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三十五話 エピローグ②

 アリアは恐る恐る目を開く。

 はたしてロベルトはこれまで見た中でも一二を争うまぶしい笑みを浮かべていた。


 アリアは目を瞬かせるしかない。脳がフリーズして処理速度が非常に落ちている。

 それでも先ほどの言葉を噛み砕き、なんとか理解しようと試みた。


「家って、ハイザン家ですか……? あんなことをしたのだから廃爵とばかり……」


「違う。俺たちの家だ」


「ああなるほど…………って、えええええええええ!?」


 とうとうすべてを理解してアリアは絶叫を上げる。


「わ、私……離縁じゃないんですか!?」


「もちろん、貴族や大臣連中からはそうすべきだという声も多かった」


 ロベルトは真面目にうなずいて、懐から一通の書状を取り出した。

 ずいぶんくたびれてよれよれになったそれをアリアに向け、堂々と続ける。


「そのすべてを説き伏せてきた。この辞表を片手にしてな」


「それってほぼ脅迫なのでは……?」


「切れるカードは惜しまず切るべきだろう」


 それに加えて部下の騎士たちも嘆願書を書いてくれたという。

 この二ヶ月、空き時間のすべてを費やして関係各所の説得を続けたらしい。


「それでとうとう国王陛下が俺たちの婚姻関係継続に了承してくださったんだ。これでもう誰にも文句は言わせない」


「それじゃあ、私……」


 アリアは口を開きかけるが、心が逸ってうまく言葉が出てこない。

 それでもロベルトはじっと待ってくれた。


 アリアの手を握り、目を見つめ、噛みしめるようにして何度もうなずく。

 胸の奥からあたたかな想いが沸き出して、涙となってあふれ出す。アリアはつっかえながらも必死に言葉を紡いだ。


「私、まだ……ロベルト様の妻でいていいんですか……?」


「ああ。そうでなければ困る」


「ロベルト様ぁ……!」


「うおっ!?」


 感極まってアリアはロベルトの胸に飛び込んだ。

 彼は少しだけうろたえたあと、力強くアリアのことを抱きしめてくれた。


「すまない。今回もずいぶん待たせてしまったな」


「平気です。だって……奥さんですもの」


 アリアはそっと顔を上げ、涙を流しながら微笑んだ。

 その涙をロベルトが優しく拭って、そっと口付けを落としてくれる。

 久方ぶりの口付けは極上に甘く、頭がじんっと痺れるほどだった。

 名残惜しそうに唇を離し、ロベルトはかすかに眉を寄せる。


「とはいえ、ハイザン家は遠からず廃爵となるだろう。俺と婚姻関係を継続するために、あなたには後継人を付ける必要があるんだが……今のところまだ候補を挙げている段階でな。それが決まるまでは、多少窮屈な思いをさせるかもしれん」


「その程度ならご心配なく。なんだって耐えてみせますわ」


「ふっ、あなたならそう言うだろうな」


 ロベルトは柔らかく微笑んで、アリアから体を離す。

 少し名残惜しかったが、二ヶ月分の空白は埋められた。


「それじゃあセバスも心配していることだし、今すぐ屋敷に戻ろう。支度してもらえるか」


「かしこまりました! アスタロト、おねが……い?」


 ぱっと振り返った先には、あの胡散臭い笑みの新米執事がいなかった。

 ガーくんも消えていて、テーブルには一枚の書き置きだけが残されている。

 いわく――。


『荷物をまとめたので、ガー様とともに一足先にお屋敷へ戻ります。byアスタロト』


 アリアは書き置きを握りしめて胸中で叫ぶ。


(く……悔しいけど気が利く~~~!)


 おそらくロベルトと二人きりにしてくれたのだ。

 働く動機はともかくとして、有能にもほどがあった。

 ロベルトもそこでひとりと一匹が消えていることに気付き、不可解そうに首をかしげる。


「いつの間にいなくなったんだ……? まったく気配を感じなかったんだが……」


「ふふ。いいじゃありませんか、そんなこと」


「……アリアはあいつと二ヶ月も一緒に暮らしたんだよな」


「え? そうですね。意外としっかり執事らしく働いてくれましたよ」


「…………そうか」


「?」


 ロベルトが険しい顔でかぶりを振ったので、アリアはきょとんとするばかりだ。

 うつむき加減で口元を押さえ、ぶつぶつと何事かをつぶやき続ける彼をじーっと見つめて、はたと気付く。


「ひょっとして……嫉妬してます?」


「……悪いか」


 ロベルトはすっと目を逸らしてぽつりと答えた。

 おかげでアリアはぱあっと顔を輝かせるのだ。そんな素直な可愛い姿を見せてくれるなんて反則過ぎる。ニマニマしながらロベルトの腕をつんつんつついてしまう。


「もう、ロベルト様ったらお可愛いんですから。私はロベルト様ひと筋ですってば」


「だがもし、あの男が変な気を起こしでもしたら……」


「そのときは魔法でぶっ飛ばしてやりますわ。お任せください!」


 アリアはぐっと力こぶを作ってウィンクする。

 万が一にもそんなことが起きたら、持ちうる魔力の全てを尽くして始末してやるつもりだ。


 しかしアリアの実力を知らないロベルトはハラハラするばかりだった。

 それでも最終的にはかぶりを振ってため息をこぼす。


「まあ、家に問題が起きても変わらず仕えてくれるのは大変助かるしな……もう少し様子を見るか」


「ええ。今後どう出るか、全然予想が付きませんけどね……」


「なにか言ったか?」


「いえ、なにも」


 にっこり笑って誤魔化して、アリアはロベルトの腕を引いて玄関へと向かう。

 玄関扉は開けっぱなしで、夏の陽光に照らされてキラキラと輝く外界が見渡せた。


「早くお屋敷に帰りましょう。セバスさんにも心配掛けたお詫びをしないと」


「あ、ああ。そうだな」


 ロベルトの歩調はなぜかぎこちなかった。

 やがて別荘から一歩外に出ると、彼はそこで立ち止まってしまう。


「その、アリア……」


「は、はい。なんでしょうか」


 ロベルトがどこか覚悟を孕んだような真剣な顔でそう切り出したものだから、アリアも思わず姿勢を正してしまう。この期に及んで何か悪い報せでもあるのだろうか。


 ドキドキしながら待っていると、彼の口から飛び出したのは思いも寄らない報せだった。


「まとまった休みが取れた。今日から三日間は完全な休暇だ」


「えっ」


「国家の危機でも呼び出すなとキツく言ってあるから、今度こそ誰にも邪魔されないはずだ。だから、今夜は……その」


 ロベルトはつっかえながらも賢明に言葉を紡ごうとする。

 今度はアリアが待つ番だった。ドキドキしながら彼の手を握りしめ、先を促す。


 ふたりの赤く染まった頬に汗が伝う。

 その雫が地面にぽたりと落ちたのをきっかけに、ロベルトが決定的な言葉を口にした。


「今夜は、一緒に寝てもいいだろうか」


「……はい」


 それが何を意味するのか、アリアはよく理解していた。

 緊張でぎくしゃくしながらも、なんとか小さくお辞儀する。


「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


「こちらこそ……」


 ロベルトもおずおずと頭を下げて、ふたり同時に噴き出した。




 こうしてその日の夜――。


「すみません団長! 緊急事態です! 例の件に動きがありました!」


「ぐおおおおおおおおおお!」


「やっぱりこうなるのね……」


 ロベルトが緊急招集されて、ふたたび夫婦の儀はお預けとなった。

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