三十三話 旦那様の一撃
首領があっさりと倒されて、周囲は騒然とする。
「あ、姐さんがやられた……!?」
「逃げろ! こんなの無理だ!」
「だがよ、どこに逃げろって言うんだよ! ここは船の上だぞ!?」
「そ、それは……」
彼らの顔には色濃い絶望が浮かぶ。
しかし瞬く間にそれは闘志へと変換されていった。追い詰められた者たちが最後に選ぶのはひとつだけだ。すなわち、特攻である。
「こうなりゃヤケだ! うおおおおおお!」
こうして残った手下たちが一斉に襲いかかってくるのだが――。
「どうぞごゆるりとお休みください」
《ふはははは! アリにも等しい雑魚どもめが!》
「ぎゃああああああ!?」
アスタロトが例の懐中時計で、ガーくんが尻尾で、それぞれ返り討ちにした。
ふたりともいつの間にか怪盗衣装に着替えたり、元の大きさに戻ったりしている。
おかげであっという間もなく船上は完璧に制圧された。
「よくやったぞ……って。待て待て」
アリアはふたりへ賛辞を送るが、すぐに真顔になった。
気を失ったイゾルデから、アスタロトが鞭を回収しようとしていたのだ。
慌ててその肩をがしっと掴む。
「おまえ、その鞭をどうする気だ」
「そう睨まなくても大丈夫ですよ。少し確認したら博物館に戻しますから」
「確認……? 先日の杖といい、いったい何の確認なんだ」
「ははは」
アスタロトは朗らかに笑って誤魔化すだけだった。
この様子だと、どう聞いたところで答えまい。アリアは渋々その肩を離した。
「ちゃんと返しておくんだぞ。でないとクビにしてやるからな」
「承知いたしました」
《あ? もう終わりか。うーむ、やはり普通の人間をいたぶっても面白みに欠けるなあ》
気を失ったならず者たちを踏みしだきながら、ガーくんが不平をこぼす。
先ほどまでの殺気から一転、ゆるい空気が船上に満ちる。
だからすっかり失念していた。敵がもうひとり残っていることを。
「動くな!!」
「!?」
突然の怒号が大海に轟く。
ハッとしてみれば、ハイザン卿がアリアの複製体に大ぶりのナイフを突き付けていた。
彼は蒼白な顔で唇を震わせながらもう一度叫ぶ。
「こ、この娘がどうなってもいいのか……!」
「えええ……」
アリアたちはそっと顔を見合わせるしかない。
複製体も若干困惑気味だ。
複製体はアリアの影に形を与えただけのものなので痛覚はなく、ナイフで切り付けられたところで血の一滴も流れない。だがしかし、そうなればハイザン卿に偽物だということがバレてしまう。せっかくの入れ替わりトリックが台無しになるのは避けたかった。
(うーん、どう動きましょうかね……あっ)
アリアは少し逡巡し、あたりを窺う。
そうしてハッと目を丸くしたのち、思わず口の端に笑みが浮かんでしまった。
従者二名もそれに気付いたのか黙したままだ。
アリアは両手を挙げて降参のポーズを取る。
「分かった。私たちは手出ししない」
「それでいい! そのまま早く船を下りろ!」
「承知した」
アリアはゆっくりとうなずいた。
そうして挙げた右手で、上空を指し示す。
「彼の一発が済んでからな」
「なに……!?」
ハイザン卿がハッとして上を向くより先に。
ダンンッッッッ!!
大きな人影が、轟音と共にハイザン卿の目の前へと降り立った。
太陽の光を受けて輝く銀の鎧に、艶やかな黒髪。
鬼のような形相のまま、ロベルトは渾身の力を込めて拳を振るった。
「その薄汚い手を妻からどけろ!!」
「ぐぶあっっ!?」
こうしてハイザン卿は複製体を手放して、甲板の端から端までぶっ飛ばされた。そのままイゾルデの隣に倒れ込み、こちらもピクリとも動かなくなる。
それを見届けて、ロベルトは小さく息を吐いてからハッとしてあたりを見回した。
「はあ……あ、アリア! アリアは無事か!?」
「ろ、ロベルト様……」
甲板にぺたんと座り込み、アリアはか細い声を上げる。
複製体――ではない。今度は本物だ。
(セーフ! 早着替えの練習をしておいてよかったわ!)
ロベルトがハイザン卿を殴り飛ばすと同時に着替えを行い、複製体を消去した。
アスタロトとガーくんも無害な新米執事と仔猫に戻って神妙な顔をしている。
これで作戦完了だ。
「アリア!」
安堵するアリアのもとへ、ロベルトが血相を変えて駆け寄ってくる。
その顔は今にも倒れそうなほど蒼白だった。
アリアの手をぎゅっと握りしめ、眉を寄せて顔を覗き込んでくる。
「無事か。怪我はないか」
「あ、ありがとうございます。平気です」
「ああ……こんなに声が掠れて……怖かっただろう。だが、もう大丈夫だ」
そう言ってロベルトはぎゅっとアリアのことを抱きしめてくれた。
久方ぶりのふれあいに胸が高鳴る。うれしさと申し訳なさがない交ぜとなり、アリアの目尻に涙が浮かぶ。
(心配……かけちゃったわね)
これしかないと思ったが、果たして本当にこの手でよかったのだろうか。
そんな不安に襲われていると、上空から一匹の怪鳥が降りてくる。鷹の翼と獅子の体を持つ、威風溢れる魔物だ。アリアは目を丸くする。
「まあ、グリフォン!」
「ええ。他の騎士団から借りてきました」
グリフォンの手綱を取るのはオスカーだ。
ひらりと怪鳥から降りたって、アリアへまばゆい笑顔を向けてくる。
「無事でよかったです! でも、これは一体何なんです? 嵐でも来ました?」
「いえ、赤い魔女さんが助けてくれたんです」
「やはりあいつか……」
ロベルトは顔をしかめて甲板を見回す。
当然ながら、魔女の姿はどこにもない。
仮面や衣装は転送魔法で屋敷の離れに送っておいたので証拠隠滅も完璧だ。
「さっきちらっと姿を見かけたが、いったいどこに消えたんだ」
「『用は済んだ』とおっしゃって、ドラゴンさんたちとお帰りになりましたわ」
「……いったい何が目的なんだか」
ロベルトはあごに手を当てて思案する。
味方と判じていいのか迷っているのだろう。
しかしすぐに意識を切り替え、アリアに頭を下げてくる。
「……すまない。助けに来るのが遅くなってしまった」
「とんでもないです! その、勝手なことをした私の方が悪いので……」
「変な話をした俺が悪いんだ。あなたが気に病むことはない」
ロベルトは力強く首を横に振ってから、からりと笑う。
その目に迷いは微塵もなかった。どこか吹っ切れたような笑顔で彼は言う。
「おかげで目が覚めた。俺に悩んでいる暇はない。悪を断ち、あなたを守る。それだけだ」
「ロベルト様……」
「いやあ、お熱いことですねえ」
オスカーがニコニコと茶々を入れてくる。
倒れた者たちの人相を確認して甲板をうろついていたが、ふとアスタロトたちに目を留める。
「あ、こっちが一緒に攫われたっていう新米執事さん? 初めまして」
「ええ。どうも初めまして。このような形でご挨拶することになり恐縮です」
「……あいつは犯人の仲間ではないのか?」
「まさか。アスタロトは私を守ろうとしてくれたんですよ」
ロベルトが怪訝そうな顔をしたので、アリアは慌てて庇っておいた。
この場でしょっ引いてもらいたいのは山々だったが、こうなったらもう共犯だ。
(そういうことにしておいてあげる。だから余計なことを言うんじゃないわよ)
(もちろん。ご配慮痛み入ります)
アリアが目線で釘を刺すと、アスタロトもまた恭しくウィンクしてみせた。
「ガーくんも。ねえ?」
「にゃおーん」
バスケットの中から顔を出し、ガーくんはわざとらしい声で鳴いてみせた。
ちょうどそんな折。
「おーい! やりすぎてないか、団長ー!」
潮風に乗ってそんな声が聞こえてくる。
見れば港の方角から一隻の船が近付きつつあった。船の帆に描かれているのは騎士団の紋章だ。見慣れた顔ぶれが何人もいる。
ロベルトはそちらに手を振ってから、深刻な顔をアリアに向ける。
「これから慌ただしくなるだろう。しばらく会うこともままならないはずだ。ひょっとすると、そのまま離縁ということにも――」
「覚悟の上です」
アリアはまっすぐ彼の目を見つめてうなずく。
もはや迷いはない。最後まで誇りを持って己の務めを果たすだけだ。
「私は騎士団長の妻です。ロベルト様の正義を信じるのみ。いつまでも無事の帰りをお待ちしておりますわ」
「本当に……強くなったな、あなたは」
ロベルトは呆気に取られたように目を丸くする。
結婚した当初のアリアでは、こんな堂々とした台詞は逆立ちしたって言えなかったはずだ。
アリアはにんまりといたずらっぽく笑う。
「ロベルト様に出会えたおかげです。それとも、強い妻はお嫌いですか?」
「まさか。ますます惚れてしまいそうだ」
「まあ、ロベルト様ったら」
クスクスと笑うアリアに釣られ、ロベルトもまたふんわりと相好を崩してみせた。




