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三十四話 エピローグ①

 こうしてハイザン卿が摘発され、国中が大騒ぎとなった。


 下級とはいえ、仮にも貴族が様々な悪事に手を染めて私腹を肥やしていたのだ。


 おまけにハイザン卿は国内外から商品を仕入れて卸していたため、その数多くの関係先も根こそぎ摘発を受け、逮捕者が続出。日夜新聞の一面を飾る大事件となった。


 しかしそれから二ヶ月経った今となっては、また別の事件が市民の関心を集めていた。

 もはやハイザン卿の名は紙面のどこにも見当たらない。


「叔父様ったら、もうすっかり過去の人ねえ」


 それを確認して、アリアは新聞からそっと顔を上げる。


 こぢんまりとした部屋だ。

 壁には小さな風景画が飾られ、あちこちに花瓶が置かれている。


 ここは王都から少し離れた避暑地に建つ、シュトザイン家の別荘だ。本邸に比べれば手狭だが、静かで過ごしやすい場所だった。


 窓の外には突き抜けるような青空が広がっていた。

 真上には強く照りつける太陽が輝き、大きな入道雲が幅を利かせている。


「……もうすっかり夏ねえ」


 あの事件以来、アリアはこの別荘で暮らしていた。

 小さくため息をこぼし、一枚の写真を取り出す。


 結婚式の写真だ。ぎこちなく笑う自分と、緊張からか殺し屋めいた険しい顔をしたロベルトが映っている。このときはまだ未来の自分たちが大事件に巻き込まれるなんて、夢にも思っていなかった。


「ぐすん……ロベルト様に会いたいなあ」


「どうぞ、奥様。ハンカチです」


 涙ぐむと、すかさず横手からハンカチが差し出される。

 アスタロトだ。その肩にはガーくんが乗っている。


 アリアは重要参考人ということでシュトザイン家の本邸に戻れず、処遇が決まるまではここで待機するように申しつけられていた。ふたりともそれに付いてきてくれたのだ。


「うう……ありがと」


 ハンカチを受け取って涙を拭うと、アスタロトが呆れたように言う。


「『離縁も覚悟の上だ』と大見得を切ったのは奥様でしょう。もっと堂々と構えるべきでは?」


「だって二ヶ月も生殺しになるなんて思わなかったんだもん!」


 離縁か否か。

 たったそれだけの結論が、二ヶ月もの間出ていないのだ。


 当然ながらロベルトに会えてもいないしで、アリアは栄養不足で死にそうだった。

 そう訴えるのだが、アスタロトとガーくんはきょとんとするばかりだ。


「二ヶ月なんて一瞬ですよ。ねえ、ガー様」


「そうだな。うっかり寝過ごしたときくらいの時間経過だ」


「お年寄りはこれだから……!」


 うなずき合うふたりを、アリアはキッと睨み付ける。


「あなたたちは何百年って生きてるけどね、私はまだ十八歳なの! 二ヶ月なんて永遠にも等しいの! それなのに何の進展もないのよ!? 悶々として当然でしょうが!」


「そういえばこのところは誰も訪れてこないな」


「大きな事件ですし、捜査も判決も時間がかかるのでしょうね」


 当初は調書を取るために様々な人物がやって来た。

 しかしアリアに答えられることなどほとんどなく、あっという間に誰も来なくなった。

 おかげで暇を持て余し、憂鬱な毎日を送っているのだ。

 アリアは大きなため息を吐いてテーブルに突っ伏す。


「今ごろロベルト様はどうしているかしら……」


「命じていただければ、わたくしが潜入調査してまいりますが」


「自分の目で見なきゃ嫌なの!」


「ではこっそり抜け出して見に行けばよいのでは?」


「それはその、信じて待つって言った手前やりたくないっていうか……」


「でしたら大人しく待つしかないですね」


「うううううう……!」


 ぐうの音も出ない正論に、アリアは頭を抱えて呻くしかない。

 その間にもアスタロトは新聞を片付け、お茶の準備をはじめていた。


 ポットを傾ければ琥珀色の液体が小気味よい音を立ててカップに注がれ、ふんわりと甘い香りが部屋中に広がった。おかげでアリアのささくれだった心が少しだけ癒やされる。


 カップを差し出してアスタロトは柔らかく笑う。


「ハイザン卿とイゾルデは司法取り引きに応じ、極刑は免れたようですね。おそらく一生牢の中でしょうが」


「……ふうん。今度面会に行ってあげようかしら」


 死ぬほど嫌がられるかもしれないが、それはそれで乙だろう。

 のそりと顔を上げてティーカップに口を付ける。

 ほんの少しだけ体が温まるが、それでも重いため息がこぼれ落ちた。


「ま、面会も処遇が決まるまでは無理なんだけど。やっぱり離縁かしらねえ……」


 アリアはあんな大きな騒ぎを起こした男の養女だ。

 騎士団長の妻には相応しくない。


 ハイザン家も私財没収の上でお取り潰しになるだろうし、これでは行くところがなくなってしまう。

 そう嘆くと、ガーくんがぴょんっと飛び降りてきてアリアの顔を覗き込んでくる。


「主よ、もしそうなったら我と世界を見てまわろうぞ」


「世界を……?」


「ああ。短い付き合いだが、我は確信している。主ならば世界を取れると!」


 ガーくんはキラキラした目で言う。


「世界は広いぞ。きっと主のお眼鏡に適う宝があるだろう。ダンジョンに潜ってもいいし、各地の強者に喧嘩を売ってもいい。美味いものも山のようにあるぞ! 主ならばきっと愉快な旅路になるはずだ!」


「……ガーくんにしては魅力的なお誘いね」


「いいですね。そのときはぜひ怪盗業もご検討くださいませ」


「いやいや、冒険者兼怪盗ってちょっと欲張りすぎでしょ」


 やけに真剣なふたりに、アリアは苦笑してしまう。


 なんだか物語の主人公みたいだ。ドラゴンと怪盗を引き連れて、世界を股に掛ける自分を想像してみる。きっと素晴らしい景色が見られることだろう。


 だがしかし、アリアの心は動かなかった。

 また写真に目を落として、ぽつりとつぶやく。


「でもねえ……そこにロベルト様はいないのよね」


 たったそれだけで、輝かしいはずの世界は途端に色褪せてしまう。

 アリアはゆっくりと首を横に振った。


「私の世界はロベルト様がいなきゃ意味がないの。他にどんな宝物が手に入っても、きっと満たされないはずだわ」


「勿体ない。主はもっと広い世界に出るべきで……ああいや」


 熱弁を振るいかけたガーくんだが、ふと何かに気付いたとばかりにハッとしてあごに手を当てて考え込む。


「枷がなければ、間違いなく主はやり過ぎるな。下手をすれば各地の勢力図が塗り替えられて大変なことになりかねん」


「それも一理ありますね。奥様は強者の自覚が皆無ですから」


「ふうむ。あの男のおかげで、むしろ世界の均衡が保たれているということか……?」


「訳の分からないことを言わないで。私はただの騎士団長様の奥さんよ」


 ふたりにツッコミを入れつつ、アリアはふっと自嘲気味に笑う。


「まあ、明日にはその称号もなくなっちゃうかもしれないけどね……」


「ううむ、覇気がない。これはよくない。よくないぞ」


 ガーくんは目をすがめ、アスタロトにびしっと前足を突き付ける。


「おい、怪盗。主に菓子をお出ししろ。ついでに我の分も忘れるなよ!」


「かしこまりました」


 アスタロトは深々と頭を下げる。

 この三人でのお茶会もすっかり日常だ。


 飾らなくてもいい穏やかな時間はたしかに愛おしい。

 それでも本当に欲しいものは手に入らずにいる。それがもどかしく苦しかった。


(最後にひと目だけでも会いたいなあ……ロベルト様)


 ぐすんともう一度鼻を鳴らした、そのときだった。

 遠くの方から駆けてきた早馬が別荘の表に止まり、力強く玄関扉が開かれた。


 バンッッ!


「アリア!」


「えっ」


 扉に顔を向けて、アリアはそのまま固まってしまう。

 果たしてそこに立っていたのは愛しのロベルト、その人だった。よほど馬を飛ばしてきたのか、着ている軍服はしわが目立ち、裾には泥が跳ねている。


「ろ、ロベルト様……?」


 アリアは思わず立ち上がって自分の頬をつねる。

 ちゃんと痛いが、確信は持てなかった。


「幻覚……じゃないですよね……?」


「間違いなく本物だ」


 ロベルトは力強く断言し、足早に歩いてくる。

 会わないうちに少しやつれたようだが、それでも夢にまで見たロベルトだ。

 だがしかし手放しで喜ぶことはできなかった。彼の顔が非常に強張っていたからだ。

 ロベルトはアリアの目の前で立ち止まり、深呼吸してから切り出す。


「アリア。今日は報せを持ってきた」


「……はい」


 アリアは小さくうなずき、目を瞑る。


(短い夢だったわ……それが今日、終わるのね)


 結婚式のあの日から、素晴らしい夢を見ることができた。

 悔いはない。ただあるがままを受け入れよう。

 両肩にロベルトの手がそっと置かれる。

 アリアが覚悟を決めていると、彼は震える声を振り絞ってこう告げた。


「よろこべ、アリア! 家に帰れるぞ!」

「……えっ?」

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