三十二話 積年の恨み
ハイザン卿が息を呑んで気色ばむ。こめかみには青筋がはっきりと浮かんでいた。
そんな彼に、アリアは渾身のマジレスをぶちまけるのだ。
「商才を生かすだけなら、真っ当な商売でもいいはずじゃない。それなのにこんな悪事に手を染めたのは、姉とは真逆の道を行きたかっただけ。つまり単なる反抗期よ」
なんだか仰々しい独白だったが、結局はそういうことだ。
あまりのくだらなさにあくびが出てきそうになる。
アリアはハイザン卿を睨み付けながらまっすぐに告げた。
「邪魔者はいなくなったっていうけど、まだあなたは姉の影に怯えているのよ。きっと一生そのまま満たされないわ。育ててもらったことは感謝してるけど……ほんっと、くだらない人間ね!」
「この……っ!」
「きゃっ!」
突然ハイザン卿がアリアの胸ぐらを摑み、甲板の端まで引きずっていった。
背後でどよめきが起こるが、ハイザン卿は耳を貸さなかった。
「ちょ、ちょっと待ちなよあんた! そんな小娘の言うこと真に受けちゃ――」
「おまえは黙っていろ!」
「ぐっ……」
壁に背中を打ち付けられ、少しだけ息が詰まる。ちらりと後ろに目をやれば、泡立つ海がすぐ真下にあった。アリアを吊り上げたまま、ハイザン卿は静かに言う。
その目は暗く淀んでいて、わずかな光も見当たらなかった。
「騎士団長に嫁入りして、ようやく私の役に立ったかと思ったが……」
「ま、待って、叔父様。私の話を――」
「ここでお別れだ。アリアベル」
ハイザン卿は最後に歪な笑みを浮かべたあと、アリアの体を船の外へと投げ出した。
「きゃああああああ!」
アリアは悲鳴とともに大海原へと飲み込まれてしまう。
とぷんと静かな水音が響いたものの、あとはもうそれっきりだ。
助けを請う声も、もがき苦しむ悲鳴も聞こえなかった。
これには手下のならず者たちもギョッと目を剝いて、慌てて体を乗り出して海を探す。しかし、それらしき人影はひとつも浮かんでこなかった。
イゾルデも頭をかきむしり、地団駄を踏む。
「ああもう、何やってんのよ! 小娘に図星突かれたからって殺すこたないだろ! せっかく人質に取ったのに台無しじゃないか!」
「かまわん。死体が上がるまでは、騎士団への牽制に使えるだろう」
「それはそうだけど……」
イゾルデは呆れたように口を尖らせ、もう一度海へと目を向ける。
「一応は血の繋がった姪っ子でしょ。それを殺すかしらね、普通」
「あんなもの身内でも何でもない。始末できて、かえってせいせいしたくらいだ」
「おお怖い怖い。なんなら売り飛ばそうかと思ってたのにさ。近年赤毛は人気なんだから」
あーあ勿体ないとぼやくイゾルデに、ハイザン卿がそれ以上構うことはなかった。
ただアリアが沈んだ海を見つめたまま、小さくつぶやくだけだ。
「あの女の忘れ形見など、早くこうしておけばよかったんだ」
ハイザン卿はしばしの間、ぼんやりと海を眺めていた。
その胸に去来するのはどのような名称が付く感情なのか、第三者には計り知れない。
それでも振り返ったあと、彼はどこか清々しい笑みを浮かべていた。
見やるのは、主を亡くしたばかりの新米執事と仔猫である。
「おまえたちもすぐにアリアベルの後を追わせてやる。感謝することだな」
「奥様と共に死出の旅路というのも乙なものですが……」
アスタロトはハイザン卿をまっすぐに見つめ返し、目を細めてにたりと嗤う。
「奥様は天に愛されておいでです。そんなお方が海に落ちた程度で死ぬと、本気でお思いですか?」
「はっ、戯れ言を。あいつに何ができるというんだ」
ハイザン卿は勝ち誇って両手を広げる。
「あいつはただの小娘だ! 頼みの綱の騎士団は依然として姿を見せない! どんな奇跡が起ころうとも、助かる道は万に一つもありはしまい!」
アスタロトもガーくんも、それに一切の反論をしなかった。
彼らは分かっていたからだ。
それは、主の仕事だと。
「ならば私が奇跡となろう!」
「っ……!?」
甲板に突如として響いた、芝居めいた大音声。
ハイザン卿たちは一斉に声のした方向を振り返って絶句した。
今まさにアリアが落とされた甲板の縁に、ひとりの女が立っていたからだ。
深紅のドレスを身にまとい、仮面を付けた黄昏色の魔女。
魔女はぐったりしたアリアを抱えたまま、ハイザン卿にウィンクする。
「やあ。先日ぶりだな、小悪党殿」
「お、おまえはオークション会場にいた……!」
ハイザン卿は色を失い、わなわなと震える。
飛びかかろうとするならず者たちもいたが、イゾルデがそれを目線だけで制してみせた。突然現れた敵の力量を推し量るつもりなのだろう。その冷徹さからは、相当な場数がうかがえた。
魔女は騒然とする甲板へと降り立ち、アリアをそっと横たえる。
そのついで、誰にも聞こえないように耳打ちすることも忘れなかった。
(しばらく気を失ったふりをしておいてね、私)
(了解したわ、私)
アリア――複製体は小さくうなずいて、あとはぴくりとも動かなくなる。
魔女――本物のアリアはあたりをぐるりと見回して、こっそりと笑った。
(叔父様が煽り耐性のない人でよかったわ。本当に落とされたときはちょっとビックリしたけどね!)
アリアのままで悪人たちを成敗すると後々面倒臭い。
だからこうした入れ替わりトリックを思い付いたのだ。
海に落ちると同時に風の魔法を展開し、水中でも息ができる結界を作る。
その中で着替えと複製体の生成を同時に行い、今し方戻ってきたというわけだ。
幸いにも敵は信じ込んでくれているようで、全員が得体の知れない怪物を見る目でアリアのことを凝視していた。
大海原にぽつんと浮かぶ船に、突然よそ者が現れたのだから当然の反応だろう。
剣を抜き放つもの、弓を構えるもの、呪文を唱えはじめるもの。
四方八方から、肌がひりつくほどの殺気が襲い来る。
それでもアリアはどこ吹く風だ。
飄々とした笑みを崩さないアリアに、ハイザン卿は歯噛みする。
「やはり騎士団の者か。ふざけた格好をしおって……」
「心外だな。これでも気に入っているんだぞ」
アリアはわざとらしくドレスの裾を摘まんで潮風になびかせる。
「それと私は騎士団とは無関係だ」
「ならばなぜその娘を助けた」
「ふっ、決まっているだろう」
アリアはニヤリと笑う。
こうなったなら腹をくくろう。胸に手を当てて堂々と名乗ってやる。
「私は二代目黄昏の魔女。いわば正義の味方だからだ」
「ごちゃごちゃと訳の分からぬことをほざくな……!」
ハイザン卿は耐えかねたとばかりに声を荒らげる。
「おまえたち! アリアベルごと、その女をやってしまえ!」
「「「おう!」」」
いくつもの声が重なって、アリアに向けられていた殺気の全てが膨れ上がった。ならず者たちが飛びかかってくると同時に全方位へと魔法を放つ。
「《ウィンド・ブレイク》」
「うぎゃあああっ!」
巨大な竜巻が船上に出現し、男たちを巻き上げた。
帆柱がバキバキと音を立てて折れ、男たちは帆とともに海へと落下する。海流は激しいが、みな海面に浮かぶ柱に捕まって一命を取り留めたようだった。これなら放っておいても死にはしまい。
辛うじて被害を免れた者たちはあからさまに狼狽する。
「な、なんだ今の魔法は……!」
「あんなの見たことねえぞ!?」
「ふうん……少しはやるようね」
どよめく手下たちを押しのけて、イゾルデが前に出る。
「だったら私が相手よ、小娘」
「ほう?」
アリアはすっと目をすがめる。
イゾルデは今の魔法を見てもまったく臆する様子がない。むしろ自信に溢れている。
「ひゅー! 姐さん、やっちまってください!」
「いつもの華麗なお手並み、しかとこの目に焼き付けます!」
手下たちは大盛り上がりで歓声を上げる。
どうやら何か切り札を隠し持っているらしい。
(魔法を使うところは見たことないから……ひょっとすると魔導具かしら)
アリアが警戒する中、イゾルデは胸元から蛇のような長い鞭を取り出した。細い黒革を何本も編み込んだ縄状のもので、その革一本一本に細かな魔術文字が刻み込まれている。
イゾルデはその鞭を大きく振りかぶる。
「あんたたち! 出てらっしゃい!」
ピシィッ!
空を裂く鋭い音が響き、船体が小刻みに揺れはじめる。
やがてその唸りが頂点に達し――。
《ガルルォオオオオオオオ!!》
甲板の床板が弾け飛んだ。
開いた大穴から這い出てくるのは、キマイラにヒュドラ、オルトロス……見上げんばかりの図体を誇る大型の魔物たちだ。どれもこれも口枷や足枷を施され、獲物を睨め付ける血走った目にはありったけの殺意が溢れていた。
アリアは目を見張り、イゾルデの握る鞭を凝視する。
「それは、まさか……」
「ふっ。かの天才錬金術師、アスタロト・レメゲトンが作ったとされる魔導具《獣王の鞭》よ。これがあれば、どんな猛獣だろうと言うことを聞かせられるの」
「……えーっと」
思わず、新米執事の方をちらっと見てしまう。
新米執事――かの天才錬金術師アスタロトは、にっこり笑顔の口パクで教えてくれた。
『本物です』
本物らしい。
アリアはこめかみを押さえて呻くほかない。
先日の杖といい、本当に集まって来ないでほしい……。
「……貴重な品だろう。こんなアバズレの手に渡るとは世も末だな」
「ふふ。前の組織から頂戴したものよ。おかげで魔物の密輸が楽にできるの」
イゾルデは妖艶に微笑み、再び鞭を振りかぶる。
「目障りな敵も排除できるし言うことなしよ! さあ、あんたたち! エサの時間よ!」
《グガアアアアアアア!!》
その音を合図にして、怪物たちがまっすぐアリアに突っ込んでくる。
そんな危機的状況に……アリアは腕組みして考えるのだ。
(うーん。この子たちってば、ただ操られてるだけだしね)
鱗の剥げているもの、げっそりと痩せているもの。
どの魔物も栄養状態が芳しくなく、扱いの粗雑さが透けて見える。
そんな魔物たちを倒したところで爽快感などなく、かえってモヤモヤするだけだ。
アリアは少し悩んだ末、小さくふうっと息を吐いて目を閉じる。
そうする間にも魔物たちは彼女に向かって肉薄していた。
その牙が、爪が届く寸前――アリアはゆっくりと目を開いて、こう告げた。
「……伏せ」
《ッッッッ――!》
たったそれだけの短い命令を受け、魔物たちは勢いよくその場に倒れ込んだ。
あとはもうそれぞれ額を甲板にこすりつけ、ガタガタと震えるだけだった。殺意などもう欠片も残っていなかった。
そんな魔物たちを前にして、イゾルデはあんぐりと口を開ける。
「な、なんで……どうしてその女に従うのさ!?」
「本当の強者が分かるんだよな。おまえたちの方がよっぽど賢い」
「くっ……!」
平然と魔物たちを撫でるアリアに、イゾルデは歯を食いしばる。
脂汗も止めどなく、いつもの厚化粧がすっかり台無しになってしまっていた。それでも彼女は戦意を失うことなく、鞭を振り上げて突っ込んでくる。
「だったら直接殺るのみだよ! この鞭は武器としても使えるんだからね!」
「ふむ」
そんな姿を見て、アリアはまたも思案する。
殺意は本物だし、鞭の威力は絶大だ。
少し振るうだけで甲板の床板が抉れて、大きな木くずが宙を舞う。
だがしかし、それを扱うイゾルデ自体は構えも足運びもなっていなかった。体術はまったくの素人だ。目をつむっていても避けられる。こんなのをねじ伏せたところで……と考えて、今度の結論は早かった。
アリアは薄ら笑いを浮かべてぽつりと言う。
「おまえなら……少しはスッキリできそうだな」
「へ」
イゾルデが目を丸くした、次の瞬間。
アリアはその無防備な顔面に、渾身の拳を叩き込んだ。
「うぐぶげろっ!?」
潰れたカエルのような鳴き声とともに、イゾルデは宙空を錐もみ三回転半して吹っ飛んでいった。やがて壁にぶつかって、ぐったりとしたまま動かなくなる。白目を剥いて歪んだ顔は、頬が完全にめり込んでいた。とはいえ手加減したので死んではいない。
「うむ。まあまあ爽快だな」
アリアは握ったままの拳を見下ろして小さく吐息をこぼす。
それなりにいびられてきた仕返しとしては可愛いものだろう。




