


「というより、ただ自慢したいだけだろう」


 ロベルトは肩をすくめ、アリアの手に鍵を乗せる。


「あなたがここのコレクションで学んだと知れば、父も喜ぶ。だから好きに使ってくれ」


「……分かりました。大事にしますね」


 アリアは本と鍵を抱きしめて、にっこりと笑う。

 それにロベルトもまた柔らかく相好を崩してみせた。


 彼と微笑み合う、ただそれだけでアリアは解きほぐされるような心地よさを覚える。

 これまでの人生で考えたこともないような多幸感が、後から後から押し寄せてくる。


 そこでふと、ロベルトが気付いて窓を見やった。

 木々の向こうに広がる大空は、燃えるような茜色に染まりつつある。


「もうこんな時間か。そろそろ屋敷に戻ろう」


「そ、そうですね」


 アリアも空を見上げてハッとする。

 ぎこちなくうなずいてから、意を決してロベルトに問いかける。


「あの、ロベルト様」


「なんだろうか」


「今晩は、その……」


 少し言いよどみつつも、アリアは上目遣いで続けた。


「どちらで、お休みになりますか……?」


「は…………はいっ!?」


 ロベルトは一瞬だけ虚を突かれたような顔をして、すぐにハッとした。

 みるみるうちにその顔が爛熟した果実のような赤に染まっていく。それに伴って、アリアも頬が熱くなるのを感じた。


 ロベルトはつっかえながらも言葉を紡いだ。


「今日は、仕事の予定はないし……部屋で、休めると思う」


「……そうですか」


 そこまでが限界だった。


 古い本たちが見守る中、ふたりは真っ赤になって押し黙ってしまう。


 しばし小さな屋敷を静寂が満たしたが、それを破ったのはロベルトだった。


 アリアの肩にそっと震える手を置き、声を絞り出す。


「そ、その……アリア! 大事にすると約束する! だ、だから、今夜は俺と――」


「失礼します、ロベルト団長!」


 バーーーン!


 勢いよく扉が開かれ、招かれざる闖入者(ちんにゅうしゃ)の台詞がロベルトの声をかき消した。

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