異世界を裸で走る
河川敷を男が走っていた。
他に人影はなく、街灯のない暗い道である。
対岸の遠くに見える街の灯りが夜空の星々を隠し、水面や草原、そして一本のアスファルトを青白く頼りなく照らしていた。
粗い呼吸と道を踏む足音、そして布擦れの音がリズムよく続く。その音を残していくように男はストライドを広げる。
着地の衝撃とともに全身を濡らした汗が飛散する。白い粒子となり道路に溶け込むようにして混じり合い、後方の闇がそれを飲み込む。
何もかも置き去りにするようにピッチを上げる。すべての感覚はただ走る一点に集約され、研ぎ澄まされていく。
不思議な感覚だった。意のままにどこまでも加速する。
男は体の求めに応じて走り続けた。
■□■□■
いつしか遠くの街の灯りは月明かりに変わっていた。
アスファルトの道は途切れ土の道に変わり、草原の背丈も高くなっている。
空気は冷え、気だるい湿気は消えていた。代わりに青草の香りが鼻をつくようになった。
ふとその中に強い錆びた鉄の匂いが混ざる。風がぬめりを帯びたかのように身体にまとわりついた。男は顔をしかめ、不快感を振り払うように肘を引くと腕の振りを強める。その時、草原がざわりと音を立てて揺れ、「ブルルッ」と馬が鼻を鳴らすような音が響いた。
確かめようかとも考えたが、足は立ち止まることを拒否するかのように前へ前へと進み続ける。
やがて重い空気は消え、再び冷気へと戻った。
夜ごと走っているランニングコースであるはずだ。いつもの道はアスファルトが途絶えることはない。災害時に緊急車両が走れるように整備された道路なのだ。ひたすら川沿いに長く伸びて分岐などないはずだ。強い違和感を覚えながらも、それを振り払うかのように身体を本能に預けて走り続ける。そうすると、やがて木造の小屋が見えた。
一部屋分ほどの建物で、屋根の木の板の上に石が置かれている。隙間は草と泥を混ぜ合わせたようなもので塞がれ、粗末なものに見えたが手入れもされており人が暮らしているのだと分かる。
小さな窓には木の板がはめられており、下部につっかえ棒が差し込まれ開かれていた。そこから光が洩れていた。
男は小屋の前で立ち止まる。粗い呼吸を整え、流れ落ちる汗を腕で拭う。しかし、汗はすぐに噴き出して目の中へと垂れ落ちる。濃い塩分を含んだ刺激に男は顔を歪ませる。
小屋の方へと近づいていくと窓の明かりが揺れた。
■□■□■
男の接近する気配を察したように、内側から引き戸が開かれた。
逆光によりその人物は黒い影にしか見えなかったが、出てきたのは女性のような背格好である。
「いったい……」
若さを思わせる張りのある声で呟いた後、男の姿を見て息を飲むように立ち尽くす。
「ひっ」
小さな悲鳴をあげて尻餅をつくようにしてその場に崩れ落ちる。女は白いブラウスに紺のベストを着ていた。ロングのスカートを履いていたようだが、倒れた拍子に下の生地の白いフリルが覗く。
粗末な小屋には似つかぬお嬢様風の服装である。さらには小屋の中に電灯はなく、囲炉裏の焚き火で照らされていた。なんとも言えない奇妙な空間だ。
「この場所は……?」
尋ねてみるが、女は体を震わせるのみで何も答えようとはしない。女が起き上がるのを手伝おうと手を伸ばす。女は再び「ひっ」と声を漏らし後退しようとするが、腰を抜かしているのか腕の力でわずかに後ずさるだけだった。
女の顔に影を落としていた長い髪が肩から落ちる。美しく整った顔立ちで赤い紅をさしていた。その化粧のせいで二十前後に見えるが、実際にはもっと若いのかもしれないと男は考える。
目尻に涙をため、男を凝視する瞳には明らかに恐怖の色が強く滲んでいる。
そこで初めて自らの身体に視線を落とすと、自分がほぼ全裸であることに気づいた。着ていたはずのランニングシャツと短パンは破れ、所々にわずかな端布が汗で張りついているだけだ。そして申し訳程度に股間に張り付いていた端布が剥がれ、ひらりと地へ落ちる。
それを見た女は白目を剥いて気を失う。
背後へと倒れればよかったものを、不幸にも男の股間に向けて崩れ落ちていった。
■□■□■
女を小屋の中に寝かした男は困り果てていた。
見知らぬ場所だ。小屋からの明かりが届くところに水面が見えた。しかしそれは男の知る川幅ではなく、細い川であり、護岸の土手も見えない。
代わりに遠くに西洋風の城壁のような石壁が見える。月明かりに照らされ、さらにその奥に浮かぶように見える尖塔が不気味なものに見えた。寂れた遊園地の西洋風のアトラクションのように見える。
時間を確かめようと腕を見たが、腕時計もなくなっていることに気づく。
男はため息をつくようにして夜空を見上げる。その瞳が大きく見開かれた。そこに浮かぶ星々の数に圧倒された。暗黒の世界に光の粒子が無限に重なり合う川がはっきりと見える。月明かりがなければより鮮明に見えただろう。感覚的には一〇キロも走っていない。しかし想像以上に長い時間、遠くの場所まで走り続けていたようだ。男が再びため息をつこうとしたとき、女の呻く声が聞こえた。
「ん、んん……」
何度も目をこすりながら半身を起き上がらせ、周囲を見渡しほっと息をついている。男の存在に気がついていない様子だった。
「おい」
男が声をかけると、女は飛び跳ねるように背中を震わせる。そして、錆びきったロボットのようなぎこちない動きで首を動かし、男に焦点を合わせた。そして血の気の失せた絶望的な表情となり、再び白目を剥こうとする。
「待ってくれ。俺は怪しい者ではない」
「そうでしょうとも。怪しい人も、怪しくない人もみなそう言います」
案外気丈な女の返答に男は一安心してため息をつく。女はずるずると後退し背中をぴったりと壁につける。そして男を凝視しながら床に指を這わせ武器になりそうなものを探している様子だったが、男は気にしないことに決めた。
「つい走ることに夢中になって、気がつくとこの小屋が見えたんだ」
その時、薪の爆ぜる音が響き囲炉裏から灰が舞った。薪の中に生木が混ざっていたのだろう。
「しかしこの場所は珍しいというか、古臭く感じる。遠くに見える城塞はなんなのだ?」
「あなたの格好のほうが珍しいです!」
女の言葉に自分が全裸だったことを思い出す。慌てて手で股間を押さえる。しかし、その動作が女に余計な誤解を与えたようで、女は「ひぃ」と声をあげた。
「ご、誤解だ。気がつくと服が破けていたんだっ。決して俺は露出狂ではない」
「そうでしょうとも。怪しい者ではないと言ってしまった以上、そう答えるしかありません」
「なにか着替えるものがあればいいんだが……」
男が呟くと女は壁を指差した。そこには藁で編まれた傘と腰蓑がぶら下がっていた。こんなものを着れと言っているのだろうかと女の正気を疑うが、正気を疑う格好をしているのは男の方だった。
「その……、あなたはダシールの手の者ではないのですか?」
「ダシール? それはあの遊園地の名前か?」
「遊園地?」
「遠くにお城のようなものが見えた。薄暗かったので営業は終わっているようだ」
「営業?」
女は男の言葉を吟味するように目を伏せそして黙り込む。
「では、旅装した者たちを見かけませんでしたか?」
「旅装? よくわからないが誰とも会っていない」
「そんな……、ここで落ち合う約束だったのに。馬に乗った人、もしくは馬を連れた人を見かけませんでしたか?」
女はうなだれ、しかし、なにかにすがるような眼差しで男を見つめる。それが男の股間で停止し、慌てて視線を囲炉裏の炎に向けた。女が眠っている間に薪をくべておいたのだ。火勢はまだ衰えていない。
「馬? 何だってそんなものが……」
男は眉をひそめる。馬に乗って旅行をしようというのだろうか。ホーストレッキングなどという言葉を聞いたことはあるが、このような夜中にすることなのだろうか。
「そういえば、ブルルルという動物の声を聞いた気がしたが、あれはやはり馬の声だったのだろうか?」
女の顔がぱっと上がった。
「その場所へ案内していただけませんか?」
立ち上がろうとするので、手を貸そうとすると女はまた小さな悲鳴をあげる。
「す、すみません。自分で立ち上がれます。どうかその手を……」
男は先程まで股間を隠していた手を差し出していたことに気づき、慌てて何かで拭こうとしたが、そのような布切れなどなく、仕方なく股間に戻した。
■□■□■
嘶きの声があった場所はすぐに見つかった。
先程よりも錆びた鉄の臭いが濃くなっている。松明を握りしめる女と一緒に叢をかき分けて入っていくと、すぐに倒れた黒い物体が目に入り二人は息を飲む。
横たわるように馬が倒れていた。ピクリとも動かず、呼吸をしている気配はない。
首元から血が流れ落ち、黒い水たまりが作られていた。身体に数本の木の棒が突き刺さっている。それは矢のように見えた。
「な、一体何がっ……」
うろたえる男に対し、女は冷静だった。無言のまま松明を掲げ、さらに奥を照らした。
その炎により闇の中から人形のように倒れている人の姿が浮かび上がる。その男の胸にも深々と矢が刺さっていた。
「け、警察に電話をっ!」
男は狼狽え、胸元や腰、尻へと手を回すが、汗が引き塩気だけが残るざらついた肌の感触を確かめただけだった。
「離れましょう……」
女は低い声を漏らし、瞳を伏せると馬と人の亡骸から背を向けた。
■□■□■
二人で小屋に向かって歩き続ける。女は肩を震わせて、嗚咽を漏らして泣き始めた。
「さっきの者は知り合いだったのか?」
首を振る女を慰めようと、男はその肩に手を伸ばしたが、自分の股間を隠していた手なのだ。行く宛のなくした手を、所在なさげにぶらぶらとゆらした。
「あの者と小屋で落ち合う約束だったのです。ビレンツァ公国のナージャ様への書状を託すつもりでした」
女は意味不明な言葉を口にした。
先程の惨状を見て正気を保てなくなったのだろうか。死体を見て取り乱していた男だったが、女の言葉を聞いていくらか正気を取り戻す。しかし、凄惨な殺人現場を見たのだ。放置することは許されなかった。なんとかして警察に通報しなければならないという考えは変わらなかった。
「近くに町はないのか? 誰かに知らせないと」
「ダメです。そのようなことをすれば、私たちがダシール伯爵の謀反の計画を潰そうとしていることを知られてしまいます。あの者はダシールの手の者に殺されたのです。彼に見つからないように、落ち合う場所も街から離れたこの場所を選んだというのに……。ビレンツァ公国にまでその手が及んでいることを知らせなければならないのですが、その手段をたった今失ってしまいました」
やはりこの女は正気を保てなくなったのだ。そう考えるが、女に現実を突きつけたとして、この場所を説明することができず、それを証明するための物も何一つ所持していなかった。唯一残っていたのは、足を覆うスニーカーだけだ。ありえないと思いつつも自分が見知らぬ場所に迷い込んだのは確かだ。男は現実を語り聞かせるよりも、女の言葉を聞いてその破綻を待つか、別の者を探してその者の常識を確認する方が手早いと考えた。
「よくわからないが……、そのビレンツァ公国はどこにあるんだ?」
男の言葉に女は月の方角を指さした。
「この月が沈む方角、つまり西へ街道沿いに進むとあります」
「馬でどのくらいの距離だ?」
「おおよそ日が昇り、そして沈むまで」
「途中で馬替えは必要か?」
「幾つか宿場はありますが、馬替えの準備はありません」
「ということは持久力のある馬で半日ということだな……。ならば俺がその書状を届けてやろう」
女が驚きの表情で振り返った。
「私の言葉を聞いていましたか? 人の足で行けるような距離ではありません。行けたとしても何日もかかってしまいます。明日の朝には届けなければならないのです」
「一〇〇キロくらいだろう? 短い距離なら人の足は馬の足に及ばないが、その距離なら俺は馬以上の速度でたどり着くことができる」
「一〇〇キロ……?」
その単位にはピンときていないようだが、女は思案するように首を捻った。
「あなたとこの場所で出会えたのは、めぐり合わせなのかもしれません。しかし、全裸の男に私たちの運命を託すのは……」
「国か街かわからないが、その危機の前では些細なことなのでは?」
男の言葉を聞いた女は自らの手を握りしめ、空を仰ぐ。
「そうかも知れません……」
■□■□■
小屋に戻り、袈裟懸けに装着できる鞄を受け取った。その中には革の水筒と行動食となるパンを入れる。
「それではこの書状をビレンツァ公国のナージャ様に……」
「そういえば君の名前を聞いていなかった」
男の言葉を受け、女は躊躇うにして口を噤む。
「俺の名前は、走馬翔。カケルと呼んでくれ」
「私は……マルミレィ・トリティア。ナージャ様とは従姉妹の関係にあります」
「なるほど?」
カケルはマルミレィが躊躇いながら名乗る理由がよくわからず、小首をかしげながら手を差し出すと、マルミレィもまた小首をかしげた。
「あなたは私の名前を知って驚かないのですか? トリティアの街の領主の三女の名前ですよ?」
「そうなの? トリティアの街って近くにあるのか?」
マルミレィは黙って遊園地のアトラクションに見える城を指さした。
それを見てカケルは頷く。あれは街だったのか。もしかしてビレンツァ公国もあんな感じなのだろうか。どちらにしても行けばわかることだ。
「あの使者は暗殺されたようだが、マルミレィは襲われなかったの?」
「私の身はとりあえず安全だと思います。ダシール伯爵がトリティア家の者を直接殺せば、街の者たちや周辺の諸侯たちの反感を買うことになります。トリティア家の手足をもぎ取り、傀儡化してしまうことで政治的影響力を取り払いたいのです。それまでは無事であるといえるでしょう」
ダシール伯爵とやらの目的はトリティア家を失墜させ、街の実権を握ることにあるようだ。彼はある程度の権力をもっているようではあるが盤石ではない。トリティア家を十分に弱らせ、それにダシール伯爵が成り代わるまではトリティア家の者を殺すわけにはいかないということである。その企みの一つが明日にも隣接するビレンツァ公国で行われようとしていて、マルミレィはそれを阻止するためにナージャに書状を送ろうとしていたのだ。
時間もないようなので走り出すための柔軟体操を始めると、マルミレィが寄ってきた。
「何か着るものを。でなければ、たどり着いたとしても不審者として捕まってしまいます」
「いや、しかし……、服は見てのとおり破れてしまったんだ」
先程の死体から服を借りるという手もあるが、死人の衣装を脱がせてそれを着るということを想像でもしたくなかった。
マルミレィが小屋の中を指差す。
「せめてあの腰蓑をつけていってください」
「はあ? どこに腰蓑をつけた使者がいるっていうんだ? そっちのほうが変態じゃないかっ!」
「いま腰蓑の使者が誕生しました。裸よりマシです!」
「一緒だろ!」
カケルはそう答えるも、使者として向かうには裸のままではさすがにまずいような気がした。マルミレィに視線を投げかける。彼女の服を借り彼女を裸にするわけにはいかなかった。それに彼女の身体はカケルよりも一回り小さいので、超人的な柔軟性が求められる。だからといって腰蓑は嫌だった。動きも阻害され、藁がちくちくと肌を刺してくれば集中力の妨げとなることは明らかだ。一〇〇キロといえば一〇時間コースだ。藁がほつれ抜け落ちると結局裸になる。
肌を覆うのは最小限でいい。そして足の動きの妨げとならないものがいい。その時、カケルの頭に妙案が浮かんだ。
「マルミレィ。君のパンツを貸してくれ。それを履いて使者としての役目を果たしてくる」
「はああああ? 何を言っているんですかっ。どうして私の下着をあなたに貸さなくてはならないのですか!」
「よく聞け。さっき倒れているときに君のパンツを見た。白くシルクのような光沢を持つ高級感あふれるものだった。見る人が見れば高貴な者が身につける衣装と気づくだろう。それを履いていれば使者としての役目を果たせるはずだ」
「誰が見ても変態です! 裸とさほど変わりませんが、パンツを履いている方が理性の働いていることが分かるだけ、事故とはみなされず、より変態とみなされるでしょう!」
マルミレィはスカートの裾を押さえ後ずさる。話し合っている時間はない。カケルはマルミレィを押し倒し、そしてパンツを奪って履いた。彼の身体には小さすぎるように見えたが、伸縮性があり、彼の肌にぴったりと吸い付いた。少し生暖かい感じもしたが、滑らかで極上のはき心地だ。その感触を確かめるようにカケルはパンパンと自らの尻を叩くと、パンツの正面に金糸で刺繍された家紋のような紋様がキラリと月明かりを受けて反射する。
「うぅ……、もうお嫁に行けません……」
マルミレィが泣き崩れ落ちていた。
「もしかして、マルミレィは普段このパンツを見せびらかしながら歩いているのか?」
「そんなことするわけないでしょ!」
マルミレィが叫び声をあげた。
「だったら安心。マルミレィが何も言わなければ、これは君が穿いていたものだなんて誰も気づかない」
「そういうことではありません。心の問題です!」
「心の問題……」
カケルは彼女の言葉を受けて囲炉裏に視線を送る。その炎は彼の瞳に宿り静かに煌めく。
「マルミレィは走ったことはある?」
「はい。ここへも駆け足で来ました」
マルミレィの返事にカケルは頬を緩めた。
「俺は思うんだ。走ることは生きること。走れば精神が鍛えられ、健全な肉体となる。走れば道が作られ、すべてのものへと繋がる。走るその喜びは、すべての人の心を掻き立て世界を包む歓喜となる。この世界に存在するすべての問題は、走ることでのみ解決されるんだ」
マルミレィは顔をそむけ、すべてを諦めたような長い溜息をつく。
「どれだけ走っても、服を着ることはできません」
「そうでもない。今俺はこれを手に入れた」
カケルはパンツをくいっと引っ張り、パチンと音を鳴らした。
「すべての願いを叶えるために、一体どれだけ走らなければならないのでしょうか?」
「そうだな。とりあえずはビレンツァ公国まで走ってみよう」
そう言い残し、カケルはかかとで地面を三回突く。彼が走り始めるときのルーティンだ。三回かかとを鳴らすと好きな場所へ行けるという、とある物語に登場する魔法の長靴に因んだものである。もちろん、そうしてもカケルは元の場所へ戻ることはできない。自分への願掛けというべきかおまじないである。
カケルは小屋を後に走り始めた。
■□■□■
街道は石畳で舗装されていた。しかし、経年のためでこぼこと歪みがあり、足首が外側や内側に傾くこともあった。捻挫をしないように足首をホールドして走る。
その方法は単純だった。いくら力を込めても足首は曲がってしまう。そうならないようにするためには手のひらを目一杯に広げ、手首を曲げないようにして腕を振ることだ。
月明かりを受ける方向へとひたすら足を伸ばす。着地は身体に近いところに足裏全体を置く。そうすることで、進行にブレーキをかけず、足全体のバネを使って着地の衝撃を和らげることができる。地面は蹴らず、後方へ押し出すようにして速度を保つ。
呼吸は足のピッチに合わせずに自然な呼吸を続ける。それこそが馬とは異なる人間だけに成し得る超持久走法なのだ。
夜の冷気は適度にカケルの体を冷やしてくれた。月の位置は変わらないが周囲の景色は流れるようにして後方の闇へと飲まれていく。
新しく手に入れたパンツも足の運びを妨げることはなく着心地もよかった。
「ひゃっほー!」
走ることの心地よさに月に向かって雄叫びを上げた。
■□■□■
石畳の道が途切れ、土の道に変わると道幅が狭くなったり、勾配が激しくなる箇所もあった。
ただ、ビレンツァ公国とマルミレィの暮らすトリティアの街の交易は盛んなようで、馬車が通過できないような箇所はない。そのため、カケルは一定のペースを保ちながら走ることができた。
この場所はカケルの知る世界ではない。彼の暮らしていた場所は海に近く、このような山道の続く場所にはあの程度のランニングでたどり着くことはない。石畳の道にしても遊園地のようなお城にしてもそうだ。異世界へ迷い込んでしまったという考えにたどり着く。しかし、マルミレィはところどころ単語に首をかしげるものの、同じ言葉を話していた。これは遊園地のアトラクションなのだろうか。それにしては手が込みすぎていた。
カケルは一旦思考を止める。何度も繰り返して同じ疑問を自分に投げかけていたからだ。集中力が落ちてきているのかもしれないと考える。時刻は不明だが、体感では数時間以上は走り続けていた。
今は月が隠れるほどに木々に覆われ、鬱蒼とした森の中を走っている。ひとまず休憩を入れ、補給食を摂るべきだと考えるが、気味が悪いので月明りに照らされた場所へ抜けておきたい。しかし、この状態がいつまで続くのかわからなかった。
夜に目が慣れきっているとはいえ、路面が分かりづらく速度が緩む。
立ち止まろうとしたその先で、倒木が道を塞いでいるのが見えた。腰の高さまであるような太い幹だ。
道を塞ぐ倒木は一本だけではなく、何本もの幹が重なり合うようにして倒れている。馬なら通過することができず、遠回りをするか諦めなくてはならないところだった。
自然を装っているように見え、わざと足止めをするように道を塞いでいる感じがする。
カケルは幹に手をかけてよじ登る。そして、その先にある倒木に飛び移ろうとしたとき、森の木々の隙間から物音が聞こえた。そちらへ視線を送ると、矢をつがえた者が闇に紛れるように立っていた。
「見てのとおり通行止めだ。引き返さなければ大怪我をすることになる」
「何者だ? 怪しい奴め」
カケルが尋ねると笑い声が漏れた。その拍子に鏃が揺れ、その先端がギラリと光る。
「怪しいのはお前だ。自分がどんな格好をしているのかもわからないのか?」
カケルは野太い男の声を聞きながら周囲に視線を送る。ほかにも数か所から枝や枯葉を踏む音が聞こえた。どうやら潜んでいる者は一人だけではなさそうだ。
カケルは仕方なく向きを変え、幹から飛び降りる。そして軽く走ってその場から距離を置く。そうして引き返すと見せかけた後、再び倒木のある方へと一気に駆けた。同時にヒュっと空気を裂く音が鳴り響く。まったく見えなかったが、風切り音は後方へと消えて行く。怯んで立ち止まれば射殺されるかもしれない。彼は大地を蹴り上げ全力で駆ける。そして、跳躍をして先ほど乗り上がった幹の上に立つ。勢いを殺さぬように次の幹、その先の幹へと飛び移る。
数か所から先程と同じ空気を裂く音が響く。そのうちの一本がカケルの頬をかすめ飛び去った。思わずのけぞり姿勢を崩したその瞬間、足元の倒木がグラリと揺れる。次の倒木が最後であり、その先にはまた暗い道の続きがみえた。ここを乗り切れば突破することができる。その思いがカケルの背中を押した。バランスを崩しながらも跳躍したが、踏み込みが甘くその幹の手前で失速した。
ゴンッ!
鈍い音が響くと同時にカケルの向こう脛に鈍く強烈な衝撃が走った。飛距離が足りず、倒木に打ち付けたのだ。
ここに留まれば、矢の的になる。カケルは這いつくばるようにして上半身で木の幹にしがみつき、その向こう側へと体を滑らせた。しかし、今度はその勢いを殺すことができず。地面に肩から落ちた。
「ぐわああああっ」
新たに追加された痛みを堪えることができず、叫ぶようにうめき声をあげた。
我慢できずに打撲した箇所を押さえのたうち回る。痛みが引くのを待ちたいが、弓で狙われているのだ。そのような時間もない。
肩への衝撃は堪えることができたが、向こう脛の痛みは耐え難いものだった。
同時に待ち伏せをしていた者たちへの激しい怒りが込み上げてくる。
「お前らっ!」
半身を起こしたところへ、鋭い風切り音が鳴り響く。思わず顔をかばうように腕を上げる。同時に風切り音が消えた。信じられないことに偶然にも飛翔した矢が彼の手に収まっていた。
「どおりゃああああああっ」
闇雲に握りしめた矢を投げ返した。矢が木々の隙間に飲まれて消えたかと思うと「うぐっ」と男の声が漏れる。投げ返した矢がこれまた偶然にも敵に刺さったのだ。
カケルはしばらく静まり返った森の中を睨みつけていたが、どこからも矢は放たれることはなかった。
「は、早く去れ。変態野郎……」
森の中から声が聞こえた。
その言葉を合図に再び走り始める。向こう脛の痛みは幾分か和らいだが、腕を振るたびに肩がズキズキと痛んだ。
肩を押さえ、片足をかばうようにして走ることしかできない。
しばらく走ったあと立ち止まり振り返る。耳をすますが、追手の気配はない。カケルは大きく息を吐き出した。
目を伏せ、三メートルほど先の地面を見つめる。ただ黒くうねりながらどこまでも続く、大蛇の背の上を走っているようであるが、その背中は決して平坦ではない。ぬかるみや水たまりがあり、地面から岩が突き出ていたり、小石が転がっていたり、木の根が張り出している箇所もある。そうかと思えば枯れ葉が地面を覆って、その下にある何かを踏み抜きそうになったりもする。
だが、それがいいのだ。それが道を走るということなのだ。走ると決めた以上、どのような場所でも走り抜ける。
痛みをかばう走りを続けてはならない。歪んだフォームはさらに別の痛みを引き起こす。脳に理想の走りを思い描く。その形となるように実際のフォームを合わせていく。
肩や向こう脛の痛みだけではない。長距離走行に耐えかねた体の至る所が痛みを持ち始めている。
しかし、今は痛みの言うことを聞くべきではない。理想のフォームだ。
自分の思い描くフォームをトレースし走り続ける。
等間隔に地面を踏む音が鳴り続けた。
■□■□■
金色の柔らかな光を世界に注いでいた月は、化石のように白くなって西の空に浮かんでいる。
空はすでに白み始め、夜空を流れていた銀色の河は消えていた。かろうじて深い青みを残す空には幾つかの星が残滓のように見えるだけだった。
道はやがて石畳に変わり、その両脇には、無限に広がっているように麦の穂が垂れている。その遥かなる先には石灰岩のレンガを積み上げた城壁が見えた。あれこそが目的地のビレンツァ公国なのだ。
ここで気を抜けば体中の筋肉が悲鳴を上げ、硬直し始める。最後まで気を抜かず走り抜ける。カケルはそれだけを念じ、目的地に近づいているという興奮と逸る気持ちを抑えた。
■□■□■
近づけばそれが巨大な建造物であることがわかる。城壁が放つ威圧感は遊園地のために作られた張りぼてとはまったく違ったものだった。
道はその城壁を切り抜くように作られた城門へと続いている。それが街道の終端だ。
城門塔に挟まれた扉はカケルの身長の何倍もの高さがあり、木製ではあるが鉄板と鉄の鋲で補強され、厳しい作りとなっていた。そして早朝のためか固く閉ざされている。
城門の前に立ってみるが静まり返ったままで、城門塔に設けられた小窓からの反応もない。
開門の時間までどのくらいの間があるのかわからない。マルミレィは焦っているはずだ。その顔を思い浮かべようとしたが、彼女のパンツしか思い出せない。しかし、彼女から預かった書状を見せれば通してもらえるはずだ。
カケルは城門に張り付いて、ドンドンと扉を叩く。
「開門、かいもーんっ!」
時代劇を観て一度は叫んでみたかった台詞である。調子に乗って叫びながら扉を叩き続けていると、槍を持った衛兵が城門塔に設けられた小さな通用口から次々と飛び出してきた。
「やかましいっ! 何を叫んでやがる。変態めっ」
カケルは瞬く間に衛兵たちに囲まれ、槍を突きつけられた。
「待ってくれ! 俺はマルミレィ・トリティア様の使いの者だ。火急の要件にて書状を届けに参ったのだっ」
「ふざけるなっ。パンツ一丁で城門を叩く使者などいるものか! たとえ城門が開いていたとしてもお前のような者を通すことはない。ハリネズミになりたくなければ早急に立ち去れっ!」
予想外の怒気にカケルはたじろぐ。城門塔を見上げると、弩を構え胸壁の隙間からカケルに狙いをつける兵士の姿も見えた。パンツ一丁の出で立ちが怪しいと疑われるなら、マルミレィの忠告に従い腰蓑をまとって来るべきだったと後悔したが、もはや取りに戻ることもできない距離を駆けてきているのだ。
立ち去れと言われているが、槍の穂先が向けられていないのは背中側だけであり、そこは閉ざされた城門である。彼らにカケルを生かしたまま帰す気などないのだ。
打開策はなにも思い浮かばなかった。カケルはずらりと眼前に並べられた穂先を息を飲みただ見つめていた。
その時である。年老いた衛兵が駆け寄ってきて、衛兵たちに構えを解くように指示を与えた。
「マルミレィ・トリティア様の使いの者と言ったか?」
カケルは頷くが、老兵の視線はカケルのパンツ一点に注がれていた。夜通しで走り続けたのだ。装着時は光沢を放っていたそれも、転んで擦ったり、ぬかるみで泥をはねたりもして、いまは煤けくたびれている。しかし、鼠径部の上、そこに金糸で刺繍された紋章だけは燦然と輝いていた。
老兵はその紋章を見つめている様子だが、カケルにしてみればその内側を見られているような気分になる。彼が身をよじろうとしたその時、老兵は膝をついた。
「薄汚れているが、この素材はまさしくシルク……、庶民のものではない。そしてこの紋章はまさしく……」
声を震わしながらそれに触れようと、おそるおそる手を伸ばしてきた。その指先の動きに恐怖を感じたカケルは慌てて後ずさる。しかし、背中に城門があたり身動きがとれなくなった。
「そ、そうだ。この紋章が目に入らぬか? このパンツをどなたのものと心得る。恐れ多くもトリティア家の第三女、マルミレィ・トリティア様のパンツにあらせられるぞっ」
「はっ、ははーっ」
老兵が平伏して頭を下げると、衛兵たちは納得のいかない様子で首を傾げていたが、やがて老兵に倣って頭を下げた。
■□■□■
城壁の中は中世の絵画のような街並みだった。石畳の通路に石造りの建物が連なるように並ぶ。
朝日が街を照らすとともに、人々が戸口から姿を現し一日の準備を始める。カケルは城壁の内側で多くの人の生活が行われていることに驚くとともに、自分が異世界へ迷い込んだことが現実であると思い知った。老兵が並んで歩いているため、街の人々がカケルに向ける視線は遠慮がちではあるが、奇異なものを眺める眼差しから、蔑みの眼差しまで様々だ。彼らもまたカケルを異邦人であると感づいているのかもしれないと考えると、背筋が寒くなる。カケルは鞄のタスキを握りしめた。
老兵に連れられ、一際壮麗な装飾の施された巨大な建物に入る。建物内は細部まで手入れが行き届いており、真っ白な漆喰の壁、寸分のズレもない大理石貼りの床、その上に敷かれた真紅の絨毯、それらの輝きが走り終えて疲れ果てたカケルの目に刺さる。
まもなく巨大な広間に通され、その中央にぽつんと残され待たされることになった。
彼の両脇には煌びやかな装飾の鎧に身を包んだ兵士たちが並び立っている。兵士たちは姿勢正しくただ正面を見つめ、カケルの存在を歯牙にも掛けていない様子だ。
カケルは自分をみすぼらしく思い身だしなみを整えたいと考えたが、整えることができる服など着ていないことを思い出す。
パンツの腰のあたりの布地をクイっと引っ張りパッと離すと、パンと心地よい音が響いた。
股間が引き締まり、心もまた引き締まった気がした。そのとき、裾にある小さな扉が開いた。
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扉を開けて入ってきたのは、金髪をクリックリに巻いた愛らしい少女だった。
真っ白な肌に青白い瞳。膝上までの純白のワンピース。そこからか細い腕と足がすらりと伸びていた。
小柄な彼女はとことこと台座の上を歩き、そこに据えられている玉座へと向かう。
巨体の男が座ってもなお余りある背板であった。少女は腰の高さの位置にある座面に手をつく。
「よいしょ」
小さな愛らしい声を上げ這い上がろうとしたが、失敗して彼女は足をつく。再び登ろうとするも、やはり失敗した。そうしていると、カケルを案内した老兵士が歩み寄り、彼女のわきを抱え上げる。少女はそれに抗議をするようにぴょこぴょこと足をばたつかせるが、老兵は何事もないように椅子の上に乗せた。
彼女は玉座に腰を下ろした後、足をぶらぶらさせながら黄金の肘掛けに腕をちょこんと乗せる。
「妾がビレンツァ公ナージャじゃ」
舌足らずながらも凛とした声が響く。兵士たちは一斉に胸に拳をあて頭を下げる。
カケルはどうしてよいかわからなかったが、とりあえず片膝をついて頭を下げた。長距離を走り限界に達していた筋肉はその動きに耐えきれず悲鳴を上げたが、なんとか堪える。
「そなたは随分変わった出で立ちであるが、マルミレィの遣いで来たとか。妾は彼女のことをマレィと呼んでおってな。マレィは妾の従姉妹であるが、姉でもあり大切な友人でもあるのじゃ。妾は公主ゆえ、この国を離れることはあまりできぬが、その分彼女が遊びに来てくれるのじゃ。一緒にお菓子を食べたり、庭の花を愛でたり……、そういえば、ツリガネソウとヒナゲシの種を二人で植えたのじゃ。それがオレンジ色の花と鈴のような白い花となってまこと綺麗に咲き誇っておるのじゃ。また一緒に花畑を眺めたいものじゃ……」
ナージャは目を閉じ口元に笑みを浮かべ、人差し指をふわふわと漂わせながら話す。
彼女の話は永遠に続きそうであったが、老兵士の咳払いにより止められる。
「そうであった。マレィからの書簡を預かっているそうじゃが?」
「仰せのとおりです。ノジャ様」
「ナージャじゃ」
カケルは鞄から書簡を取り出した。誰かが取次に来るかと思ったが、受け取りに来る者はいなかった。老兵に視線を送ると目を伏せて頷くのでカケルは前へ進み台座に上がる。そして玉座の前で跪き、書簡をナージャに差し出す。
「うむ。大儀であった。楽しい内容だと妾も嬉しいがのう……」
そう言いながら前かがみになり書簡を取り上げる。その拍子に足がぱっと開いたが、ナージャもその周囲の兵士たちも気にしていない様子だった。
ナージャは封蝋を小指でピンと跳ね上げると手紙を取り出す。しばらく目を通していたが、眉間に縦じわが刻まれ次第に厳しい表情になっていく。
「よ、読めますか……?」
老兵が不安げな眼差しでナージャに問いかける。
「い、いつまでも子供扱いするでないっ! もう、立派なレディだから文字など読めるのじゃ」
ナージャはそう言って、老兵の胸元に手紙を突きつける。
「内容を確認し良きに計らうのじゃ。至急じゃぞ?」
老兵は眉をしかめ手紙を近づけたり遠ざけたり、さらにはかざしたりしながら読んでいたが、みるみるうちに血相を変える。そして数名の兵士を従えて広間を飛び出していった。
ナージャはその様子を眺めた後、視線をカケルに戻す。
「さてと、そなたには褒美を与えぬとな? なにか望みはあるか?」
そう尋ねられ、カケルは返答に詰まる。すぐに思いつくものはない。そして、深く考えてみるものの、目の前にいる少女に叶えてもらう望みはなかった。
ただ一つ、カケルの心の中に灯された衝動があった。
「では、ノジャ様、水筒を満たす水と、幾ばくかの食料を」
「間違うでない。妾はナージャじゃ。水や食料などは褒美でなくとも与えてやる。それよりもそなたには必要なものがあるじゃろう?」
ナージャの問いかけに、カケルは静かに首を振る。
「俺はマルミレィに無事にノジャ……ナージャ様に書簡を届けたことを報告するために戻らなくてはなりません。しかし、不安が二つあります」
「ほう、妾もそなたが名前を覚えてくれるのか不安なのじゃが、そなたの不安とは?」
カケルはすっと眉を寄せ神妙な顔つきになる。
「一つはノ……ナージャ様に実際に書簡を渡したことを証明するものがないことです。もう一つはマルミレィにもらったこの衣装は随分傷んでしまいました。帰路に耐えうるか心配です。万が一破けてしまった場合、俺は全裸になってしまいます。そうなると誰かに捕らえられ、その首尾を報告することができなくなります」
「もう妾のことをノジャと呼ぶとよいナジャ……いや、よいのじゃ。そなたにだけ特別に許すのじゃ。返書は妾がしたためよう。そして衣装も見繕ってやろう。上の服もちゃんと着て帰るがよい」
「それには及びません」
カケルはずいっとナージャに迫った。
「な、なにを考えておるのじゃ?」
ナージャは怯えたように身を引こうとしたが、椅子の上から動くことはできない。ただ、肘掛けをぎゅっと握り締めた。
カケルはナージャのパンツを脱がせるとマルミレィのパンツから履き替えた。彼女のパンツもまたシルクで作られ、滑らかで肌にピタリと吸い付くような感触だった。レースの花模様の装飾があしらわれ、中央には金糸で刺繍された家紋が輝いていた。
「もうお嫁に行けない……」
しくしくと泣きくずれているナージャをよそに、マルミレィのパンツを丁寧に折りたたむと鞄の中にしまった。戻った時にマルミレィが代えのパンツを履いていなければ、このパンツを履かせてやらなければならない。
「この姿で戻ればマルミレィもきっと喜びます」
「本当に喜ぶであろうか? 妾にはそなたに自分のパンツを履かれるマレィの気持ちがさっぱりわからぬのじゃ……」
悲しみの声を上げる彼女の前で、カケルは拳を握りしめ自らの胸を力強く叩いた。
「大丈夫です。全ては俺の走りで伝えます」
カケルは朝日に向かって駆け出した。
(おしまい)