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うつに効くりんごのスイーツ

作者: 昼月キオリ


古い街並みの中央に、背の高い時計塔が立っている。

少し前まで壊れて止まっていたはずの時計塔は、

この街の職人たちよって直され、また動き出した。

針がひとつひとつ丁寧にこの街の時を刻む。

 

石畳の一本の道は、時計塔からまっすぐ伸び、

その両側にはカフェやレストラン、雑貨店や本屋などが並ぶ。

路地裏を通った先には古い時計屋もいくつか連なっている。


この街には、ひとつだけ不思議な噂がある。

うつに効くりんごの木がある、というものだった。


りんごの木は、街外れの小さな庭に立っている。

枝は細く、葉は淡い緑で、実るりんごは真っ赤でも黄金色でもない。

少し白みがかった、曇り空のような色をしていた。


街の人々は、そのりんごをそのまま食べることはほとんどない。

そのままだと青みが強いからだ。

しかし、料理にすると最高に美味いスイーツになる。



この街を歩く人たちは、どこか懐かしい装いをしている。

キャスケットを目深にかぶった男性、ニットベストにキュロットにショートブーツの男性。

柔らかなブラウスにチェック柄のパンツでゆったりと歩く人もいれば、

ふわふわの花柄ワンピースにパンプスで、石畳をそっと踏みしめる人もいる。


控えめな笑顔とどこかゆったりと流れる時間。



道の途中に、小さなケーキ屋がある。

木の扉に鈴がついていて、開けるたびに「ちりん」と音が鳴る。


「いらっしゃい」


カウンターの奥に立つのは、低い声に白いエプロンのダンディーな店主だ。

この人も、昔は長く気持ちを閉ざしていたという。

りんごの木とこのお店との出会いが彼の人生を大きく変えた。


ショーケースには、

こんがり焼けたりんごパイ、

チョコレートりんごパイ、

粉砂糖を纏うりんごドーナツ、

薄く煮たりんごを重ねたタルト、

りんごと紅茶のムース。


どれも派手ではないが、

見ているだけで胸の奥がふんわりと温かくなるのだ。



石畳の向かいには、カフェと喫茶店が並んでいる。

カフェでは、若い人たちがりんごドーナツとコーヒーを片手に話し、

喫茶店では、年配の女性がりんごパイをフォークでゆっくり切り分けている。


「ここに来るとね、不思議と息がしやすくなるの」


誰かが、そう呟く。

そしてまた他の誰かがその言葉に共鳴するように頷く。



ある日、この街に一人の女性がやってきた。

心が重く、朝起きるのもつらくて、

理由もわからないまま涙が出る日々を抱えていた。


時計塔の下で立ち止まったとき、

ちょうど鐘が鳴った。


女性は、ふらりとケーキ屋に入った。

木の扉のベルがちりんと鳴る。

カフェスペースもあるこじんまりとしたお店だ。


「おすすめはありますか?」


そう尋ねると、店主は少し考えてから言った。


「今日は、りんごパイがいいですね。

出来立てなのでまだ温かいですよ。チョコレートの方も出来立てなのでおすすめです。」


「じゃあ、チョコレートのりんごパイを一つとホットティーを一つお願いします。」


「はい。」


カウンターが5席、テーブル席が2つ。

女性はカウンターの一番隅の席に座った。

チョコレートのりんごパイを一口食べた瞬間、女性の目が真ん丸くなる。


甘さの中に僅かに酸味を感じる。

りんごパイにはシナモンは入っておらず、シンプルなりんごパイだった。

甘さはしっかりとあるが、その上にビターなチョコレートがかかっているのでバランスがとてもいい。

上にフリーズドライいちごが乗っているので可愛いらしい見ためだ。


りんごを食べたらと言って過去を消せるわけでも、

悩みが消えるわけでもない。

けれど、少しの元気と勇気をもらえる。

そんなりんごパイだった。

「ここにいていい」と静かに言ってくれているように思えた。


目の奥が熱くなり、涙が一筋だけ頬を伝ってこぼれた。


「・・・美味しい」


その言葉に、店主は何も答えず、

ただ静かに頷いた。



この街のりんごは、何でも叶える魔法のような力はない。

ただ、今のままでもいいと、ここにいていいと、

静かに肯定してくれる。

心が休む場所を作ってくれる。

そんな優しいりんごの木がある街。


時計塔の針のように、

止まっていた時間が動き出す。

石畳の道を、

昨日より今日は軽い足取りで歩けるようになる。

そんな風にゆっくりと流れる時間もあるのだと

この街のりんごの木が教えてくれた。

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