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三話 夫婦の歓談

 おろおろと寄り添うアリアに、セバスがやれやれとかぶりを振る。


「アリア様。ロベルト様へのデレは用法用量を守って正しくお使いください」


「すみません……」


「セバス! アリアは悪くないぞ! 悪いのは一向に慣れないこの俺だ!」


「ご自覚があるのでしたら、もう少し堪えてください」


「顔を合わせる度に倒れてらっしゃいますもんね……」


「そうは言うがな、アリアの可愛さは万病に効くといずれ学会で発表がなされるはずで――」


「そんな未来は永遠に来ません」


「むう……つれないアリアも可愛いな」


「ははは、付ける薬もございませんな」


 からりと笑うセバスが手を貸して、ロベルトは這いずるようにして椅子に腰掛けた。

 こうして夫婦のお茶会がゆるやかにスタートする。

 ロベルトの鎧を預かり、セバスは湯気の立つカップを差し出す。


「ところで坊ちゃま、本日は早上がりですか?」


「ああ。そこそこ大きな案件が片付いたんだ」


 ロベルトは疲れたようにぼやく。


「他にも仕事はあるんだが、部下たちが『帰れ』とうるさくてな」


「まあ、皆さんお優しいんですねえ」


「坊ちゃまが煩わしかっただけでしょう」


 アリアがほうっとため息をこぼす一方で、セバスは肩をすくめてみせる。


「どうせ詰め所で延々と、奥様に会いたいだとか同じ空気を吸いたいだとか、愚痴り続けていたに決まっておりますから。鬱陶しいからとっとと追い出せ、とそんなところでしょうな」


「そんなことはないぞ。せいぜい机に飾った写真を見つめていただけだ」


「ほう。ちなみに何枚ほどお飾りに?」


「ざっと百枚ほどだが」


「怖すぎるのでやめてください……」


 真顔で答えるロベルトに、アリアは小声で抗議した。

 たぶん聞き入れて貰えないのだろうなあと直感しつつ。


 魔法によって発展した写真技術はずいぶんと市井に広まったが、カメラは今もまだ庶民に手が出ない高級品だ。アリアもこちらに嫁いでから初めて目にした。


 そんな品を好きなだけ使って、ロベルトはアリアの写真を撮り続けている。

 溜まりに溜まったアルバムは結婚一ヶ月にして書斎の一角を圧迫しはじめていた。


(愛が重いとは、こういうことを言うのかしら……)


 こっそり苦笑を浮かべるアリアに、ロベルトは子犬のようなキラキラした目を向けてくる。


「ともかく、これで今日一日は非番だ。どこかに出かけないか、アリア。百目市場を覗いてもいいし、劇場でミュージカルを見てもいい。博物館では特別展が始まったそうだぞ」


「そうですね、どれも魅力的ですが……」


 アリアは少し逡巡する。

 生家は王都から外れた田舎に位置するため、都のスポットはアリアにとってどれも刺激的だ。ロベルトが一緒ならさらに楽しいことだろう。

 しかし結局は、小さくかぶりを振ってからおずおずと言う。


「三日ぶりにお会いできたんですもの。ゆっくりお話ししたいです」


「……」


 ロベルトは目を丸くして黙り込んだ。

 その静かな反応に、アリアはハッとするのだが――。


「あっ、お気分を害されたのでしたらすみません。ロベルト様とのお出かけが嫌とかではなくてですね、その……」


「大丈夫だ、分かっているとも」


 ロベルトは目頭を押さえて頭を垂れたあと、ふんわり笑ってこう言った。


「それなら今日一日たっぷりと話そう」


「ありがとうございます!」


 アリアが笑えば、ロベルトはますます相好を崩した。「おれのつまがかわいすぎる……」という譫言(うわごと)が漏れ聞こえたのには、気付かないふりをしておく。


 笑い合う夫婦に、セバスも目を細めるばかりだった。


「では、夕食はご馳走をこさえましょう。坊ちゃんの鎧も磨いて一張羅を用意しないと。いやはや、忙しい忙しい。よって私はここで失礼いたします」


 セバスは会釈を残し、足早に去って行った。ふたりきりにしてくれたのだろう。

 そんな後ろ姿を見送ってから、アリアはこっそりとロベルトに尋ねる。


「やっぱりセバスさんって三人くらいいらっしゃいません?」


「三人ぽっちで足るもんか。俺は十人単位で存在するんじゃないかと疑っている」


 ロベルトはいたずらっぽく笑った。

 それから夫婦水入らず、いろいろな話をした。


 アリアは最近読んだ本の話を、ロベルトは仕事の話を。

 どれも取り留めもない内容だったが、言葉を交わせば交わすほど離ればなれだった時間が少しずつ埋まるようでとても胸が弾んだ。


 ロベルトも同じ考えだったらしい。

 少し話が途切れた後で、感嘆のため息をこぼしてみせる。


「あなたと一緒だと時間を忘れるな。結婚する前、俺はどうやって生きていたんだろう。まったく思い出せない」


「そんな馬鹿な。結婚してまだ一ヶ月ですよ」


「だが確実に、この一ヶ月は人生最高の一ヶ月だった。家に帰ればあなたがいるんだ。これほど幸せなことはない」


 ロベルトはテーブルに両肘を突き、遠い目をして語る。


「前にも言ったが、俺はずっと仕事一筋だったんだ。ろくに趣味もないし、職場と家の往復だけで人生を送っていた。あのころはそれで十分満たされていたし、無数に来る縁談話を煩わしく思っていたくらいだ」


 そんなあの日、彼はアリアに出会ったのだという。

 ロベルトはうっとりと熱のこももった声で続ける。


「あなたは一杯の水をくれた。それだけで、俺は骨抜きになったんだ」


「はあ……」


 アリアは生返事をするしかない。


(あのお水、ふつうに給仕さんからもらったものだったけど……やっぱり悪いものが入っていたんじゃないの?)


 何度もよぎった疑念が再度鎌首をもたげる。

 それくらい脈絡のない話だった。


「お水を渡しただけでプロポーズしてくださったんですか? 本当に?」


「もちろんだ。他に理由など必要あるまい」


「でも、あのときの私……婚約破棄のゴタゴタのあとで、間違いなくボロボロだったと思うんですけど」


「そうか? 俺の目には女神にしか見えなかったがなあ」


 ロベルトはどこまでも本気だった。

 そのまままた遠い目をして懐かしむようにして言う。


「とはいえ、あの場ではちゃんと返事をいただけなかったから……婚約が決まるまでは気が気じゃなくて、飯も喉を通らなかったなあ」


「ああ……王都の犯罪検挙率が目に見えて落ちたという暗黒期間ですね」


 アリアのことが気になりすぎて、仕事が手に付かなくなったらしい。

 求婚が上手くいってからは遅れを取り戻すべく、バリバリ仕事に取り組んだという。


 結婚式でアリアは彼の部下に挨拶する機会があったが『あのままだと都の治安は終わっていました。団長と結婚してくださってありがとうございます!』と、いたく感謝されたくらいだ。


 ロベルトはほんのり赤く染まった頬をかき、小声で言う。


「ともかくそういうわけだから……俺にとってあなたは初恋の人なんだ。こうしてそばにいられるだけで幸せな気持ちになる」


「わ、私もです」


 アリアは食い気味にうなずく。

 婚約者がいたにはいたが、しょせんは叔父の決めた相手。特に好意は抱いていなかった。


 ちなみにその例の元婚約者も、つい最近お嫁さんをもらって幸せにやっているらしい。彼が婚約破棄してくれなければロベルトと出会えなかったので、いつか社交界などで再会したらにこやかに挨拶してやる予定である。それはともかくとして。


 アリアは溢れんばかりの思いを言葉にするべく、頭をフル稼働させた。


「私も初めて人を好きになりました。ロベルト様といると、とても安心できて……ずっと一緒にいたいです」


「アリア……ありがとう」


「……でも」


「む、どうしたんだ?」


 ロベルトが軽く目を丸くし、穏やかに問いかけてくる。

 涼しい目元と整った面立ちから、ロベルトは冷たい印象を与えがちだ。

 だが微笑めば、包み込むようなその優しさがよくわかる。


(あうう……ますます好きぃ……!)


 結婚してからずっとドキドキしている。

 慣れる日は遠そうだし、ときめくたびに『好き』がどんどん膨らんでいく。

 しかしそれと同時に、アリアは不安を覚えるのだ。

 アリアは小さくうつむいて、ぽつりぽつりと言葉を連ねる。


「最近よく思うんです。私なんかが、ロベルト様のお側にいてもいいのか、って」


「何を言うんだ。もちろんいていい。いてくれなければ俺が困る」


「だって私は刺繍すら満足にできない、無才の女です。ロベルト様に何のお返しもできません」


 アリアは膝の上でぎゅっと小さな拳を握る。


(もっとこの人のお役に立ちたい。もっとこの人を支えたい。でも……私には、なにもない)


 貴族令嬢のたしなみ代表である刺繍も満足にできず、特別な技術も知識もない。

 社交界で幅を利かせるほどの、度胸も明るさも持ち合わせていない。


 そんな自分に、ロベルトの妻が勤まるとはとうてい思えなかった。

 うつむいたままのアリアに、ロベルトは軽いため息をこぼす。


「ふむ。あなたは素敵な女性だというのに、なぜそうも自信がないんだ。謙虚は美徳だが、勿体ないにもほどがある」


「そうおっしゃられましても、こういう性格ですし……」


 アリアは物心着いたときからひとりぼっちだった。


 放蕩者(ほうとうもの)だったという母はアリアを産み落としてすぐに亡くなり、父が誰かも知らない。


 唯一の肉親といえば母の弟である叔父――ハイザン卿だが、彼はアリアをただ政略のコマとしてしか見ておらず、ろくな愛情をかけてこなかった。

 叔母のイゾルデは言うまでもない。


 そのせいか、気付いたときにはこんな内向的なウジウジした性格になっていたのだ。


(せめてこのネガティブ思考は最優先で直したいけれど……でも、もう手遅れかしらね……ますますロベルト様に相応しくないわ)


 うじうじした考えはとめどなく、どんどん深みにはまっていく。

 そこでハッとして慌てて顔を上げた。


「すみません。せっかく楽しいお話をしていたのに、水を差してしまって……」


「かまわないとも。悩みを秘密にされる方がよっぽど堪える」


 ロベルトは鷹揚に笑ってみせる。抜群の包容力である。

 それにアリアがまた悶えていると、ロベルトは少し考え込んでからぽんっと手を打つ。


「しかし、才能か……そうだ。それなら、あなたに大きな任務を与えよう」


「任務ですか……?」


「ああ。ちょっと待っていてくれ」


 そう言うや否や、ロベルトは軽やかに席を立った。

 そのまま屋敷に向かったかと思えば、ものの数分で戻ってくる。

 そうして膝が汚れるのにも厭わず、アリアの前に膝を突いて恭しく手を差し伸べた。


「少し歩こう。お手をどうぞ、愛しの姫君」


「は、はい」


 こうしてアリアは彼の手を取り、散歩に出ることになった。

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