焼き菓子を持って行く
不思議なことに帰りは時間はかかったもののすんなりと街へと帰れた。
奉公先である屋敷に帰れてほっとしたが、大目玉をくらった。罰をこなしてから、ようやく自分の部屋に戻れた。
すでに夜遅い。みなはとっくに自室に戻っていた。
今まで明日の分のじゃがいもを洗っていたのだ。それが荷物を失くしたことへの罰だった。凍えた手で、じゃがいもを洗ってから、こんな罰でよかったなとユイは思った。もっと大変な罰が下るのだと思っていた。
遅い時間まで迷子になっていたことが幸いしていた。嘘をつかない子供だと周囲に知られていたのもよかったのだ。
ただ、魔導師の話をしたときだけ、ユイは納得がいかなかった。
「氷の魔導師」と呼ばれている魔導師の領域に入ったユイを、汚いものでも見るような顔をしたのだ。足の怪我もきれいな包帯になっている。あの長衣の切れ端は捨てられた。
「よりによって、あんなところで迷子なんかになってこの子は。あの氷の魔導師は冷酷非道で邪悪な魔導師だ。足を治してくれたなんて、何かの悪い前兆かもしれない」
侍女頭はそう言って、じゃがいもの洗いだけを命じたのだ。たぶんおびえていたのだ。
「氷の魔導師」
なんて似つかわしい名前なんだろう。
ユイは何回か通称を呼んでみた。隠しておいた銀のペンダントに触れる。今はユイの体温であたたかい。
「魔導師様は、優しいよ」
それはユイだけが知っている。
翌日から毎日、ユイは屋敷の外での仕事を任されるようになった。徐々に暖かくなる季節とはいえ、まだ雪のちらつくことも多い。寒い国なのだから当たり前だ。それでも、自分を外に追いやりたいらしい。それは子供の自分が考えても分かるような理由なのだ。
「ユイ、それが終わったら庭の掃除を」
風が吹き荒れる庭を掃きながら、ユイは何度か心中でつぶやいた。
魔導師様は街に悪さなんかしないのに。おかしいよ。
あんなに静かで優しい人は、他にはいない。焼き菓子が食べたいって言ってたし、きっと一人きりでさみしいんだ。
四日間、ユイはその仕打ちに耐えたが、五日目に寝込んだ。熱が出たのだ。
そのときも、侍女たちはおざなりな扱いをした。今までよりもずっと、ユイをかまわなくなっていた。みんな忙しいのもある。
失敗から一週間後に、ユイは屋敷を抜け出した。
夜中に焼き菓子を作って、持って行くことにしたのだ。ユイは幸い、何でもできる子供なのだ。そう躾けられて育っている。
秋にこっそり庭や林で集めていた木の実を袋から出す。秘蔵の宝物だ。きっとすごくおいしくなる。
茹でで、すりつぶして焼き菓子にした。
よろこんでくれるといいな。
ユイは自分の身の回りのものを持って、屋敷を出てきた。もっとも、ユイの持っているものなど、綿入れと数枚のハンカチ、そして、銀のペンダントだけだ。もちろん、出て行くならばユイの使っていたマグや、出ていくと決めてからこっそり貯めておいた干し肉、パン、チーズなどを持っていく。
出てきてしまってから、魔導師の屋敷への行き方が分からないことに気付いたし、焼き菓子を渡してからどうしようか、とか、まったく考えていなかったことに気付いた。
でも、奉公先にずっとはいられない。大人になっても、同じままなんてイヤだ。
それなら、好きな人に会ってから、考えればいい。
今は、魔導師様に会って焼き菓子をあげたい。
おつかいの道から外れた後の道が分からない。まっすぐ一本道を歩いているうちに、別の道に入ったけれど、そのまま行けば魔導師様がいるとは限らない。
魔導師様の家に行く、だたそれだけを思ってユイは歩いた。
歩き続けたユイは、いつの間にか深い森の奥にある、お屋敷の門の前に立っていた。
門のなかも手入れされた様子はなく森が続いているようで、中に入るのはためらわれた。だけれど、どうしても魔導師の家がどこにあるか聞かなければならない。
広い庭をすぎて屋敷の扉をたたき、扉を開けると鍵はかかっていなかった。しんとした室内は、人の気配がしない。勝手に入って大丈夫だったかな。
誰もいなかったら、どうしよう。
「すみません、どなたいませんか」
足音がして、低い声がした。
「何者だ?」
凍てつくような蒼い双眸がこちらを見ていた。
淡い白金髪に、グレーの長衣を着た背の高い姿は、会いたくて仕方なかった魔導師だ。
ユイは恐怖なのか、緊張なのかわからないほど体がこわばっていた。疲労もあっただろう。そのくせ目が離せなかった。
「魔導師様」
ようやく声が出たが、つぶやきになってしまった。本当に雪の日に会った魔導師なのだろうか。
魔導師はゆっくりとユイを眺めたが、特に何も言わずに目を伏せると屋敷の奥に入って行ってしまった。
行っちゃった、どうしよう。ついて行っていいかな。だめかな。
ようやく魔導師様に会えたのに、出ていくなんてできない。焼き菓子だって作ったのだ。
なんとか声をかけようと、勇気を振り絞る。
「魔導師様、焼き菓子を……」
白金の髪を背に流した魔導師は、声をかけるとちらりと振り返るだけで、何も答えようとしてくれない。
でも、今は怖くない。
ユイはお菓子の入った袋を大事に抱えて、追っていった。
屋敷のなかはきれいに片付けてあった。魔導師はどこかに行ってしまったが、人の気配もするようだ。やがて、メイド姿の女性がやってきた。
「こちらへどうぞ」
魔導師を探したいが、せっかく案内してくれている。ユイはメイドについていった。にこりとも笑ってくれない。
なんとなく不安になって、ユイはメイドの背に声をかけた。
「どこに行くの?」
応えようとせずに、メイドはただ前を歩くだけだ。
違和感が膨れ上がる。メイドは一度も笑わないばかりか、まばたきすらしていないようだ。ユイはただ黙ってついていくことにした。
「どうぞ」




