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一章 気弱令嬢は騎士団長に見初められる

約十二万字、第一部完結まで執筆済みです。

お暇潰しになりましたら幸いです。

「アリアベル。今日限りで、きみとの婚約を破棄させてもらう!」


「ですよねー……」


 世界広しといえども。

 婚約破棄を突き付けられて、ふたつ返事で了承したのは自分くらいのものだろう。


 ◇


 パリィン!


「アシュフォードめ……! 男爵家の分際でバカにしおって!」


 パーティ会場の片隅でアリアの叔父、オズワルド・ハイザンは荒れに荒れていた。


 三十代半ばの線の細い男だ。整った顔立ちだが、落ちくぼんだ三白眼と目立つ鷲鼻(わしばな)のせいでいささか近寄りがたい印象を人に与える。


 彼はアリアの養父であり、ハイザン子爵家の当主である。


 握りつぶしたグラスの欠片が彼の足元に散らばり、手は血のようなワインでしとどに濡れている。ぽたりぽたりと落ちる雫が、やけに白い大理石の床に鮮やかな火花を描いた。


 血走った目でそれを睨み付けていたオズワルドだが、その視線がかたわらのアリアへと注がれるのは早かった。


「おまえもおまえだ、アリア! ふたつ返事で婚約破棄を了承するバカがどこにいる!」


「だって……」


 叔父に怒鳴り付けられて、アリアは縮こまるしかない。


 先ほど、婚約者のヨシュア・アシュフォードから婚約破棄を突き付けられた。

 彼との婚約は十年以上前から家々の間で決められたことであり、アリアの成人する来年に向けて輿入れの準備も着々と進んでいるはずだった。


 そうだというのに突然の婚約破棄。

 叔父がキレるのも無理はなかった。


(でも……ねえ)


 ちらっと顔を上げてみれば、パーティ会場の中央付近で、例のヨシュアと金髪のご令嬢が仲睦まじく談笑している姿が目に入った。あれが次の婚約者様だろう。


 それを見て、アリアとしては非常に腑に落ちた。


「叔父様、ご覧ください。ヨシュアが一緒にいるのはエインズワース家のご令嬢ですよ」


「……それがどうした」


「アシュフォード家はここ最近、海運事業で大きな成功を収めたと聞きます。ハイザン家も貿易用の船をいくつか所持しておりますが、造船所を営むエインズワース家と手を結んだ方がはるかに実入りが多い……そう判断しても、なにもおかしいこと……は」


 つらつらと言葉を連ねていたアリアだが、途端に口を噤む。

 叔父がこめかみに血管を浮かせて自分のことを睨め付けていたからだ。

 再びバッと顔を伏せて、小さな声で謝罪する。


「すみません。出過ぎた口を利きました」


「自分で気付けたようで何よりだ」


 叔父は苛立ち紛れにつま先を鳴らし、刺々しい声で続ける。


「貴族の女に思慮など不要だ。男を立て、家のために子を成すことだけを考えろ」


「……はい」


 アリアが小さくうなずくと、ハイザン卿は重いため息をこぼしてみせた。


「あなた」


「……イゾルデか」


 そこでひとりの女が声を掛けてくる。金髪の派手な女だった。化粧が濃く、胸元と肩を露出した出で立ちだが、首元や手首のしわは隠しきれていなかった。

 彼女はそっと声をひそめて言う。


「モンターギュ家のご当主様が、新たな奥様を探しておいでのようですわよ」


「……あの好色爺か。まあ、四の五の言っている場合ではないか」


 ハイザン卿は咳払いのあと、低い声で告げた。


「モンターギュ殿と話をしてくる。おまえたちはそこにいろ」


「ええ。どうぞごゆっくり」


 イゾルデはにこやかな笑みでハイザン卿を見送った。

 叔父の背中が人混みに紛れたあと、彼女はアリアのことを鬼の形相で睨み付けてくる。


「せっかくの縁談をダメにして! あんたの嫁入りで、さらに事業を拡大する予定だったのに、計画が台無しじゃないの!」


「でも叔母様、婚約破棄は私のせいじゃ――」


「いいえ、あんたのせいよ。あんたがブスでトロいのがいけないの!」


「いたっ……!」


 イゾルデは靴のヒールでアリアの足をぐりぐりと踏みつけた。

 彼女はアリアの叔父、ハイザン卿の妻だ。


 ハイザン家は代々貿易商を営んでいる。


 商船を数隻保有するだけの小さな規模ではあるものの、まあまあの利益を上げているらしい。

 叔父がその舵を切り、イゾルデが彼の秘書を務めている。元々西の方で大きな貿易会社に勤めていたようで、彼女が来てからハイザン家の事業もうなぎ登り……らしい。


 有能な美人ではあるものの、性格にはかなりの難がある。

 アリアのことを完全に見下していて、真正面からいびられるのが常だった。


 叔父は面倒なのかそれを見て見ぬ振りをするだけで、家に味方は誰もいない。

 アリアは両親をすでに亡くしていて、唯一の身内が彼らだけだった。

 イゾルデはヒールに全体重を掛けながら低い声で脅しつける。


「だいたい、誰がおばさんよ。イゾルデ様とお呼びって言ってるでしょ」


「……申し訳ございません、イゾルデ様」


「まったく。ブスでトロくて頭も悪いなんて救えないわね」


 イゾルデはアリアに顔を近付けて下卑た笑みを浮かべてみせる。


「あんたみたいなグズの未来は、変態爺にオモチャにされるか、修道院行きのどちらかよ。いかにも楽しそうじゃない。慰めの手紙くらいは送ってあげるわね」


「……」


 アリアはドレスを握りしめて、うつむくことしかできなかった。


 言い返す材料はひとつも存在しなかった。

 このままだと彼女の言うとおりの展開が自分の身に降りかかることだろうということは、火を見るより明らかだったから。


 抵抗しないアリアに飽きたのか、イゾルデは足を引っ込める。


「それが嫌なら嫁入り先を自分で見つけてきたらどう? あんたじゃ無理だろうけどね」


「自分で……ですか」


 アリアはイゾルデから視線を外し、そっと窓を見やる。

 パーティ会場の外は、すっかり暗闇に沈んでいた。

 外の景色は何も見えない。代わりに映るのは、くすんだ赤毛の女の子だ。

 垂れがちの目はいかにも自信がなさそうで、ばっちり決めたパーティ用の化粧でも、いまいちぱっとしない……ように映る。

 赤毛の女の子――アリアは肩をすくめて苦笑する。


(こんな私と結婚したい人なんているのかしら……?)


 ハイザン家は田舎の子爵家。

 おまけにアリアは地味な女の子。


 婚約を蹴られたところで『ですよねー』という納得感ばかりが強かった。

 そんな自分が新たなお婿さんを探すなんて、どう考えても不可能だろう。

 黄昏れていた、そのときだ。


「きゃー! ロベルト様だわ!」


「……あら?」


 黄色い悲鳴が聞こえてきて、イゾルデの注意がそちらに向く。


 そこには黒髪の男性がいた。

 礼服の上からでも分かるほど逞しい体つきをしており、鼻筋はまっすぐよく通り、黒檀(こくたん)のように澄んだ目からは意志の強さが伝わってくる。黒獅子を思わせる美男子だ。


 そんな彼のことを、多くのご令嬢が取り囲んでいる。


「今日もなんと勇ましいお姿なのでしょう……」


「ロベルト様。今度うちのパーティにもご参加くださいませ」


「あっ、ズルいわよ! ロベルト様、うちにもぜひ!」


「申し訳ございません。仕事が忙しくて都合が付くかどうか……」


「「「えーー!」」」


 黒髪の男性が軽く頭を下げると、ご令嬢たちは悲しそうな声を上げた。

 そうしている間にも、次から次へと取り巻きの女性陣が増えていく。みんな肉食獣の目をして男性を狙い澄ましていて、それを彼は柔和な笑顔でいなし続けていた。


 こうしたアプローチには慣れっこなのだろう。プレイボーイというやつだ。

 その光景を見てイゾルデの目が怪しくギランと光った。


「こんな場所にロベルト様がいらっしゃるなんて珍しいわね」


「どちら様なんですか?」


「は? なんで知らないのよ。信じらんないわ」


 辟易としたような目を向けつつも、イゾルデは熱の籠もった口調で語る。


「ロベルト・シュトザイン様。この国の騎士団長様よ」


「へえ……騎士様なんですか」


 たしかに真面目そうだし、人々を守る役職が似合いそうだ。


「シュトザイン家は建国から続く名家で財産も申し分ないし……悪くないわね」


 イゾルデは唇をぺろりと舐めてニタリと笑う。


「ちょっと挨拶してくるわ。あわよくば玉の輿よ」


「えっ、イゾルデ様はもう叔父様の奥さんですよね……?」


「あいつはただのビジネスパートナー。私が目指すのはもっと上よ」


 そう言い残し、イゾルデはロベルトの方へと向かっていった。人垣を強引にかき分けて彼の前に進み出て、妖艶な笑みを浮かべて会釈する。


「初めまして、ロベルト様。イゾルデと申します」


「これはご丁寧に。初めましてですよね」


「ええ。できればこれからもっとお近付きになりたいものですわ……ふふふ」


「ははは。あなたのような美人、俺には勿体ないですよ」


 イゾルデは愛想笑いとボディタッチを駆使するものの、ロベルトは顔色ひとつ変えず他のご令嬢と同様にあしらい続けた。まるでアピールが効いていないようだ。


(慣れていらっしゃるわねえ。私なんかとは住む世界が違うわ……あら?)


 しばらくその光景を眺めていて、アリアはふと気付くことがあった。

 一度気になると、どうしてもそれが心に引っ掛かり続けた。

 離れた場所からロベルトの様子を覗っていると、不満げなイゾルデが帰ってきた。


「彼ったらガードが堅すぎるわ。もっとチョロそうなのを狙うべきね」


「まだ他にも行くんですか……?」


「せっかくの機会ですもの。上を目指すに越したこと――」


「あ、あの……イゾルデ様」


 そこでひとりの令嬢が人目を憚るようにしてやって来て、こっそりと声を掛けてきた。美しく着飾っているものの、顔色が浮かない。

 そんな彼女にイゾルデは剣呑(けんのん)な目を向ける。


「はあ? 何よ。今忙しいんだけど」


「先日の栄養剤……また買わせていただくことは可能でしょうか?」


「あらあらまあまあ! お客様でしたか! もちろんかまいませんよ!」


 イゾルデは手のひらを返して猫なで声を上げる。

 ご令嬢の背中をぐいぐい押しつつ、アリアへと睨みを利かす。


「私は商談をしてくるわ。あんたもせいぜい頑張りなさいな」


「はあ……」


「さあ参りましょ。実は新しい商品があるんです。そちらも是非ご検討を!」


「本当ですか!? ぜひ!」


 こうしてイゾルデは消え、あとにはアリアだけが残される。

 彼女の貪欲さは自分も見習うべきかもしれない。


(……私も声を掛けてみようかしら)


 アリアはロベルトの方をちらっと見やる。

 ちょうどそこで彼の前から最後のご令嬢が去って行った。彼の周りだけが、会場の中でぽっかりと穴が開いたようになる。チャンスは今しかない。

 アリアは給仕から水の入ったグラスをもらい、彼へと急いで歩み寄っていった。


「あの……!」


「はい。何でしょうか」


 くるりと振り返った彼に、アリアはグラスを差し出した。


「どうぞ、お水です」


「……は?」


 ロベルトは目を丸くして固まった。

 愛想笑いも消え去って、ただただ素の表情でアリアを凝視する。そうするとなんだか少し幼い感じがして、ちょっと可愛いと思えてしまった。

 か細い声でロベルトは問う。


「どうして、俺に……?」


「えっ、だって……お疲れのように見えたから」


「っ……!」


 ロベルトは今度こそ言葉を失った。

 口元に手を当てて、そっと視線を逸らす。

 その目の下には至近距離でないと気付けないほどの隈が刻まれていた。


「どうして分かったんですか? 取り繕うことには長けているつもりだったんですが……」


「そうなんですか? でも、一目瞭然ですよ」


 アリアはきょとんと首をかしげる。

 何しろ彼のまとうオーラみたいなものが、今にも倒れそうなほどぐらぐらと揺れていたからだ。ひと目で体調が悪いと分かった。

 するとロベルトは観念したように苦笑する。


「実は三日三晩もの間寝ておらず……さすがに少し疲労の限界だったところです」


「まあ……騎士って大変なお仕事なんですね。お疲れ様です」


「ありがとうございます。ま、やり甲斐のある仕事ですよ」


 ロベルトはそう言って肩をすくめ、アリアの持つグラスへ目を留めた。


「その水……いただいてもかまいませんか?」


「もちろんです。どうぞ」


「ありがとうございます」


 そっと手渡すそのとき、少しだけロベルトと指が触れ合った。


 殿方に触れるなんて初めての経験だった。

 はっとして手を引っ込めて、じんっと甘く痺れる指先を、思わずぎゅっと握りしめてしまう。


 すると、水をゆっくり嚥下するロベルトの喉仏や、彼のごつごつした指の関節なんかにも、ついつい目が行ってしまって……。


(私ってば、なんだかとってもはしたないことをしちゃってない!?)


 そもそも殿方に自分から声を掛けること自体、人生で初めてだ。

 とたんに恥ずかしくなって、アリアは顔に熱が宿るのを感じた。

 慌ててその場を去ろうとするのだけど。


「それでは、私はこの辺で――」


「っ、待ってください!」


 ロベルトに呼び止められて、思わず足を止めてしまう。

 そっと振り返ってみれば、彼は硬い面持ちでじっとこちらを見据えていた。


「その、お名前を伺ってもよろしいですか」


「えっと、アリアベル・ハイザンと申します」


「ハイザン……? まさか、婚約を破棄されたというご令嬢ですか?」


「もう噂になっているんですね……」


 そりゃまあ、こんなパーティのど真ん中で婚約破棄されたのだ。

 酒の肴にはもってこいのゴシップだろう。あっという間に広まってもおかしくはない。


(ますます嫁の貰い手がなくなるわね……)


 遠い目をするアリアだが、ロベルトは低い声で質問を重ねた。


「つまり……今現在どなたとも結婚の予定はないんですね?」


「ええ。今後見つかるかどうかも怪しいですが……何しろ婚約破棄物件なので……ははは」


 自嘲気味に言ってみるが、ロベルトはぴくりとも笑わなかった。

 ……なんだかスベったみたいで居たたまれない。

 アリアは視線を落としてもじもじする。


 そこに、ロベルトは一呼吸置いてから口を開いた。


「アリアベル……いや、愛しのアリア」


「は……え?」


 ロベルトはぽかんとするアリアの手を取り、ざわつく衆人環視を意にも介さず、とろけんばかりに熱のこもった黒檀の瞳でもってして、ただまっすぐに愛を語った。


「あなたは俺の天使だ。どうか俺と結婚してください」


「はいぃ!?」


 あ、これ夢ね。

 夢に違いないわ。うん。


 あまりに現実からかけ離れたイベントに、アリアの思考は完全に停止した。

 そのまま曖昧な返事をしてロベルトと別れ、ふらふらと帰路に就いたのだけど。


 次の日、叔父が血相を変えて自室に飛び込んできて夢でなかったことを思い知った。


「アリアベル! 騎士団を率いるシュトザイン公爵家から婚姻の申し込みが来たぞ! 何が何だか知らんがよくやった!」


「はあ!? あんたいったいどんな手を使ったのよ!?」


「え……ええええええっ!?」


 こうしてあれよという間に婚約が結ばれ、アリアが成人する十八歳の春には大々的な結婚式が執り行われた。もともと輿入れの準備を進めていたこともあって、話は爆速で進んだ。


 気付いたときには、アリアは神や参列者の前で、ロベルトと永遠の愛を誓っていた。

 白いタキシードをまとったロベルトは、あの日と同じ熱に浮かされた顔で告げる。


「必ず幸せにすると誓う! だからどうか……どうか俺と結婚してください!」


「は、はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします……?」


「ありがとうアリア!! 俺は世界一の幸せ者だーーー!!」


「ちょっ!? 待ってくださいロベルト様!? ウェディングドレスはそんな動きに適していませんってば……!」


 おずおずとうなずくと、ロベルトは感極まってアリアを抱き上げ、その場でぐるぐると回ってみせた。そのあまりの浮かれポンチぶりに、参列席からはヒソヒソと困惑の声が聞こえてくる。


「あれは本当にうちの団長なのか……?」


「仕事の鬼が見る影もないなあ……」


「何か悪いものでも食べたんですかねえ」


「くっそう……ロベルト様ったら、なんであんな小娘なんかがいいのよ!」


 イゾルデも参列席でハンカチを噛んで心底悔しそうだった。

 とはいえアリア自身も彼らの疑問には全力で頷いていた。

 誓いのキスの最中も、胸の中を埋め尽くすのはたったひとつの疑念で。


(あのとき渡したお水……何かヤバいお薬でも入っていたんじゃなくて!?)


 ともかくそんなわけで、アリアは晴れて騎士団長の妻となった。

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